アメリカ発のNo1ブランド スミノフ
今回は世界で最も売れているウォッカであり、カクテルのベースとして
非常に良く使われているスミノフのウォッカを取り上げたいと思います。
スミノフの歴史はヴォルガ川にかけられた有名なそり橋近くの、
モスクワ・ピアニッキー通りに第1号の蒸留所が建造された所に始まります。
今から約200年前の1818年の事でした。
創業者のピエール・スミノフはウォッカやリキュールに関する一級の酒造家として
知られており、彼の作ったウォッカはロシアの一般家庭で絶大な人気を持っていました。
当時のロシア皇帝にもこの評判は伝わっており、1886年にはロシア皇帝の
アレクサンドル3世に「皇帝御用達」の品に命じられています。
(この事から、スミノフのラベルには現在でも歴代ロシア皇帝の紋章が記されています。)
また当時ロシア皇帝以外にもヨーロッパ各国の国王に愛飲されていたと言われています。
このためスミノフ家は世界一の富豪となり、その年間所得は日本円にして
約42億3千万円(3800ルーブル 注:100年前の水準です)にもなっていたそうです。
栄華を極めたスミノフ家でしたが転機は1917年に訪れました。
1917年のロシア革命によって全ての産業が国有化されることにより、スミノフ社は
崩壊しスミノフ家の人々も大半が人民の敵として次々処刑されてしまったのです。
この事態に社長のウラジミール・スミノフは命からがらパリに亡命しました。
そこで亡命ロシア人のために小さな工場でウォッカを製造するようになったのです。
最近ラベルデザインが変わったので上の写真は旧ラベルになりますが、
新ラベルでも紋章などは同じように記載されています。
その後1933年アメリカに亡命していた白系ロシア人のルドルフ・クネットがスミノフを訪れ、
カナダとアメリカにおける製造権と商標権の譲渡を申し入れました。
ウラジミール・スミノフはこれを受け入れ、ここでスミノフ家の手からスミノフのブランドが離れました。
こうして禁酒法撤廃後のアメリカでウォッカが販売されるようになり、
1939年には酒類企業のヒューブライン社が参画して販売量が増えていく形となり、
今では世界で最も売れているウォッカのブランドに成長しました。
特に1970年代以降のカクテルブームで飛躍的に生産量が伸びています。
現在も人気の高いモスコミュールはスミノフの販売促進のためにヒューブライン社が
作ったカクテルと言う事は、有名なエピソードですね。
現在スミノフウォッカはアルコール50度のもの、シトラス入りのものなど
数種類が発売されていますが、40度の赤いラベルのものが
やはり一番多く見かけるボトルになると思います。
定価は1,800円ですが、ディスカウントショップなどでは1,000円前後で購入できると思います。
どこででも入手できると言ってしまってもよろしい銘柄なのではないでしょうか。