2002.9.24 掲載

発声について考える(3)

 

 前回呼吸の事に少し触れましたが、健康な人は皆腹式呼吸を無意識にしているのではないでしょうか?話をしている時にも自然に腹式呼吸をしていますし、所謂胸式呼吸を普段はしないのが健康人です。

ドイツでの研究によると、会話の際ドイツ人は約500ccの空気を使うと、自然に空気を足しているそうです。

「ところでソプラノが c''' をフォルテで30秒間出し続けて何ccの空気を使うのでしょうか?」というのがオッカー先生が我が家で生徒のために発声の講演をしていただいたときの生徒への質問でした。先生はハンブルグの病院で医者と共同で研究されたそうですが、何とc'''をフォルテで30秒間出し続けて、たった50ccの空気しか使わないですむそうです。

 

我々が学生の頃、寒い日に鏡を口の前において歌い、鏡が曇ったときには息が多過ぎるのだと言われ、またローソクの炎の4〜5センチ前で歌い炎が揺れたら息が多過ぎるのだと言われて、息を少なく歌う練習をしたものです。その頃の「発声法について」と言う本にはどれにでもそのことが記されてあったように記憶しています。しかし最近の本ではその方法は見うけなくなりました。そのような息の使い方は全く基本的な事なのですが、何処かに行ってしまったようです。

しかし昔の方法で勉強したお陰で私は息の無駄使いをしない、長いフレーズを歌える歌手になれました。身体の大きな歌手にも簡単に息では負けませんし、「貴方は息が長い!」とヨーロッパでも言われます。よく外人教師が経済的に息を使うようにと言いますが、当たり前のことが出来ないBell‐canto歌手が日本には多過ぎるようです。「日本音楽コンクール声楽部門」を私は「日本吼えコンクール」と言いますし、もし騒音計で客席の隅で計れば、全く違う結果が出るのではないでしょうか?審査員の耳と○○のせいでしょう。2年ほど前に、久し振りに1位優勝者の演奏会を国立劇場で聞いたときには愕然としました。

 

正しく息を吸う事が出来て、初めて正しく息を吐く事が出来るのです。そして息を出すときに声帯を正しく綺麗に振動させるのです。その振動を、良く開いた喉の響きやすい空間で増幅、共鳴させるのです。ヴァイオリンでもパイプオルガンでもどうすれば綺麗な音が響くのでしょうか。空気が存在していれば振動は伝わるのです。風も強風も必要はないのです。まして声帯に強風を送ってはきめの細かな、綺麗な振動は間違ってもえられません。最小限の息で声帯を振動させなければ美しい響きは得られないのです。吹奏楽器や笹笛など息が多いと綺麗に鳴らないのです。全く同様ですので、声帯に無理な負担をさせないで下さい。

 

訪日された有名な外人声楽教師達が、「25才までVerdiやPucciniなどの大曲を歌わせてはいけません!何故ならば折角の若い才能を台無しにするからです。声帯や喉を固くさせたらお終いです!」と公開講座などで警告しておられるのを何度も聞いています。噂では「入学した時が最高で、段々下手になって卒業」と言われている音楽大学もありますが、若い時に大きな曲を歌わせると結果は見えてしまうのです。喉が固くなってニッチモサッチモいかなくなるのです。ヴァイオリニストに例えれば弓使いが荒っぽくて弦を良く切る人のことでしょう。我々の声帯は買い替えが出来ないので一巻の終わりです。にもかかわらず息で吹き上げるような無理をさせている先生がいるのは困りものです。先生を選ぶのも才能の内と言った人がいますが、確かにそうなのでしょう。運もありますが。

 

私は幸いな事に大学受験寸前まで声楽を勉強しようと思っていなかったこと。幼少の頃より洋楽ばかり、しかも赤盤で聴いていた事。当時の日本人声楽家に非常に批判的であった事。それらがあいまって邦楽の声、または邦楽的な声が私の耳には受け入れがたい感じの声に聞こえる様に育ってしまった事が、本格的な勉強に入った段階から非常にプラスに働いたと思っています。勿論運良く常識的な良い先生達に恵まれた事には大変感謝していますが。

 

「ロックからクラシックまで」と銘打つ歌手もいるようですが、(金儲けには良いでしょうが)、自分を大切にして欲しいナーと思ったりします。良い音楽に長く接していられる喜びは、年を取らないと多分わからないのです。好きだからコツコツと勉強する事に喜びを感じる歌手が多く育つことや彼等を取り巻く環境が良くなる事を祈りたいと思います。

 

呼吸の良いお手本は赤ちゃんです。動物も良いお手本になるでしょう。意識しないから良いのでしょう。

ゆっくり深く息を吸う事、(初めは吸い過ぎない事)そしてゆっくり吐きます。何時も腰はどっしりしている事が大切です。うつ伏せで呼吸練習をする事はとてもプラスになります。横隔膜は1枚の膜ですので、前後左右全部を働かせないと(弾力を持って張る事)、本当に使った事にはなりません。うしろが一番使い難いのですが、うつ伏せにすると背面が動く感じが認識されやすく、自覚する事が出来るのです。うつ伏せで深く息が入るようになったら、歯の先で「s」を良く上あごに響かせるつもりで静かに、出きるだけ長く響かせますが、お腹が硬くなりそうになったら中止して息を全部出します。お腹やみぞおちが固くなりそうな気配を感じたら「s」を発音するのを止めてまた呼吸だけをします。それの繰り返しをゆっくり、勤勉に、長い期間することで、正しい呼吸法が身に付きます。腹式呼吸は動物の原点の呼吸法なのですから難しく考えなくて良いのです。赤ん坊の時は完全に出来ていたのですから、少し考えてゆっくり会得する事はそんなに大変ではないはずです。

 

そもそも発声法と言うのは綺麗な、その人にとって一番魅力的な声を出すための良い癖、正しい癖を付ける練習なのです。良い癖が付けば、所謂「上がろう」とも、「下がろう」とも怖くないのです。歌おうと口をあけたら綺麗な声しか出なくなるのです。そこまで良い癖をつける為に細心の注意を払い良い練習を重ねる事が大切なのです。唖でなければ声楽の勉強が出来るなどとは思わないで下さい。自分の身体を良い楽器に作ることなのですから結構忍耐の要る仕事です。おまけにクラシックでは中々お金にはならないのです。「歌が好きで好きでたまらないから、歌手になろうと思ったのです。」と言って欲しいのです。「他人には苦労と思えることも、苦労ではなく、喜びになるのが我々の勉強」です。最初に言いましたように『生涯勉強する喜びのある人』だけが選べば良い職業なのです。どのような職業でも言える事でしょうし、そうある事が出来れば本当に幸せな人生といえるのではないでしょうか。

 

呼吸の話からそれましたが、呼吸はそもそも誰でも生きている人は全員していることですので、考え方では決して難しい事ではありません。繰り返しますが、簡単でありえるのですが、一歩間違うととても難しいことになるのです。シュヴァルツコップ女史から直接お聞きしたのですが、声楽を勉強し始めた時にお腹を意識させられて堅くなり勉強を諦めた時代があったそうです。彼女でもそんな事になった事があると聞き驚きました。意識のし過ぎは「過ぎたるは及ばざるが如し」ですので良く注意してください。

何も知識のない赤ちゃんが誰にも習っていないのに理想的な横隔膜を使った呼吸をしていますし、声を出す(泣く)時にも弾力のある横隔膜を使っています。しかも、以前述べたように、赤ちゃんには未だ腹筋も背筋も殆どありません。と言う事は腹筋や背筋がなくとも横隔膜を十分に使う事が出来ると言う事です。勿論歌うためにはきめの細かい声帯の振動を得るために、意識的に横隔膜を弾力を持って張った状態にして、最小限度の息を送り、出来るだけ長いフレーズを歌うために息のコントロールをする事を覚えなければなりませんが、あくまでも不自然にならないようにチェックしてください。

かつて横隔膜を意識するように指導されたため、お腹をガンガンに固くして声を出す学生が私の担当に回ってきた事があります。気に毒なくらい固くしていて、ボクサーがボディーを強打されたのを防いでいるかのようでした。恐らく所謂喉をつめて起き上がる腹筋運動を熱心にして固くしてしまったのでしょう。仰向けに寝てお腹にバスケットのボールを強くぶつけて鍛えたのかもしれません。結果は残念な事に音程さえ定まらないのですが、歩きながら声を出させたところ、同じ高さを保って声が出せるようになりました。また立ち止まるとどんどん音がぶら下がってくるのです。お腹を固くして歩く事は出来ないのです。結局意識のし過ぎで横隔膜が硬直してしまったのです。一歩間違うとトンでもない事になってしまう良い例だと思います。静かに深く息を吸い、喉を息を吸った状態の開けたままで息を止めてみてください。息を止めておくために何処の筋肉を使うでしょうか?横隔膜しか使いません。くしゃみをしたり、咳をする時にどこが動くでしょうか?お腹が動きます。横隔膜が張り、その下にある内臓が下に押されるから下腹が出てくる感じになるのです。

従って「ハイ腹式呼吸をして下さい。歌いますからお腹を引っ込めて!」と言う先生がいると聞いた事がありますが、それでは支えを悪くしてしまいます。お腹を引っ込めたら横隔膜は上がってしまいますから。

ゆっくりと1メートル先のロウソクの火を消してみて下さい。お腹がどう働きましたか?息を有効利用をしようとした時にはお腹は張るのです。山登りをして「ヤッホー」と叫ぶ時もお腹を引っ込めて声を出す人はいないと思います。無意識では誰もがしている事を、我々は意識してより効果的に使う練習を身に付けるだけです。

少々考えを巡らせば、色々な場面で横隔膜を理想的に使っている事に気が付くと思います。自分が一番やり易い方法を見つけてコツコツ身に付ける事で自然に、何も考えなくてもお腹が使えるように癖を付けるのです。意識する事は下手をすると不自然につながるのです。充分に気を付けてください。

 

例えば出来るだけ少ない息で効果的に作用させるにはどうすれば良いでしょう。

我々が子供の時には火鉢や囲炉裏でお湯を沸かしていました。火鉢や囲炉裏に新しい炭をくべて火を起こす時に、灰が舞い上がらないように、火種に息を吹きかけました。下手な人のためには火吹き竹というのが有りましたが。息を一点に纏めて火をおこしたのです。その時は無意識ですが横隔膜を使って息のコントロールをしていた筈です。灰が舞い上がらないように目で見て息のコントロールが出来たのです。声帯を振動させるためには同様の息のコントロールをして声帯を最も微妙に振動させるのです。息が多いと汚い声になります。

繰り返しになりますが、弓使いの荒いヴァイオリニスト、息だけで吹き上げる管楽器奏者の音は綺麗ではありません。深く息を吸い、声帯を振動させるために必要最小限度の息を使えるように良い癖を付けてください。

寿命の短い声楽家は何処かに問題があるのです。長く歌えるように努力しましょう。

川村 英司