黄君は今、部屋を出て行きました。表では、あいかわらず冷たい小雨が降り続いています。中国南部がこんなにも寒いとは思っていませんでした。でも、寒いのは天気のせいだけではなく、気持ちのせいもあるかもしれません。
黄君とは、広州発南寧行の長距離バスで出会いました。午後3時半、乗車券売り場から少し離れたバスターミナルまで、係員につれていかれる時に彼もいっしょでした。彼は手ぶらだったので、最初は係員かと勘違いしてしまいました。小雨が降っているのに彼はカサを持っていませんでした。頭の上にカサをさしてあげるとニッコリと笑顔を返してくれました。乗り込んだ2階建寝台バスでも、隣に席をとりました。やがて筆談が始まりました。彼は「中国に仕事を探しにきたのか?」と聞いてきました。この質問は意外だったのですが、すぐに理由が分かりました。彼は広州には仕事を探しに来ていたのでした。そしてこうも書きました、4日間探したが結局みつけられなかったと。彼は失業中でした。
楽しい会話、筆談を期待していたのですが、いきなりかけるべき言葉を失ってしまいました。しばらく沈黙が続いていましたが、やがて彼はボールペンとメモ帳を取ると、休まず文字を書き連ね始めました。私の中国語力では、その多くを理解することなどできませんでしたが、家庭の事情で上級の学校に進めなかったことや、働きながら受けてきた不遇、家の病気のおじいさんのことなどのようでした。用紙7枚を使い、書き終えると、黄君は仰向けになって深いため息をつきました。満足に言葉の通じない外国人相手でもかまわない、腹の底にたまっていた気持ちを吐き出したかったのでしょうか。私には、そのメモ用紙に黙って目を通し、全てを読めているわけではないけれど言いたいことは分かっているよ、と伝えることくらいしかできませんでした。
しばらくすると、バスをちょっと降り、彼は弁当を2つ持って戻ってきました。ひとつを私にくれました。お金を渡そうとしました。が、「仕事を探すのにお金が必要でしょう?」と言っても、彼はどうしても受け取ろうとしません、朋友だから、と言って。今度停車した時には、私が何かを買ってくることにしようと思い、有り難くいただくことにしました。ご飯に心を感じました。
その後も筆談を続けましたが、走るバスの中ということもあり、やがて疲れてきたので眠ることにしました。隣に横になっていて、会ったばかりのはずなのに何故かそんな気はしませんでした。彼からは若者特有の青い体臭がしました。
バスが止まり、目が覚めました。午前5時半、南寧に到着です。まだ外は真っ暗で、なおかつ小雨が降っています。他の乗客たちは降りようとしません。黄君は「宿に行くのか」と聞いてきます。いっしょに南寧を周ろう、などと誘われていたこともあり、中途半端な時間ながら安宿に移ることにしました。
ちょっと電話をしてくるから、といってポケットベルに目をやりつつ部屋を出ていった彼は、しばらくして戻ってきました。そしてこう切り出しました、お金を貸してくれないか、と。2000元借りたいのだ、と。そして彼は床に膝をついて手を合わせて拝むように頼もうとまでしました。
2000元は日本円で約3万円です。考えるまでもなく無理な相談です。病気のおじいさんに沢山のお金が必要だから、と言っていますが、本当かどうかは分かりません。だけど、彼が失業中であり、お金に困っていることは間違いないでしょう。私を信用させようとして見せた身分証明を見ると1982年生まれ、まだ18才でした。かわいそうだと思いました。なんとか少しくらいは助けてあげたいと思いました。
2000元なんて貸せない、と言っていると今度は家までの交通費に100元でいいから、と言い始めました。100元は日本円では1500円。そう考えればたいした金額ではありません。しかし、中国では違います。昨年泊まった西双版納賓館で、新米の小姐(メイド)は、自分の給料は300元だと言っていました。つまり100元は彼女の月給の実に1/3にも相当します。それに、彼はポケベルを持っています。彼のような中国の若者にとって、この使用料は決して安くはないはずです。少なくとも今までは、彼が言っているほどはお金に困ってはいなかったことになります。それに、ここの宿代も、ここまでのオートリキシャ代も全て私が払っています。失業中の彼に請求するつもりなど最初からありませんでしたが、彼もまた最初から私に払わせるつもりだったようでした。また、今ここで起きている「お金を貸してくれ」という事態は、それが一体どの時点から始まったのかは分かりませんが、計画的に行われたことであることは間違いありません。そもそも冷たく考えれば、たまたま隣に座っただけの人間に、お金を与えるような理由などどこにもありません。
色々な考えが頭に浮かんできました。出来るだけ理知的に考えようとしました。が、やっぱり彼はかわいそうでした。彼が買ってきてくれた弁当のことも、どうしても無視できませんでした。
結局、理性的な自分と同情的な自分とのギリギリの妥協点として選んだのは、あげるのでも貸すのでもなく、宿探し他のガイドとしての報酬という形で50元を与える、というものでした。貸したところで返ってこないだろうし、これならなんとかお金を渡す理由付けができます。「これしかない」と言ってみせてくれた彼の所持金は約60元。交通費としてあと100元必要だ、と言っていましたが、南寧まで来てしまえば、そんなには必要ないはず。財布を見ると、ちょうど両替しなかった50香港ドル札がありました。中国南部では、香港ドルはそのままでも利用可能、もしくは両替すれば50元程度になります。貸すのではなくガイドの報酬としてだ、と言って50香港ドル札を渡しました。
黄君は今、部屋を出て行きました。表では、あいかわらず冷たい小雨が降り続いています。薄暗い部屋に一人ベットに腰掛けながら寒い気持ちになっています。50元渡しましたが、渡した金額がいくらであっても、あるいは全く渡さなかったとしても、どれかが一番正しい判断だった、ということはないと思います。そして、なんだか自分の背の高さを測られてしまったような、そんな落ち着かない気分だったりもしています。
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黄君が残していったメモと、信用を得ようとしてだったのか、渡された彼の証明写真
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