行方不明になる自由
 
 
 
  世界は狭くなり過ぎたのかもしれない。
 
  明確なスケジュールを持たない旅行・放浪の旅といわれるものがある。こうした旅に出ている人に連絡をつけるのは簡単ではなかった。いつ、どこにいるのか分からないからだ。旅する場所が海外だったら、事前に聞かされていた計画が本当に実行され、受取りに来てくれることを祈りながら、どこかの国の日本大使館気付でエアメールを送るくらいしか手段がなかった、ただし数年前までは。今ではEメールでほぼ確実に連絡が取れる。
 
  旅人がインターネットカフェに行き、自分のメールボックスにアクセスすればいいのだ。 インターネットカフェは世界中どこにでもある。今ではチベットにさえもあるらしい。旅人がWebベースのEメール( Hotmail , Yahoo! Mailなど ) を使っていればプロバイダーやアクセスポイントを気にする必要もない。もう旅人がどこにいても関係ない。とても便利になった。かくして世界は狭くなった。しかし、これはもろ手を挙げて喜んでもいいことなのだろうか。

  旅に出るわけは人それぞれ、いくつもあると思うが、多くの人が多少なりとも抱く理由の1つに日常から離れたい、というものがあるだろう。どこか遠くの街で、知らない人たちに囲まれながら、普段とは違った毎日を送る。そして日本からは、そんな遠い世界にいる人間を捕まえる手段がない。これは、その人の逃避願望が強いならば理想の状況だろう。しかしインターネットの発達で、そんな非日常の世界に、日常が簡単に割り込めるようになってしまった。

  だったらEメールなんて使わなければいいじゃないか、と言う人がいるだろう。でも、そんな簡単に割り切れることではないようだ。インターネットカフェが繁盛し、マシンの順番待ちをする旅人を見ていると、そう思えてくるのだ。日本中で見かける、暇さえあればバッグの中のケイタイをチェックしている人たちと同じ行動にも見えるのだ。旅の空のもと、誰にも束縛されない自由を求めながら、一方では人とのつながりも確かめたがっている、そんな矛盾の中にいる人が多いように思えるのだ。もっとも、これはただ単に、自分のアイデンティティーがある日常と、完全に決別してしまうことを望む旅人など本当は少ない、ひらたく言えば、多くの人が「ほどほどに距離をおければいいや」と思っているということに過ぎないのかもしれないのだけれど。
  とにかく簡単になってしまっただけに、放浪の旅が与えてくれる"行方不明になる自由"を捨てでまでも、遠くにある日常を確かめてみたいという誘惑が、昔よりはるかに強くなっている様な気がしてならない。

  ここまで大袈裟に考えないにしても、 なんだか以前に比べ、旅の浪漫といったものが薄れてしまったような感じはしている。でもそう言いながら一方では、やはり便利さを実感しつつ、海外を放浪する人へ頻繁にメールを送ったりもしているのだが・・・
 
 
 
 

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インターネットカフェが並ぶカオサン通り (バンコク、タイ)
At Khaosan Rd. you can find lots of Internet Cafes. (Bangkok, THAILAND)
 
 
 
 
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