空の国の貧しい犬 (チベット)


  ラツェという街、泊まった宿に一匹の黒い犬が放し飼いにされていた。日本では見かけることのない位、ひどくやせている犬だった。とても人なつっこいヤツだった。

  便所でのこと。簡素な便所だ。地面の上に、高床式倉庫の様な 箱型・ コンクリート製の建物を作り、床に穴を開けただけ、というシロモノ 。
  しゃがんで用を足していると、すぐ真下、糞の山の中で何かが動いているのが見えた。穴の中をのぞきこんでみた。あの黒い犬が  私の糞を食べていた。

   「印度動物記 / 藤原新也 (朝日文芸文庫)」の中に、"世界最貧の犬"、という 話が出てくる。インドの極貧の村で、やはり一匹の犬が彼の大便を食べてしまうという話だった。だが、もう"最貧"とは言えない。貧しい犬はチベットにもいた。

  標高4,000m以上、空の中にある様なこの国の自然は美しい。しかし、8月でさえ雪の降る荒涼とした高地、やはり過酷だとも言える。実りが豊かであるとは思えない。全ての人々がそうなのではないだろうが、恐ろしく質素な食事をしている光景を 何度も見かけた。人間様が食べる分で精一杯、犬っころなんかに十分なエサがまわらないという事態も起こり得るだろう。
  そうなればもう、人間の排泄物を食うしかない。人糞を食ってでも生きる。驚くほどの貧しさとともに、凄まじいほどの生命力を見せつけられたような気がした。

  出発の朝、その生命力のカタマリは、なんの悩みもないかのような人なつっこい、やさしい眼をして見送ってくれたのだった。





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