2003.11.5 掲載

発声について考える (7)

 先ず6回にわたって書いた事をもう一度大切な事をまとめてみます。

1) 肉体、特に声帯に無理をさせない発声法をコツコツ身につけること。大学1年時に「川村さんはまだ変声期が完全に終わっていないと思えるので、1年間は絶対に無理に声を出してはいけませんよ!」と大学で最初に師事した庄司先生に注意されて無理をしないように気を配った事が、僕を今日あらしめたと思っています。世界的な大歌手で20代半ばから歌を始めた人が結構いるのは、遅く始めることの利点を示していると思います。私が声楽の勉強をしようと考えたのは今で言えば高3の秋11月の末です。12月に入っていたかもしれません。それほど遅くに始めたのです。でもレコードで多くの外国の歌手、例えばシュルスヌス、ジーリ、ビヨルリンク、ドゥーハン、カルーソー、キプニスなどを聴いた記憶が残っています。因にヒュッシュのレコードは家には1枚もありませんでした。

2)  呼吸法は赤ん坊を見習って弾力のある横隔膜の働きをコツコツ身につけること。「急いては事を仕損じる」の典型も呼吸法です。毎日朝晩布団の中でうつ伏せになり深く息を吸い、吐く事を正しく、自然に覚えます。ヴィオリンのボーイングと同じように時間をかけて練習しなければ、身に付きません。それは私の場合だけでしょうか?でも音大1年時に根気良く練習したお蔭でそれ以後呼吸について注意された事はありません。ベルリンで習った盲目のM. von Winterfeld先生には「貴方は生まれつき呼吸法が身に付いているようですが、学生は必ずしも身に付いていませんので、気をつけて教えてください」と助言された事がありましたが、自分自身生まれつきとは思っていませんし、庄司先生のご指導が良かったと思っております。

3) 体が楽器の我々は、良い楽器を作る努力が必要です。ヴァイオリンの本体と弦とどちらが大切で、高価でしょう。弦も良い物が良いのですが、値段はそんなに違わないでしょう。声帯も良い声帯は有り難いですが、体が貧弱では、宝の持ち腐れです。良く響く、響きやすい肉体を作る事です。身体を動かす事が必要で、スポーツでもアウトドア・スポーツでも自然を満喫しながら心身ともに鍛えることで、より良い楽器が出来あがるでしょう。できるだけ少ないエネルギーで最大の効果をあげる事はスポーツだけの問題ではありません。「歌の勉強とは、如何に歌わないで良い歌を歌うかという事を学ぶ事なのだ!」とはヴィーン時代に良く聞いた言葉です。

4) 洋楽で求められている正しい音を良くイメージする事。良い目標を持つ事です。洋楽で求められている良い音とはどのような音でしょう。その目標が少しでも違っていれば目的とするものが違ってしまうのです。声楽に限らず、オーケストラでも弦楽器でも管楽器でも、総てに共通する洋楽の良い音があると思います。私は初心者には、西洋の声楽以外の良い演奏を聴かせる事を勧めています。それゆえに声楽家を親に持つ学生に「人間として親を尊敬する事は大切ですが、音楽家として親を尊敬したのでは親を超えられない!」、「記録は破られるために存在するもので、先輩を超えて始めて良い後輩と言えるのです。」、「私も人間として親を大変尊敬していますが、音楽家としては超える事が出来た。」と思っています。

5) 本当に良い歌は若くては歌えません。年輪を重ねる事が大切です。40才過ぎて本当に良い歌が歌えるのではないでしょうか。若気のいたりで無理に声を出さないことが大切ですが、その反対を当たり前と思っている若者が多いのが日本の声楽界の現状で、音楽の分野で最も国際化に遅れているのは、声楽と評論ではないでしょうか。「若いうちしか声は出ない」と思うこと、そのこと事態が間違いなのです。40代50代で良い歌を歌うつもりで勉強しなければ本当の良い歌は歌えません。

 先ず呼吸法について再度考えたいと思います。

 私が不思議に思うことは、良く耳にしますが、腹式呼吸で深く息を吸って!さあ声を出しますからお腹を引いて!と言う言い方です。私が師事した数人の先生でお腹を引くようにと表現した先生は一人もおられませんでした。お腹を引いては横隔膜が上がってしまい、良く支えることは出来ませんし、勿論息は浅くなってしまいます。お腹の周りが弾力のあるゴムマリのように弾力を持って張っていなければ良い支えは出来ないのです。意識して固くしたり、反対に腑抜けさせては問題外です。

 我々が横隔膜をいかに日常無意識で使っているかを考えてください。横隔膜をもし使わないで咳などしたら、どれだけ肋骨に負担をかけるか、考えてことがありますか?30Kgや40Kgのリュックサックを背負う時にどれだけ腰とお腹を使うか実際に背負ってみてください。この場合にお腹は張る事はしますが、引っ込む事はしません。同様の事は山などでエコーを聞こうと声を出すときです。お腹を引っ込めますか?丹田に力をこめると申しますが、丹田をどっしりさせた感じが大切です。何事も腰が据わっていることが大切です。

 ヴァイオリンのボーイングと同様で繊細な声帯の振動は少ない息で得る事が出来ますし、長いフレーズも歌う事が可能です。息が続かない、長いフレーズが歌えないのは殆ど支えが悪い事が原因です。息の無駄使いをしているのです。支えを良くする事も一朝一夕には出来ません。慌てずに時間をかけて覚え、身に付けるのです。

 弦楽器の弦は何度でも買い換えられますが、声帯は交換が出来ません。壊さない様に気を付けてください。ある音楽高校の生徒から「私の学年でポリープが出来ないのは私だけですが、勉強の仕方が悪いのでしょうか?」と尋ねられました。「ポリープが出来る方が異常なのですよ!」と言うとホッとしていましたが、高校時代にここまで狂ってしまっては困るだけではなく、罪悪でしかありません。そんな教師を多く抱えている学校には慰謝料を請求したいほどです。

 日本の音楽大学の半分が潰れる時代が来ると、勉強方法も正常になるのではないでしょうか?4年間間違った事を教えられて、高い授業料を払わせられたのならば、先生を訴えて大学から慰謝料を取る裁判を起こすべきだ!と言った外人教師がいました。一生を台無しにされたのですから当然であり、私も同感です。

 私が「デモ、シカ音大生」と呼ぶ学生が20数年前から出現しています。50年前の「デモ、シカ教師」と同意語です。しかし40数年前(留学前)に私の後輩の数人に対して或る外人教師が「教師と言う者は才能のない音楽学生を懇々と説得して、勉強を諦めさせるのも役目の一つで、全然ものにならないと分っていながらレッスン代を巻き上げるのは許せない!」と怒っている所に居合わせた事があります。

 根本的に日本の教育を考えなければならない問題ですが、日本の親は子供の将来を本当に考えているのでしょうか?どうでも良い大学に行くより前に大切な事があるのではないでしょうか?私の次男と三男は高校卒です。本人の意思で大学には行きませんでした。

 日本の大学では学生の将来や教育内容の充実より、大学経営(学校法人が儲ける為)だけが大切で、学生の顔が札束にしか見えない学校経営者が結構いるのではないでしょうか?勿論そのような大学は衰退の一歩をたどるだけですし、音楽科の潰れた所も既にあります。残念な事に経営状況がひどくなるまで気が付かない経営者が多いようです。教育事業をしているのであり、学校法人を食い物にしかしていないのです。文化省は教育の現場を全然わかっていないと言っても過言ではないでしょう。机上の空論で総てを運んでいるのです。しかも全く無責任です。それゆえに教育を受ける側が悧巧にならなければなりません。先ず親が悧巧にならなければ話になりません!千何百万円も4年間に注込んで子供を失業への道を歩ませるために大学に行かせるなど、親の愛情ではありません。見栄だけです!惨めなのは子供です。

 いささか脱線しましたが、音楽教育の内容でも、学校の雰囲気が狂ってしまっている正常でない学校、大学が沢山あるということですので、正しい声と正しくない声の区別さえつかない学生や教師が多くなっているのが現状でしょう。気を付けなければなりません。

 私が中等教育を受けるために通っていた時代の旧制中学校の数と現在の大学(新制大学)数では現在の大学の方がずっと多いでしょう。40数年前に駅弁大学と言い、駅弁を売っている駅には大学が出来たと笑ったものですが、現状はそれよりも多いでしょう。大学生の学力が落ちた、落ちたと嘆く人がいますが、その前に何故大学教師の学力が落ちたと嘆かないのでしょう!大学設置委員会などは道路公団と同じなのではないでしょうか?大学と文化省批判はこの辺で止めておきます。いずれ教育について考えたいと思います。

 本当に良い勉強をするためには正しい目標を持つ事です。そのための努力を受験前にして欲しいものです。先生を選ぶのも才能のうちと言った有名な声楽の先生が居りましたが、正しい目標を持っていればそれが可能になります。どんな声が美しい綺麗な声(響き)でどんな声が正しくない響きなのか、自分で見極めなければなりません。色々な歌手の歌を聞き比べる事です。欧米の素晴らしい演奏者の生の演奏を多く聴く事です。正しいと思った先生は100%信頼して先生の梯子(渡り歩かない)をしない事です。外国に留学してまで先生を渡り歩いて、おだててくれる無責任な先生を捜している人もいるようです。正直に注意をしてくれる先生を自分に合わない先生と思ってしまう留学生もいるようです。本当に勉強に行ったのか、無責任なおだてを望んで留学したのか分らない留学生が多いのは事実です。勉強にとっては悲劇ですが、本人には気持ちが良く、耳障りが良いのでしょう。日本人ずれした先生が現在は外国にいるように思います。自分のお金を使うのですから余計な心配ですが、どうせ使うなら良い方に使って欲しいとも思うのです。

 

 良く「喉を開けなさい」とどの先生も言いますが、どのようすれば喉が開けられると考えますか?どのようにしたら喉が開くと思いますか?声帯は綺麗に合わさる事で微妙な振動を得る事が出来ます。ヨーロッパで言う所のDick(太い)な声が日本には残念ながら多いのです。それは無理に左右に(喉を左右に)開けようという意識が働くからであると思います。従って声帯が半開きの状態になってしまいますので、綺麗に声帯が振動しなくなってしまいます。伸びの無いボケた声になり息も無駄になります。

 喉はdünn に(オーストリア)とか schlank(ドイツ)に開けるようにと言います。しかし日本では開ける(offen)ようにと思うとdickにし、dünnまたはschlankにしようと思えばengにする先生や学生が多いのです。いずれにしろ声帯に負担を掛けないで綺麗な振動をさせるためには、息のコントロールが大切です。声帯を固くしないためにも支えが必要なのです。息が多くなると必然的に声帯は固くなりますので。ヴァィオリンで運弓法(ボーイング)に気を配り時間を掛けるのと同じに、我々も細心の注意を働かせて息と声帯の関係を自分の耳で聴きながら感じてゆかねば、総ての方向が間違ってしまうのです。

 

 ポリープが出来たら何故出来たのか原因を考え、二度と結節させないように気をつけなければなりません。風邪などの時に無理をして出来てしまった時は小さな声で喋り、出きるだけ声を出さないようにして自然に直すのが一番良い方法です。しかし多くの場合は発声の問題でポリープを作ってしまうようです。この場合には先生を変えて根本から正しい発声法を会得する以外に直りようは無いでしょう。医学的に直っても同じ事の繰り返しになってしまいます。Dickな声を出すとポリープは出来やすいように思います。

 

 僕はポリープを作ったことはありませんが、声が出なくなった経験があります。ヴィーン留学中に演奏会の3、4日前の日曜日に宮廷礼拝堂(Hofkapelle)でBrucknerの f-moll のミサ曲のバスソロを歌う事になっていました。その日の7時に目を覚ましたら声が出ないのです。風邪を引いたわけではないのです。9時からのミサで歌うのですから、突然の事で代わりを探すわけにはいきませんでした。指揮はFerdinand Grossmann先生で、どうしようかと尋ねた所「君なら歌えるから大丈夫!」との事なので少々神経を使いましたが、まあまあに歌い終えました。その後「うんともすんとも」全然声が出なくなりGrossmann先生に紹介されたのがDr. Alfred Poell さんでした。彼は当時ヴィーンの3羽ガラスと言われた耳鼻咽喉(音声)科の名医で、しかも国立オペラ座の名バリトンでした。1951年にHessert先生が2ヶ月ほどドイツに帰られたことがあり、その土産話に感激した声楽家としてFischer-DieskauさんとPoellさんの話があり、楽しみにして診察を受けたのでした。歌う方が忙しかったために特別な人しか診ないそうでしたが、幸いな事に診て頂きました。彼曰く「どうしても歌いたいのなら歌えるように直してあげるけれど、将来を考えたら自然に直す事の方が良いですよ。」との事でした。覚悟を決めて演奏会はキャンセルしてPoellさんのおっしゃるとおりにしました。薬は全く使わずにスイス製のオイルを喉にたらし後はワインのシップを喉にしました。2週間ほどで完全に直りましたが、大変に貴重な経験でした。銀座のヤマハで彼が歌ったWolf歌曲のLPを偶然見つけて持っていた事で名前を良く知っていました。

 

 我々は皆同じように呼吸をしています。特に生まれた時は全く同じであったと思います。全くInternationalな呼吸であると思います。泣き方も同様でしょう!手本は赤ちゃんです。