日々是好日・身辺雑記 200712
(下にいくほど日付は前になります)

 
以前の雑記を読む


12月某日「大晦日の書き逃げ

2007年8月12日、私は交通事故にあった。
T字路で、青の横断歩道を渡っている最中、左折してきた車にはねられたのだ。
「ああ、車のボンネットは硬いなあ」が第一感想。 
「あ、あたし宙を飛んでら。」が第二感想。
そのまま横断歩道にゴンッで
「ああ、アスファルトってあいかわらず痛いなあ」が第三感想。
そこで気を失った。 幸い骨折には至らなかったものの、入院生活。
以前の事故は左半身&頭だったが、こんどは右。膝から腰、そして頭。

「江戸桜4」がせまっていた。 ちょうどネームの最終稿に入っていた私は
生まれて初めての80ページ本(2本立て)「太陽時計・雪時計」を病院で
完成させ、退院後、父がまだ入院中だった両親宅に寄宿した。
もうコマ割りをするまでの時間もない、もうペン入れをする時間もない。
動画の絵コンテのように割り入れて、鉛筆の濃いヤツで描くしかない。
ここで私は信頼するF姉さんに助けを求める。
なにしろ字すらまともに書けないのだからして。
(その節はありがとうございましたF姉さん。)
それでも運命の神さまというのは気分次第で、向こうをむいてしまう。
刷り上がり届いたのは「江戸桜」1日前。 こちらは念のためと1日早く
入稿しているのに。 しかも乱丁2カ所。 泣く泣く資源ゴミに。
「大きなイベント2つと重なったもんですから」
イベントの大小が言い訳になるかいな!!
(みなさん、YOU社受付そばの田君はあごがはずれるほど○能です。)
こんな無能な自分にぶち当たるとは。
再び取り戻したはずの記憶は、また穴が空いてスカスカになってしまった。
料理も洗濯もろくにできない。
もうしばらくこのドッコイという大樹の枝にぶら下がっていようか。
てな具合で2007年が去っていく。
脚は・・・まだ痛い(笑)。




12月某日「ドッコイ歳末記その6」

医師からカンファレンスをうける。
ドッコイの体のはぐれワイヤーはとても気まぐれであること。
小康状態が続いたなと思うと、1日で5センチも旅をしてしまったこと。
ワイヤーの先は尖っている。 肺や心臓、五臓六腑の海、ましてや
もしもこのまま望まぬ方向に進んだら、なんせ「肩始発」である。 
頸椎を、大動脈を、傷めたらたいへんなことになるであろうこと。
全身麻酔には、100分の1、いや、1000分の1危険が伴うこと。
すべてに納得して、名前と印鑑。
ベッドへ。先客に挨拶をして自分のスペースへ。 パジャマに着替え。
総ては昨年9月に1ヶ月入院した通り。
前回お世話になった、気の合う看護士、遠藤さんがいてラッキー!
「またお世話になります」とナースステーションに挨拶。




12月某日「ドッコイ歳末記その5」

ドッコイの入院は月曜日、一日様子を見て、手術は水曜日夕に決まった。
しかし月曜日の明け方まで、私は寝付けない。
「7000万円の未亡人になったら・・・・・・きっと顔も知らない親戚が
借金しに来るんだわ・・・・お調子者の私だもの、ホストか和服に手を出す
ことは目に見えているわ・・・・・7000万円・・・測量でもめていまだ
に引っ越せない養母の屋敷の跡地に、脳挫傷で体の自由がほとんど消えた
父と、しっかり者の母と、2世帯住宅は借金なしで建つわね。・・・・・・
大陸浪人の兄貴の為に一部屋のゆとりは作らなくちゃ・・・・・・
と、日本酒舐めつつ逡巡してしまう。
ドッコイは太平楽な顔をしてすやすや眠っている。

「奥さん、奥さん。」
聞き慣れたバリトンで目を覚ます。
どうやらいつの間にか1枚しかないせんべい布団にもぐりこんでいたようで。
ドッコイはいつもと変わらない笑顔でおはようのキスをして、
「さあ、そろそろ行きましょうか、病院へ。」
「ええ、行きましょうドッコイさん。」
ドッコイは人の雑念を追い払う名人である。
タクシーを呼んで、太正浪漫堂の大袋かかえて、いざ、市民病院へ!




12月某日「ドッコイ歳末記その4」

しかし、いかんせん金曜日の夜中である。
お正月シーズンを控えて、手術もベッドも満員御礼。
ひとまず家へ、絶対安静。ちょっとでも違和感や痛みを感じたら即入院。
しかし、ドッコイの強さはここで発揮されることになる。
土曜日にはハンドル握って、私のリハビリの制骨院へ送ってくれる。
(直線距離は近いのに交通の便がものすごく悪いのだ)
日曜日には前売りを買っておきながらあきらめていた映画「エディット・
ピアフ」が、新宿の武蔵野館で朝一番に最終だから、と、調べ上げ、
一緒につきあってくれる。(この映画の感想についてはいずれまた)
洗濯機を廻してくる。(事故の後遺症で私は「恐水症」で、物持ちの
よい我が家はまだ洗濯機が二槽式なんである。)
「ねえ、あなたがもしもの時は、私いくら保険金もらえるの?」
「7000万円」
リスクの大きい、地球上を走り回るのが彼の仕事。
いざという時は「7000万円の未亡人」になる、腹をくくって
さあ後半編だ!!




12月某日「ドッコイ歳末記その3」

さて、ふたりを抱えた「太正浪漫堂」の大手提げは、もとい、
「太正浪漫堂」の大手提げを抱えたふたりは病院の夜間緊急入口に
転がり込んだ。 レントゲン、CTスキャン、整形外科の医師が、CTの
医師が、ついには大男の外科の医師まで登場しての大論争。
しかし、漏れ聞こえる専門用語も7〜8割は分かってしまうドッコイの
左肩はちょっと震えている。 医師達の喧々囂々侃々諤々がおかしいと
笑っているのだ・・・・(さすがイラク戦争開戦の時バグダッドからクルド
人居住地まで走り抜いたヤツでは、あるな、この「へっぴり腰の強者」は)
ドッコイの右肩には砕けてしまった骨をつなぎとめるために何本も複雑に
ビスやワイヤーが入っている。 そのワイヤーが一本はずれて、体の中を
迷走しはじめた、ということなのだ。 わら山の中の針一本!
えらいこっちゃ! で、その4に続く。




12月某日「ドッコイ歳末記その2」

ドッコイからの電話が来たのが夕方4時。
「あれ、どうしたの今夜はイタリア料理食べ放題じゃなかったの?」
「今病院から連絡があって、『大至急来てください。』って。」
「はいぃ?」
「なんか場合によっては緊急手術・即入院の可能性があるらしい。
今から言うものまとめて、待機しててくれる?まずタオルを・・・」
おいおいぅおーーーーーーーい。
という心の叫びとは逆に、体は、手は、勝手にチャッチャカ動く。
これだけの荷物をまとめて入れるには・・・・
出ました、大切に取っておいた「太正浪漫堂」の大手提げ(笑)。
バスタオルだってスリッパだって、みんなまとめて入っちゃう。
そうこうしているうちにドッコイ帰還。
スーツ脱いでジャケットに着替えて、ふたりでタクシーに乗り込む。
「太正浪漫堂」のロゴでかでかの大袋抱えて。
不安をいだきつつ夜の街道を走り、その3へと続く。




12月某日「ドッコイ歳末記その1」

さてウチのドッコイさんは日本にいるときゃサラリーマン、海外に行くときは
ナントカカントカいう外務省がらみの半分公務員みたいな医療系の仕事を
している。 でもって、昨年右肩脱臼複雑骨折をして大手術、砕けた骨を
つなぎ止めるためにビスやらワイヤーやらが体内にあるプチ・サイボーグ
さんである。 定期的に病院へ行って検診をうけている。

異変が起きたのは12月初め。 最初は「肩の違和感」だったのがはっきり
「背中の痛み」になってもいちどレントゲン検診。
「今日は会社の忘年会だから帰り遅いかも。」
「あらそう、楽しんでいらっしゃい。」
と送り出した14日の朝、昼、そして夕方4時、ドッコイから電話がきた。
この内容がまた・・・・えらいこっちゃでその2へ続く。
 



「ヤカンで頭殴ってゴメンネKくん」

泣きながら誰かの頭をヤカンで殴ったことありますか。
(ここ中島みゆきの「ひとり上手調」で。)
そろそろ忘年会の季節ですな。
1年のウサを忘れてパーッとが忘年会、忘れられないのも忘年会。
大学1年の大学の忘年会過激。場所はあいかわらずプレハブ小屋
大学の集会室(通称コンパ室という名の掘っ立て部屋)。
いや、入学から9ヶ月ともなれば、くっつくもんも、憎らしからずなもんも
でてくるんである。
私にとって「憎らしからず」は、K君であった。
しか〜し、である。
敵は(K君)大酔っぱらいで、ぐぁっばと畳のうえに
わたしをおし押し倒したですよん。
「はなちゃん、(その頃のあだ名)好きじゃ〜〜〜〜〜〜!!!!!」
男との初めての口づけは(女とは済み・なにか?)、浪漫の味は、魚肉
ソーセージの味がした。
男との初口づけこの〜よくもっ!!!
パッカーン。 
ストライク!!!
そばにあった水割り用の空になったアルマイトの丸ヤカンがあって
頭ひとつ渾身の力でぶん殴ったはさ。
「あー、ヤカンへこんじゃったねえ。」
と7年のZさん。
「はなちゃん、よくあることをよぉ。」と5年生のEちゃん。
K君はいつの間にか部屋の奥に誰かのパーカーかぶって高いびき。
翌日
たんこぶをさすりさすりK君、
「・・・あ、昨日はどうも押し倒しちゃっててムニャムニャ・・・」
「いや、こっちこそやヤカンで殴っちゃって・・・」
かくして双方憎からずの恋はおしまい。




            

トップへ戻る
     
「雑記」メニューに戻る