ムスタファ・ケマル・アタチュルク

Mustafa Kemal Ataturk (1881-1938)

 
 トルコ共和国の創設者で初代大統領。セカンドネームのケマルは「完全」という意味で、陸軍初等学校において優秀な成績を収めた彼に、恩師から与えられた称号です。 サーネームのアタチュルクは「トルコ人の父」という意味で、1934年に施行された法律によってすべての国民が姓を持ったとき、国立議会から贈られました。
 1938年に急逝するまでの15年間、大統領として彼ほど短期間に、しかも効率的に国家を導いた指導者は極めてまれです。

 政治・経済・社会・法律・文化にいたるまで、その全面的かつ先進的な改革は、20世紀における他のいかなる国政にも例をみないものです。 なかでも1928年に着手された言語改革は、近代民主国家トルコの誕生に不可欠なものでした。 トルコの民により千年にわたって使われたアラビア文字は、すべてラテンアルファベットに置き換えられ、国民が西洋の言葉を理解するのに大きな効果をもたらしました。 1923年に9%以下であった識字率は1938年までに33%を超え、現在では80%余りに達しています。
 また、国民の98%が男性上位を基本とするイスラム教徒であるトルコにおいて、完全なる政教分離を成し遂げ、女性を解放しました。 1930年代中頃に18人の女性を国会へ送り、のちには世界ではじめての女性連邦最高裁判所裁判官を誕生させています。
 ムスタファ・ケマル・アタチュルクは1938年10月、執務中に脳卒中で倒れ、同年11月10日9時5分に死去しました。 大統領宮殿のすべての時計が9時5分で止められたまま、彼は今もなお、国民に愛され、尊敬されつづけています。



July 2004 kirkpinar.jp