(30)2000/02/28



『PANGAEA』
 マイルス・デイビス
 米 COLUMBIA◎C2K 46115 1990
 (Original issued in 1975)
 マイルス休眠前の1975年、大阪で録音された
 壮絶なフリー・ファンク・ジャズの2枚組ライブ。
 ジャズのエレクトリック化、その真意が納得できる名盤。



■師匠の教えを曲解した、アホな弟子達。

 “不肖の弟子”という言葉があるが、マイルスの弟子達(や関係者)ほど、その言葉が似合う連中も居るまいて。

 ハービー“西瓜野郎”ハンコックを筆頭に、ウェイン“天気予報屋”ショーター、トニー“人生”ウィリアムス、チック“永遠回帰”コリアなどなど、70年代中盤からのクロスオーバー〜フュージョンの時代に、師マイルスの教えを意図的に曲解して財を成した連中の顔が、走馬燈のように浮かんでくるのじゃ。

 ま、トニー・ウィリアムスなんぞ、第二次ライフタイムにはアラン・ホールズワース(gr)が居たりして結構愛聴しておるのであるがのぉ。それにしても曲解も甚だしいのは大同小異。この師の作品『PANGAEA』を聴くと、たちどころに不肖の弟子達は馬脚を現してしまうわけである。

 マイルスが実践したエレクトリック化の意味を、口当たりのよい音楽生産に歪曲転用し、白人マーケットでの拡販をクロスオーバー、フュージョンと言いくるめ、「ゼニの花、咲かせますぅ!」と金儲けに血道を上げた弟子達は、結局は風化を免れなかった。いまあの当時の音盤で、マスターピースとして語り継がれているモノがあるだろうかにゃ?

 これは音盤だけを聴いて言っているのではなく、ハンコックなんぞ実際に屋外ジャズフェスティバルなんかで見て、やっぱりと納得したのじゃ。わざとらしいピアノソロなんぞをぶちかまして、拍手を求めるポーズを取ったりって・・・「お前は林家三平か?!(-ー;」と思ったもんである。逆に、淡々とドラムを叩くジャック・ディジョネットの凛とした風情に心を打たれたものじゃ。

 というわけで、エセジャズ「VSOP」なんぞをありがたく聴いていた高校生時代が恥ずかしい・・・という自己批判を込めて、これを書かせてもらっておる( ̄▽ ̄;


■エレクトリックで増幅された、民族性の復権。

 さて、『PANGAEA』。素晴らしい作品である。

 『BITCH'S BREW』から始まったとされるマイルスのエレクトリック化。わて自身はあまり『BITCH'S BREW』にはピンと来なかったが、この作品で脳髄にガツン!と食らった。同じ会場での姉妹収録作である『AGHRTA』よりもフリー・ファンク色が濃く、断然こちらの方が上だと思っておる。

 マイルスが行ったジャズのエレクトリック化は、音を電気的に増幅することだけではなしに、ジェイムズ・ブラウンとジミ・ヘンドリックスという同じ黒人同胞が行った二大革命=ファンク+ロックの方法論をジャズ再生のために導入した、というところにこそ真意があったと思える。

 白人マーケットへの浸透と模倣の果てに形骸化したジャズに対して、黒人自らが再生の鉄槌を下し、それは過去にBE-BOPやフリージャズ誕生というエポックとなって現れている。そして1970年代初頭にあってその音頭を取ったのが、御大マイルス自身であり、その証拠がこの盤なのら。

 黒人としての民族性の再生と復権・・・むずかしい言葉になってまうが、マイルスの目指したもの、詰まるところこれになるんではないじゃろか。

 この盤の一枚目「Zimbabwe」では、A・フォスターのドラムから始まって、M・ヘンダーソンのベースとP・コージーとR・ルーカスのツイン・ワウワウ・ギターが絡み、延々とファンク・ビートを刻む。そして鉄壁のリズム隊に乗って御大のトランペット・ソロとなるが、そのフリー・フォームな熱気、ただものではない。

 弟子達が残した作品と聴き比べると“一聴瞭然”。アフロ・ジャズの王者フェラ・クティもそうだが、延々と繰り返されるリズムこそ西欧には無い民族性であって、ファンクビートの連続とノイジーなエレクトリック・ギターの音が渦巻いて聴く者を陶酔へと誘うのである。

 JBのアフリカ回帰的ファンクビート+ジミの自己解放的エレクトリック・ギターサウンドがマイルスに憑依して、ジャズの再生は為された・・・っていうのが、わての意見なのじゃがのぉ〜。


■師亡く、弟子は何処へ?

 というわけで、比較材料として弟子の一人であるチック・コリアのリターン・トゥ.フォーエバー『Romantic Warrior』なんぞを引っぱり出して聴いておるのじゃが・・・

 高校生時代にギターのアル・ディメオラなんぞに憧れて聴いたもの。ふぅ〜。やっぱり、売れ線狙い、ただのイージーリスニング同然なんじゃな。

 とはいえ、なにも売れ線狙いが悪いとは言わない。音盤として製造されれば製品であり、発売されればそれは商品じゃ、売れないと話にはならない。ただ、その音が魂を揺り動かしてくれるか、くれないかである。芸術家ぶって、いかにも高尚ですという顔をしながら、実はゼニの勘定ばかりやっている連中が気にくわないだけなのじゃ。

 確かにアメリカ本国でジャズだけで飯を食うのは大変だという話は知っている。飯を食うためには、固いこと言ってる場合ではなかろうて。そして日本のファンも、これ見よがしのオーバーアクションなピアノソロなんぞに拍手を贈るようじゃ、舐められるわなぁ〜。

 というわけで、わてはほとんど最近のジャズなんぞ、聴いて居らぬ。マイルスも亡く、弟子達もどこに行ったのだろうか・・・ジャズはもう再生どころではないのだろうにゃ。


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