2002.11.20 掲載

発声について考える (5)

 

恩師グロスマン先生が発声法について執筆を依頼されると、「1対1でも中々思うようにならない発声の仕方を万人が分るようにと文章で書くことは出来ない」と言って断っているのを目にしたことがあります。「誰にでも共通して言える事は既に何冊も本が出版されているのだから、特に私が書く必要もないし!」とも言っておられました。僕も基本的には同様な考えですが、昨今の日本の状況を見ると「心を割って声について議論する必要があるのでは?」と思うのです。僕は現在72才と5ヶ月です。大学卒業時の夢は「45才から55才の10年間を自分の最高の時期にしたい」ということでした。55才できっぱり歌うのは止めにしようとも思っていたのですが、いまだに歌いつづけています。

そのきっかけは10年ほど前に80才のカミーユ・モラーヌさんの歌を5月に聴き、69才のクラウス・オッカーさんの歌を11月に聴く機会があったためです。80才で歌えるなんて、どんな声で歌うのだろうかという、どちらかといえば意地悪な好奇心から、絶対に聴かねばと家内と一緒に出掛けました。案に相違して、何故80才でこんなに若々しい声で歌うことができ、肉体の老化より声帯の老化が少ない状態を保てるのかと驚きました。その数日後の公開講座の後のパーティーでモラーヌさんに直接「どのような身体の訓練をしていますか?」と尋ねると「スポーツは何でもします。特に毎日よく歩きます。」との返事が返ってきました。半年後に今度は69才のバリトン歌手オッカー先生を聴きました。またまた「何故声帯がこんなに老化しないの?」と不思議になりました。以後オッカー先生とは友人としてお付き合いいただいています。

国立ヴィーン・オペラ座のソリストの定年は60才です。合唱は65才が定年ですが、60才まではしっかりソロが歌えるのが当たり前というわけですが、(僕の先生のA.Vogel教授も60才までオペラ座で歌っておられました)日本人の歌い手は結構寿命が短いのが普通だと思っていました。お二人を聴く機会があった結果として、大いに力づけられて、それではもう少し自分を試してみたいと思うようになり、歌い続けているわけです。

また僕の経験などを書くことで少しでも若い人のプラスになればと思い、また率直に忌憚のない意見を述べあって「発声について」議論できれば、声楽界によりプラスになるのではないかと思い、このテーマで書き始めたわけです。

前述のオッカー先生はただ今来日中で、11月17日の日曜日午後5時から京都岡崎路の聖マリア教会でシューベルトの『美しき水車小屋の娘』を歌われました。(オッカー先生は11月25日に津田ホールの日本声楽発声学会のコンサートで歌われます。私も出演いたします。また12月5日にも津田ホールに於いて日本フーゴー・ヴォルフ協会の例会で歌われます。どちらのチケットも私の所にありますので、ご希望の方はご連絡下さい。多くの方々にお聴き頂ければ幸いです。また21日には代官山のヒルサイドテラス内のホールでリサイタルをされます。)

79才のオッカー先生は2年前に癌の手術をされましたが、11月17日に京都で歌われた『美しき水車小屋の娘』を拝聴し、以前にも増して健康な、若々しい声で歌われて、私は大変感激いたしました。シューベルトが作曲しなかった3つの詩は自ら朗読され、プロローグとエピローグも朗読されました。先生の年齢を全く考えなくとも素晴らしい演奏でした。無理の無い発声がいかに人間を老化させないで歌えるのかを実際に実行されている先生には脱帽です。少しでも真似をしたいものです。

歌の勉強は決して楽な事ではないでしょう。しかし歌に限らずどの道でも極める事、極めたい欲望は同様だと思うのです。好きだから他人には苦労に見える事でも、喜びとして自分を磨くことが出来る人だけが専門家になれば良いのです。才能があるか、無いかより、好きか嫌いか、極めたいという情熱が大切だと思います。

身体に良い癖を付ける練習が発声法だと思います。条件反射は『犬が涎を出す』だけではないのです。声を出そうと思った時に、身体が心でイメージしたその曲に一番相応しい声を出す状態に、自然に無意識で準備が整うような良い癖をつける事だと思います。日頃何処の筋肉も固くしないようにして声を出して歌う事。共鳴器官を弾力のある張った状態を保てるようにすること。曲の部分部分で一番相応しい表情が出来るように顔面も硬くしないで表情豊にすることなど、極力固さを取り除く訓練をしなければなりません。喉、舌などの固さは勿論の事取り除かねばなりません。それを取り除かないと団子声になってしまうのです。

前回の続きになりますが腹筋も固くしてはマイナスです。弾力のあるお腹を保つ事が必要なのですが、意識をすればするほど固くするのです。

お腹に限らず、何処も固くしない事、特に声帯の回りは絶対固くしません。ケールコップ(Kehlkopf)を下げない事も大切です。そのためにどのような訓練が必要か考える事です。意識して無意識の状態を身につけること、意識して自然を保つ事などが最も大切な課題です。発声器官は全て本人には見えません。耳で、全身の感覚で感じ取るために初めの先生が大切であると思います。

またスポーツをする事で筋肉の感覚はかなり敏感に、また使いやすくなると思いますので身体を動かす事は積極的にすべきだと思います。私は中学2年から4年まで戦中戦後の勤労動員で鍛えられました。禄に食べる物も無い時に戦争に勝つためにと心身を粉にして働いたのです。その時に筋肉を鍛えた事が、現在の私の歌のための筋肉に多大な影響を与えてくれていると確信しています。腰をどっしりさせる事。深く息を吸い支える事など、勤労動員のお陰と思っていますので、若い男子学生には「アルバイトは土方をしてこい!」と勧めるのです。要領の良い筋肉の使い方を覚えるためには、身体を良く動かす事が大切です。

横隔膜を意識し過ぎてお腹が固くなった学生に歩きながら歌わせると必ず伸びのある声になります。ある時には引きずり回す位にして歩かせると良い結果が出るのです。音を伸ばすと音程がフラットになったり、上ずる人がいますが、これは発声の欠陥からできる現象です。勿論どの音でもぶら下がったり、上ずるのは発声に問題があるからです。差さえを楽にしていないからなのです。

 

良い癖をつけるために何をしなければならないか、客観的に良く考えましょう。次回からは少し具体的に話しを進めたいと思います。

川村 英司