(29)2000/02/11



「終曲(フィナーレ)b/w うらはら
 phew
 日 PASS●PAS-203 1980
 1980年、坂本龍一のプロデュースで発売された
 phew衝撃のソロ・デビューシングル。
 空前絶後の個性を持った女性ミュージシャンの記念碑的作品



■S本龍一は大っ嫌いやけど、
 この曲のプロデュースだけは認める(爆)。

 すかんったい、S本(-ー;。もぉ〜、YMOの頃から大っ嫌いたい。‘YMOはイモ’と読むギャグをスネークマン・ショーがやった記憶があるけど、わてはマジに【イモ】と思っていたもんにゃ〜。

 S本の作る音楽って、なんとも“統制が行き届き過ぎ”て、心臓にどっか〜〜ん!と来ないんじゃな。昨年CMがらみでブレイクした曲にしても、ストレス解消どころか逆に息苦しくなったくらいじゃ。

 わてはS本の音楽性の本質は“冷血”だと思っておって、先の曲にしても癒しどころか、温熱シップが100枚くらい必要なほどの寒々しさを覚えたもんである。いくらマイナスにプラスを掛けたところで、マイナスはマイナス・・・という感じ。

 そういうS本じゃが、このphewの「終曲」だけは、S本が残した最上の“音楽的痕跡”として、わては絶賛するんである。

 「終曲」・・・素晴らしい作品じゃ。当時、最も先端的な音楽処理の手法として全世界的に流行った「DUB」を全面に採用した曲じゃが、phewの無機的個性をしっかりと捉えるのに大成功しておる。・・・俺はあんたを認めるぞ、S本!(おぃおぃ)

 この作品は、精緻すぎのS本×無機的なphewという組み合わせが、マイナス×マイナス=プラスと作用した希有な例。真の「癒し」とは見せかけだけのハート・ウォーミングではない、ということを証明する好例だとわては信じておる。


■二人といない個性・・・phew

 phew・・・なんとも不思議なシンガー、ソングライター、ミュージシャンである。彼女の紡ぎだす曲は、無機的でいて有機的、冷たくて暖かく、そして古くて新しい。なんというか、+と-の接点に浮遊しているような感覚。

 ぶっきらぼうなそのVOICEは、上手いvs下手という二元論を軽ぅ〜〜〜〜く超越する独特の存在感なのじゃな。

 彼女のこのシングルを始めて聞いたとき、なぜか「童謡」が頭に浮かんだのじゃ。童謡といっても「あいあい お猿さん だよぉ〜〜♪」ではぬぅあい。記紀の時代以来、世の中の天変地異・騒乱の予兆として突如人々の間で謡われはじめる流行歌みたいなもんである。

 もう一つは、かつて後白河法皇に今様を伝授したという白拍子のイメージ。「遊びをせんとや生まれけむ」とばかりに思うままに音楽を作る“遊女”というところか。

 そんなイメージが湧くのは、phewの台本棒読み的歌い方+古語もどきをちりばめた唱歌的歌詞にある。で、感情をそぎ落とした楽器群のバックにそれが乗っかると、なぜか上代的感覚の現代的音楽がそこに立ち現れてくるのら。

 80年当時の先端的な音づくりを行いながら、感じさせる世界が極めていにしえの歌謡だというところに、phewの重層的なオモシロさを感じる。ロックが一般化して以降、日本で誕生した最も個性的な女性ミュージシャンだと信じているのはそこなのじゃが。


■真のファンは、幸せを祈ってはならないのだ(爆)。

 当時の音楽シーンで熱い注目を集めたphewだったが、その後、麻薬の摂取という“法秩序”を侵す行為のために、一度水平線の向こうに没することとなる。行為そのものはもちろん許されるものではないのじゃが、なんとも「phewらしいなぁ〜」と思ったのも事実。

 90年頃だったか、再起してアルバムを発表したことがあると記憶しておるが、今度はこっちの頭の中でphewそのものが没していた時期だったのじゃな・・・。

 先の白拍子が貴顕の相手をしながらも、“芸能者”であるが故に賤視の対象であったことは有名な話じゃ。phewの場合はいわれなき賤視とは違うが、80年代の“芸能者”であった彼女らしい結末であるとわては思っておる。

 わては、永六輔著『芸人』(岩波新書)まえがきに掲げられた芸能人語録ベスト10のトップ、もう一人の“真の芸能者”たる美空ひばりの言葉、

「スターである限り、幸せであるわけがない」

が大好きなのじゃ。実に深く重い言葉である。これはわての座右の銘のひとつ。

 さて、この「終曲」が世に出て、早くも20年。わては、いまでもphewがある意味不幸せであることを祈っておる。それが、かつて彼女を信奉していたファンの勤めだと思っておるのじゃがのぉ〜。

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