★特許法36条4項、明細書の開示要件、当業者が容易に実施できる程度

H11. 9.21 東京高裁 H9(行ケ)145 ガラス板面取り加工方法及びその装置特許

平成9年(行ケ)第145号審決取消請求事件

(争点)

 本件発明の方法を適用するときにガラス板が受けるべき彎曲変位量が特定されているものの、極めて概略的かつ広範な特定にとどまり、発明を実施するための最適値については記載がなく、本件発明を実施するにあたり、明細書の記載以上に更に工夫や選択が必要となるような場合、特許法36条4項の開示要件に違反するのか。

(判旨)

@ 発明の実施に当たって明細書の記載以上に更に工夫や選択が必要となる場合、明細書の記載に欠陥があり、特許法36条4項違反であるとの主張が当てはまるのは、実施のために必要とされる工夫や選択が出願当時の当業者の技術水準から見て困難と目される場合に限られる。

A 本件において、具体的な彎曲の程度の決定は、ガラス板の大きさ及び厚み、剛性等の諸特性、面取り加工時にガラス板の端面に作用する研削荷重等を勘案して適宜工夫選択されるべきものであり、しかも、ガラスを彎曲させれば、これに力学的影響が及ぶことは原理上明らかであり、このことに照らして本件明細書を読めば、当業者が、適宜工夫選択し

て具体的な彎曲の程度を決定することには何の困難性もないと認められるから、原告の主張は失当である。

(判決文の抜粋)

<原告の主張>

2 「彎曲状の支持面」における彎曲の程度の認定判断の誤り

A 審決は、本件発明の「彎曲状の支持面」における彎曲の程度について、「本件発明にかかる訂正明細書中には「この方法が適用できるガラス板は湾曲(最大変位量は約数百ミクロンから数ミリメートル、但し、ガラス板の大きさにより異なる。)し得る薄さであることが必要であり」(特許審判請求公告第584号公報3頁左欄第6行〜9行目参照)と記載されており、本件発明の方法を適用するときにガラス板が受けるべき彎曲変位量の一例が概略的に示されているものと認めることができる。」(審決6頁7行目〜16行目まで)と認定している。

 しかしながら、本件明細書に記載された上記「約数百ミクロンから数ミリメ−トル」は、もともと、極めてあいまい、かつ、概略的な数値範囲でしかないうえ、「但し、ガラス板の大きさにより異なる。」との留保の付されたものであるから、実質的内容のほとんどないものである。その他、発明の詳細な説明中には、ガラス板の大きさあるいは厚さとの関係で具体的な数値は一切、記載されておらず、一般的な加工技術である甲第3号証記載の技術に基づいて形成される彎曲面との区別を示すような格別の説明がないから、本件発明と従来の一般的加工技術で得られる数値とどこで区別すべきか明瞭でない。

 そうである以上、本件発明の「彎曲状の支持面」における彎曲の程度は、不明確であって、本件特許は、昭和60年法律第41号による改正前の特許法36条4項又は昭和50年法律第46号による改正前の同法5項(以下、単に「特許法36条4項、5項」という。)に規定する要件を満たしていないという以外にない。

B 彎曲の程度は、本件発明の実施に当たり、明細書の記載に基づき任意に工夫して選択して決定すればよいとの被告の主張は、失当である。発明の実施に当たって、明細書の記載以上に更に工夫や選択が必要となるということは、彎曲の程度が、出願時の技術水準から見て当業者が正確に理解し再現できる程度に記載されておらず、またそれが、自明の事項でないこと、すなわち、当業者が「容易にその実施をすることができる程度に」記載されていないことを物語るものというべきである。

<判決理由>

D 原告は、本件発明と従来の一般的加工技術で得られるものとどこで区別すべきか明瞭でないとして、本件発明の「彎曲状の支持面」における彎曲の程度は、不明確であって、本件特許は特許法36条4項又は5項に規定する要件を満たしていない旨主張する。

 しかし、前記認定のとおり、本件発明は、ガラス板を「真直状態に」挾持搬送しながら行っていた従来技術のガラス板端部の面取り加工の欠点を「彎曲状の支持面」を用いてガラス板を彎曲状にして搬送することにより除去することに技術的意義があるのであるから、その中にガラス板を「真直状態に」挾持搬送する従来技術を含まないことは自明であり、このことは、従来技術の「真直状況」の中に、原告主張のとおり「中低」のもの、すなわち厳密にいえば彎曲したものが含まれたとしても変わりはない。このような程度の彎曲しかないものは、本件発明の企図する目的を実現できないものとして、最初から除外されていると見るべきだからである。

具体的な彎曲の程度の決定は、ガラス板の大きさ及び厚み、剛性等の諸特性、面取り加工時にガラス板の端面に作用する研削荷重等を勘案して適宜工夫選択されるべきものであり、しかも、ガラスを彎曲させれば、これに力学的影響が及ぶことは原理上明らかであり、このことに照らして本件明細書を読めば、当業者が、適宜工夫選択して具体的な彎曲の程度を決定することには何の困難性もないと認められる。この点につき、原告は、発明の実施に当たって明細書の記載以上に更に工夫や選択が必要となることは、明細書の記載に欠陥があることを物語る等と主張するが、失当である。原告主張が当てはまるのは、実施のために必要とされる工夫や選択が出願当時の当業者の技術水準から見て困難と目される場合に限られるというべきであるのに、そうでないことは上述したところに照らし明らかであるからである。

(コメント)

特許明細書に技術的事項をどの程度詳細に開示すべきかという点は、特許実務家が常に頭を悩ますところである。特許制度は発明を早期に開示する代償として独占権を付与する制度であるから、当業者が技術内容を把握できる程度の開示が必要であることは当然であるが、あまりにも詳細な開示を必要とすると、明細書作成の労は出願人に過大なものとなってしまい、却って、特許出願への意欲をそぐことになり、特許制度の趣旨に合致しなくなる。このようなバランスのもとに、特許法36条4項は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度」という開示要件を規定するのであるが、その具体的な解釈は事案ごとに区々であり、振れ幅が大きくなる面は否めない。本件判決は、同条の解釈の一つの指針を示すものとしての意義があるものと思われる。