危険への距離感(キルギス人質事件から)



  キルギス人質事件の報道では当地キルギスの様子がしばしば流される。事件現場は荒涼とした山岳地帯だが、それ以外の地域は、「ああ、美しい景色」などと感嘆してしまうほどの風景だったりする。雪をいただく山々、太陽の降り注ぐ緑多き街並み、避難民のキャンプ地ですら緑にあふれている。映像を眺めていると時々、こんなきれいな風景の中で事件が起きている事に対して、なんだか実感が伴なわなことがある。もちろん当事者たちに対しては失礼な話だ。私は平和な国ニッポンにどっぷりと浸ってしまっている。

  マスコミ報道によると、この事件2週間前、事件の起きた場所近くの村で、住民がイスラム武装組織に拉致され、キルギス軍が出動するという事件が起きていたという。このことから、アメリカ政府は日本人拉致事件の10日前に米国国民に対しバトケン地区への立入りを避けるよう勧告を出し、インターネット上でその事を公開、さらにはキルギス在住の自国民3百人に対し、一人一人電話で勧告を伝えることまでしていたという。しかし、JICA(国際協力事業団)が8/24に行った記者会見によると、JICAでも事件のことは把握していながら、安全には問題なしとしていたのだという。TVでは、JICA幹部が"こんなに早く事態が悪化するとは予想していなかった"と会見する姿が流されていた。

  マスコミ情報だけで判断してしまうのはかなり乱暴であるが、事件直前のJICAの対応から想像できるのは、彼らも当地の情勢というものが全く実感できていなかったということだ。本来、最も敏感でなければならない外務省やJICAの情報収集能力不足・危険認識の甘さが、あってはならない形で露呈してしまったといえる。感覚が鈍っているのは一般人の私だけではない。

  個人レベルの話になるが、危険危険と言われることの多いインドで、日本人旅行者が大小の事件に巻き込まれた話をいくつか、その被害者自身から、あるいはそのすぐ身近だったという人から聴いた。当人には申し訳ないが、危険に対する意識の甘さから、巻き込まれるべくして事件に巻き込まれた、と言いたくなるケースも多かった。不可抗力で不運としか言いようがない可哀想なケースもある。もちろん悪いのは犯罪者の方だ。しかし、例えばヒップバックを、日本と同じように目の届かないお尻の方に廻して街を歩いていたら、バッグの中身を盗んで下さい、と言っているようなものだろう。

  しかし、これらのことを、他人事だよ、なんて言ってはいられない。いくら気を付けていても、ふと気が緩んだ時、魔が差したような時、自分自身同じ辛い思いをするかもしれないのだ。TVでのキルギスタンの風景に感嘆しているような私こそ、次の被害者かもしれない。
 
 
 

 キルギス人質事件

  ’99年8月23日午前1時(日本時間同4時)ごろキルギスタン共和国南西部オシ州バトケン地区で日本人技師4人(国際協力事業団"JICA"から派遣)が、隣国タジキスタンから侵入してきたイスラム武装組織に拉致された。単純な身代金目当ての誘拐と異なり、複雑な宗教・政治問題がからむことから事件は長期化したが、約2ヶ月後の10月25日全員解放された。
  キルギスタンは中央アジア東部に位置する共和国で、’91年の旧ソ連崩壊で独立した。国土の多くが天山山脈の高地である。人口約450万人。 本文に戻る
 
 

キルギスタンの風景
Scenery of Kyrgyzstan

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