発声について考える9　川村英司

2005.10.1掲載

発声について考える（ 9 ）
呼吸法とは何か？

　かつて僕が勤めていた大学で学長（福井直弘学長）が直々に、「声楽教師同志でレッスンを聴き合い、問題提起をして討論する場を作って欲しい。その先鞭を君がつけてほしい。」と言われ、「一回きりで無く、今後持続してその様な会を持つのであれば意義ある事ですので、学長がその意向を全教員に浸透させてくれるのならば。」と約束して第一回目を僕が引き受けて公開授業をしましたが、結果はその一回で終わってしまいました。かなり指導力のあった学長ですら、壁は厚く二回目が実現しなかったのです。

　プライベートで教えていた芸大生ですが、毎週のレッスン時に怒鳴らせられるので喉が真っ赤になり、レッスン後に痛くなると訴えた学生がいました。僕は「先生に『喉の具合が良くないので1ヶ月レッスンを休ませてください。』と頼みなさい」と助言したところ、その結果担当教授の返事は即座に「休学しろ！」だったそうです。

　その学生が初めて僕の所に来た時にはdﾕﾕでひっくり返ってしまって、まともに出ない声でした。教授は何て言うの？と質問すると「お前はバスだ！もっと大きな声を出せ！」とだけ言われるとの事でした。怒鳴ることをさせられただけで、高い声は無理をして、出し方が悪いだけで出ないだけなのです。その学生にその時声の質から言って僕は「君の声の質はハイバリトンだよ。」と言い数ヶ月経ったら fﾕﾕや fisﾕﾕが楽に出るようになりました。「先生はこの頃君の声を何て言いますか？」と尋ねると「お前はハイバリトンだな！」と言うとの事で笑ってしまいました。息を多く使い、怒鳴って出すことで喉が固くなり声が出し難くなる事を全く分っていないよい例だと思います。

　
　声帯を綺麗に（細かく規則的に）振動させるためにはできるだけ息を少なくする事が大切です。我々が勉強を始めた頃（昭和24年）は蝋燭に火をつけて口の前に置き、声を出して炎が揺れると息が多過ぎるのだと良く言われたものです。寒い時季に口の前に鏡を当てて声を出し、鏡が曇ったら息が多過ぎるのだとも言われたものです。ヴァイオリンの弦と弓の関係で考えたら分りやすいのではないでしょうか。ボーイング（弓使い）の荒い奏者は綺麗な音は出ませんし、弦をよく切ります。息の多い人は綺麗な響きを得る事は出来ませんし、喉のトラブルが多いのです。

　それゆえに「息は貰うつもりで歌いなさい！」とか「声を自分の方に引いてくるようにして歌いなさい！」とか言うのです。「息で押し出すようにしてはいけません。」とか「息をぶつける様にしてはいけません！」と言うのです。ドイツ語だと"ziehen"しなさい！ "stoßen"してはいけないと言われるのです。前回にも書きましたが、間違わないで欲しいのは "ziehen" を「声を飲みこむ」と誤解しない事です。誤解をしている声楽家が結構多く、こもらせた声を出して自己満足している先生が結構いるので付け加えます。もちろん学生も自己満足し、自分の声を全く客観的には聴けなくなってしまうのです。

　奥を開けなさいと言って声を飲みこませたり、喉仏を不自然に下げさせる先生も大問題ですが、学生がどれだけ正しい声のイメージを持って勉強し始めているかが基本問題でもあります。初心者がどの様に理想の声をイメージしているかで勉強の仕方や先生の選び方が違ってくるのです。先生を選ぶのは生徒の側ですので自己責任ですが。

　基本的に動物は特別な状況以外は皆正しく呼吸しているのです。歌うときには長いフレーズも歌えるように呼気は長く、吸気は短く瞬時に吸う事が出来なければなりません。しかし不自然になってはいけないのです。いずれにしろ考え過ぎは大敵です。人によっては息を吸う事を考えるより、正しく息を吐きなさい。そうすれば必要な息は自然に入ってくるのです。とも言います。基本は声帯に無理をさせないで綺麗に振動させる事が一番大切なのです。

　楽に息を吸うためには肋骨を柔らかくする事が大切です。肋骨全部が広がるようにしなければなりませんので、うつ伏せに寝て静かに息を吸っては吐いてください！少し多めに吸うと肋骨の腰椎寄りの骨が広がり動き始めます。最初はユックリ一度に吸いますが、徐々に2回に分けたり、3度に分けて吸うようにします。肋骨が張り切れんばかりに広がった感じがすることがあります。いつも静かに息は出します。或る程度繰り返したら、静かに吸った息をはく時に "s - " とお腹が固くならない範囲で長く子音だけで発音し、"s"の子音を良く上顎に響かせながら出します。できるだけ小さな音で、良く響かせる事が大切です。慌てないでユックリ身につける事が肝心です。「急いては事を仕損じる」の諺通りに「コツコツ身に付ける努力が出来る」か「慌てて直ぐ上手くなろうとする」かが分かれ道です。

　肋骨は何時も弾力を持たせた感じでなければなりません。絶対に固くしてはいけないのです。時には鼻から静かに息を吐き出し、静かに鼻から吸い込む事も大切です。特に風邪気味の時は口から急に息を吸うと気管内の痰が移動して咳をする原因になりますので、鼻から静かに息を吸うのが我々の次善の方法です。

　正しく、無理をしないで呼吸をし、発声をすることで風邪気味が直った経験は僕自身も数度ありますが、僕の生徒でも何人もいます。｢先生今日は風邪気味なのでレッスンを休ませてください。｣と電話があったり、｢今日は風邪気味なので聴講させてください。｣と言う学生がいます。その声を聴いて声帯に問題がない場合にはレッスンをしてみようと提案します。声帯が変な状態であれば直ぐ止められるので、実験してみるのですが、殆どの学生が、｢風邪が直りました。｣とすっきりした顔でレッスンを終えることができました。

　一昨年秋に僕は声帯に無理をしたらしく少々声帯を腫らしてしまい、何回かのコンサートをキャンセルして歌うのを止めていましたが、スポーツマッサージの先生に｢歌わないでいるのもストレスをためる事になるのだから、適当に歌ったら｣と言われて歌い始めました。用心する事は大切ですが、石橋を叩いて、しかし渡らないのでは困り者です。先生とよく相談して慎重過ぎないようにすることも大切なことです。

　よく耳にしますが、「腹式呼吸ですから深く息を吸ってください！サー声を出しますからお腹を引いて！」という言い方です。お腹を引いたら横隔膜は上がってしまい、不自然な状態になります。深く息を吸うまでは良いのですが、そのまま深く息を吸ったところから歌わなければ深く吸った意味はないのです。吸う息を気にするより、自然に吸った息をエコノミックに使う事だけを考えれば良いのです。不自然な事をしない事が一番大切です。

　　具体的な練習方法に移りたいと思いますが、中々上手く書けず、時間も取れず、又堂々巡りをしているようにですが・・・遠慮無く質問してください。ご一緒に考えてまいりましょう。

　舌根が楽な状態、喉が良く開いている状態を感じれるような気がして、生徒に良く"m", "n" や "ng" で柔らかい響き（頭の共鳴）や、息の使い方を実感してもらいます。耳鼻咽喉科で声帯を見てもらう時ほど極端でなくても良いですが、舌を丸くし、手前に出す事で、喉の開いている感じを実感することが出来ると思います。舌根、喉、首は固くしてはいけないのです。恐らく声楽家、声楽教師全員が固くして良いとは言わないでしょうが、首に青筋を立てたり、悲惨な顔をして歌っている人は結構見かけます。先ず舌根のマッサージをして柔らかさを取り戻すのです。舌の先を下の歯茎にしっかりつけて舌の奥を丸く前に出し、舌の両脇が上の奥歯をこするようにNga, nge, ngi, ngo, ngu、と発音します。アッカンべーをしたときのように舌を出してMa, me, mi, mo, mu、（o, uは舌が出ませんが舌の先は前歯に付けておきます。a, e, i は舌をだらっと垂れ下げます。）　Na, ne, ni, no, nu（下顎を動かさずに舌だけを動かして、舌の先を上の歯茎につけてNを発音します。）、と柔らかく喋る事から始めて下さい！舌はあくまでもダラーっとした感じで出来るだけ前に出します。舌根を固くしない事！咽喉仏の周りを固くしない事！首筋を固くしない事！だけではなく、総てのからだの器官をより柔軟にする事が大切です。