2005.9.29 掲載

発声について考える (8)
呼吸法とは何か?

 少々時期外れになりましたが、昨年の11月にNHK学校合唱コンクールを少しだけ聴き非常に驚いた事がありましたので書きます。(NHK云々でもその事を書き、私のHPに掲載していますが)先ず驚いた事は練習風景が放映され、殆どが1、2年先輩の指導による腹筋を鍛える、腹筋を使える様にすると称して、ボクサーのための腹筋運動をしている事です。( ボクシングに少し詳しい人の話しによると、その鍛え方は正しくないと言う事も耳にしましたので、書き加えます。腹筋を固くしてはマイナスにしかならないので、そんなことはしないとのことです。)
 [100%のヴォイストレーナーがしているとは決して言いませんが、ヴォイストレーナーと称する人の中では間違った方法を教えている人が結構多いのではないでしょうか?呼吸法でも全く同じことが言えるようです。]

 言い方を変えて言うと、腹筋を不自然に堅くする訓練をさせているのです。ボクサーはボディーを打たれた時に内臓にダメージを受けないように瞬時に緊張させて(弾力を持って張らせて)防衛しなければならないのだろうと思っていたのです。その方法のうわべだけで訓練しては、勿論のこと声楽を勉強する者にとってはマイナスにしかならないにもかかわらず、それをさせる事をトレーナーがしているのです。全く不幸なことで身に付くのは不自然さだけなのです。

 我々声楽家は腹筋を堅くする事は絶対に避けなければならないのです。常に柔軟な筋肉を保つ事が大切なのです。逆な事をしては一大事で、将来が真っ暗になってしまうのです。

 私は腹筋を鍛えなさいと言う事は誰からも、どの先生からも一切言われていませんし、私の先生のヘッサート女史(Ria von Hessert 教授)は声楽の勉強をはじめた時に「支え」のことを言われて、お腹をすっかり固くして声が出なくなってしまい、先生を変えてお腹の弾力を取り戻したとの事で、指導の際に決して「支え」と言う言葉を我々には使いませんでした。私はヴィーンではじめてStutze「支え」と言う言葉を知った次第です。

 またグロスマン先生は声はお腹から湧上るような感じで、出すので、喉で出すのではないと言うような言い方で指導をされていました。息は貰って出すように、押して出してはいけない、などドイツ語では「ziehen しなさい!stossenは駄目!」と良く云っておられました。それは僕の最初の恩師庄司りゑ先生の指導と全く同じでした。しかしグロスマン先生と同門の日本人でziehenを声を呑み込むと思い違いをした人は結構いました。息を出来るだけ少なくして声帯をきめ細かく振動させる事が大切なのです。あくまでも不自然な事はしないのです。  

今から30数年前のヴィーン少年合唱団の歌声と、ここ20数年以降の同合唱団の歌声に違いを感じている人はいますか?僕は1970年以降年々綺麗ではなくなってきていると思っています。最近では聴く気がしません。何が原因でしょうか?ヴィーンの国立オペラ座がヴィーン少年合唱団を使わないと言い出し、大騒ぎになった事が数年前にありましたが、当然なことだと僕は思いました。一言で言えば指導者の問題です。(今年[2004年3月]Hofkapelleで聴いて良くなったとの話も聞きましたが)

 かつて高校時代に、仰向けに寝てバスケットのボウルをお腹にぶつけられたという学生が僕の門下に廻ってきて驚いた事がありました。本人は腹筋を使い横隔膜をよく使っていると錯覚して、使っているつもりなのですが、音程はぶら下がるし、伸ばす声は極端にぶら下がってしまうのです。一度間違うと筋肉に悪い癖が付き取り返しが付かない事になってしまうのです。我々は良い癖だけをつける努力が必要なのです。

 シュヴァルツコップさんが「最初の先生で声が出なくなり、声楽の勉強を諦めて事務員になった。」と話してくれたことがありました。暫らくしてから、ある知人が彼女の声を聴き、無理やり当時の大声楽教師のイヴォーギン先生の所につれて行き、彼女の正しい勉強が始まったそうです。その後の彼女の事は皆さんご存知と思いますが、私は私の学生に彼女の1960年以前のLPなどを聞く事を薦めています。年と共に昔の悪い癖が顔を出すように僕は思える時があるのです。先日も僕の生徒が「シュヴァルツコップさんもすごく綺麗に歌った時があるのですね。」と言っていましたが、すばらしい発声をしていた時代と、そうでない時代があると僕は思っています。僕は実際にその両方を聴いていますし、彼女の最後の東京での「告別演奏会」の翌日お会いしたときに、彼女が「Alte Dameの歌を聴いて貴方はentsetzenしたでしょう?」と尋ねられて赤裸々な彼女にびっくりしたことがありました。

 自己批判、謙虚さ、それが彼女を芸術家にしているのでしょう。  前にも書きましたが所謂正しくお腹を使って声(泣き声)を出している赤ちゃんの腹筋はどのように鍛えられているのでしょうか?赤ちゃんには腹筋に限らず、殆どの筋肉はついていません。勿論の事まだ筋肉を全く使っていないのですから、当たり前で、ついている訳は無いのですが、泣く時には正しく横隔膜を使い2mm程しかない声帯を振動させて大きな、伸びの有る、良く響く声を出しているのです。

 逆の言い方をすると、先生がお腹の正しい使い方、客観的な方法を教えないで「お腹を使って」、「横隔膜を使いなさい!」、「腹筋を鍛えて!」とだけ言って、生徒がボクサーを想定してボディーを攻撃された時のように瞬時にお腹をガンガンに固くしては、出てくる声は全く固い、伸びのない、音程の定まらない声になります。そのような学生を私は残念な事に何人も聴いています。お腹を固くすると、当然の事ながら首、喉や声帯まで固くしてしまい、不自然な声しか出ないのですが、客観的に気持ちの悪い声を出しているという事が御本人には分らないようです。だからこそ人前で歌えるのでしょうが。

 小さな部屋では大きく聴こえ、少し大きな部屋やホールで歌うと小さく聞こえる声は出し方(方法)を間違えていると言うことなのです。発声法が間違っていると言うことです。「声が飛んでいる」という言い方をする人々がいますが、声は飛ぶのではなく伸びて行くのだと僕は言っています。頭の共鳴を大切にすれば伸びのある声になるのだと思います。伸びのある声を出さなければ、われわれが表現しようとした心が客席には伝わらないのです。

 先日の学校合唱コンクールでも総体的に小学生より中学生、中学生より高校生の声が良くなくなっているのです。より悪く、より不自然になっているのです。本来は逆でなければならないでしょう。しかし結果は逆なのです。

 大学入学時が最高、段々下手になって大学卒業では困るのです。もっとひどくなって大学院終了ではもっと困るのですが、それに似たことがわが国では行われているのです。

 大学で入学試験の時や1年次には素直な伸びの有る声を持っていた学生が、3、4年次にはひどい癖が付き言葉が全く聞き取れなく、喚いているようになっている例が結構多く見受けられるのです。勿論責任は先生に有るのですが、教師側がお互いに考え話し合う雰囲気は日本に無いようです。全く不思議な閉鎖社会なのです。プライドが有り過ぎるのか、無さ過ぎるのかどちらでしょう?学生の事を第一に考えて、教師全体で良い方向を見出さなければならないはずですが、生徒が教師の変更を望んでも変わることの出来ない大学もあるやに聞いています。授業料は学生が払っているにもかかわらず。勿論軽薄な理由で教師の変更を望む学生は、よく理由を聞きただす必要はありますが、学生の希望は出来るだけかなえる事が大切だと思います。学生は教師と無理心中することはないのです。