(2)『エレキの若大将』
2000/02/27


芸の無い偉大なる芸能人・加山雄三が残した、
音楽映画の金字塔『エレキの若大将』。
お達者脇役陣の至芸を堪能するのに最適です。


■6歳の子供にも印象強烈だった『エレキの若大将』

 なぜか私は、この映画を子供頃に見たことがある、という思いに最近まで囚われていた。デジャヴュかな?思いこみかな?と悩んでいたのだ。

 テレビでこの映画がかかったりすると、やっぱり見たことがあるぞ(-ー;、と内心悶々としていた。小さな事とは言え、人間気になるとどうしようもないものだ。

 さて、その悶々が一気に晴れたのは、このLDを買ってライナーノートを読んだときだった。この映画の公開は昭和40年(1965年)。で、同時上映が『怪獣大戦争』という事がわかって、私もはたと膝を打った。私は当時6歳だったが、併映の怪獣映画を目当ての映画館で同時に『エレキ』を見て、記憶に刷り込まれていたのだ。

 不思議なもので、『怪獣大戦争』はまったく記憶にないのに、なぜかこの映画の方がいまでも印象に残っている。加山のギターを持った立ち姿、蕎麦屋の出前持ちの寺内タケシ、青大将こと田中邦衛が星由利子に迫るシーン・・・6歳の子供にも強烈な印象を残したこの映画、35年後のいま見ても当時のエレキ熱をヒシヒシと伝えてくれる一級の“風俗資料”である。


■芸のある脇役陣が魅力の「若大将」シリーズ。

  端的に言うと、若大将シリーズとは“青大将シリーズ”である。

 私にとっての若大将映画は、圧倒的に芸達者な脇役こそが主役なのだ。当時の加山雄三のアイドル的人気があったればこそこのシリーズは長く続いたのだろうが、“芸能”という側面から見れば、脇役陣の光ある至芸こそが加山を輝かせていると言える。

 やはりその筆頭は“青大将”こと田中邦衛である。人物設定の上では、光=若大将・影=青大将という構図なのだが、芸としてみれば立場は逆である。太陽の如く輝く田中の芸の光で、加山はきらきらとスクリーンに浮かび上がった月のようなものだ。

 田中の愛嬌のある悪役ぶり無くして、この若大将シリーズは成立しなかっただろう。素晴らしい役者だと、いまでも思っている。  


■まったくもって、失笑モノのU田U也。

 この映画の最大の見所は、個人的には「勝ち抜きエレキ合戦」の司会役で登場するU田U也、である。

 70年代に入って以降、日本ロック界の大御所と自称および強制的に他称させている例の御仁だが、この映画ではちんけな司会役で登場。いまなら「さぶぅ〜」とでも言いたくなるような、シラけたギャグをぶちかましている。

 U田U也がエラソな事をいうたびに、「この映画の司会シーンを見てみやがれ!」と思っている。芸においても音楽においてもチンピラの出る幕ではない。


■日本のロック受容の過渡期を映した作品。

 いま手元にデータを持たないので確かなことを書けないのは失礼な話だが、この映画を見直すたびに、ニッポン国でのエレキ受容の意味をいつも考えてしまう。

 60年代初頭にヴェチャーズが日本で人気を得てから、エレキがインストゥルメンタル・ソロの楽器として爆発的人気となったのであるが、その後イギリスからリバプール・サウンドの大波が襲うカタチとなった。この映画の制作当時はもちろんビートルマニア全盛の時代で、作品中でも星由利子が勤めるレコード店内で『HELP!』のジャケットがちらちら見えたりする。

 そこに日本のロック受容のタイムラグが見えるのである。この映画を音楽ビジネス的背景から見れば、ちょうど“エレキ”から“グループサウンズ”への過渡期の状況を反映した作品だからだ。

 バンドを組み、自ら演奏し歌い、自作の歌でヒットを飛ばす・・・というビートルズが変革した音楽ビジネスへの参画の仕方へ全面的に移行していない。加山自身のポジションも、ソリスト弾耕作(=加山)+弾の自作自演+バックのインストグループという50年代(歌手とバックバンド)と60年代(グループで自作自演)の折衷型、つまり過渡期的なのである。

 音楽映画としても傑作ではあるけど、当時の日本ロック界の混沌とした状況を垣間見るにもいい作品と言えそうだ。


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