東京:2007年5月23日
川村英司独唱会 〜喜寿を記念して〜 2007年6月28日(木) 19時開演 ピアノ 小林道夫 会場 東京文化会館小ホール 成田 為三 浜辺の歌 フォーレ 漁夫の唄 ブラームス 五月の夜 シューベルト 月下の旅人 ヴォルフ ミケランジェロの三つの詩 他 |
不順な天候が続きますが、その後お変わりなくお元気にお過ごしのことと存じます。
この度ホールが空いていましたので、この歳まで歌えた記念にと思い立ちリサイタルをすることにいたしました。5月の末でついに満77歳喜寿と言うことです。
思い返せばよくこの歳まで歌っていたなーと思います。95歳で亡くなった親父が、「英司は余程人前で歌うことが好きなのでしょうね。」と僕の知り合いに言っていたことがあるそうですが、確かに人前で歌うことが好きなのでしょう。と言うのは54年前になりますか、昭和28年大学を卒業して読売新聞社主催の「新人演奏会」で独唱することとなり、日比谷公会堂の楽屋入口の階段を上る時の嬉しさは今でも忘れません。4年間一生懸命に勉強した成果を、同級生の代表として大勢の人の前で歌えるのだと思うと嬉しくて、嬉しくてたまらなかったのでした。
あがることより4年間の勉強の成果を聴いてもらえる、歌える嬉しさが数倍大きかったのでしょう。全然あがるという事は考えていませんでした。思い出してみると、最初のリサイタル(1957年5月29日)の時も上がるよりも、一つ一つの言葉の表現をしようと心掛けて勉強したにもかかわらず、歌っている言葉、言葉に瞬時に魂が盛り込まれなくて、所謂テープレコーダーのプレイバックをしているように感じがして愕然とし、ドイツ語を喋る国に行って少しでもドイツ語に心を込めて歌えるようになりたいと痛感したのでした。
幸いなことにその年の秋、戦後最初のオーストリア共和国給費留学生としてオーストリア国立ヴィーン音楽院(当時)に留学できましたので、心、言葉、音楽を一つに感じることが出来るようにと努力しました。
恩師ヴェルバ先生から「君のここでの勉強は譜面に書かれている事よりも、楽譜の裏にあるもの、作曲家が譜面の表に書き表せなかったものを読み取り表現することが一番大切なのだよ。それをヴィーンで身につけなさい!」と言われました。とても私には貴重な助言でした。
どれだけ先生達の助言を身に付けることが出来たか、まだまだですが喜寿を記念して思い出深い曲でリサイタルを開くことといたしましたので、お聴きいただければ幸いです。
皆様方のご健康とご多幸を祈念いたします。ご自愛ください。