「市民のための憲法セミナー」を主宰して
鮫 島 正 洋

弁理士試験を通じて、法学というものの面白さに目覚めた私は、三〇歳のとき、ある司法試験予備校の門をたたきました。

最初の授業は憲法総論。その最初の一こまは今でも鮮やかなワンシーンです。
講師「皆さんは、憲法で最も大切な条文を知っていますか?」
生徒「・・・・」

講師「戦争放棄を定めた九条だと思う人はどのくらいいますか?」
(多くの生徒が手をあげる)
講師「今日はそれが誤っているということを覚えて帰りましょう。憲法で最も重要な条文は個人の尊厳を定めた一三条の前段なのです。」
生徒「?・・(条文をめくる音)」

講師「個人の尊厳。それこそが我が国の憲法が目指した最高の理念なのです。戦争の放棄も、国民主権も、基本的人権の尊重でさえも、すべては個人の尊厳に奉仕するための理念に過ぎないのです。」

「個人の尊厳」とは、人間一人一人が自分の個性を過不足なく発揮し、自分らしく人間らしく生きるということなのだそうです。単なる約束事に過ぎないと思っていた法というものが、そんなに崇高なテーマを頂点に構築されているとはそれまで想像だにせず、深い感銘を覚えました。

そして、人の生き方や国のあり方というものに深い関わりを持つ憲法という学問をもっとみんなが知ることが必要なのでは、という発想の萌芽のようなものが、そのとき、自分の中で芽生えたのでした。

憲法を知るということ。それはどのような意義があるのでしょうか。

米国でのある体験

その数年後、会社の出張でアメリカに行ったときのことです。「会食」というものがあって、円卓に座ったのですが、しばらくしてふとしたきっかけで始まったのが「憲法談義」。ごく身近なある出来事を捉えて、人々は「それは憲法との関係でどうなっているのか」「そういう考え方は憲法に反するのではないか」と議論を始めたのです。そこには、法曹関係者もいましたが、ごく普通の市民もいました。それほど、憲法は米国市民には身近なものなのです。

憲法は国家体系の根本を定めた規範であり、人間でいえば背骨にあたるものです。同時に、憲法は自由の基本法といわれ、国家権力が不当な形で国民に対して行使されることを防止する歯止めです。基本的人権、国民主権に始まり、三権分立、違憲立法審査権などの国家運営上重要な概念はすべて憲法に規定され、いかなる政治・政策といえども憲法の制度・趣旨を逸脱してはならず、憲法に規定された人権を侵害することは許されないのです。そうだとすると、主権者である国民は、国のあり方を見つめ、自分の権利を守るために、憲法を理解すべきであるということが論理的な帰結になるのではないでしょうか。少なくとも、米国ではそれが当たり前のこととして認識されているようです。

憲法を学ぶことの意義

もうおわかりでしょうか。日本国憲法を学ぶことは、国民一人一人が日本という国家の姿を学び、それをどのように変えていくかを考える際のツールとなる知識なのです。日本という国家の姿が憲法典の九九ケ条に濃縮されていると言っても過言ではありません。憲法を学ぶことによって、社会・国家の問題点を憲法のどの条文にあてはめ、どのように考えるべきか、という議論が可能になります。それは、まさに、皆様がお客様から相談を受けたとき、特許法のどの条文が問題になり、どうすればよいのかと考えることとパラレルな感覚です。

日本では、そういう議論は官僚や政治家に任せておけ、という気風が蔓延していました。しかし、官まかせ、政治家まかせにしてきた日本が、それゆえに重大な岐路に立ってしまっている今、市民が憲法を学び、市民の立場から国家としての日本のあり方を議論していく、そんな時期が来ていると思うのです。それが、「憲法を学ぶことの意義」とでも言えましょうか。

「市民のための憲法セミナー」

そんな想いもあり、昨年末、二度にわたって「市民のための憲法セミナー」を開催しました。開催にあたって最も留意したことは「公正さ」です。

このセミナーは、日本人の多くに欠けている憲法の理念を普及するために開催するのであって、私自身や私の主義・主張の宣伝のためにやるのではないのですから、極力、自分の意見や考えを主張することはやめ、公正かつ客観的な立場で、憲法典に何が書いてあるのか、ということをわかりやすく解説することに努めました。おかげさまで、出席されたほとんどの方から、「憲法の話を聞いてよかった」「思ったよりも全然おもしろい」「これは、絶対に必要な知識ですね」という評価を頂き、嬉しく思うと同時に、このような活動をするにあたっての問題点も認識しました。

ジレンマ〜偏見との戦い

憲法のセミナーというと、どうしても「思想がかっているのではないか」「特定の政治活動の宣伝なのではないか」という警戒心が働くようです。人がなかなか集まらない遠因です。

すぐに分類したがる人もいます。「私は改憲派だから」「あなたの発想は右だね」・・・私は、こういう範疇分けほど有害無益なものはないと思っています。分類した瞬間に、自分や相手を固定化し、公正な議論を放棄しているからです。

憲法を論じること、それ自体が何かタブーのような風潮もあります。これまでの説明で、これが論理的におかしなことだということはご理解いただけたでしょうか。まさに、偏見そのものなのです。ちなみに、日本以外のどの国にもそんなタブーは存在しません。

主催者のねらいは、もっともっと憲法を身近なものにしよう、もっともっと憲法をきちんと理解しよう。その上で、みんなそれぞれの意見を持てばいいじゃないか、というものなのですが、なかなかストレートには伝わらないというのが現状です。

さいごに・・・

私の専門はあくまでも特許を中心とした知的財産権だと思っています。しかし、人間としての幅を広げようと考えたときに、一つの世界だけに没頭していいのだろうかと常々考えてきました。もう少し、一人の市民として自分のできる範囲で社会に関わりたいという思いもあります。

私が今、市民の中で憲法のセミナーを開催していることはそんな自分の疑問に対する一つの答えでもあるのだと思っています。

最後に、一つだけ宣伝です。「市民のための憲法セミナー」に関する私のホームページはhttp://www.ne.jp/asahi/bee.ambit
/constitution/です。出張セミナー、ご質問等いつでも大歓迎です。