トルコという国

  トルコという国のことをほとんど知らない方に、少し説明を試みようと思います。トルコは世界でもめずらしいほどの親日国であり、トルコの少し田舎で「日本から来ました」などと言おうものなら、そこらじゅうの家からお茶に招待され、「晩飯を食っていってくれないと、ご先祖様に申し訳が立たない」など、冗談かと思うようなことを言われたりします。どうしてこんなことになっているのでしょうか。
  以下に書いてある話は、きちんと裏を取っていませんから事実誤認が多々あると思います。ただ、かなり多くのトルコ人から同じような話を聞きますから、そんなような話が実際にあったことだけは確かです。
  トルコへの理解に少しでも役立てば幸いですが、かなりいいかげんな知識による文責にはご勘弁ください。正しい知識のある方にご指摘をいただければ、ただちに修正いたします。

日本の沖で沈没した船の話

  大昔、大勢のトルコ人が船に乗り、はるばる日本へ親善にやってきました。その当時、日本人はガイジン(アメリカ人)が大嫌いでしたが、ガイジンなのに英語を話せないトルコ人をたいそう気に入って、歓待したそうです。心のこもったもてなしを受け、おみやげをもらったトルコ人たちは大満足で帰路についたのですが、不幸にも熊野灘で嵐に遭い、船が沈没してしまいます。乗っていた六百余名のうち、五百数十名が亡くなりました。
  この不幸な事故に心を痛めた日本人がいます。名前を山田寅次郎といいます。彼は、遠い異国の地で大黒柱を失った家族たちをなんとか助けたいと、募金活動に奔走します。集まったお金を当時の外務大臣のところへ持っていき、トルコに残された家族へ届けて欲しいと嘆願します。ならば君が行ってはどうかと勧められ、寅次郎は民間人の親善大使としてトルコへ向かうことになります。
  トルコ人に対し、最初に日本人のイメージを印象付けたのが彼であることは間違いないでしょう。人情に厚く、礼儀正しく、思いやりがある。日本人とはなんとすばらしい民族であることか。トルコ人はひたすら感心したのでした。
 

日本とロシアの戦争の話

  その昔、トルコ人はロシア人にいじめられていました。ロシア人大嫌い。なんとかやつらをギャフンと言わせることはできないものか、と思っていたところに日露戦争勃発。列強ロシアを極東のアジア人が破ったといいます。おいおい、日本人がやってくれたぞ、日本バンザイ。あの体の大きなロシア人を破ったのだから、日本人とはさぞかし力があって喧嘩も強い、もっともっと大男に違いない。すごいぞ日本人。トルコ人は国をあげて大喜びし、力持ちの大男を想像して、日本人に憧れを抱いたのでした。
 

電子立国日本の話

  そうこうしているうちに、日本から精密な電気製品が送られて来ます。日本製のLSIチップが組み込まれた電卓やラジオです。おい、見てみろ。これを日本人が作ったんだぞ。なんと細かい仕事だろう。なんと美しいデザインだろう。トルコ人はみたび関心し、頭が良くて手先が器用な日本人を想像して、夢にまで見るようになるのでした。
 

責任重大な日本人の話

  こうしてトルコにおける日本人像はできあがります。人情に厚く、礼儀正しく、思いやりがあって力持ち。喧嘩が強くて頭もよく、手先が器用でなんでもできるスーパーマン。みんな、日本人をみならって精進しなさい。日本人の真似をしていれば絶対に間違いはないぞ。トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクは力強く説いたのでした。
  トルコには、日本語で授業をする高校がいくつもあります。いつの日か、憧れの日本へ行くんだと心に決めた学生たちが、今日も勉学にいそしんでいます。
 

小さそうで大きな波風の話

  有史以来、日本とトルコの間にはとりたてて波風が立ったことがありません。それどころか、日本が国連に加盟できたのは、国連安保理事会の一員であったトルコが他の国々の代表を説得してくれたお陰ですし、イラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人を救援したのは、トルコが派遣してくれた2機の飛行機でした。トルコ人の片思いと言っても過言ではないほど日本人は好かれていて、それは今でも同じです。まったく波風が立たなかったかというと、そうでもない部分もありますので、一応書いておきます。
 

    トルコにトルコ風呂は無い

  以前、日本の特殊浴場(女性が裸でサービスする個室浴場)は「トルコ風呂」という呼称でした。あるトルコ人留学生の訴えによって、その呼称はソープランドへと改められましたが、今でも多くの日本人が、トルコの話になると必ず「あぁ、トルコ風呂の」と言います。最近になっても、ツアーでトルコを訪れ、トルコの銭湯に行っては女性の特別サービスを要求する日本人がいるそうです。あんな特殊浴場はトルコにはありませんし、イスラム教を信仰している彼らに対して大変失礼ですので、やめましょう。
 

    ある芸風の罪

  これはご存知の方も多いと思いますが、何年か前、日本のある芸人がテレビ局の企画でトルコを訪れ、全裸芸を披露して罰金刑に処せられるという事件がありました。この時、この企画に協力していたのが、99年度トルコレスリング王者の Ahmet Tasci です。国際問題とまでいわれたこの事件のとばっちりを受け、Ahmet Tasci  はレスリング協会に追放されかけ、何年間かレスリング大会に出場することを禁じられていました。今回の優勝が彼にとってどれだけ嬉しいことだったか、また日本人の無知がどれだけ多くのトルコ人関係者に迷惑をかけたか、心が痛みます。

  かなりなさけない話でしたが、寛容なトルコ人はこんな話にたいして気にするでもなく、トルコのアジアサイドとヨーロッパサイドをつなぐ巨大な橋を指さしては、「あれ、日本人が作ったんだよ。」と嬉しそうに自慢するのでした。

  あなたはトルコという国を知っていましたか?  トルコが日本と同じアジアであることを知っていましたか?

  すいません、僕は4年前まで知りませんでした。
 
 

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このような話をくわしくご存知の方、人名や年代を正しくご存知の方、ご連絡いただければ幸いです。
 

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