★特許法120条の4、単なる誤記の訂正、特許請求の範囲の訂正

H12. 3.14 東京高裁 H11(行ケ)213 ロータリー耕耘装置特許取消決定取消請求事件

(事案)

特許請求の範囲に記載された「該耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」という文言を「該後部カバーを弾圧するハンガーロッド」に訂正した手続が単なる誤記の訂正であるとして適法とされた事案

(判旨)

 本件訂正前の本件特許明細書中の実施例を中心とする発明の詳細な説明及び図面には、後部カバーの回動を阻止するためにハンガーロッドで直接耕耘カバーを弾圧するとの具体的構成についての説明はなく、かえって、後部カバーの回動を阻止するためにハンガーロッドで後部カバーを弾圧する具体的構成が明確に記載されているものであり、しかも、後部カバーで土寄せ作業をすると、後部カバーに土面からの多大な反力がかかるものであるところ、「耕耘カバーの後端に後部カバーを回動自在に枢支し」たものにおいて、上記土面からの反力を、後部カバーではなく、それと回動自在に枢支された耕耘カバーをハンガーロッドで弾圧することによって押し返すようにする構成が技術的に極めて困難であることは、技術常識に属することと認められる。そうすると、本件訂正前の特許請求の範囲第1項における「該耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」及びそれと同旨の発明の詳細な説明中の記載が「該後部カバーを弾圧するハンガーロッド」の誤記であることは、本件訂正前の本件特許明細書及び図面に接する当業者にとって自明のことと認められる。

         判    決

  原      告    ヤンマーディーゼル株式会社

  代表者代表取締役      山  岡  健  人

  訴訟代理人弁理士      矢  野  寿

  被      告    特許庁長官 近

  指定代理人         木  原     裕

  同             郡  山     順

  同             大  野  覚  美

  同             小  池     隆

 

主    文

 特許庁が平成10年異議第74660号事件について平成11年5月27日にした決定を取り消す。

 訴訟費用は被告の負担とする。

 

事    実

第1 請求

 主文と同旨の判決

 

第2 前提となる事実(当事者間に争いのない事実)

 1 特許庁における手続の経緯

 原告は、発明の名称を「ロータリ耕耘装置」とする特許第2731620号(平成2年4月21日特許出願、平成9年12月19日設定登録。以下「本件発明」といい、その特許を「本件特許」という。)の特許権者である。

 三菱農機株式会社は、平成10年9月18日、本件特許につき特許異議の申立てをした。

 特許庁は、この申立てを平成10年異議第74660号事件として審理し、原告は、平成11年1月29日付け訂正請求書により明細書の訂正(以下「本件訂正」という。)を請求したが、特許庁は、平成11年5月27日、本件特許を取り消す旨の決定をし、その謄本は、同年6月14日原告に送達された。

 

 2 本件発明の特許請求の範囲の記載

  (1) 本件訂正前の本件発明の特許請求の範囲第1項の記載

 耕耘爪を具備した耕耘カバーの後端に後部カバーを回動自在に枢支し、該耕耘カバーを弾圧するハンガーロッドを遠隔操作レバーの操作により係止して、後部カバーの回動を阻止可能とし、ロック装置を耕耘カバーの側に配設し、該耕耘カバーが耕耘爪軸に対して前後に回動可能であることを特徴とするロータリ耕耘装置。

  (2) 本件訂正後の本件発明の特許請求の範囲第1項の記載

 耕耘爪を具備した耕耘カバーの後端に後部カバーを回動自在に枢支し、該後部カバーを弾圧するハンガーロッドを遠隔操作レバーの操作により係止して、後部カバーの回動を阻止可能とし、ロック装置を耕耘カバーに配設し、該耕耘カバーが耕耘爪軸に対して前後に回動可能であることを特徴とするロータリ耕耘装置。

 

 3 決定の理由

 決定の理由は、別紙決定書の理由写し(以下「決定書」という。)のとおりであり、決定は、訂正の可否の点について、本件訂正は実質上特許請求の範囲を変更するものと認められるから、その訂正は認められないと判断した上、本件特許請求の範囲の記載は、特許法36条5項の規定する要件を満たしていないから、本件特許は取り消されるべきである旨判断した。

 

第3 決定の取消事由

 1 決定の認否

 (1) 決定の理由1(出願の経緯及び本件発明)は認める。

 (2) 同2(訂正の是非について)のうち、2−1(訂正の概要)は認める。2−2(拡張・変更の存否)のうち、決定書3頁4行ないし12行は認め、その余は争う。

 (3) 同3(特許異議の申立てについて)は認める。

 (4) 同4(むすび)は争う。

 

 2 取消事由

 決定は、本件訂正の可否についての判断を誤った結果、本件特許明細書の記載が不備であるとして本件特許を取り消したものであるから、違法なものとして取り消されるべきである。

 (1) まず、本件特許請求の範囲における「耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」は、「後部カバーを弾圧するハンガーロッド」の誤記であり、そのことは、本件特許明細書及び図面に接する当業者にとって自明のことである。

  (2) すなわち、本件訂正前の本件特許明細書及び図面(乙第1号証)中には、「本発明はトラクタに付設するロータリ耕耘装置の後部カバーの回動を固定して、土寄せ作業を可能とする技術に関する。」(1欄11行ないし13行)、「本発明は、従来のロータリ耕耘装置の部品に大きな変更を加えることなく、後部カバーの部分の回動を不可能に固定して、土寄せ作業を可能とするものである。」(2欄10行ないし12行)、「この為に後部カバーの上方への回動を付勢するハンガーロッドの動きを係止するロック機構を設け、該ハンガーロッドの上方への移動を阻止して、後部カバーの下端により土寄せ作業を行うものである。」(2欄13行ないし3欄1行)と記載されており、これらの記載によれば、被告指摘の発明の詳細な説明中の記載の存在を考慮しても、「後部カバーを弾圧するハンガーロッド」が正しい記載であることは、本件特許明細書及び図面に接する当業者にとって自明のことである。

 

第4 決定の取消事由に対する認否及び反論

 1 認否

   原告主張の決定の取消事由は争う。

 

 2 反論

  (1) 本件訂正前の特許請求の範囲において「耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」とした技術的事項は、その記載自体明りょうであるから、特許法126条2項の判断に際して、明細書の発明の詳細な説明、図面等の記載を参酌する必要はないものである。

 原告の主張は、本件訂正前の本件特許明細書に添付の図面のみを参酌しての主張にすぎない。

  (2) 仮に発明の詳細な説明の記載等を参酌するとしても、本件訂正前の本件特許明細書(乙第1号証)の発明の詳細な説明の項には、課題を解決すべき手段の欄に「該耕耘カバー4を弾圧するハンガーロッド6」(3欄13行、14行)と、発明の効果の欄に「該耕耘カバー4を弾圧するハンガーロッド6」(5欄11行、12行)と記載されており、一貫して「耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」と記載されている。

  (3) 原告は、「後部カバーを弾圧するハンガーロッド」が正しい記載であることの根拠として、本件訂正前の明細書中の3箇所の記載を引用する。

 しかし、その第1、第2の箇所には、「回動を固定し」、「回動を不可能に固定し」と記載されているが、「弾圧する」とは記載されていない。これらの記載は、本件訂正前の特許請求の範囲の「後部カバーの回動を阻止可能とし」に対応する記載であって、「後部カバーを弾圧するハンガーロッド」が記載されている根拠となり得ない。また、第3の箇所には「後部カバーの上方への回動を付勢する」と記載されているが、「弾圧する」とは記載されていない。この箇所の意味は、耕耘カバーの後端に後部カバーが回動自在に枢支されているので、後部カバー下端により土寄せ作業する際、後部カバーが土の反力によりハンガーロッドと共に上方へ回動しようとする(付勢される)が、これをハンガーロッドのロック機構により上方への移動を阻止するという意味であり、同じく特許請求の範囲の「後部カバーの回動を阻止可能とし」に対応する記載事項にすぎない。

 したがって、原告指摘の箇所は、原告の主張の根拠とはなり得ない。

  (4) 本件訂正は、ハンガーロッドが弾圧する対象部材を、耕耘カバーからこれとは別の部材である後部カバーへと変更するものであるから、対象部材の変更により実質的に特許請求の範囲が変更されることは明らかである。

 

         理    由

(1) 本件訂正前の本件発明の特許請求の範囲第1項の記載は、前記のとおり、「耕耘爪を具備した耕耘カバーの後端に後部カバーを回動自在に枢支し、該耕耘カバーを弾圧するハンガーロッドを遠隔操作レバーの操作により係止して、後部カバーの回動を阻止可能とし、ロック装置を耕耘カバーの側に配設し、該耕耘カバーが耕耘爪軸に対して前後に回動可能であることを特徴とするロータリ耕耘装置。」というものである。そして、乙第1号証によれば、本件訂正前の本件特許明細書の発明の詳細な説明の項にも、被告主張のとおり、「課題を解決する手段」の欄に「該耕耘カバー4を弾圧するハンガーロッド6」(3欄13行、14行)と、「発明の効果」の欄に「該耕耘カバー4を弾圧するハンガーロッド6」(5欄11行、12行)と、本件訂正前の本件発明の特許請求の範囲第1項の記載と同一の記載がされていることが認められる。しかし、本件訂正前の本件特許明細書及び図面には、ハンガーロッドが後部カバーではなく耕耘カバーに直接作用したり、これを弾圧する具体的構成についての記載はないことが認められる。

 (2) 他方、乙第1号証によれば、本件訂正前の本件特許明細書の発明の詳細な説明の項には、「本発明はトラクタに付設するロータリ耕耘装置の後部カバーの回動を固定して、土寄せ作業を可能とする技術に関する。」(1欄11行ないし13行)、「本発明は、従来のロータリ耕耘装置の部品に大きな変更を加えることなく、後部カバーの部分の回動を不可能に固定して、土寄せ作業を可能とするものである。」(2欄10行ないし12行)、「この為に後部カバーの上方への回動を付勢するハンガーロッドの動きを係止するロック機構を設け、該ハンガーロッドの上方への移動を阻止して、後部カバーの下端により土寄せ作業を行うものである。」(2欄13行ないし3欄1行)、「該耕耘爪9の回転軌跡の周囲に、耕耘カバー4と後部カバー5と均平板25の3枚のカバーが連接され配置されている。耕耘カバー4は深浅回動モータ8の回転により螺子軸28が回転し、矢印の如く前後に回動が可能である。該前後に回動する耕耘カバー4の後端の枢支軸10に後部カバー5が枢支されており、更に後部カバー5の後端の枢支軸20に均平板25が枢支されている。」(3欄32行ないし39行)、「該スペーサ21に、ハンガーロッド6の先端の係止松葉ピン37が接当することにより、これ以上ハンガーロッド6が抜け落ちたり、後部カバー5や均平板25が垂れ下がることが無いように構成している。」(4欄16行ないし19行)、「該ロック金具2は常時は解除しておく必要があり、バネ受けアーム14と後部カバー5の上面のバネ受け係止片36との間に付勢バネ3が介装されている。」(4欄26行ないし28行)、「該均平板25は大きく回動しないように、ブラケット24より連結アーム23を突出し、該連結アーム23の上端をスライド筒38に固定しており、該スライド筒38の嵌合孔内にハンガーロッド6をスライド自在に貫通させているのである。そして、該スライド筒38の上下には、ハンガーロッド6の外周に遊嵌した付勢バネ12・13を接当させているので、均平板25は該付勢バネ12・13によりスライド筒38の位置が規制されており、それ以上は大きく移動しないように構成しているのである。」(4欄39行ないし48行)と記載されていることが認められる。

 そして、これらの記載及び第1図ないし第4図が図示するところによれば、実施例を中心とする発明の詳細な説明及び図面には、ロック金具2がハンガーロッド6の上部に回動して固定する状態で、該ハンガーロッドが、耕耘カバー4ではなく、後部カバー5の回動を固定する構成が記載され、ロック金具2が解除された状態においては、後部カバー5を枢支軸10を中心に反時計方向(第3図の矢印方向)に回動させようとする力が土面からかかると、ハンガーロッド6の外周に遊嵌した付勢バネ12が収縮し、土面からの力を押し戻すように弾圧する作用が発生する構成が記載されていることが認められる。

 被告は、これらの記載の一部は、本件訂正前の特許請求の範囲第1項における「後部カバーの回動を阻止可能とし」に対応するものであり、「耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」の点には関係しない記載である旨主張するが、この主張は、本件訂正前の本件特許明細書の発明の詳細な説明中の他の箇所の記載及び図面の記載に照らし、採用することができない。

 (3) 以上によれば、本件訂正前の本件特許明細書には、ハンガーロッドが弾圧する対象について明らかに矛盾した記載があることが認められる。

 (4) 上記矛盾する記載を当業者がどのように理解するかについて検討すると、本件訂正前の本件特許明細書中の実施例を中心とする発明の詳細な説明及び図面には、後部カバーの回動を阻止するためにハンガーロッドで直接耕耘カバーを弾圧するとの具体的構成についての説明はなく、かえって、後部カバーの回動を阻止するためにハンガーロッドで後部カバーを弾圧する具体的構成が明確に記載されているものであり、しかも、後部カバーで土寄せ作業をすると、後部カバーに土面からの多大な反力がかかるものであるところ、「耕耘カバーの後端に後部カバーを回動自在に枢支し」たものにおいて、上記土面からの反力を、後部カバーではなく、それと回動自在に枢支された耕耘カバーをハンガーロッドで弾圧することによって押し返すようにする構成が技術的に極めて困難であることは、技術常識に属することと認められる。

 そうすると、本件訂正前の特許請求の範囲第1項における「該耕耘カバーを弾圧するハンガーロッド」及びそれと同旨の発明の詳細な説明中の記載が「該後部カバーを弾圧するハンガーロッド」の誤記であることは、本件訂正前の本件特許明細書及び図面に接する当業者にとって自明のことと認められる。

 したがって、本件訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではないと認められる。

 (5) これに反する被告の主張は、本件訂正前の本件特許明細書及び図面の記載の中から、特許請求の範囲の記載のみを切り離して誤記の有無を判断しようとするものであり、正当なものということはできない。

 (6) したがって、本件訂正は実質上特許請求の範囲を変更するものではないから、本件訂正は認められないとした決定の判断は誤りであり、原告主張の取消事由は理由がある。

 

2 結論

 以上によれば、原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成12年2月29日)

 

東京高等裁判所第18民事部

 

     裁判長裁判官   永  井  紀  昭

 

      裁判官   塩  月  秀  平

 

     裁判官  市  川  正  巳