(57)2003/09/22
『天才的話芸』
ミス・ワカナ 玉松一郎
日 大道楽レコード◎DAI-006 1993

戦前の上方漫才に光輝を放った
女性天才漫才師、ミス・ワカナ。
素晴らしい言葉運び、話術を堪能できる
SP盤からの復刻で集成された一枚。
■エンタツ・アチャコの影に隠れてはいるが・・・。

松竹から道頓堀の映画劇場で、漫才の常打ち興行をやってくれ、そんな話が私に来た。私はとても嬉しかったが、即答を避けて、待って貰った。即答を避けたのは、道頓堀に漫才劇場が出来るのは勿論この上なく嬉しいが、もし万一巧く行かなかった場合には、二度と再び漫才が道頓堀に出る機会がないかも知れない。それで私は慎重に考え、この際、全漫才を打って一丸としての漫才界を作る必要があると考えた。丁度ワカナ・一郎の、不世出の天才と言われたワカナが、私が外地から戻ってくる少し前に亡くなっていた。そのワカナの十三回忌の法会を竹林寺で営み、その追悼の漫才大会を道頓堀の中座で催すことを提案した。(『私は漫才作者』秋田實)

戦前に“高級漫才”を確立し戦後はそれをさらに大きく育てた秋田實が、“不世出の天才”と書いたミス・ワカナ。彼女は昭和21年(1946)10月14日、阪急西宮駅で倒れ36歳の短い生涯を閉じた。ヒロポンの打ちすぎによる心臓マヒだったと、このCDの解説にある。

秋田實が横山エンタツと共に、低級と蔑まれた“萬歳”を都市部のホワイトカラーにも受け入れられるものとするため、スーツ姿としゃべくりのみの大胆な変革を持ち込んだのは昭和初期の話。「エンタツ・アチャコ」の登場は漫才の歴史を画す一大事だったのだが、その陰に隠れてしまったと思えるのが、今回のテーマ「ワカナ・一郎」ぬぅあんである。

女流漫才師の中で、その死から57年も経った現在においても、「天才」と讃えられ超える者のない話芸と伝説化しているミス・ワカナは、いったいどんな漫才を高座にぶちまけたのだろうか?

それが知りたくてこのCDを買って、もう10年くらいになりますか。

かつてのSP盤の復刻も著作権の問題で容易では無くなった。このありがたいCDを発売した大道楽レコードも、法律の問題で製作が容易ではなくなり活動を止めたと聞く。この作品をはじめ、同レーベルのカタログは貴重な文化遺産となってしまった。

さて。ありがたくも遺してくれたワカナの芸に耳を傾けてみる。

■憑依、歯切れ、間・・・ワカナの抜群の「話感」。

ワカナは、声に色気のある人だ。艶やかでいて力強い。発声の粒の立ち具合が並みではない。もちろん歴史に残る人であるが故に当然なのかもしれないが、やはりこれは天性のものだんだろうと思えるにゃん。その節々に、ワカナの死後二代目として玉松一郎と高座に立ったミヤコ蝶々の声にその遺産を聞く気がする。

というわけで、ワカナ・一郎の代表作である「全国婦人大会」。この全国婦人大会とは、戦時体制に女性を組織的に組み込むため結成された婦人会組織の各地の指導者が集まって全国大会を開催し演説を行うという趣向。

これはSP2枚連作で、島根、朝鮮(当時日韓併合下にあった)、名古屋、京都、広島、博多、北海道、東京(浅草)の8地域の方言・言語が登場する。

ワカナの特徴は、第一にその方言の吸収力の凄さだろう。音感という言葉があるばってん、あえて言うなら「話感」とでもいうのだろうか。CDの解説に、ワカナは巡業先で二時間ほど姿をくらまし、町に入って地元の人達の会話に耳を傾けていたというが、その耳の良さは抜群と言っていい。言葉がワカナに憑依したというべきか。

8地域の中でもわてには身近な博多だが、このワカナの博多弁を聞くと、怪しげな方言もどきを駆使しているわてなんぞ赤面の至りばってん。地元でも若い世代は正調を話せず、よほどの古老あたりでないと聴けない口調くさ、とワカナの言語感覚に驚愕たい。

他の方言でも語り分けの凄さとリアリティは、ダントツの出来。“言葉の魔術師”と言われるのが納得である。

この方言吸収能力の凄さは「ワカナ放浪記」でも発揮される。各地の言葉の使い分けが堪能できる。

ワカナは鳥取県の出身で、4歳から安来節を歌って、すでに人気者だったという。やはり感覚が並みの人とは違っていたのだろう。

卓越した話者として言葉の歯切れも素晴らしいワカナだが、言葉と言葉の間の取り方がまた絶妙である。

一例として、唄物「ワカナぶし」での間合いの上手さに舌を巻いた。漫才ではないが傑作だ。

これは解説でも絶賛されているが、亭主の一郎の悪口を言った後に、「いいえ、そんなこと(アリマセンヨ)」とふつうなら救いを入れるところを、「いいえ、そんなこと(アリマスワ)」と逆転させる、この間の取り方。この凄さは聴いて頂くしかない。

そして話の上手さとともに、唄の達者さも特筆されるところ。先の「ワカナぶし」をはじめ、漫才の合間に挿入される一節は、その艶やかな声質に唸らされる。14歳の時に二代目河内家芳春の門下に入り江州音頭を修行したことで、さらにノドを鍛えたんだろうにゃ。

一郎との夫婦漫才を始めた当時をネタにした「ワカナ自叙伝」で聴かせる、甘えたり脅したりスカしたりの駆け引きの語調の妙。平成の現在に聴いても、時代を超えて「しゃべくり」の面白さがビンビンに伝わってくる出来映えだ。

■戦時下、男尊女卑の時代に突っ走る、女性上位の破天荒さ。

夫婦漫才と言えば、強い女房におどおどと突っ込まれる弱い亭主、というパターン。それを極限まで押し進めて破天荒なまでにツッコミまくる祖型を確立したのが、ワカナの飛び抜けた面白さだと思う。

実際のワカナもとても我が強くワガママな人柄だったということだ。でも、それは芸の人ならではの個性の強烈さだったのだろう。だからこそ、男尊女卑の時代を突き抜けて、70年近く経った現在でも笑えるバイタリティを有しているのだ。

「全国婦人大会」の中のセリフにあるように、女性は出征した男性がいない“銃後”をいかに守り、「生めよ増やせよ」というスローガンでハッパを掛けられ、次代の兵士となる子どもをひとりでも多く生む役目を負わされた“人的資源増産”の第一資源という位置付けにあったと言って過言ではない。

しかし、ワカナはそんな時代精神にお構いなく、容貌不味く、目が悪くて兵士になれない、ヘタな楽士の亭主一郎をからかい、コケにし、笑い飛ばすのだ。当時の女性たちが、どのような気持ちでワカナの漫才に耳を傾けていたか、その心境が聞いてみたい気がする。

しかしその戦時下という時代が、ワカナ・一郎を人気者にしたのも事実。

昭和十二年の支那事変がはじまってからは、沢山の漫才さんが方々に慰問に出かけたが、最初の慰問の時の一行に加わっていたのが亡くなったワカナ・一郎で、ワカナ・一郎が決定的に漫才の人気者になったきっかけは、この慰問報告の寄席出演からで、その時に「ああ飯塚部隊長」、泣かせる漫才の傑作を発表したのである。(『私は漫才作者』秋田實)

この話に出てくる有名な泣かせる漫才「部隊長とワカナ」は、このCDに収録されていない。しかし、代表作である「わらわし隊(中支皇軍慰問記念)が収録されている。昭和13年に中国大陸に渡ったワカナ・一郎の前線からの銃後への漫才による慰問報告という形を取っている。当時人気を集めたという。

昭和13年頃は日中戦争の戦時体制下にあって、締め付けが厳しくなった時代だった。さらに時が進むに連れて、言葉の選び方も困難になる。

先の『私は漫才作者』でも「大東亜戦争が始まってからは、舞台から国策に協力ということで、話す内容の幅が非常に窮屈になった。いままでの笑わせ方が駄目になったので(後略)」と語られているほどである。

「カモフラージュ」なんて外国語も出てくる当時のワカナのしゃべりだが、対米戦争に踏み切る前から敵性語として使えなくなったはずの外来語をどう言い換えていたんだろうにゃ〜、とふと気になった。

◇   ◇   ◇

ヒロポンの常用という形で時代に殉じ、逆に実人生ではBreak on throughな生き方を貫いて、昭和21年にこの世を去ったワカナ。いまこのCDに耳を傾けていると、戦後もう少し生きていてくれたら、どんな「しゃべくり」を遺してくれたのかなと、ふと思ったりする。残念だ、とても残念だ。


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