2003.3.02 掲載

発声について考える (6)

 

 「自然な、無理をしていない声を出さなければ」とおそらくどの先生でも口にすると思います。そしてまた「不自然に、喉をつめて、固くして歌いなさい!」と言う先生はいないでしょう。しかしいざその先生の歌声を聴いてみるとかなり無理な声、ある時には聴いていて苦痛を感じる声、かなり気持ちの悪い声を出しているのにもかかわらずBelcantoで楽に歌っていると思い込んでいる先生には、残念な事に何人も出会いました。そういう先生には勿論僕は師事しませんが。

自分が出しているのと同じような声を正しい声と思いこんで、生徒に教えるのです。生徒は先生の言う事を信じていますから、そこから悲劇は始まります。何はともあれ我々は先ず客観的に第三者として正しく声と表現を聴く癖をつけなければならないのです。

或る後輩にこんなメールを貰いました。知り合いの学生についての感想でした。

 『私から見れば真面目で前向きで、良く頑張っています。先日私が聴いた学生達でも、怠けているのではないと思うのです。「いい加減な勉強をしよう」と思っている訳ではなく、何かずるい事をしているのでもなく、きっと、少し無知なのだと思います。
 Ocker先生のように、声そのものに豊かな表情を持たせたり、言葉の発音ひとつひとつに感情をこめるという表現に出会ったことがないから、知らないだけなのではないでしょうか?川村先生がいつもおっしゃるように、音大の先生がそういう表現を示せないのかもしれませんし川村先生や野口先生の指導を受けていない彼らにはそういう演奏と出会うこと自体、とても難しいのかもしれません。
 彼らは、私と同じように自分が出会った先生を信頼し良い勉強と信じて頑張っているだけなのだという気がしてしまうのです。私と違う点があるとすれば、まずとても運が悪く、それゆえに少し無知なだけではないでしょうか?彼らを「程度が低い」とか「勘違いしている」とけちょんけちょんに言ってしまうのは簡単ですが、私は「彼らもきっと一生懸命やっているんだろうになぁ」と思うと残念でならないのです。
是非Ocker先生の音楽にふれてもらいたいと思った次第です。彼女も何か感じ取ってくれることでしょう。』

 先生を選ぶのは自分自身なのです。自分の感性で選ばなければなりません。そこで『先生を選ぶのも才能のうち』と発言する先生が出現するのです。僕は運良く常に特別良い先生に巡り会いました。それは偶然かも知れませんが、しかし僕は洋楽で求めている音と声についての理想像は歌の勉強をはじめるずーっと前から持っていたように思います。(前にも書きましたが、特に僕を将来立派な声楽家にしようと思っての事では全く無い父親が、何気なく買って来て聞かせてくれたレコードが、ヨーロッパの素晴しい歌い手達だったことが、既に僕の耳を正しい方へ導いていたことは確かでしょう。)従ってその信念を通して先生を選びました。またある時には師事していた先生のテクニックに関する発言に批判的になった事で離れていきました。

 今までに師事した先生を列挙致します。(Professorと敬称略)

音大入学までは全くと言って良いほど独学で、受験まではChorübungenやConcone等は父が少々見てくれました。

庄司りゑ  1949年4月から1年間、1951年の数ヶ月帰国中のヘッサート先生の補講もありました。(声楽全般)

Ria von Hessert 1950年4月から1957年10月留学するまで(声楽全般)

Adolf Vogel  1957年10月から1960年6月までヴィーンアカデミーで(発声)

Dr. Erik Werba  1957年10月から1962年3月まではアカデミーで学生として、それ以降は個人的におなくなりになられるまで。(Lied解釈)

Josef Witt  1958年10月から1960年6月まで(オペラ科)

Hans Duhan 1959年10月から1960年6月まで(オペラ科)

Ferdinand Grossmann  1959年10月から1970年春(プライベートで発声、オラトリオ)

Margarete von Winterfeld  1958年4月と1960年Berlin滞在中に(発声)

Wolfgang Steinbrueck 1973年10月からお亡くなりになるまで20年以上(発声)

その他に練習伴奏者(Korrepetitor)として一番お世話になったのが

Dr. Elisabeth Pohl   1957年10月からアカデミーで卒業後はおなくなりになる1年前までヴィーン滞在中お付き合いいただきました。約30年のお付き合いでした。

Mimi Fleissler 1957年10月から1060年6月までVogel先生の元で

Hermann Nordberg  1058年10月から1960年6月まで(オペラ科在学中)

Guido Binkau  1958年10月から1960年6月まで(オペラ科在学中)

この先生の経歴はここでは触れませんが、Bruno Walterの下で副指揮者をしていた方など全員素晴らしい方々でした。僕の音楽生活に非常に多くの影響を与えてくださったのでした。

次に伴奏を弾いてくださった方々の名前を挙げます。

Erik Werba, Gerald Moore, Guenther Weissenborn, Hermann Reutter, Jeoffrey Paesons, Paul Hamburger, Aribert Reimann, Michel Isdor, Graham Johnson, Mack Jost, Lennart Loennlund、Rainer Hoffmann, Robert Hiller, Hartmut Hoell, Christian de Bruyn u.a.

日本人では 小林道夫、木村潤二、大場俊一、青山三郎、三浦洋一、星野明子、酒匂 淳、平島誠也と何度も一緒に演奏しました。

指揮者も色々の方としましたが、古いプログラムが紛失してしまい、伴奏者もそうですがどうしても思い出せない方、忘れている方々がいると思います。失礼はお許し下さい。

いかに恵まれた音楽生活を送る事が出来たかを思い、全てに感謝したい気持ちで一杯す。

僕が勉強し、演奏を始めた頃の伴奏者として二大巨匠はErik Werba先生とGerald Mooreさんのお二人が飛び抜けた存在だと思っていました。お二人の思い出については別の機会に書きたいと思いますが、僕に非常に多くの影響を与えてくださいました。

 先生や共演者を選ぶのは結局自分ですから、運もあると思いますが、自分をひたすら磨いておく事が大切でしょう。良く磨いていれば光るのです。何度も言うように我々は『質』で勝負するのです。『量』ではありません。その為にはコツコツ目先に追われずに自分は『大器晩成』と決めこみ、『器用貧乏』にならない努力も必要でしょう。

ある生徒が親に「道楽をしている」といわれて頭に来た!と言っていましたので「道楽と思ってくれて良かったではないですか。僕は『勉強は道楽だ』と思っているよ。」と言いました。歌が好きだから少しでも思うように歌える喜びの為にコツコツお金をつぎ込むのです。それで稼げるかどうかは他人が決める事です。

ヘルマン・ロイター先生がある声楽家とピアニスト夫婦に「音楽家は自分で自分の宣伝をする物ではない!人が認めてくれるまで自分を売らない事だ!」とおっしゃっていました。『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』とばかりに宣伝をし、聴きに来てくれた聴衆をがっかりさせている演奏家はどれだけ多いでしょう。1回聴いたら2度と聴きたくない演奏家も存在します。レコード美人と言われる人達です。

またまた横道にそれましたが、我々の身体に良い癖をつける事はアジア人にとって結構大変な事だと思います。BS放送で中国語を聴くと、何となく支えが浅い感じがしますし、北朝鮮のニュ−スを聴くと固く押さえて話していると感じた人はいるでしょう。昔の大本営発表です。イタリア語、英語、ドイツ語の放送講座を聞いて外人と日本人の講師とで響きに違いがあるのを感じませんか?洋楽で求めている音、声の違いを聞分けてそこから出発しなければならないのです。

特に歌では詩の意味が大切です。僕は初心者には、意味のわからないイタリア歌曲を最初には与えません。言葉の意味がわからないで声を出す事でどれだけ多くの才能のある、良い声帯を持った若者が正しくない道を歩むでしょう。声だけ出れば良いと『質より量』の世界に入り込んでいるのです。意味を分からずに "Caro mio ben"では困ってしまうのです。mioを「妙=みょ〜」と歌っては困りますし。

2002年11月19日オッカー先生に「発声について」約2時間話していただきました。いずれ「川村門下会ニュース」で話の内容を掲載したいと思っておりますが、先生も僕と同意見です。長い人生慌ててはいけないのです。声楽家になりたい人にとって大学は幼稚園のような所です。素人とプロの違いを明確にしたいものです。

 正しい呼吸法が感じられるようになったら、響かせる子音(klingende Konzonante)[l, m, n, ng] を喉を楽にして良く響かせてみます、勿論音程は考えずに、響かせやすい高さで響かせます。サイレンのように上下させるのも良いのですが、最初に音程をつけてはいけません。あくまでもサイレンのようにします。

楽な喉でそれらの子音に母音をつけて喋る事を薦めます。例えば母音に順序はa - e - i -o - u - ä - ö - ü - äu[eu] - ai[ei] - au の前に前述の子音をつけて話して見ます。勿論長母音で発音するか、短母音で練習するかによって母音の発音記号は変わってきますので口の開け方に留意しなければなりません。僕が編集した楽譜(Mozart歌曲集, Beethoven歌曲集, Wolf 歌曲選集全4巻)の巻末に詳しく『歌唱のための発音』と題して書きましたので参照してください。カナを振ってある楽譜が存在しますが、何を考えているのでしょう。全くの素人向けならともかく、編集者、出版社の神経を疑います。

正しい発音、正しい解釈をすることで、表現は正しく楽にも歌えるのです。初心者は母国語で気楽に歌える歌から感情移入をして声を出す事をしなければなりません。心で良く感じていれば、それに相応しい声で表現しようとするのは動物の本能でしょう。歌も同じです。

また我々は急に上手くなることなど決してありません。こつこつ正しい筋肉の使い方を覚えるのです。無理に頑張ったりしては直ぐ双六の「振り出しに戻れ」になってしまうのです。「急がば回れ」と良く言いますが、我々は肝に銘じておかなければなりません。

La−とかNa−で出しやすい高さで歌ってみますが2度、3度高くしたり低くしたりして響きに変化が無いようにしてメロディーをつけてみます。柔らかな響きが大切で、パバロッティのように固い響きは僕は嫌いです。しかし我々の手本になるようなテノールでもバリトンでもソプラノでもアルトでもお手本は幾らでも居ますので耳を養ってください。4年間「発声」しか大学で教えてもらえないと言う国もあると聞いています。我々は正しい事を身につけるために忍耐強くならなければなりません。基礎がしっかりしていれば高い建築ができるのです。基礎に時間をかけた者が最後に笑えるのです。

「声は若い内しか出ない!」と言う人が居ますが、完全に間違った考えです。心身ともに成熟してはじめて本当の良い歌が歌えるのです。僕が大学卒業時に「45才から55才の10年間に最高の歌を歌いたい」と夢を持ったのはその理由です。人それぞれ夢があるでしょうが、中年後に良い歌を歌える人がどんどん増えて欲しいものです。その為にも20歳代であせらないことです。勿論ハイティーンでは絶対大きな歌は歌わないことです。声帯、喉の周りを固くする事で一生が台無しになってしまいます。声に無理をしなければ入学できない大学は志望しない事です。権威に囚われてはいけないのです。「入学時が最高!段々下手になって卒業」では困るのです。年々良くなるのでなければ大学に入る意味もなければ、生きている意味もないのではないでしょうか。

口は楽に開いていなければなりませんのでwa -la - wa - la - wa - la - wa - la - wa とdo-re-mi-fa-sol-fa-mi-re-doの音程で良く口を開けながら歌ってみることも、顎の固さをとるための練習としては良いでしょう。舌根の固さを取る為には bra - bre - bri - bro - bru とsol-fa-mi-re-do音程をつけて歌ってみるのです。柔らかく巻き舌を発音すると喉仏が少し上がります。その方が良いのです。喉仏を無理やり下げて固定させる人が居ますが、筋肉を固くしなければそんな芸当は出来ないのです。全く不自然な事です。喉仏の周りの筋肉は柔らかにしなければ綺麗な、肌理(きめ)細かな振動は得られません。

少し弱く歌おうと思うと息漏れの音が聞こえたり、カサカサするのは声帯が柔軟ではなく固くなっている証拠です。いつまでも柔らかで伸びのある響きで歌いたいものです。