(24)1999/12/19



『CHARLIE PARKER ON DIAL』
 Charlie Parker
 日 Stateside◎CJ25-5043〜6 1989
 モダンジャズの始祖、チャーリー・パーカー。
 そのダイアル・レーベル時代(1946〜47年)の録音を
 集大成した労作LPシリーズのCD化。
 サヴォイ時代の作品と並ぶモダン・ジャズの“原典”。


■『トム&ジェリー』に見る、白人のBE-BOP観。

 ハナ=バーベラ制作の名作アニメ『トム&ジェリー』は、当時の黒人音楽に対する白人の認識やイメージを知る上で、とても興味深い作品なんである。今回のテーマであるチャーリー・パーカーは、1940年代中期にジャズの変革運動=BE-BOPを先頭に立って推し進めたモダン・ジャズの開祖なんやけども、BE-BOPもこの『トム&ジェリー』に登場してくる。

 作品は「Saturday Evening Puss(1950年)」。ファンにはおなじみの黒人メードさんが土曜の夜にブリッジパーティに外出、それを見たトムが悪友のネコ連を家に呼んでドンチャン騒ぎ。寝ていたジェリーが腹を立ててリベンジする、というストーリー。・・・で、部屋の中でかけるレコード(BGM)に合わせてネコたちが演奏するのが、BE-BOPなんである。

 ちと脱線するけど。この作品でのトムとジェリーの両者に与えられたポジションとは、

●ト  ム=周縁・マイナリティ(小数派)
●ジェリー=中心・マジョリティ(多数派)

と考えて間違いはないと思っているっす。・・・なんて書くと山口昌男せんせが登場してきそうだが(苦笑)、例えばキャブ・キャロウェイのズート・スーツを着て登場し、結局はジェリーにスーツを取られて泣きを見るのがトムだったりとか、先の作品でもBE-BOPを演奏するのはトムの仲間だったりする。

 つまりこれらの作品でトムが持たされている役割とは、“白人にとって、自分たちにない奇異で新しく、反発しながらも心惹かれる「異文化」を象徴するキャラクター”となっていて、しかもジェリーによってそれをうち負かすことに観客は優越した(笑)を覚える構造になっている、というのがわての印象。

 話を戻して。先に書いた“当時の黒人音楽に対する白人の認識やイメージを知る上での興味深さ”なんやけども、この「Saturday Evening Puss」でも、終始BE-BOPは“騒々しい異質な音≒ノイズ”の様な描き方をされている。シンバルを叩くネコの真似をするジェリーの顔が、“舌をだらんと垂らしたアホ面”というのが象徴的なのら。

 つまりは当時のアメリカのマジョリティにとって、BE-BOPとは普段聴くメローなビッグバンド・ジャズやカントリーとは違う、“跳ねっ返りの黒人達が演奏する騒音”という認識だったんだろうね。


■やっぱフランツ・ファノンせんせは、目利きである。

 BE-BOPを語る上でいまも定番となっているのが、アルジェリア革命の理論的支柱となった西インド諸島出身の黒人精神科医、フランツ・ファノンの著作『地に呪われたる者』(大衆食堂であるこのサイトには似合わないが( ̄▽ ̄;;)。その有名な一節、ちと長いが、

植民地主義的な専門家達は、この新しい形式を承認しようとせず、土着社会の伝統を救いにかけつけてくる。植民地主義者が、土着の様式(スタイル)の擁護者となるのだ。われわれは第二次世界大戦後に、ビーバップのような新しい様式が安定した仕方で結晶したときの白人ジャズ専門家たちの反応を、ありありと想起する。(中略)

それというのもジャズとはほかでもない、五杯のウイスキーに酔った老ニグロのつぶれた絶望的なノスタルジー、彼自身への呪詛、白人に対するその人種的憎悪である筈なのだから。

ニグロ自身が自己を把握し、世界を違った目で把握するときから、ニグロが希望を生み出し、人種差別の世界に後退を強いるときから、明らかに彼のトランペットはよく透り、彼のしゃがれ声は澄んでくる。(鈴木道彦 浦野衣子訳 みすず書房刊 1969年)

 ん〜〜ん、その通りだにゃ、と思う。このファノンせんせのご高説をもじれば、『トム&ジェリー』では“ビーバップのような新しい様式が安定した仕方で結晶したときの白人一般大衆たちの反応を、ありありと”見せてくれた、ということになるだろうね。

 前回取り上げた『ATLANTIC RHYTHM AND BLUES 1947〜52』での黒人大衆音楽におけるR&Bの生成と、今回のパーカーらによるバップ革命が同時期に重なっているのは偶然ではなく、必然であったのら。

 またしてもご高説をR&Bに即して言いかえると、“黒人大衆が自己を把握し、世界を違った目で把握するときから、希望を生み出し、人種差別の世界に後退を強いるときから、明らかに彼のテナーサックスはよく濁り、彼のしゃがれ声はさらにコブシが効いてくる”となるから。

 BE-BOPの洗練と、R&Bの猥雑。これは対極のようであって、実は同じ根っこから華開いた二つの顔なのだと思う。どちらも黒人が“ジェリー的中心文化”に反発し“トム的周縁文化”として再生することを目指した、音楽における民族性復興のムーブメントだったと思えるからだにゃ。


■周縁が中心となる、歴史の皮肉。

 さて、このCD4枚組『CHARLIE PARKER ON DIAL』、イギリスのパーカー研究家トニー・ウィリアムスによって1970年に編集されLPとして発売になったもので、わてもLPで愛聴していた。さらに音質が向上してCD化で再発売となったもの。このダイアルの録音では、後のスタンダードとなる「Moose The Mooche」「Yardbird Suite」「Ornithology」などの名作・名演を生んでいる。

 BE-BOP革命以前のパーカーはジェイ・マクシャン楽団というビッグ・バンドで吹いていたが、マクシャン時代の録音でも当時の他のプレイヤーとは違う、極めて洗練された流麗なフレーズを奏でていた。一言で言えば、やっぱ“モダン”である。

 パーカーのソロはとても自由でイマジネーションに溢れている。同一曲でもテイクごとにソロが違うし、しかもそのソロも見事なまでに完成されたフレーズを繰り出してくる。柔軟でしかも緻密なインプロビゼーション・・・ロックで言えば、ライブにおけるJimi Hendrixに同じものを感じてしまうにゃ。

 パーカーのソロは、まさに“バード”という愛称そのままに、気ままに飛翔する燕のようなプレイなのら。

 しかしそのモダンさ故に、黒人大衆をも含めて無理解に苛まれ、黒人大衆音楽の変遷の中で翻弄されるパーカーの苦悩は、ジャズ好きでもあるクリント・イーストウッド監督の映画『バード』で描かれている。

 とはいえ、「Saturday Evening Puss」の結末には、トムたちを家から叩きだした黒人メードがほっとして息抜きにかけるレコードが同じBE-BOPで、ジェリーはやっぱり“騒音”に悩まされる、というオチがつく。わてはこれを、単なるオチではなく、期せずして描かれた“中心文化に対する周縁文化の勝利の予言”と受け取りたいにゃ。

 なぜなら、周縁は“次代の中心”となるさだめ。事実、その後のジャズの歴史はパーカーの敷いたレールの上を走り出して現在に至っているのだから・・・。


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