★特許法29条2項、数値限定発明、進歩性、臨界的意義、

H12. 2.15 東京高裁 H10(行ケ)402 ジルコニアセラミック製包丁特許

平成10年(行ケ)第402号 審決取消請求事件

(争点)

数値限定発明における公知文献中の記載の認定判断

(判旨)

@ 構成要件bの「本件発明の1〜8mmの範囲の肉厚が板状体」という要件については、本件明細書の「また、本発明のジルコニア製包丁において、肉厚Tが1mm未満では強度的に無理が生じ、また8mmより厚くなると切れ味、重さの点で不都合が生じる。したがって、肉厚Tは1〜8mmの範囲内のものが良い。」と記載されているが、これによっても、1mmと8mmが、肉厚についての技術上確認された臨界値と認めることはできず、審判甲第2号証の実用新案登録請求の範囲の記載及び同号証の第1〜4図にはありふれた薄刃の調理用包丁が図とともに開示されていることが認められから、ジルコニアセラミック製包丁の厚み、刃先形状、刃先角度について具体的に記載されていないとしても、当業者ならば、通常の包丁の厚みの板状体、楔形の刃先形状、刃先角度を把握することができるものと認めることができ、構成要件bは、包丁としての機能を有するという、一般常識ないし当業者の技術常識の限度の範囲におけるものを超える要件を示したものと認めることはできない。

A 構成要件e「刃先厚みcは0.1〜2mmであること」について検討するに、審判甲第4号証には二段形状の刃先の概念と刃先角が示されているから、当業者ならば、ジルコニアセラミック製包丁の通常の板状体肉厚を前提とし刃先厚みcを適宜な値として容易に算出することができるものと認められ、金属とセラミックの特性が相違するからその値が必ずしもジルコニアセラミック製包丁の適値であるとはいえないとしても、順次数値を変えてデータをとるのは容易になし得るものであることを参酌すると、刃先厚みcが肉厚Tやテーパ角やテーパ部分の長さや刃先角と関係付けられて限定されているわけではない以上、試行錯誤的に求められた以上の技術的意義を有するものとは認められないから、二段刃を有するジルコニアセラミック製包丁の刃先厚みcとして、0.1〜2mmの値を採択するのは、当業者が容易になし得たものと認めるべきである。

     判    決

  原   告        株式会社 マシーナ

  代表者代表取締役     平  井     明

  原   告        株式会社フォーエバー

  代表者代表取締役     平  井  啓  太

  原   告        セラ株式会社

  代表者代表取締役     黒  田     豊

  原告ら訴訟代理人弁理士  大  條  正  義

  被   告        京セラ株式会社

  代表者代表取締役     伊  藤  謙  介

  訴訟代理人弁護士     古  城  春  実

       弁理士     田  原  勝  彦

      主    文

 特許庁が平成10年審判第35097号事件について平成10年11月16日にした審決を取り消す。

 訴訟費用は被告の負担とする。

      事実及び理由

第1 原告らの求めた裁判

 主文第1項同旨の判決。

第2 事案の概要

 1 特許庁における手続の経緯

 被告は、名称を「ジルコニアセラミック製包丁」とする特許第1933686号発明(昭和59年12月29日特許出願(特願昭59−278643号)、平成6年6月29日出願公告(特公平6−49111号)、平成7年5月26日設定登録。本件発明)の特許権者であるが、原告らは、平成10年3月12日、本件発明について無効審判請求をし、平成10年審判第35097号事件として審理されたが、平成10年11月16日、本件審判の請求は成り立たないとの審決があり、その謄本は同月28日原告らに送達された。

 2 本件発明の要旨

 ジルコニアセラミックから成り、肉厚が1〜8mmの板状体の少なくとも片側に、テーパ角とこれに連続する10〜45°の刃先角をもった二段形状の刃先が形成され、該刃先厚みが0.1〜2mmであることを特徴とするジルコニアセラミック製包丁。

 3 審決の理由の要点

 (1) 請求の理由の概要

 本件発明の要旨は、前項のとおりと認める。これに対し、原告ら(請求人ら)は、本件発明の一態様を示す本件明細書の第2図の(イ)図に対応する包丁の断面図(別紙審決添付図面)を提出し、該図面により本件発明の構成を分析して、本件発明は産業上利用することができる発明ではないから、本件特許は特許法29条の規定に違反してなされたものであり、無効とされるべきものであると主張(第1の無効理由)するとともに、本件発明は当業者が容易に実施することができないから、本件特許は特許法36条4項及び5項に規定する要件を満たしていない特許出願に対してなされたものであり、無効とされるべきものであると主張(第2の無効理由)している。

 原告らは更に、審判甲第1号証(特開昭58−71095号公報)、審判甲第2号証(実開昭59−122870号公報)、審判甲第3号証(特開昭57−171624号公報)、審判甲第4号証(昭和50年6月20日、医歯薬出版株式会社発行「調理科学事典」)、審判甲第5号証(昭和3年2月29日、北海道帝国大学発行「北海道帝国大学創基50周年記念講演集」)、審判甲第6号証(昭和46年7月10日、日本刃物工具新聞社発行「刃物に関する研究」)を提出し、本件発明はこれらの刊行物に記載された発明に基づき容易に発明をすることができたものであり、本件特許は特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、無効とされるべきものであると主張(第3の無効理由)している。

 (2) 審判甲号証

 審判甲第1〜6号証には、以下の事項が記載されている。

  ◇ 審判甲第1号証

     ジルコニアセラミック製の包丁。

  ◇ 審判甲第2号証

     ジルコニアセラミック製の包丁。

  ◇ 審判甲第3号証

     刃先角bが45°以下の刃物。

  ◇ 審判甲第4号証

     包丁の板状体Jの片側面又は両側面にはテーパー角aとこれに連続する刃先角bをもつ二段形状の刃先が形成されている包丁、及び包丁の場合、刃先角度は十数度から50度くらい(一般に20〜30度)であること。

  ◇ 審判甲第5号証

     刃物の切れ味の耐久度及び刃物の鋭さの耐久度について。

  ◇ 審判甲第6号証

     切られる品物によって刃先角の大きさは当然異なること、刃先角が小さいほどよく切れること、しかし、あまり小さいと摩耗や欠けが生じたりしてよくないこと、被削材を切るのに適当な角度があり、それよりも小さくても大きくても良くないこと。

 (3) 審決の判断

 (3)−1 無効理由1の検討

 原告らは、「本件発明は、その特許請求の範囲に記載するように、

 a 刃材がジルコニアセラミックである包丁であること、

 b 包丁は肉厚Tが1mm〜8mmの板状体からなっていること、

 c 板状体の片面又は両面にはテーパ角aとこれに連続する刃先角bをもつ二段形状の刃先が形成されていること、

 d 刃先角bは10〜45°であること、

 e 刃先厚みcは0.1〜2mmであること、

を構成要件とし、(ただし、「刃先厚みc」とは包丁の峯Cを上方に、刃線0を下方に位置させたときの切刃部ADOの高さを言うものと認められる。)、テーパ角a≒0°の場合に刃先厚みc≒1〜45.4(mm)となり、またテーパ角a≒45°の場合に刃先厚みc≒1〜8(mm)となり、構成要件eで規定するc=0.1〜2(mm)を満足せず、構成要件b〜eが同時かつ無条件に満足されないため、本発明は産業上利用することができる発明に該当せず、特許法29条違反である。」旨主張している。

 しかし、原告らは、テーパ角a≒0°の場合について近似計算を行っているが、テーパ角aが0°では二段の刃先とならないことから、テーパ角aは決して0°とはならない。

 そこで、原告らと同じ計算を、近似計算ではなく、正確に行うと以下のようになる。

 まず、切刃部AODの頂端であるDAは、テーパ角aの部分のFDの長さを×とすると、

 DA=T−×・tan aとなり、刃先厚みcは、c=(T−×・tan a)/tan

 =T/tan b−×・tan a/tan

T=1〜8mm、tan b=0.1763〜1.0を代入して計算すると、

 c=(1〜8)/(0.1763〜1.0)−×・tan a/(0.1763〜1.0)

 =(1〜45.4)−×・tan a/(0.1763〜1.0)・・・式(1)   となる。

 この式(1)において、aが0°に近い場合、tan aは限り無く0に近づくが、上述したようにaは0°にはならないから、tan aも決して0とはならない。

 また、式(1)におけるFDの長さ×については、本件発明では何ら規定をしていないことから、自由な値をとることができる。

 したがって、式(1)において、刃先厚みcは1mmよりも小さい値をとることが可能であり、FDの長さ×を調整すれば、本発明の構成要件eで規定するc=0.2 〜2mmの範囲内の自由な値をとれる。

 結局、原告らの主張は、上記式(1)において、a≒0°の場合にtan aが限り無く0に近づくことから、×・tan a/(0.1763〜1.0)の項を無視して、c≒1〜45.4 という結論を導き出しているが、上述したように、式(1)において×は自由な値をとることから、

 tan aが限りなく0に近づくからといって、×・tan a/(0.1763〜1.0)の項を無視することはできない。

 次に、原告らは、テーパ角a≒45°の場合についても近似計算を行っているが、上記と同機に、この場合についても正確な計算を行うと以下のとおりになる。

 まず、切刃部AODの頂端であるDAは、テーパ角aの部分のFDの長さを×とすると、

 DA=T−×・tan aとなり、刃先厚みcは、c=(T−×・tan a)/tan

 =T/tan b−×・tan a/tan

 T=1〜8mm、b=45°を代入して計算すると、c=(1〜8)/1−×・tan a/1

 =(1〜8)−×・tan a ・・・式(2)

となる。

 上記式(2)において、a≒45°であることから、tan a≒1であり、また×は自由な値をとり得ることから、刃先厚みcは1mmよりも小さい値をとることが可能であり、×の値を調整すれば、本発明の構成要件eで規定するc=0.2〜2mmの範囲内の自由な値をとれる。

 以上詳述したように、本発明では、テーパ角aを持った部分FDの長さ×を限定していないため、式(1)、(2)から明らかなように、この×の長さを調整することによって、刃先厚みcの大きさを自由に設定することができ、構成要件eで規定する範囲内の値とすることが可能である。

 したがって、本発明の構成要件b〜dは、同時かつ無条件に満足されるものであるから、本発明は産業上利用することができる発明に該当しないとはいえない。

 以上のことから、原告らの主張する無効理由1は失当である。

 (3)−2 無効理由2の検討

 原告らは、上記無効理由1と同じ理由により、本件明細書には、当業者が容易に発明を実施できる程度に発明の目的、構成、効果が記載されておらず、また発明の構成に不可欠な要件のみを特許請求の範囲に記載していないと主張している。

 しかし、上述したように、原告らの無効理由1は事実に反したものであるから、この無効理由2についても当を得たものではなく、本件明細書は記載不備に当たるものではない。

 (3)−3 無効理由3の検討

 本件発明と審判甲号各証に記載の事項とについて、以下に対比、判断する。

 まず、審判甲第1、2号証には、ジルコニアセラミック製の包丁〔構成要件a〕が示されているが、その厚み、刃先形状、刃先角度、刃先厚み等が全く示されておらず、本件発明の構成要件b〜eが全く示されていない。

 一方、審判甲第3、4号証には、二段形状の刃先〔構成要件c〕と刃先角bを10〜45°とすること〔構成要件d〕が記載されているが、いずれも金属製の刃物あるいは包丁に関するものであり、ジルコニアセラミック製包丁に関するものではない。

 実際、審判甲第3号証は、その特許請求の範囲に記載するように鉄合金製の刃物に関するものであり、審判甲第4号証は、明確な記載はないものの発行年からして金属製の包丁に関するものである。

 セラミックは、耐摩耗性、耐食性には優れる反面、変形しにくいことによりチッピングが生じやすいという点で、金属材とは大きく異なる特性を持っており、同じ包丁を形成する場合でも、金属で形成する場合とセラミックで形成する場合では、得られる特性や求める課題が全く異なる。

 したがって、審判甲第3、4号証に示された金属製刃物あるいは包丁に関する発明を、そのまま審判甲第1、2号証に示されるジルコニアセラミック製包丁に適用できるものではない

 さらに、仮に、上記審判甲第1、2号証の発明に、審判甲第3、4号証の発明を適用することができたとしても、本件発明の構成要件b、eは審判甲号各証のどこにも示されていない。

 また、構成要件eに関し、原告らは、審判請求書8頁2行〜22行にて、刃先厚みcの範囲は他の構成要件から算出できると述べ、更に審判請求書10頁1行〜10行にて、審判甲第4号証に示された二段形状の刃先を持った包丁において、刃先厚みcの最適値の範囲を定めることは容易になし得る事項である旨述べているが、上述したように、刃先厚みcの値は、テーパ角aの部分の長さ×によって種々に変化し、他の構成要件のみから算出できるものではない。

 また、上述したように審判甲第4号証はセラミックではなく金属製包丁に関するものであり、しかも具体的な刃先厚みcの値についての記載も全くないことから、容易に構成要件eをなし得るものではない。

 なお、原告らは、審判甲第5、6号証にて刃物の切れ味と耐チッピング性について記載されていると述べているが、いずれもジルコニアセラミック製包丁に関するものではなく、しかも上記構成要件eを示唆するような具体的な記載は全くない。

 したがって、これらの審判甲号各証から容易に本件発明の構成要件eをなし得ないことは明白である。

 これらのことから、本件発明は審判甲第1〜6号証に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。

 (4) 審決のむすび

 以上のとおり、原告らの主張する理由及び証拠によっては、本件発明に係る特許を無効とすることはできない。

第3 原告ら主張の審決取消事由

 審決は、無効理由3の判断を誤ったものであり、この誤りは審決の結論に影響を及ぼすものであるから、審決は取り消されるべきである。

 1 本件発明の構成要件の分説

 本件発明の構成要件を分説すると、次のとおりである。

  a 刃材がジルコニアセラミックである包丁であること、

  b 包丁は肉厚Tが1〜8mmの板状体から成っていること、

  c 板状体の片面又は両面にはテーパ角aとこれに連続する刃先角bをもつ二段形状の刃先が形成されていること、

  d 刃先角bは10〜45°であること、

  e 刃先厚みcは0.1〜2mmであること、

 2 容易推考性の総論

 審決は、構成要件aが審判甲第1、2号証に示されていることを認め、金属製刃物につき、二段形状の刃先の構成(構成要件c)、刃先角が10°〜45°の構成(構成要件d)が審判甲第3、4号証に開示されていることを認めながらも、「セラミックは、耐摩耗性、耐食性には優れる反面、チッピングが生じやすい点で金属材とは大きく異なる特性を持っており、同じ包丁を形成する場合でも、金属で形成する場合とセラミックで形成する場合では得られる特性や求める課題が全く異なる。」と認定し、そこで、刃物の素材としてのセラミックの性質があらゆる意味で金属とは異なるかのように表現し、金属製刃物に関する技術をそのままジルコニアセラミック製包丁に適用できないとした。

 しかしながら、このようなセラミックの性質は本件発明の際、初めて見いだされたわけではない。本件明細書において記載される「刃先が損傷し難く、優れた切れ味が長く持続する」特性や課題は、ジルコニアセラミック製包丁の場合にのみ特別求められるものではなく、鋼製などの金属製包丁の場合も同様であり、差があるわけではない。

 刃物の素材にセラミックを使用することを計画する場合は、まず、古くから豊富に蓄積されている金属製刃物に関する技術(二段刃とか板材の厚みとか刃先角とか刃先厚みなど全部を含む)をそのままセラミック製刃物に適用し、あとは試行錯誤によりデータをとり、それぞれ最適値を見いだすのが刃物生産の常道であり、これらの試行錯誤に発明の要素はない。

 また、セラミック刃物について構成要件bやeなどについて最適値が知られていなかったとしても、試行錯誤によるデータからその数値範囲は容易に見いだすことができる。

 3 構成要件bについて

 審判甲第2号証の第1図には刃材がジルコニアセラミックである包丁につき記載されており、図示された包丁は、店頭において“三徳包丁”と呼ばれ、ありふれた薄刃の調理用包丁と認められる。

 同号証に示されている三徳包丁の板状体は、刃先部に刃付け加工を施して二段形状の刃先を形成するためテーパー面を形成しているが、テーパー面が峯まで続いている点に何らの技術的意義はないので、第3図に示された断面図のように少なくとも峯に近い部分は両面が互いに平行な周知の三徳包丁と同様の形状を示唆するものと解することも可能である。

 したがって、板厚が1〜8mmであるジルコニアセラミック製三徳包丁は審判甲第2号証から十分に示唆される。

 4 構成要件cについて

 (1)  本件特許公報には、「テーパ角aが7°未満では刃付け加工が非常に困難であり、」(7欄2行〜3行)、「テーパ角aが7°未満のものは(イ)図のものと同様加工が困難である。」(同19〜20行)と記載されており、テーパー角が7度未満では刃先縁に対する刃付加工が極めて困難であることは当業者においても妥当する。

 審判甲第2号証の第1図の包丁が一段刃であり、先端肉厚が0として、図面上で刃峯の位置の肉厚とテーパ面の高さを実測してテーパ角を求めれば約2度ということになる。上記のことからみてテーパー角が約2度であっては刃付けが不可能であり、包丁として役立たない。同号証に図示されたものが包丁である限りにおいては、刃先縁の部分には7度を超える適当な角度で刃付け加工が施されていると認めるよりほかはない。

 そして、この刃付加工により、このセラミック包丁の刃先は当然に一段刃ではなく、テーパー角に続く二段刃であることが明らかである。

 (2) テーパー角とこれに続く刃先角をもつ二段形状の刃先については審判甲第4号証にも記載されている。この資料はその発行年月からみて鋼やステンレス刃物について作成されたものと認められる。

 しかしながら、テーパー角と刃先角とにより刃先を二段形状に形成する主要目的は、刃先角が小さい場合、刃先よりわずか上方に続く刃根部分があまりにも薄くなり、そのために刃欠け(チッピング)が発生しやすくなるのを防ぐことにある。したがって、前記した二段形状の刃先は審判甲第4号証に記載のように、かなり以前から高硬度でモロいハガネを素材とする包丁等に採用されてきたものである。

 本件発明に係る刃物の素材は一般のハガネよりも更に硬度の高い(周知である)ジルコニアセラミックであるから、刃欠けの防止のため刃先を二段形状にすることは全く当然で、この点に創作性はない。

 5 構成要件dについて、

 審判甲第4号証には「刃の断面は単純なくさび状ではなく、図2に示すように先端の部分が鈍角になっている。包丁の場合、この角度は十数度から50度くらい(一般に20〜30度)」(149頁右欄)と示されている。「10°〜45°」と「十数度から50度くらい」との差異は微差にすぎず、後者がハガネ系の刃材についての教示であったとしても、刃材の相違に起因する決定的な相違とはいえない。

 6 構成要件eについて、

 (1) 特公昭59−108585号公報に記載の発明は鋏に関するもので包丁に関するものではないが、利器(刃物)としての見地からすれば、鋏の一方の刃材と一個の包丁の刃材は形状に差異があっても、よく切れるか否か、欠け易いか否かとかいう刃材の性質については同様に取り扱っても不合理はない。

 同公報の発明によれば、

    刃先角θ=20°〜90°

    刃元厚みτ=0.02〜0.8mm

の範囲において刃が鋭利でありかつ刃こぼれが少ないという(「刃元厚み」とは、別紙審決添付図面における刃先のDA間の長さをいう。)。本件明細書において「刃先厚み」と呼んでいるc(同図面におけるDO間の長さ)を、tanθ=τ/cから計算(θ=20°〜90°として)すれば

    c=0〜2.198mm …(A)

また、本件発明に従い、θ=10°〜45°としてcを計算(τ=0.02〜0.8に固定)すれば

    c=0.113〜4.538mm …(B)

 すなわち、(A)及び(B)の数値範囲はいずれもc=0.1〜2mmなる本件特許の構成要件eを含んでいる。

 (2) 構成要件eの限界値の0.1mmについて

 本件発明によれば刃先角θの範囲は10°〜45°であるとともに刃先厚みcの範囲は0.1〜2mmであるから、

    刃先角θ=10°

    刃先厚みc=0.1mm

の場合を含む。

 刃先厚みc=0.1mmである場合についての実験成績は、本件明細書第1表中刃先角b=30°の場合及び第2表中刃先角b1=b2=25°の場合の2件以外には存在せず、上記の場合については、本件発明効果が納得できるような実験成績が欠落している。

 ところで、上記の場合に刃元厚みτを計算すれば0.016mmであり、指先で触れれば欠けるほど薄い。このような限界値を用いて刃付けを行うことは事実上実行できないので、そのような数値は全く架空のものといわざるを得ない。そして、架空の数値をもって発明を構成することは、いかなる技術よりも容易である。

第4 審決取消事由に対する被告の反論

 1 ジルコニアセラミック包丁の開発上の技術的課題

 (1) ジルコニアセラミック包丁の開発において、金属と同じ考え方で包丁を作ったのでは、刃先が欠ける、切れ味が悪いという問題が起こってしまう。ジルコニアセラミック包丁の開発においては、工業生産が可能であって、「研ぎ」を前提とせずに実用に適した切れ味を持ち、しかも、物を切ったときに「欠け」が生じにくいという条件を満たすために、刃先はどのような形状でなければならないかを探求し、ジルコニアセラミックの特性に見合った刃先の形状を決めることが極めて重要な開発課題となった。

 このようなジルコニアセラミックという材料に適した刃先形状の特定という問題は、ジルコニアセラミックで包丁を作る場合に固有の課題であり、その解決のために金属包丁に関する従来技術の知見をそのまま適用できるような性質のものではない。

 金属包丁の場合、切れ味は、研ぎたての切れ味がよいこと、切れ味が持続すること、という2つの面から把えられる。殊に、金属包丁は刃が比較的短期間の使用で摩耗するので、包丁の切れ味は刃が摩耗しにくいかどうかで評価されることが多く、切れ味を維持するための工夫は、主として、材料の改良(例えば炭素鋼を使う、金属表面に対摩耗性のコーティングを施すなど)及び製造時に刃先を摩耗しにくい形状とすることが中心となる。 

 (2) これに対して、ジルコニアセラミック包丁では、その材料の性質から摩耗による切れ味の低下という現象は起こりにくく、切れ味の低下は、主として刃先の微細な欠けや材料の脱落によって刃先が鈍くなることによって生じる。そして、当然のことながら、金属材料の摩耗しにくい刃先形状とセラミック材料の欠けや脱落が生じにくい刃先形状とは異なるものであるから、同じく「切れ味の維持」ということを問題にする場合でも、金属包丁とジルコニアセラミック包丁とでは、課題となる事項及び解決方法が全く異なる。

 (3) 原告らは、従来からある金属包丁の形状を参考にすれば本件発明のジルコニアセラミック包丁は容易に想到できるというが、これはセラミック包丁に固有の課題を無視した見解である。原告らの主張は、金属もセラミックも包丁の材料としてさしたる差はないという考えに立脚している点において、基本的に的が外れている。

 2 原告らは、審判甲第2号証には、本件発明の構成要件b(肉厚1〜8mm)及び構成要件c(テーパ角aと刃先角bをもつ二段形状の刃先)が示されていると主張するが、これは憶測の上に憶測を重ねた主張である。

 審判甲第2号証が示しているのは、審決が正しく認定しているように、包丁がジルコニアセラミック製であるという点(構成要件a)だけである。このジルコニアセラミック製包丁の肉厚(構成要件b)は同号証に全く示されていないし、この包丁が二段形状の刃先(構成要件c)を持たないことも、同号証の第1図から明白である。

 3 原告らは、審判甲第4号証には本件発明の構成要件c及び構成要件dが示されているという。

 確かに、本件発明の構成要件を個々バラバラにとらえれば、同号証には、構成要件c及び構成要件dに該当する構成(形状)が示されているともいえる。しかし、同号証は、金属包丁に関するものであるから、本件発明とは無関係であり、たとえその二段刃の形状及び刃先角が本件発明と共通するとしても、これをそのままジルコニアセラミック包丁に適用できるものではない。

 審判甲第2号証及び審判甲第4号証は、両者を併せてみても、本件発明の構成要件a、構成要件c及び構成要件dを示すのみである。

 4 構成要件e(刃先厚み)が記載されているとして原告らが指摘する特公昭59−108585号公報は、包丁とは切断の原理を異にする鋏の刃の形状に関するものであり、本件発明とは全く関係がない(包丁は刃の先端で物を切り開くことにより切断するが、鋏は刃と刃をこすり合わせ剪断力で物を切断する)。

 同公報は、包丁の刃先厚みについて公知技術を示すものとはいえず、ましてや、周知技術を示すものでもない。

第5 当裁判所の判断

 1 構成要件b(肉厚)の審決の判断について

 (1) 甲第1号証の1によれば、本件明細書(本件特許出願公告公報)には、本件発明の実施例に関して次の記載があることが認められる。

「第1図に側面図を第2図に断面図をそれぞれ示すように、柳刃さしみ包丁Hの刃部を抗折強度130kgmm2の強靭性を持った部分安定化ジルコニア(ZrO2)セラミック(以下単にジルコニアという)により、肉厚Tは2.5mm、全長210mmとして形成した。

 また、刃部にはテーパ角aとこれに連続する10〜45°の刃先角bを持った二段形状の刃先を形成し、その刃先厚みcを0.1〜2mmの範囲内とすることにより、刃先の欠けを防止し、かつ優れた切れ味を得られるようにしてある。」(3欄13〜22行)

 この記載と、実験結果を示す本件明細書(甲第1号証の1)中の第1〜4表によれば、板状体の肉厚Tは、技術的に有意なパラメータとして取り上げられているものとは認めることができない。

 甲第1号証の1によれば、本件明細書(本件特許出願公告公報)に「また、本発明のジルコニア製包丁において、肉厚Tが1mm未満では強度的に無理が生じ、また8mmより厚くなると切れ味、重さの点で不都合が生じる。したがって、肉厚Tは1〜8mmの範囲内のものが良い。」(8欄4〜7行)との記載のあることが認められるが、この記載によっても、1mmと8mmが、肉厚についての技術上確認された臨界値と認めることはできない。

 そうすると、本件発明の1〜8mmの範囲の肉厚が板状体という要件(構成要件b)は、包丁としての機能を有するという、一般常識ないし当業者の技術常識の限度の範囲におけるものを超える要件を示したものと認めることはできない。

 (2) 一方、甲第5号証の1によれば、審判甲第2号証の実用新案登録請求の範囲に「ジルコニア、アルミナ等のオールセラミック製、若しくはそれらのセラミックをコーテイングした包丁、はさみ等の利器において、該利器の表面に窒化チタン等の窒化物を蒸着して成るセラミック製利器」との記載があり、また、審判甲第2号証の第1〜4図(別紙審判甲第2号証図面)にはありふれた薄刃の調理用包丁が図示されていることが認められる。これらの記載によれば、ジルコニアセラミック製包丁の厚み、刃先形状、刃先角度について具体的に記載されていないとしても、当業者ならば、通常の包丁の厚みの板状体、楔形の刃先形状、刃先角度を把握することができるものと認めることができる。

 (3) したがって、審判甲第2号証に、その厚み、刃先形状、刃先角度が全く示されていないとし、そこには本件発明の構成要件bが示されていないとした審決の認定は誤りである。

 2 構成要件c、d(二段形状の刃先及び刃先角)の審決の判断について

 (1) 審決は、「セラミックは、耐摩耗性、耐食性には優れる反面、変形しにくいことによりチッピングが生じやすい点で、金属材とは大きく異なる特性を持っており、同じ包丁を形成する場合でも、金属で形成する場合とセラミックで形成する場合では、得られる特性や求める課題が全く異なる。」と説示し、審判甲第3、4号証に示された金属製刃物あるいは包丁に関する発明を、そのまま審判甲第1、2号証に示されるジルコニアセラミック製包丁に適用できるものではないと認定している。

 しかしながら、ジルコニアセラミックと金属材の特性が相違するとしても、板状体や楔形の刃先形状といった基本構造において、ジルコニアセラミック製包丁と金属製包丁とで格別異なるものと明確に認めるべき証拠はない。本件明細書には、本件発明の技術的課題として「ジルコニアセラミックで形成した包丁もあるが、刃先が欠けやすいという問題点があった。」と記載されているが(甲第1号証の1、3欄1行〜4行)、金属製包丁を含む包丁の性能においてごくありふれた技術的課題であることは明らかであり、ジルコニアセラミック製包丁に特有のものと認めることはできない。

 したがって、本件明細書に記載の上記課題は、古くから豊富に蓄積されている金属製刃物に関する技術を適用し検討することは、当業者にとってごく自然なことと認められる。

 (2) 甲第5号証の5によれば、審判甲第6号証に「刃先角が小さいほどよく切れる。しかし、あまり小さいと摩耗や欠けが生じたりしてよくない。また被削材(この場合は紙)を切るのに適当な角度があり、それよりも小さくても大きくてもよくない。」(9頁1〜4行)との記載があることが認められ、この記載によれば、金属刃物において「摩耗」だけでなく、「欠け」を防ぐことも課題とすべき点であり、食材を扱う包丁であれば尚更解消すべきことであると認められる。

 また、審判甲第6号証の上記記載によれば、金属刃物について刃先角を大きくすれば欠けの生じやすさを防ぐことができるものと認められ、当業者ならば、ジルコニアセラミック製包丁においても、刃先角が大きいほうが欠けにくいものと容易に推測し得るところである。

 (3) 甲第5号証の3によれば、審判甲第4号証に、「刃の断面は単純なくさび状ではなく、図2に示すように先端の部分が鈍角になっている。包丁の場合、この角度は十数度から50度くらい(一般に20〜30度)で、測る位置によりいくらか違っている。・・・理想的刃角は17度で、これより小さいと摩耗が大きく耐久性に乏しいし、逆に大きいと抵抗が大きく切れ味はおちるという。」(149頁右欄12〜23行)との記載があることが認められる。

 この記載によれば、

 @ 二段形状や刃先角の大小は、包丁の基本原理である楔効果や摩耗、抵抗に影響を及ぼすものであるから、包丁の原理に差がないジルコニアセラミック製包丁にも適用することができること、及び、

 A 先端の部分が鈍角になっている点(包丁の場合10数度から50度くらい)は、審判甲第6号証の前記記載に照らし、金属とセラミックを問わずチッピングに対して有利な構造であること

 は当業者が容易に想到し得るものと認めることができる。

 そして、セラミックは、耐摩耗性、耐食性には優れる反面、変形しにくいことによりチッピングが生じやすい性質を有することは技術常識であるが、甲第5号証の1によれば、審判甲第2号証に、セラミック包丁であっても一段形状の刃先が形成できることの記載があることが認められるところ、刃先は、セラミックであっても工場で研磨により形成するものであることも技術常識であるから、更に先端を別の角度にするため工場で研磨することについての推考は容易であると認められる。

 (4) 甲第9号証によれば、特公昭59−108585号公報に、はさみにおいてではあるがセラミック材でも二段形状の刃先を形成できる明細書及び図面の記載のあることが認められる。そして、審判甲第2号証に「包丁、はさみ等の利器」と記載されているのは前示のとおりであり、セラミック製利器の刃先形成において、包丁とはさみに格別の差があるものと認めることはできないので、セラミック製包丁に二段形状の刃先を形成することができる点についての容易推考性に関する上記認定は、同公報の記載によっても裏付けられる。

 (5) したがって、審決が、「審判甲第3、4号証には、二段形状の刃先〔構成要件c〕と刃先角bを10〜45°とすること〔構成要件d〕が記載されている」と認定しながら、「審判甲第3、4号証に示された金属製刃物あるいは包丁に関する発明を、そのまま審判甲第1、2号証に示されるジルコニアセラミック製包丁に適用できるものではない。」として、本件発明の構成要件c、dについての容易推考性を認めなかったのは誤りである。

 3 構成要件e(刃先厚み)の審決の判断について

 (1) 構成要件eは「刃先厚みcは0.1〜2mmであること」であって、肉厚Tやテーパ角(a,a1,a2)やテーパ部分の長さや刃先角(b、b1,b2)と関係付けられて限定されているわけではなく、本件明細書の実験結果からみても、試行錯誤的に求められた以上の技術的意義を有するものとは認められない。

 他方、前示のように、審判甲第4号証には二段形状の刃先の概念と刃先角が示されているから、当業者ならば、ジルコニアセラミック製包丁の通常の板状体肉厚を前提とし刃先厚みcを適宜な値として容易に算出することができるものと認められる。そして、金属とセラミックの特性が相違するからその値が必ずしもジルコニアセラミック製包丁の適値であるとはいえないが、順次数値を変えてデータをとるのは容易になし得るものであり、その結果として、二段刃を有するジルコニアセラミック製包丁の刃先厚みcとして、0.1〜2mmの値を採択するのは、当業者が容易になし得たものと認めるべきである。

 (2) したがって、構成要件eは、審判甲第2号証及び第4号証の記載により、当業者が容易になし得たものというべきであり、構成要件eは審判甲号各証から容易になし得たものではないとした審決の認定は誤りである。

 4 取消事由の判断のまとめ

 以上のとおりであり、審決は、原告らが主張する無効理由3について判断するに際し、本件発明のb〜eの構成要件が、審判甲第1から第6号証に記載がないか又は容易に推考することができないと誤って認定したものであって、この誤りは審決の結論に影響を及ぼすものである。

第6 結論

 以上のとおりであり、原告ら主張の審決取消事由は理由があるので、審決は取り消されるべきである。

(平成12年2月1日口頭弁論終結)

 東京高等裁判所第18民事部

     裁判長裁判官   永   井   紀   昭

        裁判官   塩   月   秀   平

        裁判官   市   川   正   巳