Library



Fishing

18)
真柄慎一:朝日のあたる川、フライの雑誌社新書、2010
これは映画になる!と思いました。
どの章も、全部、情景が眼に浮かぶ、絵コンテが出来る。
釣りをテーマした映画作製はほとんど無理です。鑑賞する絶対数が充当できない。
でも、この本には釣りだけでなく普遍的な人間関係が描かれている。

絵画のような綺麗な映像と底流にある若者の生活、感性がある。
充分にいい映画になりそうですね。
しかも、フィクションでなく完璧なドキュメント、迫力は申し分ない。

フライマンとして完璧な青春です。
本当に、皆、これをしたかったんです。彼の年齢で。
もし、自分が日本一周、一人釣り旅をしたなら、きっと、ここに書かれている毎日と、ほぼ同じ
日々を送るのだろうと思う。
完全無欠の代理体験をさせて貰った。
とくに、彼女との素敵なコンタクトを、自分の苦い過去と重ねて、何度ももんどりうった
のには参った。
最高だよ、まったく。

 素敵な物語は、大学の文学部に行かなくっても作れるのです。
座学や読書で培われるメタファー満載の綺麗な文章、生活や体験が作る野太く強い文章、
魅力はそれぞれだけど、この本は技巧に走らず、豪腕、直球の、とてもさわやかな一冊です。

17)
ジョージ・ブラック:アメリカン・バンブーロッドのいままで、渡渉社、2008
アメリカでのバンブーロッドの歴史の本。
成立の歴史を体得することが原形を知る手段の一つになると、言われますが
しかりであります。
釣り人にとっての釣竿の価値は様々であるけれど、いったい自分はフライロッドのなにに
魅かれているのか、少しだけ解ってくる気がしてきます。

スイートグラス、うーん楽しみだ。


16)
松本三郎+かくまつとむ:江戸和竿職人歴史と技を語る、平凡社、2006
この本は、N氏にお借りしたものです。「面白いですよ、」の言葉とともに、、。
かの”東作”のお話です。創業1788年、200年以上の歴史が書かれて
います。
釣竿の話もさることながら、往時の江戸の町民の楽しみや生活が生き生きと描かれていて、
「ああ、こうゆう生活も幸せだなあ、つつましく、一生懸命で」とタイムトラベル
的な楽しみが詰まっています。

初代の東作は侍だったそうで、商人の娘さんに恋して、二本差しを捨てた
というなんともドラマティックな始まり。
竿の周辺を探ると同時に、道具というものの側面、本質も解説されていきます。
竿はなかでも、人々に愛された道具の筆頭のようです。
大切にしなきゃ、、、。

巻末の”竿の手入れ”に
「まあ、がさつなヒトには和竿(竹竿)はむいてないかも、、、、」とあった。
うぎぎ!
なかなか味わい深い本でした。




15)
芦澤一洋:アーバン・アウトドア・ライフ、講談社現代新書、1984
都市生活の楽しみ方のひとつの手法を解く。
そのまま、同じことを実践してみたくなる本。
氏の文章は上品で優しい。
14)
佐藤成史:渓魚つりしかの川、立風書房、1997
それにしても面白い本です。何はともあれ読んでください。
わたしは"ZI"の話が大好きです。抱腹絶倒!
13)
阪東幸成:アメリカの竹竿職人たち、フライの雑誌社、1999
もはや絶版であり、驚くべき価格で取引されているレア本。
軽快な氏の文体にふれると必ず竹竿を使ってみたくなる。
私がそのひとり。
12)
佐藤成史:ロッキーの川、そして鱒たち、釣り人社、1994
初のアメリカ釣行に購入しました。
シルバークリーク、ヘンリーズフォークなどアメリカの銘川が沢山。
ヘンリーズフォークで、興奮と乾燥のあまり鼻血があふれ、
それが真っ赤なベロアのシャツに溶け込む様は圧巻です。
これも絶版本。
11)
佐藤成史他:達人のテクニック、ソニーマガジン、1992
著名な、おもにフライフィッシャーが12人、それぞれの思い入れ
をつずる。フィールドマップやコラムの内容はとても役に立った。
10)
岩井渓一郎偏:渓流のフライフィールド、つり人社、1988
この本を毎晩寝ながら読んで、イロイロな川へ夢の中で釣りを
したものであった。懐かしい。

9)
湯川豊:イワナの夏、ちくま文庫、1991
 魚釣りの、寂しいけれど落ち着くという独特の雰囲気がとても
よく伝わって来る短編集です。
くつろげます。

8)
久保田鉄、佐藤盛男:フライフィッシング研究:山と渓谷社、1990
この本もよ〜く読んだものです。イラストというか漫画と解説の形式
をとっています。ビギナーのカップル(古い)がFFに出会って
少しずつ実践に向けて学んでいくというスタイル。
買い物に行くプロショップは当時の池袋サ0ス0がモデルのように
思います。私はもっぱら贔屓にしていたので今見ても懐かしくて
仕方ありません



7)
芦澤一洋:フライフィッシング紀行、つり人社、1998
やはり、この本をあげないわけにはいきません。
氏が初めてヘンリーズフォークをおとずれその容子を目の当たりにして
「こんな世界があったのか、この世界を知らずに、自分はいたずらに
歳をとってしまったのか、、とその時、無性に腹立たしい思いに、、、」
と述べている。 Life is short、、、、


6)
山本素石:つりかげ、PHP文庫、1992
今も昔も、釣りにとりつかれる人はいたのです。昔の日本の様子を
知るのには、我々には最高の本です。風に吹かれ、釣り旅をする氏に
ひなびた日本の風景が浮かんできます。こうゆう生き方、いいなあ。

5)
西山徹:ミッジング、山と渓谷社、1991
西山さんの文はとても明るくって、楽しくって、大好きですが、数ある
著書のなかでも、これを一番多く読み返したかなあ、。
明快に進行、展開する理論は、本当に役に立ちました。
あの笑顔と、すばらしい声、口惜しがる表情は忘れられませんね。

4)
芦澤一洋:山女魚里の釣り、山と渓谷社、1989
「仮に対手が核兵器を持ち出したところで、私の武器は樫の枝一本。」
コンペティションが嫌いで、ローインパクトを旨とする氏の釣りは
優しいものです。釣りや旅を通して生き方を示し続けるこの本からは
多くのものを学びました。
舞台となる川も、伴竹の故郷のものが多く、ひときわ感じ入ります。


3)
島崎憲司郎:A FLY FISHER'S VIEW、フライの雑誌社、1997
買ったときはすみからすみまで読んで、よし!!これで大丈夫!!
と思っておりましたが、時折読み返してみると、まあまあ、いろいろな
エッセンスが読み取れてなかったんですね、というより、理解、体得する
ことが出来なかったんですね。きっとこれからも、ずーっと楽しめそうな
厚みのある内容であることは間違いないですね。
イラストがすごい躍動感があって、その片隅に、チラチラとヒントが
イッパイなんです。
BFコードには”ハネオチ”や”マクリ”、”ヤグラ”などの表現、イケテマスが
一番すきなのは”ピーダツ”!!!!


2)
浜野安宏:新野生学、集英社、1982
この本の、というより写真集の中のニジマスを見ちゃ、いいなあ、いいな、
と、鱒の燻製をしゃぶりながら酒を飲んでおりました。大学生のころです。
まさか本当に行くようになってしまうなんて思ってなかった。
アラスカなんかの写真は凄みがあって、寒さが伝わってきますし、
ニュージーランドの、明るいエメラルドグリーンの水面には吸い込まれます。

でかいニジマスに憧れて、ビアグラスはレインボウマスのイラスト入りを
使っていたっけ。


1)
芦澤一洋他:渓流釣り、塑風社、1985
このシリーズは何冊かありますけれど、この第一巻が好きです。
執筆者は今やそうそうたる方々。
でもやっぱり芦澤さんの珠玉のエッセイは最高です。
氏のエッセイのなかでもベスト3に入ります、私的に。
”スピナーフォール”、キャムシグラー氏、佐藤盛男氏とともに、私も良く行く
飛騨の川を釣るのですが、実に臨場感のある、スピーディーな展開です。
震えながらのフライの取り付けシーンは、こちらの手もプルプル!!

そういえばキャムシグラーさんのお店が新宿御苑横にあって、
そこも素敵な素敵な大好きなお店だったんだけど、無くなってしまいました。
ちょっと先をいきすぎていたのかなあ、、非常に残念です。
また出来ないかなあ、どこかで。

そこで買ったフリースとペンドルトンのウールシャツは大事に使っているし
綺麗なひざ掛けは車の中に。



Literature
171)
ショウペンハウアー:読書について、光文社文庫、2013

デカンショのショーペンハウアーです。ショウペンハウエルというほうが馴染むんですが、今風でしょうか。
この本は私の大切な先輩から勧められ、頂いた本です。
冒頭、本ばかり読んでいると思考、思索の力がなくなるから読むんだったら良い本を読むようにしなさい
といきなりタイトルとの逆説をかましています。
世界の概略ないし本質を見極めていくには様々な事象や展開を俯瞰でながめ、つじつまの合うように
めぐらせることが何より大切なことであり、それには自問自答をくりかえす作業時間(思索)が
不可欠であるといっています。

弁証法とかアウフヘーゲン(止揚)とかを駆使してもがいていくということです。
ソクラテスも同じこと言ってますね。
こうゆう感想文を書いている時も、本など見返すことなく自力で書くのがいいのでしょう。
コメントを拾いながら書いているようではろくすっぽ身についていないということですからねww。
しかし、自ら考え続けることはなかなかしんどい事です。
確かにそんな悩みのある時、本を読み出すとホッとするもんです。
ストイックに言えばダメなんでしょうけれど認識してやってりゃこれも読書の大きな効用ですね。
これは映画でもゲームでも博打でも同じ効果なんでしょうけれど、まあそれよりはマシだろうと。
いやでもパチンコなんかは玉の流れる様子を眺め続けながら咥え煙草で深遠な思索をしているの
かもしれないから優劣の順位はつけられないかもしれませんね。
流れを見ながらというのは釣りも同じです。

私、本は好きなんですが、面倒くさいなと思う時も結構あって
「本は読めばいいってもんじゃないし、、、、」という
コメントに勢いついてしまうあたりが情けない。でも、読書の中断、破棄に躊躇を覚えなくてすみそうです。

では、どうゆう本がいいかというと、なかなか難しい。
師はシンプルで分りやすく、必要な用語にしぼった文体を使用していることだそうで、
具体的には永い時代を経て淘汰されて来た、いわゆる古典は鉄板だそうです。
映画、リバーランズスルーイットで、牧師の父親が息子に作文を指導する際、
なんども文章の無駄な部分を消し手渡し、書き直させるというシーンを思い出させるが、
こうゆうことを小学生の教育に楽しく取り入れてくれればいいのに。

進んで今度は作文についても述べています。
言葉のニュアンスを大切にしていくこと、いたずらにスタイルを変更しないこと、簡便化しないこと、
言葉を捨てないことの重要さを必至になって説いています。
これは当時の時代背景も絡んでのことですが、、。両極を求められているようですが、バランスが必要です。

どうやら、ゲーテもニーチェも、このショーペンハウアーには相当に心酔していたようです。
巨匠の巨匠ですから凄いわけです。
彼のすぐ先輩にはカントがいます。このあたり大変な時代ですね。


170)
大沢在昌:新宿鮫シリーズ、、、。
ここんところ小説をずっと読んでてアップしてませんでした。
そいつは先の新宿鮫に嵌ってしまっていたためです。
現在10巻が出版されていて通して読んできました。
こいつは現代版の鬼平犯科帳ですね。
登場人物のキャラクターも素敵ですし、かっこいいし、それに自分も住んでいる新宿のこと、
つまり風俗や歴史、風水的な背景なども大いに勉強になって、実生活に彩が添えられて来たように感じます。
面白いと思ったのは、やはりVの毒猿ですかね。はでな抗争劇が鮮やかでワクワクドキドキでした。
現代のなかの古典になりつつあるんじゃないでしょうか。



169)
小林秀雄:考えるヒント、文春文庫、2009
小林秀雄さんの講演会を収録したCDが発売されてい増す。もう5、6年前に買って釣りの行き帰りなどに
車の中で聞いているんですが、飽きないんですね。いまでも繰り返し聞いています。
飽きない理由は話し方がユーモラスで無駄が無くって、それでいて華があるからなんですが、一番の理由は
なんといっても難しく深いことなんだと思います。何度聞いても知らない知識が染み出てくるというか、コッチの
解釈がその都度変化して思索が氏のお話と随伴してさまざまに表れて来るからなんです。
そんなわけで考えることの達人がヒントを与えてくれるというので読んでみました。

この本はいろんなテーマに関して思考するエッセイ集になっています。
テーマは常識、読者、漫画、良心、歴史、言葉、役者、平家物語、ヒットラー、、などなどです。
視点を上から下から八方嘗め尽くすように観察して、考える考える。
思索の因果律は果てを知りません。現行の紙面数があるので、まとめ上げるのですが使用する文言は
読者に思考を要求してくる力をもっているので読み終わっても尾を引きます。

そこで例によって印象に残った文章を列挙してみます。断片的な抜粋なので誤解を招く恐れもあります。
逆説的な使用法もありますので注意されてください。

1)ソクラテスの自己とは、凡そ考えさせられるという事とは、どうあっても闘うという精神である。
2)想像力と直覚
3)本能的な良心に導かれて、自分の天賦のとりこになることである。
4)人間の良心の問題について手間が省きたいのか
5)人間がお互いの眼に見通しのものならば、その途端に、人間は生きるのを止めるだろう。
6)現代の合理主義的風潮に乗じて、能率的に考えることが合理的に考えることだと誤解されている。これは
当人は考えているつもりだが実は考える手間を省いているのだ。物を考えるということは物を掴んだら離さぬという
ことだ。考えれば考えるほど分らなくなるということは、物を合理的に極めようとする人たちには極めて正常な事。
7)一つの原理に反抗することが出来るのも、別の原理に屈従すればこそだ。
8)人格などは一種の自惚れだ。
9)良心は思想を持たないが、或る感受性を持つ。
10)悩むとは自分を自分を審くものは自分だという、厄介な意識である。
11)教養は社会の通念にだらしなく屈するものだ。
12)だれもが内的経験を通じ各人各様に現れるしかない。
13)客観的とは一種の優越感と侮辱の感性。
14)形の無いものから形が、不安定なものから安定が求められるのは、息としいける物のの努力である。
15)言葉と実行
16)人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。
17)勝つ見込みの無いものが、勝見込みのあるものに、どうして屈従し見方しないはずがあるか。大衆は理論を好まぬ。
支配されたがっている。
18)何も信じないということだけを信じることだけを決意する。
19)無常な人間と常住の自然との出会い。
20)読書の楽しみは精神の楽しみである。
21)現すまいとした自己を現している。
22)批評文としてよく書かれているものは皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を為したものは無いことに
はっきりときずく。
23)正しく評価することは積極的に肯定すること。
24)悪口を言う退屈を、非難否定の働きの比生産性を、知っているだろうに、、。

う〜む、やはり断片的に羅列するとエグイですな。



168)
大沢在昌;新宿鮫、光文社文庫、2010
推理小説でかつ警察物はなんとなく苦手で避けていたんですが、
食わず嫌いというのはやはりいけません。損しますね。
先の”東京学”の中でとり上げられていて覗いてみました。

この本、さすがベストセラーだけのことはあります。非常に面白い。
先を読みたくてしょうがないというのは久しぶりな気がしました。
随分と古い作品なんですが、全然古臭くない。
映画化されたのでそれも観ましたが、出演者たちの若いことといったら、、。
犯罪というのは個人、集団の欲得が社会規範を越えて溢れ出た現象ですから、
スリリングな事件や魅力的な登場人物の思考や行動といった物語の展開を楽しみつつも
その背景に人の我欲、人情、倫理、大儀、社会使命、矜持が浮かんできます。
どうゆう生き方を選ぶのか?と自問する瞬間もまた楽しいものです。

このシリーズはそれぞれ結構な長編で、時間の経過の中、複数の登場人物それぞれの行動、
相当数の登場人物の氏名が交錯し、オマケに犯人たちは偽名を何個も使い分けていたりして
頭の鍛錬、もといボケ防止にも効果があると思われます。
諸兄におかれましても、いかがでしょうか?

167)
東京学:小川和佑、新潮文庫、2000
明治2年、明治帝が江戸城に入城し、江戸から東京と解明したのが現在の東京の始まりで
江戸とは隔絶感があるということから話は始まります。
倒幕から新政府への変化は庶民の生活や文化、人民の観念も変化していくのですが、刺激となった
要素をあげながら、この本は東京の街、人の特性を説明していきます。

関西人との対比、東京の著名人の特徴、東京人の美点と嫌味、社交上の独特のルール、身上、
味覚、文化、文学、芸術、個性ある多様な地区等、時系列、空間的に非常に多くの視点から
東京を舐めていく愉快な本です。

どこかでいつか役に立ちそうな、便利な本で、ずっと所持していたいと思う本です。



166)
天童荒太:家族狩り(1〜5巻)、新潮文庫、2003
前述の永遠の仔よりも劇画的なタッチの味付けが強いですね。サスペンス的というか、、、。
たしかに引き込まれていきます。
社会問題を浮き彫りにしていく作風が、一層文章に対峙させていかせる要因かもしれません。
夢中になって読めるのですが、私は”悼む人”や”永遠の仔”がより魅かれる作品でした。

165)
なだいなだ:いじめを考える、岩波ジュニア新書、1996
なだいなださんが、高校生との対話形式で"イジメ"について考察していく本です。
私などがイジメについて漠然と持っていたイメージを、その根源を少しずつ解明し指摘してくれるため
大変に整理ができました。
イジメには快感があるらしいのです。その快感というのが何かというと、それは嫉妬の払拭と
優越感の刺激が直接的に得られるということ。
それが絶対的に立場の強い側からの行為という卑怯なやり方であることが分っていても、
感性は直接的なことを求めるようです。

封建時代からの社会構造にあったものにもイジメの類型のものがあり、そこからの変遷、変形を
経て今に至っていることも理解出来てきます。こうして、イジメの本質が浮き彫りになってきます。
しかし、イジメの本質というのは人が相対的にでもより良くなろうという向上心が根源のようにも思われます。

この向上心を実現するには自ら努力するのが本来の取り組み方ですが、これを回避して、
つまり努力や活動をさけて得ようとすると、すぐれた個人に対して嫉妬の心を抱き、相手を叩く、
あるいは周辺の適当な相手を蔑み、貶め、相対的な優越感(仮想優越感)をえることに走るのでしょう。
つまり向上心とイジメは紙一重、裏表な関係の感触があります。
ここの峻別には、人権や道徳、心理のメカニズムをよく理解し、しかもいつも考えていなければいけません。

倉本聰さんが富良野塾開塾のときのメッセージに「少なくとも、この2年間は批判眼をもたないで
仲間を、または作品自体を好意の心で学んでいこう」と言っていますし、小林秀雄さんは
「非難からは創造はうまれない」と言い切っていますが、彼らもやはりこの自助努力と批判眼に
悩んできての答えが、これこそが真理であるという彼らの大事なメッセージとして選ばれたのだと思います。
つまり批判眼を持つことは自らの努力の時間がスポイルされるということなのです。
しかし、大学などの研究施設では「デカルトの精神で常に批判的な目を持たなければいけない。
信じるべき根拠を満たすまでは」などと言われます。
この真意は理論や説は疑うべきだということで、対象は個人、人間ではないのですね。
この峻別もなかなかに難しいことでしょう。
ではなぜ、人と理論、説を一如と見なしやすいのでしょうか。
古来より思考は言葉で表され、人格は言動に表れるという悟性が、そのような理解のしかたに
導いてしまうからなのでしょう。「文は人なり」とよく申しましょう。

理論と心情、いつも意識が必要。思考の放棄は出来るだけ避けたいものです。
「小人閑居して不全と為す」「お前はお前のことをやれ、おれは俺のことをやる」そんな言葉が降ってきます。


164)
渡部昇一:知的余生の方法、新潮新書、2010
35年前の「知的生活の方法」は素晴しい本でした。氏がその後の壮年期を生き抜いてきて
リタイア後の生活を上質に過ごすヒントを、学ぶ、健康、住家、財産、時間、読書、夫婦、親子関係、友人関係
恋愛(**)!!の視点から提示してくれている本です。
35年を経た文章、齢を重ねるということが表れております。

滝瓢水の「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という言葉を覚えました。
パスカルの「パンセ」を読もうと思いました。
これから晩節に向かっていく身として。


163)
天童荒太:永遠の仔(1,2,3,4,5)、幻冬舎文庫、1999
引き込まれました。
生きる指標を、道標を得た気持ちになります。前出の悼む人もそうですが、人生を真正面から対峙し、人の持つ美しさに
どんどん焦点をあわせて、浮き彫りにしていく姿勢が素敵です。
知人のある出版社の編集長に薦められた、15年も前に評判になったノベルです。

より良く生きていくにはどうすれば良いか、読者それぞれに見つけられそうな、そんな本です。
素晴しい小説です。
日本推理作家教会賞受賞作品。


162)
ドフトエフスキー:カラマーゾフの兄弟(上、中、下)、新潮文庫、2012
いや〜、長かった〜。上中下巻で1800ページあった。
この本はドフトエフスキーの遺作であり、ほぼ自伝的な様相が濃く、思想的にも集大成と言われています。
この長さなのに、これで前編だというのです。後編を書く前に死んじゃったわけです。
約150年前のロシアの世情と思想と宗教観念が織り成す物語。
とにかく、しんどかった。
最後のあとがきに入った時、なんというか物凄く読みやすくて、しかもドフトエフスキーの略歴が興味深く
そのエピソードが本編に散りばめられているので、このあとがきを味わうための本編と思ったほどです。

つまり、私はやっぱりフィクションよりドキュメントが好きみたい。
あー蓋がとれたぞー。

161)
中島道義、人生に生きる価値は無い、新潮社、2011
ちょっと、長編小説を読んでまして、これが、終わらない終わらない、、。
それで併走してこの本を読んでたら、すぐに読了してしまいました。
これも中島氏のエッセイ集です。氏が現場で経験した事例や社会動向、歴史上の出来事に関して、
感じたことをストレートに、例の歯に衣着せぬスタイルで語り続けて行きます。

スノッビングということに関しても、彼らしい形での認識を持っています。原文をそのまま、引用します。
ヨーロッパでも日本でもかつての貴族は、とにかく教養はあったから偉かったなあと思う。
下賎の秀吉でさえ最高の教養を身に付けようと励んだ。天下人になるためには教養が必須不可欠
であることを知っていたからである。それが完全に消え去ったのが現代日本である。
教養のある人は微塵も尊敬されず、教養ゼロの御仁がテレビにシャーシャーと出て教養ゼロの御託を述べる。
とはいえ誤解してもらっては困るが、これはいわゆる「教養主義」と紙一重であるが、それに収まるものではない。
私は例えば、ゲーテやヴァレリーやベルグソンのような、あるいは兼好法師や小林秀雄や三島由紀夫のような
本物の教養人を深く尊敬し、教養のない人を嫌い、教養が無くても全く恥じていない人を深く軽蔑するが、
教養を自己目的にすることは、ヘーゲルが指摘するように虚しいものであることも知っている。
逆説的に響くかも知れないが、本物の教養人とは、教養があることを全く誇っておらず、幾分恥じている
ことすらある。
彼らにとって教養を積み重ねることは自然的欲求なのであって、古今東西の知的遺産を渉猟するのが
面白くてたまらず、そこに何の見返りも求めないのだ。だから自ら教養を誇る人が嫌いなのであり、
彼らの教養に擦り寄る人が嫌いなのである。
とすると、もちろん彼らは教養の無い人も嫌いなのだから、彼らが許せるのは、自分と同様、自然な形で
貪欲に教養を求め、楽しんでいる人、しかもしっかりした鑑識眼をそなえている人のみとなる。


しかしですね、"教養のない人を嫌い、教養が無くても全く恥じていない人を深く軽蔑するが、"は
好き嫌いだからいいようなものだけれども、随分乱暴なことを言ってます。
教養の定義もハッキリして明言しているわけでもないので、なんなんですが、昨今の公人、マスコミ、
テレビ等に対する表現とすれば善意に解釈できますね。

タイトルに対し、上記の教養主義関係のような価値観念を多く挙げて、人生の価値=目的=意味を
検証していく、そして、最後にこれまた引用で恐縮ですが、、、、


自分を誤魔化さなければ、誰でも人生におけるどんな快楽も、どんな満足も、どんな充実感も、直ぐ色褪せることは
知っているはずだ。
だから私はある時からそのような安直な価値を求めるのは止めて、もっと欲深くなろうと決意した。
人生に生きる価値は無いからこそ自分で好き勝手な価値を創造し、ぞれを人生にまるごと付与するのだ、
いかなる枠も無く自分の奥底から湧き出すものを正確にとらえて、その欲望の実現に励むのだ。
空間も、時間も、物質も、意識も文字道り何も無いとすれば、どんなに楽であろう。
我々は悩むことも、悲しむことも無い。死をおそれることも無く後悔にむせぶこともなく、他人と比較してわが身の
不運をおろかさを嘆くことも無い。
とはいえ私は自殺したいわけでもなく、ことさら世界の終焉を望んでいるわけでもない。
なぜならそんなことをしなくても、この世はじつはもともと「無」であることが次第に判明してきたからである。
本当は過去も未来も客観的世界も、他人も私も何も無いのにーしたがって、生も死もないのにー
なぜかわれわれにはあたかもなにごとかが「ある」かのように見えてしまうのだ。
これはいまだゆるぎない確信というわけではない。だからこそ、ここに仕掛けられている巧妙な仮象をあばいて、
心のそこから「無いが一番いいのだ」と悟るようになること、これこそ私にとって唯一の生きる価値なのであり、
哲学することなのだ。

う〜ん、楽に死ぬために、人生を生き抜くのかあ、、、。
はあ。そうかあ、でも、なんだかなあ、、、でも結局、、、。

こんな風にグジグジ考えながら、こういう本を読んでいけば、常識的な感覚は培われて行くんじゃないかなあと、思ってます。





160)
井沢元彦、世界の[宗教と戦争]講座、徳間書房、2003

和の精神は,日本人が高いプライオリティーを与えているものですが、これは具体的には、和を持って、
つまり談合によって決めたことは正しいのだと信じるということであります。
しかしながら、これは善悪、真偽を決めることとは等しくありません。
一神教のキリスト教やイスラム教、元となっているユダヤ教も真実は一つと言うことが身上ですけれど、
それが正しいという証明は出来ていません。そして、それは同時に排他的であるということになり、義の名の下に
非論理的な争いが発生してしまいます。

人間にはそれぞれにポリシーというものがあって、これは元をただしていくと、たわいも無い、根拠の正当でない
ことが元になって形成されていたりします。当然、それがいろいろな軋轢を生んでしまうものなのです。

この本では、井沢さんの膨大な宗教観念の知識を駆使して世界平和への糸口を探そうとする非常に重大な話が
詰っています。
現代の人心を理解する上で宗教というものを理解していくことはとても大切です。
人心を理解することで、家庭も、コミュニティーも国家も、世界も、より平和になっていくとしたら、この本は、そうですねえ、
中学生時代くらいにに、授業で是非使用して欲しいもんだと思うわけです。


159)
中島義道:怒る技術、角川文庫、2003
日本人は正当な意見でも、人間関係を保存することを最優先するために、相手に伝えないことがある。
しかし、それは実はこの過程(対話)をさけてしまうという怠惰な態度であるといって、冒頭、氏はさっそく怒っています。
氏の意図によるのか否かわかりませんが、ユーモアが随所に漂っていて、まあ楽しい怒りんぼうのオジサン的な
キャラクターに成ってしまっています。
前から、そんな可愛らしさを氏には感じていましたが、確信を持ちました。

読んでる最中、あまりにとぼけた文章があったので、近くに居た友人にそこだけ読ましたら、爆笑してました。
楽しいですよ。


158)
梅原猛:神殺しの日本、朝日文庫、2011
梅原さんの過去に掲載されたエッセイ集です。
西洋と東洋の文化、思想、哲学の違いを、その史実的背景、特に農業と経済効率主義と照らし合わせて
解説していく氏のスタイルは分りやすいです。
私的には、相当、真実を語られているように思います。
この本の後半部分には氏の来し方が記されていて、此方の文章にはより引き込まれるものがあります。
こういった知の巨人の半生記を読むと、ああ、もっと勉強しておけばよかった、あの頃はいったい何して
たんでしょうねえ。と本当に思ってしまうのです。
でもまだ、ひょっとしたら間に合うかもしれないとあきらめの悪い思いが頭をかすめたりするんですが
そんなあたり、さらにアホなんだと思います。でも、こんな時間を過ごす、それも一興ですね。


157)
中島義道:たまたま地上に僕は生まれた、筑摩書房、2007
氏の講演会の模様、内容をおこして編集されたものです。ですから、もともと解りやすい中島さんの文章より、
さらに解りやすいものになっています。
 Mを楽しむ、この一見屈折したような物事の捉え方は病み付きになりますね。
なんだか解りますね。幸せの中に少なからず存在している欺瞞を看過しないという視線。
ひねくれた感性といわれてもしょうがないです。
いままでも、よくこの感覚を窘められたり叱られたりしたけれど、中島さんは「それでいい」と言ってくれますから
本当に嬉しい。

156)
ディーパック・チョプラ:人生の本質、ダイヤモンド社、2010
ちょっと無いです、こうゆう本。全てを網羅していて、だから難しくて、そして切ない本です。

155)
中島義道:哲学者とは何か、ちくま文庫、2001
ちょっと、ここんところ妙な小説を読んでいて、久しぶりの哲学系。
哲学って言うのは、いつも当たり前なことだとおもって使ったり、理解したつもりでいたりすることを、とことん精密
正確に説明するんですよね。そこまでの意味を含んでいるのか、その表現は、、、なんて。
たとえば、過去、現在、未来の差、現在と過去の認識形式の違い(現在は感覚を通して知覚に訴えるけれど、過去は
想起、思い出すということだけれど、これは言語、概念を駆使して組み立てるものだ)など、読んでいて、へ〜!!ってな
もんです。
でも、こうゆうのを読んでいると、世の中、少しだけ見晴らしが良くなってくる気がするんですね。
極大と極小というか、ミクロの世界を見るとビッグバンに想いが馳せるというか、、。宗教的な作用も似ているのかもしれない。
ニーチェが神は死んだと言ったこととも関係在りそうな、、、。

154)
田辺聖子:ジョゼと虎と魚たち、角川文庫、1987
同タイトルの映画を見まして、読んでみました。これは読書が後というスタイルでした。
よーしと思って読み始めたら、あららら短編!40頁にも満たない。こういうことはあまりないですね。
原作の小説を削いで削いでまとめていくのがパターンとして多いのですけれど、でも見事に映画になっています。
視点の秀逸さが、イメージを膨らませ映画化された理由でしょう。
映画は池脇千鶴さんが素晴しい。妻夫木聡さんは、こうゆう役柄が定着しちゃいましたね。”悪人”でもやっぱりこういう感じ。
私的にはもう少し重いところがあったほうがさらに良かったかなと思いました。

153)
高島俊男:中国の大盗賊・完全版、講談社現代新書、2004
友人に勧められて購入しました。
中国三千年の歴史、中華主義、三大料理の一つ、万里の長城、儒教など言葉からすると中国という国に対する
イメージは現在の姿とは違ったミステリアスな高貴なものがあります。
しかし、この本を読むと、実際の中国の民がたどってきた道はビックリするようなものでした。
基本生活基盤というのは中国でも先ずは農業だった。
けれども農業による食い扶持には限度がありますから当然あぶれ者が出てくるんですね。これがその大盗賊の出処。
ちょうど日本の武士に似てますね。この盗賊たちが集まっては喧嘩して吸収統合され巨大化する。
そうゆうのが、なにせ土地が広いのでいっぱい存在し、勢力争いをする。そして中国の中心部で皇国が誕生する。
といった具合で出来たのが、漢だの秦だの明、清なんですね。そして最後のそれの大将が毛沢東というわけです。
そして彼は権威付けにマルクス論を利用し共産主義を打って出たというわけです(文中より^^;)。
こういう生き馬の目を抜くような日々の暮らしの歴史があればこそ、現在の中国の対応や思想も節々に納得されます。
しかし、まあ、この所業はなにも中国に限らず大方、どの国、どのコミュニティーでも同じでしょう。つまり人間の本性というのは
この位のところなんだと思いますね。

 そして、文化と現実生活の違いというのをどう理解するかというと、それはつまり、文化とは生活のごく一部、華の部分だけが
抽出されたものだったのですね。なにせ、人が多くて土地が広大で、歴史が長ければ抽出物もそれはそれなりに多いわけです。
歴史文化というものはそもそもどの国でもそういう側面があるものです。
事実関係のすり合わせ作業で見えてくるものが真実により近いものと思います。

この友人はさすがに良い本を読んでいるなあ。

152)
井上靖 ::わが母の記 講談社文芸文庫 2007
今年、映画化されますね。役所広司、樹木希林、宮崎あおい、いずれの俳優さんも好きなので、予習ということで
読んでみましたが、死んでいく、生が消滅していくことの非常に具体的で詳細なイメージを得ることが出来ました。

死んでいくことがどうゆうことなのか、一般的な宗教書や哲学書よりはるかに正確?に表現されていると思いました。
映画が楽しみです。

151)
知的発見!探検隊:あらすじとイラストでわかる哲学、イースト・プレス、2011
有名どころの哲学者、孔子、老子、ソクラテス、タレス、ゼノン、アウグスティヌス、フランシス・ベーコン、などなど、ずらっと
記載されています。
それぞれ数ページ、簡略に説明されていて暗記すれば結構話の種になりますね。
 きっと一番良い使い方は、何人かの哲学者について知識があって、そこから、前後の流れ、社会背景、思索の進化、
哲学全般の俯瞰を見て、新たに学んでみたい哲学者をチョイスしていくというのが良いんではないかなあ。

これを読むと、ザックリわかった気がして、哲学に臆する気持ちが減少しますよ。

150)
なだいなだ:心のそこをのぞいたら、筑摩書房、1994
こんなにも人は賢くなって、科学技術も、理論体系も進化確立されてきたのに、
なぜ紛争や戦争なんて愚劣な現実が消えないのだろう。
こうした疑問を人と動物、成長、学習、本能、性を通して分りやすく話してくれます。

分りやすいはずです、これは中学生をメイン対象にした本なのですから。
それにしても中学生に分る理論を簡単に無視してしまう、人の心情、本能とは恐るべしです。
人が、自らの本能を適正に制御できる時は来るのでしょうか。
それとも、残念ながら、人間という動物は、そんな、そうしたもので終わるのでしょうか。

しかし、希望だけは持ちたくなりますね、でも、あせってはいけません。
時間をかけて、短期は損気、急がば回れ。ですね。

しかし、時間が、そんなに無いのかもしれませんね。


149)
中島義道:哲学の教科書、講談社学術文庫、2001
 先日の大河ドラマは、大阪夏の陣で家康が秀忠に「淀と秀頼の処置をするように」と告げ、
史実の通りにとり行われた回でした。
秀忠は、豊臣の根を絶やすという、非情の行動を選択し、その罪深さを背負って行く形になって
しまったのですが、その姿を見て「その悲しみ故に、力強くなった」と家康の側近からは
評されていました。
非常に印象的なシーンでした。

 この本を読んで、哲学をするということは、その目的があるとしたら、強い人間になっていくこと
かもしれないと、なんとなく思っていたことと、シンクロし、そう感じたのでしょう。

先の秀忠の悲しみも、安易に答えを出さず考えもがくのも、解ったと思っていたことを、
また引っくり返して組み立てなおすのも、苦しいことです。筋トレで体を鍛えるのも、
ギターの練習をくり返しやるのも、受験勉強を黙々とやるのも、釣れないライズを何度も挑み続けるのも、
みんな苦しいことですが、この苦しみが力を養ってくれるとも言えましょう。

このことと同様に、認識、存在、自我、時間、因果律、他者、善悪、魂、自由、意思、美、、、、、
という素朴な、しかし根本的な観念を他に頼らず(他を学ぶとは違う)自ら黙思熟考
(これは苦しいことです)を、望んでか否応無くかに係わらず、実践すること(これが哲学すること)
によって"人として強くなれる"ような気がします。
 
 "人として強くなる"ということは、たとえば死に対する恐怖への抵抗性の増大ようなものでしょうか。
そうなれば、きっと、日常のありふれた光景こそ不思議な驚くべき世界なのだと心底思えるように
なるのじゃないかなあと思ったりもします。
そして、ここに絡んでくるのが実は宗教です。どう関係するかは、またの機会に。

 その他、この本では科学と現在の哲学の差異を綿密に解説しています。
キーワードは"客観性"。

客観性とは同じ条件の下においてはすべての人が対象を同じように把握するだろうという信念から
なっているもので、実は一つの観念なんですね。
つまり科学はあくまでも"A part of 、、、、"なわけです。
この科学には私性、個別性の排除、構成要素への分解、属性、一般的、分析、冷静、法則性、資料、
論証などの言葉が似合っています。
心の科学分野ですら個への心情や思い入れは排除してしまいます。
この排除されたもの達も、やはり何処かで吟味されるべきで、それをもって、はじめて補完されるのが
わかります。

 例えていえば、良い科学は切れの良い道具、医者はこの器具を駆使して患者に臨むが、
対象は生身の個別そのものであっても、同種の病を持つ者の一つという観察をしてしまうように
先ずは教育されてしまいます。しかし、私たちは、医者は、それだけではない物を持つべきだということを
期待している。
そのそれだけではない何かの根源が哲学の領域にあるのでしょう。
ここんところの教育がなかなか上手く行っていません。

科学とは違う、対象に対する一段違ったレベルの問いの世界は、いままで教育されてきた世界とは
違うゆえに、知っていたい領域ですし、現在の行き詰った社会情勢の解決もここらにありそうだと信じます。

なーんてことを考えてしまう、そんな本でした。難しいです。はい。


148)
天童荒太:悼む人、文藝春秋、2009
2001年の9.11から構想が始まり、脱稿までに実にまる7年の歳月をかけ取り組んできた直木賞受賞作です。
小説なので、詳しくは記載できませんが、この5年間での読んだ小説の中でダントツでした。
不覚にも2度も涙を流してしまいました。
トーン、タッチ、温度的に「砂の器」に近いものがあります。

”泣き”が入ってしまったので、泣ける小説を読みたくて、ヒットしたのが三浦綾子さんの「塩狩峠」。
ネットで推薦多数、ブックオフへいったら¥100コーナーで発見。
ラッキー!そうかそうか、と購入。
早速、読んでみたら、「ああ、ここら辺りが山なんだろうなあ」といいながら完了してしまいました、、、、。
完全にキリスト教徒のための本で、、、、、キリスト教を知る入門にはうってつけなのでした。

あらためて「悼む人」は良い!と思った次第です。

147)
岩波文庫編集部編:読書のすすめ、岩波書店、2008
著名な学者、文化人、教育者、作家の読書事始のエッセイ集です。
知ってる人の文章がいろいろ出てきます。それこそ養老節やら瀬戸内節、田辺節などなど、
それぞれキャラが立ってて読んでて楽しいですよ。
こうやって、一冊に揃っているのを読むと、対比が効いてて本当に思い白い。
好きな作家が、好みの文章がわかって来るんです。

146)
中島義道:日本人を<半分>降りる、筑摩書房、2005
出る杭は打たれる,、と世間ではよく言われるけれど、これは"調和"が最も大切であるという日本人の
観念から出たことですね。個人の能力や、それによってのさし当たっての成果、業績の獲得は二の次
みたいなところがありますね。
本書の中で会話に使う、言葉のスタイルとして世間語と個人語という区分けをしているのもこういったことから
作られたようです。
心優しい、われわれ平均的日本人は、個人が互いに個人の言葉(個人語)を発し合って、他人との意思を
確認し合うことを避け、そして注意しあうことを嫌います。
そうして個人語を徹底的に抹殺して、無難な世間語のみ駆使して自己責任も回避しているんです。
調和、和を最も重んじるために。

氏は、しかし、そういう生き方を嫌います。それは怠惰であり、考えないのであり、感じないからであると、非常に不満です。
自分と違う、ないし自分の違う価値観に苦しんでいるんです。
もっと、個の人生を、カラーをハッキリと行きることを要求するのです。ガンガン訴えます。

しかしねえ、それもそうだけれど、アメリカのように主張や競争が公認されてて争いが多くなるのも困るし、
究極の自己責任である銃の所持の容認はやっぱり困るしなあ。
かといって、全体主義になって、権力やイデオロギー、思想、宗教に依存しすぎていく姿もちょっと悲しいし、
ようするにバランスなんでしょうね。しかし、この配分が難しい。

この本を読んでいると、こんな感じで、多様性やバランス、これからの人間の進歩ということを考えてしまいます。
しっかり、著者の術中に嵌っておりますな^^;

145)
なだいなだ:親子って何だろう、筑摩書房、1997
本書の概要:人の親子が動物のそれと異なっているのは、どの動物も持っている"役割"としての
親だけでなく"関係"としての意味を持つというところにある。
親は一方的な親としての役割担当から始まって、子は依存と甘え、嫉妬、そして自立の過程としての
反抗期(自我の確立期)があり、ひとり立ちし、こうして親の"役割"が一応終了する。
その後、浮き彫りにされてくる関係は"保障"という働きに認められる。

古来の大家族から核家族、少子化という変化に伴い、家の保障システムは、義務からの解放、
自由という権利を得る代わりに、どんどん弱体化した。
これを望んだ社会というコミュニティーには社会保障システムの確立が求めれられてきたが、
これは"家"を超えた"大きな家族(=社会)"という観念が必要である。
自分の子だけでなく、2世代、3世代、前後のつながりを想像してみれば、結果的には社会は時系列を含め
大きな家族であると言えよう。ここには、より高いレベルでの愛の存在が必要になる。

現社会での大人は子の世代に対しバーターでなく、ギブアンドテイクでもなく、彼らを黙って大切にして守り、
その大切にされた子供たちが大きくなってから、老人となった自分たちを、どのように遇してくれるかを、
楽しみに待つのが良いのだ。
しかし、ただ優しくするだけでは不十分であることは明らかで、イデオロギーでなく技術としての
躾や教育が必要である。すなわち個々の親子関係のレベルでは、幼少期に厳しく、思春期
(この時、彼らは出来るだけ親に似ない子になろうとしているのだ。何故といえば親に似ていると、
自らの努力、成功が親のものになってしまうから)には自由に出来るように接し、距離を保ち、観察し、
そして気持ちをくみとり、慰め役としての働きをしていく、そんな時系列を意識する。
その先は前述の社会の姿勢と同じで良い。


この本は1973年に刊行されたのですが、親子の関係、家族、社会の意味についての見解は、
今でも全く正当なものと感じられます。それどころか、であればこそ、時代を超えた真実が、そこにはありました。
それは人間関係を出来るだけ大きく俯瞰する目を養い、感得していく姿勢が必要だということでしょう。

144)
ロルフ・デーゲン、赤根洋子訳:フロイト先生のウソ、文春文庫、2003
フジテレビのドラマ、”それでも、いきていく”を初回から見ているのですが、面白いです。
この中の一つのテーマとして、親の子に対する責任というものはどうゆう形で存在するのだろうか、
と言うのがあります。ウーンと考えていた、その時を同じくして、この本を読み始めました。

件のドラマでは、子供の犯罪に対し、親が自らも、社会からも猛烈に非難を浴びてしまっています。
ところが、この本によると、「子の問題について、親には責任は相当に少ない」といってるではありませんか。

筆者は、子供のキャラクターは70%が遺伝的要素によって決まってしまうとしています。(実証データ有り)
つまり、子の”悪さ”は親の教育の良し悪し(だから、親の責務があるという観念が出現する)にはよらないけれど
親の生物学的な影響は大いに受ける(これは、どうしようもないことで、責任という捉え方は出来ない)と言うわけなんです。
だから、これはしょうがないことだから親は責められるに当たらないと。

これは、なかなかに強烈です。
一般常識を覆している。
結局、性格、身体能力、体格、頭脳は環境によって影響を受けないということは、それはつまり、あらゆる側面で
人はリベラルでないということであり、同レベルに到達するためには個々に要求される努力の差は極めて大きくなる場合が
あるという、切ない結論がころがり出てきます。

筆者は、この論理を実証されたデータをもとに構築しているのですが、やや偏った収集のようにも思われます。
だって、遺伝だけであるとしたら、文化や知識の恩恵、継承というものも無くなるし、狼少女の話も説明が付かないですからね。
だいたいに教育の意味が無い。それは実感としてない。
しかし、されど、一方で、現代人が持っている、人は平等、人は白紙で生まれる、といった強い誤ったバイアスも見直す必要性も
多いにありそうな気がするのも確かです。

といった具合に、この本では、このような教育関連の他に、影響力、心理学、脳科学における一般的通念についても
同様に反駁しています。
非常に多くの論文を引っ張りだしてきての文章なので読了するまで随分と時間がかかってしまいました。
”フロイト先生のウソ”という軽いタッチのタイトルに誘われ、読み出したのですが、ウーン、蟻地獄的世界、しんどかった。
でも、イロイロ勉強になりました。おかげで、今読んでいる本のラクチンなこと。

やはり、時には能力以上の本も読まないとね、読書のスキルアップには必要ですね。
自動車会社がF1に出るとか、アスモを作るとか、コンペに出るとか、そういうセクションの存在はあったほうが良いし、
楽しい?かもしれない。^^;;;
ユーモア、独立心、自発性、創造力、モラルを身につけ強靭な存在になるために。

143)
野矢茂樹:入門!論理学、中公新書、2006
前出の”ぼくらの頭脳の鍛え方”での推薦の一冊です。
演繹だとか、連言、選言、導出、導入則、除去則、背理法、ド、モルガンの法則、条件法、対偶みたいな用語がいっぱい出てきて、
ちょっと懐かしいなあと思ったりして、あらためての定義確認という感じがしました。
当たり前のようなことを理詰でカッチリ決めていくこと、こうゆうのってのは重要なんでしょうねえ。
個人的には、これらの用語の中で”排中律”というのがビビっと来ました。
これの認識の有無の程度差が文系、理系の色分けのキーになっているんだなと。
これ、やっぱり両方重要なんですね。それぞれの寄ってる人は、きっとそれぞれに補う作業が楽しくなるはずです。
理で足固めをして、文で彩り、趣を付けて行く。理想というより”たしなみ”というところでしょうか。

142)
松岡正剛:知の編集術(発想、思考を生み出す技法)、講談社現代新書、2010
 編集者の肩書きも持つ著者が、その編集について、作業というよりはその概念を話しています。
しかし、これが難しい。
編集には沢山の側面があって、どれもこれもキャラが立っていて一つの概念として把握するのには簡単ではないみたいです。

「編集術は世界とどのようにかかわるかという方法に目をこらすこと」などと言われるとねえ、ちょっと臆してしまいます。

ただ、こんなことを感じました。
芸術には空間芸術と時間芸術があって、それぞれ絵画あるいは彫刻、それと音楽が対応しているんだけれど
本文中の「編集は文脈を重視する」、「遊びの中の工夫が編集化」、「オノマトペイア」、「地と図」、「情報を創発するための技術である」
「情報化された出来事を並べるときに編集化が起こる」などのコメントからすると、編集には時間と空間とのその両方を扱い創造していく
芸術の要素が大いにあるみたいだなあと。

なんだか映画作製や漫画なんかを想像してしまいますね。
もちろん、言語だけで成り立たせれば書物ということになります。

編集の良し悪しは集めた情報を、どう貼り付けて、ゆたかなものにしていくのかという技術によります。
そのヒントに、「遊び」を挙げています。
「子供の遊びの基本三型は模倣、つながりの学習、発見的な思考」だとか「遊びの持つパイディア(興奮)とルドゥス(困難)は
欲得を凌駕する魅力がある」と言う具合に、遊びには編集の根源が存在しています。
こうゆうことを出きるだけ沢山知っているほどに楽しい、面白い、良い編集は出来るようになるわけなんですね。

もちろん専門的な用語の説明も沢山載っていて、たとえば「編集法=要約編集(絞っていく)+連想編集(開いていく)」とか
「コンパイル(内属する属性の定義付け、一定のイメージ付け)とエディット(イメージの飛翔)」の認識とかね、知らないことが一杯です。

アウトプットの作業をするプロの方には役に立つだろうなあと思ったけれど、どうやらこの編集の技術というやつは
「人間の認識、思索、表現と言った活動は常に(編集的連続性)に支えられている」というコメントや
「人間の記憶=モデリング→シミュレーション→リハーサル」などの件を見ると、我々一般人にとっても人生設計のプランニングや、
その総括など、充分に役立ちそうです。

編集技術とは作家や編集者、映画監督や漫画家、作曲家達だけのものなのではないのですね。

141)
立花隆、佐藤優:ぼくらの頭脳の鍛え方(必読の教養書400冊)、文春新書、2009
立花さんの蔵書は7〜8万冊で、今でも月の書籍代は十数万円を費やしているそうです。
佐藤さんは私と同い年なんですが既に1万5千冊の蔵書で、月20万を本代に使っている。
お二人とも読書が仕事と言えそうな方々なので、同列には語れませんが、一般人としては生活の中のバランスから
どのくらいの量が望ましいのでしょうか。こんな疑問が出てしまうのも自律してない証拠かもしれませんね。

さて、この本はそんな読書のプロが社会人に向けて推奨する教養書を、社会現象、歴史、イデオロギーなどについて
議論を進める中、具体的に列挙していくのですが、それは文系理系、ほぼ全ての分野について400冊に及びます。
現場主義の立花さんと神学を軸とする佐藤さんは、形而上学、アプリオリ、あるいは公理の存在についての認識が
対極なのですが、だからこそ、これらの400冊は偏りのない選出になっていると思われます。

私は立花さんのお話に共感を持ってしまいます。
でも、佐藤さん、面白いことを言ってました。私も、ははあ、なるほどと唸ってしまいました。
「なんで、こんなに科学技術がすすんで、識字率が高くなっているのに、みんなつまんない理論を信じてしまうの?
それを一言で言うと、それは順応の気構えというものがあるんですよ。
現代人は、ある情報について、一つ一つ検証していけば、全部検証する基礎的な学力、別の言い方をすれば
論理関連を追う能力はある。しかし検証すべき情報が膨大であると、一つ一つ検証していたら疲れちゃう。
そうなると、とりあえず識者が言ってることは事実として受け止めてしまう。自分自身は引っかかって理解できなくとも
誰かが説得してくれるだろうという気構えが出来るんですよ」
ワイドショーのコメンテーターの話、テレビでのコマーシャルこのあたりには責任が明確でないので、その手の話が
無尽蔵と思っておいたほうが良さそうですね。それどころか教育自体が相当やばい。じゃあどうしたらいいか?
やっぱり、さしあたっては本でも読んで(代理体験)、いろいろ実体験をして、漂流していくしかないのかな。


140)
中島義道:ウィーン愛憎、中公新書、2006
氏が、ウィーンに私費留学をした4年半の経験、主に苦労話をつずった本です。
著者の本は私はとても読みやすく分かり易いと思うのですが、特に,この本は読みやすかった.。
というのも、そのほとんどがエピソードで占められているからなのですが、
しかし、単なる紀行文というだけでなく、そこには東洋と西洋、日本人とコケイジアンの考え方、
コミュニケーションの取り方の違いや差別、等を通して異文化を越えた人のあるべき姿勢、観念が表されています。
あらためて、それぞれの個人として物事を決する場合、どうすべきか考えさせられます。

この本を読むと、日本はなかなか大した国であり、民族なんだなあと、シンプルに思えてきます。
本当は、実際に外国である程度の期間、生活してみるのが良いと思うのですが、なかなか現実にはねえ・・・・
代理体験としてのこうゆう系統の本を読むことは有意義だと思われますし、この本はお勧めです。

巷間、言われている日本の弱点は、実は美点でもあります。それぞれの内容を出来るだけ深く偏見無く学ぶことで
外の文化に対して、卑屈にも高飛車にもならずに、堂々と接せられるようになれる気がします。

139)
中島義道:悪について、岩波新書、2009
またしても、斜見的なタイトルです。しかし、やはり最後には希望が香ってきます。
ただし、苦労が要ります。苦難の選択になってしまいます。

誰の心の中にもある"悪"これをカントは"根本悪"といいますが、どうにもこうにも
これから逃げおうせないことを論理的に説明して行きます。
全く、追い詰められてしまいます。出口無しです。

その説明には、適法的行為、道徳性、定言命法と全人生、自己愛、仮言命法、尊敬、
動機、理性的存在者、幸福か真実か、格律、自律と他律、心の闘争、激しい振幅、、
人間心情の弱さ・不純・悪性、悪魔的悪徳(忘恩、他不、嫉妬)、等等の
分かるような分からないような言葉を使用しています。難しいですねえ.。

でも,氏のイカスところはそれぞれを卑近な具体例で説明するところなんですね。
だからこれらの言葉の勉強だけでも非常に有用であると思います。

結局、人間には構造的に悪を消し去ることが出来ない。これを明瞭に知ることで、
自分にも他人にも寛容になると同時に、その都度少しだけれど進歩を試みることが出来そうです。
鍵は"悩む"ことみたいです。
善とは何か悪とは何かを割り切ろうとしないセンスであります。

138)
中島義道:ぐれる!、新潮新書、2003
これは言ってみればバランス感覚を維持し続けていくことの重要性を氏一流の言葉で示した表現でありましょう。

いろんな、深い形のぐれ方を紹介していますが、そこでは必ず男女の特性の違いが併記されているのがとても面白い。
ちょっとここで記載するには憚られるようなことが一杯載ってます。

ぐれることを薦める背景としてこんな話をしています。
「中年以降の特に男が一番欲しいものは、永遠の生命で悟りでもなく、哲学的真理でも、カネでもなく、家庭や
友人や恋人でさえなく、人々から自分の仕事が評価されること、賞賛されることと言っていいでしょ」といいます。
かと思うと「大部分の人は仕事が嫌だからといって四十〜五十歳から何か新しいことをやってみても、
まあ成功しないものです」なんてことも言っておりまして、それじゃあ、そこで上手くいかなかったら、どうすればいいのか、、。
このへんにグレルの気配が出てきますね。
その答えは「仕事中心主義」から離れたところに自分の場所を確保することなんだそうです。

それは、つまり、掛け値なしで「好きなこと」を見出すことが肝心だということです。
金にならなくても、いつまでたっても、ため息がでるほど進歩しなくても、そんなことは関係なくです。
ま、フライをやってるバム達には鼻の穴を膨らませてしまうような件ではあります。

かといって、そちらがあまりに主に偏ってしまうと主客転倒でそれまた依存に過ぎてくるようになる。
だからそこんところ、あっちふらふら、こっちふらふら位が一番いいんだと言うことなんだなあと、。
今で言う「ライフワークバランス」というやつのことだなと思っていたら、

「いや、それぞれに真剣になならないといけない。けど、上手くなかなか行かない。でも諦めない、しかし進歩しない、、、
これのくり返しを真剣にやる。そうして、こうした期待と失望にグルグル鼻面を引き回されて、傷だらけになって生きるのだ」
とパンチを食らわされてしまったのでした。

やれやれ、シンドイもんですなあ。

137)
中島義道:「時間」を哲学する 過去はどこへ行ったのか、講談社現代新書、2008
過去、現在、未来という時間の経過に伴う各世界、これを三次元空間の延長として空間的な認識をする傾向を
我々はもっているのですが、それは誤りであり、しかもそれぞれはまったく別種として扱う必要があるということを
文章を駆使し、その使用例をあげて解説されています。
なかなか難しいことなのですが、少しだけわかった気持ちがします。
特に年齢が進むと時間経過が早く感じられるという事実については図面を使用して説明しておりますが、
今までもこの事実についていろいろの説明を読んだことがありますけれど、中島さんの説明が一番解り易い。
あー、そーか!と膝をたたいたわけです。


136)
仏教伝道教会:THE TEACHING OF BUDDHA(和英対照 仏教聖典)、廣済堂、2002
小乗仏教、大乗仏教を網羅した、仏教の聖書という感じです。
特質なのは和英対照だということ、英語の勉強も一緒に出来るんですね。気まぐれな読み方、楽しみ方の出来る
良書です。

135)
角田光代:八日目の蝉、中央公論新社、2011
昨年の夏だったか、田舎の本屋へ行って、この本を探したら売り切れで、そのままになっていたんだけれど、
こないだ息子と一緒にお好み焼きへ行って本の話になったら、この本のタイトルが息子の口から飛び出してきて
「なに、読んだの?で、どうだった?」ということになり、借りて読んだわけです。前に借りたのは東野圭吾だったので、
おお、なかなかの本を読むようになったなあ、と感慨深い物がありました。

360頁もあっという間に読了しました。
やっぱり小説は読みやすいです。

で、当然映画にも行くわけです。
映画が先か、原作が先か、一長一短ですが、映画監督の思惑が楽しいのが後者、小説家の視点の細やかさや表現力
を楽しむのが前者。
個人的には映画が先が楽しめる総量は多いように思います。
原作が先で、さらに映画で満足することは少ないように思います。映画監督の仕事の大変さ、才能の有無が辛く成ります。

134)
江尻美穂子:神谷美惠子ー人と思想、清水書院、1999
前出の神谷美惠子さんの伝記的な本です。年代的に私の祖母と同時代を生きた方ですが、苦労も多かったけれど
良い時代だったのだなと、読書しながら、しみじみ感じました。
これは額面道りの感想で、本当に人生を見つめて生きていける、仕事に打ち込みたい人も勉強したい人も集中して没頭
出来る、静かな適度な情報供給のあるバランスの取れた時代だったようです。

してみると、現代はやはり見直すべきことが相当あるなあと思わずにはいられません。
今の原発の問題にしても、発電会社に責任があることはもちろんだけれど、それを許可した国の責任は巨大です。
しかし、そんな国、行政の感覚も経済利益、効率、生産主義に行き過ぎた日本の反映でしょう。
この不祥事は日本全体の趨勢の産物であるのかも知れません。
日本が世界から総スカンを喰らって行きつつあるけれど、世界の各国もそのリスクと背中合わせにあることも
よく議論して欲しいと思う次第です。

そんな現代日本を、現代人を見つめなおすには絶好の本かも知れません。
しかし、使命感一杯の努力、勉強をされていた姿が素敵です。良く読書をされていたのです。

133)
神谷美惠子:生きがいについて、みすず書房、1998
「現代文明の発展はオートメイションの普及、自然からの離反を促進することによって、人間が自然の中で自然に生きる
喜び、自ら労して創造する喜び、自己実現の可能性など人間の生きがいの源泉であったものを奪い取る方向にある」
この本の巻末に記されている文章です。
これは知人からお貸しいただいたものなのですが、人生の目的、意義についてあらゆる観点から解釈しています。
ほとんどの小説のテーマを網羅しているといえるほどです。大変な読書量を想像します。
まさに1000冊読んで、ようやく一冊が執筆できるの定理の代表です。

現実の生きがいを、なんらかの形で完全に失ってしまった人が、また立ち上がっていく過程を様々な形で記述されているの
ですが、それを通して共通の観念が見えてきます。

この本を読んでいる途中、今回の大災害が発生しました。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。また、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

読書などしていられぬ心理状態になりました。
しかし、自らを落ち着かせ、思考を正常にもどすためにも読了することに努めましたが、随分時間が掛かってしまいました。
この本の内容とこれから復興へ向かう険しい道程が重なり、様々な情報が交ざり、上の空で字顔を追ってしまい、
意味を得るために何度も同じ文章に目を通すことのくり返しに陥ったためです。

今回のことで図らずも様々なことが見えてきたのは、どの方も感じられたことと思われます。
原発のリスクの絶対性、原発と文化生活のチョイス、自己防衛と社会性の両立、効率と享楽を追及しすぎた文化の反省、
政治の不審、不振、不信、腹をくくらない保身の態度、想定できない専門家の能力等々。
価値観を改変してより良いバランスを作らなければ成りません。

しかし、これから必ずいろいろな意味で良くなって行きます。
日本人全員、人生を賭して復興に向かって歩きましょう。

132)
中島義道:カントの人間学、講談社現代新書、2010
哲学者の代表格のカントの人となりをやや斜に構えた見方で、あるいはダークサイドの部分を克明に解明していく
本です。哲学者がとても身近な、一人の人間として捉える事が出来る珍しい本ではないでしょうか。

カントはなかなかのオシャレだったんですね。でも、それを知ると私なんか、、、、、
「そっか、やっぱりオシャレは大事なんだ!包装紙は結構重要な要素、演出なんだ!」なんてちょとそっち方面にエネルギーを
注入しようかなと思ったりします。非常に単純な思考をあきれながら感じ入る次第です。
カントの女性観などを知ると、凄く可愛い人だなあなんて思ったりもします。
愛すべきカント!です。

kw
・意志ノ自律:自分自身に対して法則をあたえること。
・未熟:他人の指導無しに自らの悟性を使用する決意と勇気を欠くこと
・時間:時間を徹底的に支配することが残りの人生を出きるだけ長引かせること
・充実:君が考えたことが多ければ多いほど、君がなしたことが多ければ多いほど、それだけ長く君は生きたことになる


131)
中島義道/小浜逸郎。やっぱり、人はわかりあえない、PHP文庫、2009
中島氏と小浜氏の二人の哲学学者の書簡での討論形式の本。通常の討論ではなく、一つのテーマについて
思いのたけをそれぞれが述べ合うものだけれど、まずは中島氏が先行して一文を書いて、それに小浜氏が
やはり一通書いて答える形をとっているので、直接の言い合いはありません。
したがって、比較的穏やかな流れになっているのだけれど、そこかしこにフツフツと、あるいはギラギラとした
感情の彷彿が感じられて、ちょっと緊張します。
中島氏の文章は見解は尖がっているんだけれど、文章は平明。しかし、小浜氏はその逆という感じがして
こうゆうのも不思議なもんですねえ。

130)
立花隆+東京大学立花隆ゼミ:二十歳の君へ、文藝春秋、2011
1998年に同じゼミで作った”二十歳のころ”という本があって(これは今文庫本で出ている)、
結構楽しんで読んだのですが、本屋でウロウロしていたら「あれ、また新装ででたのかな?」と
思ったらニューバージョンだったんですね。
基本的にはどちらも当代の脚光をあびている有名知名人を取材し、彼らの二十歳の頃を回想してもらったり、
何を思っていたのかが書かれています。そうして現在の20歳の若者たちへ贈る言葉が添えられているという
スタイルの本ですね。
二十歳の頃のほうが平易系で、今回のはちょっと難解系なんですが、どちらも楽しく読めました。
今回の”二十歳の君へ”には立花隆氏の6時間に及ぶ特別講義が文章化されていて、それが約150頁あって、
めっぽう面白く楽しい。
立花隆氏は好きで、いろいろ追っかけているんですが、ヤッパリいいです。
それに読みやすい。
もともと理系の思考(抽象的な分析でパッと流れをつかめる人と、具体的な物事の流れに、どんどんのめり込んで
行く人で、区分け)のひとみたいで、明瞭、明確な表現が多いからなんでしょうか。

それにしても51歳で、このタイトルに飛びついちゃうのはねえ。しかも読んでる時は二十歳の学生と
おんなじ気分なんだから。
しかし、昔のように20歳の人が50歳でリタイアするとしたら、実労は30年。
80歳までならなんとか・・・・ということなら・・・・・

129)
中島義道:<対話>のない社会、PHP新書、2002
中島氏の一連の本を読んで感じるのは、一見、自己破壊的なスタイルをとっているようだけれど、実は大変
人間に希望をもっているのだという事です。
幸せを追求するより、真実を求めるということも、、絶望していないことと矛盾しないんですね。
知性と理念の進歩を願っているんです。

その第一歩が、欺瞞のない、偽りのない、コミュニケーションを築いていくことなんだと言うんですね。
それぞれの背負った歴史の中から紡ぎだされる言葉、意見の「小さな差異」を確認しながらゆっくりと
忍耐強く進む。これを氏は会話でもなく討論とも違う「対話」という表現を使っています。
誠実に、遺恨をもたずに話し合うということです。
知らず知らずの内に出来なくなっているのが現状だけれど、がんばって,そのベクトルを維持しないと・・・

足の裏に”まんまっ粒”がくっついたまま、安易に答えをだして、決め込んでしまって、考えなくなってしまって、
そんなふうに成りたくなくて、徹底的に苦しみぬこうと念願したんだと、文中にはあります。
ウーン、そっかあ。確かになあ。

128)
加賀乙彦:不幸な国の幸福論、集英社新書、2009
不幸な国とは、まさに我が国、日本国であります。日本がどれほど不幸な状況に、今あるかを、非常に多くのデータを
挙げ、説明されて行きます。この日本国の状況を把握するだけでも、この本の価値は大きい。

そんな日本で、充実した、意味のある、個々には幸せな人生をまっとうしていくためのヒントが示されています。
幸福とはある状況に対して評価を下しているだけで、”禍福は糾える縄のごとし”や”万事塞翁が馬”のように
いくらでも転換してしまう概念なんですね。つまり幸福は定義してはいけないということです。
それでも、生きがいを持つとか、自分の悩みで一杯にしない、外部に目をむけるとか、人生から自分が何を期待されているか
を意識せよとか、死について深く見つめてみよとか、知足を知れとか、いろいろと説明してくれています。

でも”彼の喜ぶ姿を私が作っている実感”が一番痛烈ですね。
むかしナポレオン・ヒルの本を読んだ時、こんな話がありました。
世紀の天才、アインシュタインがある授賞式の記者会見で、記者から「先生、人は何のために生まれてきたのだと思いますか」
と問われたところ、きっぱり、一言「それは、奉仕するためにだよ」と言われた。
この件をおもいだしながら、ハタッと膝を叩いたのでした。

127)
中島義道:「哲学実技」のすすめ、角川oneテーマ21、2000
架空の教授のN氏と、氏が開く私塾に集まる塾生6名との問答形式で展開していく哲学の本。
6名の塾生は様々な環境にあり、教授が投げかけるテーマに、とまどいながらも苦悶の返答をくりかえしていくが、
それぞれの主義、観念とのすり合わせができず、徐々に脱落していく。
そして、誰も居なくなる。
この顛末の中で、読者も同じように思索をしてしまう。いつの間にか塾生の円陣の椅子に座ってしまっている。
妙に解り易く、スピーディーでスリリング展開の楽しめる本であり、学ぶものも相当に多い本だと思いますよ。

KW
・エゴイズム=他人の利益は第二に。
・善良な市民=直視しようとしない人
・必要なのは調教
・思考の体力=自己批判的に見る目を鍛え、しかも持続する力
・幸福の追求は真理の追究の次に
・生き方と独立の心理の追及はない。
・不幸であることは、恐ろしく「からだ」を考えることになる。
・トコトン考える=心臓の鼓動を、頬の火照りを、眉間の皺に問いかける。
・無理な決着=思考の停止
・体の発見=異邦人になってみる
・科学語と世間語
・自由であること=自己決定
・本当にことが言えないのは保身であるから。
・善の影にも悪がある
・自己否定へのアプローチ=精神を鍛えること
・不安は宝

126)
松岡正剛:日本流、ちくま学芸文庫、2009
現代屈指の英知の人、ソクラテスのような風貌の松岡正剛氏が日本文化を服飾、仕事、遊び、歌、祭りを通して
解明していく本です。
複雑に思える日本文化も、ルーツを知ると非常にシンプルであることがわかります。
多様で一途、絶対矛盾の自己同一、公共善=義、擬似再生=祭り、等等で表される法則が良く分かります。
50年も日本で暮し居ているので、それぞれの法則にあてはまる現象はいくらでも浮かんできますからね。

たろえば祭りは擬似再生、つまり、いったん仮死状態(擬死)になって篭る(蛹、プシュケー)、そして再生するという儀式でもって
生と死の波打ち際(死生観)を見ることによって、生を確かめる(民族繁栄、豊漁、豊作、受胎安産祈願など)という
行為なんですね。蛹が再生のもとであるという発想は我々フライマンはメチャクチャわかりますね。

仮死状態の蛹が神輿や山車に降臨(憑座)してきて、それが社を出で、町をジグザグとねり回る、そして再生する。
この年に一、二度のイベントにはこの本質に、”移る、写る、映る””うつつ(現代)””結ぶ(力の結節の象徴)”
”はやす(永代であること)”などの要素がどんどん付随され、華やかになっていったという。
こういったお話です。

それにしても、聖徳太子、卑弥呼からユーミン、グレイまでこの本に出てくる人物は約550人に成ります。
しかもそれぞれの章でははしょりの気配が大変多く感じられました。
なんという無尽蔵な知識!!
難しい表現が多々あるのですが、それはこちらの問題ですからね。
楽しい本です。

125)
貝原益軒、伊藤友信訳:養生訓,講談社学術文庫、2008
70歳をこえてから執筆活動をはじめ、83歳で校了したこの本は、その題名は多くの人が耳にしたことがあり、
またその部分的な”教え”もいくつかは知っているのではないでしょうか。
 年末の帰省中に電車で読み、感服し、実家で家族兄弟の話題に提供し、皆それぞれ買おう、と言わしめた
本であります。

 江戸時代版、”家庭の医学”といって良いかな、いやそれ以上と思われます。現在の”家庭の医学”の決め台詞は
「、、、そして、医師の診療をうけるように出向いて、、、」となるのですが、この時代、その医者がなかなかありません。
自力でなんとかしなければならない。それはつまり、予防を徹底していくことしかなく、そこに重点が置かれています。

発病後の療養についてもキメ細やかに指導されていて、現代医学に照らし合わせても否定できるところは
ほとんどありません。少なくとも不必要なアドバイスは一切無い。不必要な処置は害だと言い切っています。

 ある器官の、ある時期、特定のステージの実験結果をエビデンスとして、可能性に過ぎない健康法を提唱し、
中には突飛な健康法も散見される現代の心身管理感覚と違い、徹底的に経験則、疫学、実学に元着いた珠玉のコメント集は
必ず、良い人生を仕上げていく極上の調味料になってくれることでしょう。

かといって、健康だけに執着するというわけでもなく、
「大節において命を捨ててかえりみないのは”変”における義の行為である。”常”に応ずる健康管理の道と、”変”に
応ずる義との相違を心得ておくのは大切なことだ」と、人生の意味のなかに身命を賭しての仕事があることの重要性を
説くことも忘れていません。

一家に一冊、いまだから必要な極めて実践的な本です。


124)
梅原 猛:哲学する心、講談社学術文庫、2002
太平洋戦争末期に青春をすごした梅原さんは、近くに死が迫っているという社会状況のなかで、
無意味な死はたえられない、せめてその死の意味、価値を知りたいと書物をむさぼり読んだようです。
そして、突然の終戦。「生が我々の前に横たわった時、容易に生の意味がわからなかった」という壮絶な
体験をされた。
そういった経験によって、おそらく物事に対する、真剣な眼差しが養われるのでしょう。
いわゆる、死生観です。
今の世の中、真剣な眼差しを養うのにはどうしたらいいのでしょうか。
平和と陶冶、ジレンマがありますね。

K−W
・かつては神や仏に近ずく方向に人生の目的があった。
・魂の不死の証明は西洋の形而上学の中心問題。
・理性は、認識の力を通じて物や人を支配する意志
・意志に対して感情が、、、
・考える自我と自然科学的な物質
・仕事がおもしろくなければないほど余暇における遊びを求める。
・球技は戦闘の集団化
・眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、末那識、阿頼耶識
・精神=理性+気概+欲望(PLATON)
・文学、芸術、学問→不正な世を正す。

123)
中島義道:「人間嫌い」のルール、PHP新書、1996
「人間嫌い」を通して生きていくためのルールについての話。著者は具体的に10個上げています。
こういう人の動力は自己愛なんだそうです。
悪いことではないですね。
良い意味で自己中心でないと、他に対する要求が大きくなってしまうからなんだそうです。
裏を返せば、他人に過大な期待をかけてはいけないという定理がでてくるのですが、子供に対する気持ちなんかは
振り返ると、冷や汗が出てきます。
やっぱり、どんどん釣りに行かなきゃいけないな!!

では普通の人と、どう違っているのか、線引きはどの辺りかということについてカントの普遍的立法をあげて
説明がなされていますが、つまり、、、、
完全義務:(自殺してはならない+守れない約束をしてはならない)
不完全義務:(自分の知的、道徳的資質を向上させなければならない+親切にしなければならない)
のうち「親切にしなければならない」のあたりの解釈が微妙になってくるというんですね。
そうかもしれない・・・と思ってしまうことしきりでした。

本音と建前、これをうまくブレンドしていかざるを得ないのだけれど、本音がズバズバでてきて笑っちゃうほど
面白いのでした。

122)
中島義道:不幸論、PHP新書、2002
この本では、各人は二つの生き方を選択することになるであろうと言っています。
幸福な人生を選ぶか、真実を見つめる人生を歩くか、であります。
読後の感想は善悪という指導的なものは感じませんでした。それは、やはり各人の自由で良いと思いました。
 真実を見つめるようになると、幸せ(と感じること)から離れてしまうけれど、でも「死ぬことが怖くなくなる」と言います。
なかなか良い事ですね。
ヒルティーは「仕事」を幸せに繋がるキーとしており、アランやラッセルは楽天的、気の持ちようと自分の道をチョイスし
限定する方法をとっている。苦痛の不在が幸福だというのはショウペンハウエル。
いずれにしても秘訣は深く考えないことである。

幸福のための4つの要件
1、特定の欲望がかなえられること
2、その欲望がその人の一般信念にかなっていること
3、その実現された欲望が世間から承認されていること
4、その実現が他の人を不幸に陥れないこと(苦しめない、傷つけない)


121)
中島義道:善人ほど悪いやつは居ないーニーチェの人間学、角川oneテーマ21、2010
これまた、きびしいコメントの連続でありまして、マゾ的な快感は果てしなく感ぜられるのですが、そろそろS的な
感覚も芽生えてまいります。シフトが発生してまいります。

そんなSなコメント集・・・・
・自分の弱さをいとおしく思ってはならない。それを憎まねばならない。
・友を救うとき、どちらを選んだにせよ、激しく自分を責めるべきこと。それが正しい(カント)
・ものを考えない、その怠惰さが私は嫌いである。
・法の下における平等は、社会的禁止に関してのみ平等である。
・同じ考えのもの同士で固まり、異質な者との接触を毛嫌いする。そうすると人は果てしなくだめになる。
・敵との対決こそが人生の醍醐味
・弱者から脱したいと全身で願うものになりたい。
・さもしい力学が内包されている同情
・弱者の信念は、「誰をも傷つけない」ということ

など、ニーチェの文章を解読しながら、人生の観察方法を次々と説明していきます。
本編かあ、、、。

120)
中島義道:孤独について、文春新書、1998
多様な生き方が可能な人生、その振り子の振り切れた一方も随分と良いものだなあと想いました。
それどころか、これは大変、純粋で綺麗な姿です。
人生の終末を考えないと、為すべきことはわからんぞ、といっております。
それにしても、突き詰めて考え続けることは、なかなか辛いことです。

孤独に生きることをチョイスすべき人の条件も書いてあります。

ややハードな内容なのですが、優しさと穏やかさが漂っていました。

119)
中島義道:私の嫌いな10の人々,新潮文庫、2006
なんだか著名人のゴシップ的な本かと思いきや、著者のことを知らないがための恥ずかしい勘ぐりでして、
実際はメチャクチャ硬派の哲学の本でした。
マゾ的な快感とともに明日からのエネルギーが湧いてくる実感を得られます。
薄汚くなく、思考を放棄せず、錯信帯にとらわれず、勤勉に体で考え、血の滲むような経験を積んで行いく、
「素朴な態度」の人生は大変素敵で憧れます。
中島氏はかっこいいです。

118)
養老孟司:カミとヒトの解剖学、法藏館、1992
”唯脳論”ばりに歯ごたえガンガンの一冊ですね。
脳、宗教、死、心身論、浄土と無限、墓、などなど、ズシリです。

終盤の感覚入力のお話が特に楽しく読めました。
以下ダイジェスト・・・・・

*視覚(位置):であること:粒子:古典的(封建的):静的:アポロ:意識:知:造形芸術:夢:意識
*聴覚運動系(時間):すること:生成:進歩的(平等):動的:デュオニュソス:本能:情:音楽:陶酔:本能
 音はより平易で深く、動物的で、宗教的で哲学的であり、世界の本質を表しやすいということ。

当方の”知的教養の不足”の文字が連続点滅しておりました。

117)
外山滋比古:「読み」の整理学、ちくま書房、2007
前出、83の”思考の整理学”の著者の作品であります。
”あー、こうした観念を中学、いやせめて高校の時に、習得できたらどんなによかったか”と思うことが、最近、加速度的に
増えているように思うのですが、この本などは、その筆頭のように思います。
しかし、当時もそうしたチャンスはあったのだと思われるのですが、ダメでした。
そうした事実も、この本では、以下のようにあっさり解明してくれます。
「論理的な文章をすべて面白くないもの、難しいものときめてしまいがちなのは、知的教養の不足である」
だから、しょうがないんですね。
それをその年代の若者に理解させるにはどうしたらよいか、、、、、やはり周りの環境と、読書ですかねえ。

kw
*既知のものを読んでわかると思っているけれど、それは未知のものを読むための準備段階である。
*未知を読む二つの壁:不明は語意+考えそのもの
*登山に挑む人たちを支えているのは、苦しさを通じてのみ味わうことのできる発見と快感である。
*既知を読む:未知を読む=?読み:?読み=母乳語:離乳後=限定用法:精密用法
*?から?へは以下が有効→文芸作品、物語の活用、おとぎ話、美しい嘘、哲学書、心理学書、比喩、洞察力、想像力
*言外の意味、行間を読む、眼光紙背に徹す。
*行間を読む、二種:
   個性的(文学青年のような作者の人間に関心、情緒移入的)と
   古典的(哲学的、典型の普遍的なコンテクストに関心、幾何学的な性格)
*言葉と物事の絆を切り離す意味の体得
*読書百遍、韋編三絶
*幸福な人はなかなか読書の奥義に参入することは難しい
*独自の世界=コンテクスト


116)
マイケル・サンデル:Justice(これからの「正義」の話をしよう)、早川書房、2010
 現在40万部を突破したベストセラー。
テレビでチラッと見て、知人に話を聞いて、本屋へ行ったらレジ前で、ヒラ積み、分厚いハードカバーと値段にチョット
購入を躊躇したけど、購入。

 約350頁の本は沢山のジャスティスに関するエピソードを挟んだ、生活、政治、社会、民衆、個人の哲学がテーマ。
わりかし、解りやすいのですが、時折、専門用語、形而上学的事項、ア・プリオリな事象、概念がチラバっていて、
何度か読み返すところが多々ありました。
訳された文章は読みやすいのですが、それでも英語的な配列のせいか、コッチの頭の問題か
そうした読み返しが何度も必要でした。

カントやアリストテレス、ジョン・ロールズ、バラク・オバマ、ケネディーなどの見解を対比させながら話は進みます。
思想や政治理念も進化してきたんですね。そして、まだまだ不十分、不完全なんですね。

文中には、正義、名誉、自由、平等、功利主義、幸福、正しいこと、善、奉仕、犠牲、社会性、人間性、美徳、多元性、、、、、、
価値や評価の概念が嵐のように飛び交って、、、、。
これは、難しい、簡単な事ではない、複雑で重層した世界です。
未だ獲得されていない新しい観念がいるのだなあ。

現在は経済的生産性の向上(福利)と人権の尊重(自由)が議論の中心にあるのですが、道徳的、精神的な、美徳の概念を
上手く取り入れるよりないみたいですね。(これのリスクを認識しながらも)
理論に走ってきた現代に、情念の側面の付加が求められているようです。これは原初のアリストテレスの思想に立ち返る
という不思議を感じます。

337ページに書いてあるR、F、ケネディの
「物質的欠乏をなくすため行動するにしても、より大きな課題がある。それは”満足の欠乏との闘いだ”
  みな、そのために苦しんでいる」
という言葉は痛烈ですね。わかるんですが、、どうすれば多くの人民が同じように感じ、実践できるのでしょうか。
この本の終盤に、マイケルさんの答えが載っています。


115)
木田元:哲学は人生の役にたつのか、PHP、2008
勉強したい、そういうインセンティブはどうしたら起ってくるのか、一つのヒントをみることが出来ます。
そしてイザ!勉強しようとなったときに決定的、絶対的な文句がくりだされます。
「最近の教育では、考える力をつけることが大事だ、などと言って、暗記することを軽視する風潮があるが、
頭の中に何も無ければ考えることなんて出来ません。基礎的な知識は覚えるしかない」
本当ですねえ。このことは誰が考えても明白なことなんだから初等教育の適切な時期に徹底的にはなし、解らせるべきこと
なんだと思うけれど、教師が先だな(失礼!)

哲学者が哲学の勉強をどうゆうふうに勉強してきたかを縷々と語っているのですが、当然、著名な哲学者の生活も
含まれて居ます。女性との恋愛の件は楽しいです。

働かなければいけないのか、働かない自由も認めるべきではないか、、、、、コペ転な話にショックを受けますが
明確な反論が、論拠があげられない。
そういった時代になってしまったのですね。

114)
里中哲彦:まともな男になりたい、筑摩書房、2006
この本の一番印象深いのは、アナロジー、ないし比喩が大変豊富に使われていて、形容詞や四文字熟語の
オンパレード、これでもかって程にくりだされて来くるところです。
そうゆう意味での勉強にもいいかもしれません。
基本はソフトフィロソフィー(造語;;)であります。

内容は、教養について、恥、廉恥心、寡欲(かよく)などについて、現在の価値観や現実をとりあげて
望ましい(自分にとって)方向性を説いていくのですが、非常に耳が痛く、苦しく、辛く、けれども全く同感すること
ばかりでありました。
そして、特出すべきは”平衡感覚”のススメであります。
「いいか、ものを信じたら、信じた分だけ疑ってみよ」と背後に矛盾対立する二つの相を見ることが出来るように
なりたいと本人自身も願っています。
平衡感覚とは折衷であり譲歩であり猶予であり調停であり、ゆえに矛盾であり臆病であり中途半端なのであります。

この本のあとがきに田辺聖子さんの文章を引用されて
「本で知っているということは、恥ずかしいことであって、ひとにそれを教えることはもっと恥ずかしい。
 血肉になっていない知識は、知らないのと一緒である。」と、この本の発行にあたって”みっともなさ”の視点を
忘れずにいることを述べています。

これまたドッキンコの視点です。
このライブラリーのテーマにも薄々、同質の要素を感じていたのですが、”みっともない”ことはそうだけど、それはそれ
一つのダークサイドであって、対立するメリットもあるかなあと思っていたりして、、、。
これも平衡感覚だあ!と走破しよーっと。;;;

113)
渡邊大門:「アラサー」が変えた幕末、マイコミ新書、2009
幕末の志士たち、坂本龍馬、陸奥宗光、大久保利通、河井継之助、勝海舟、橋本佐内の短編ドキュメント集です。
みんな、正に命をかけた人生をまっとうした。
いろいろ偉業を成し遂げたのだけれども、一番シミジミ思うのは、みな学問に憧れて渇望していたということ。
教材も、師も身近にすることが困難な時代、しかも生活をするだけで精一杯な社会情勢の中では珠玉の輝きがあったでしょう。
そして、わずかな機会を得ては、その学問を喜々として、しかし命がけでしたということです。

勝海舟などは、極めて貧しい出自であり、オランダ語の辞書「ドゥーフ・ハルマ」(全58巻、総頁数三千頁)を120万で
仮り、一年かけて筆写したそうで、一日換算、16頁を写したことになるのだけれど、大変な努力であります。
素敵だなと思います。
洗練され、ハイソなイメージの勝海舟も、こういった修行時代があったわけですね。
しかもこの時、筆写は2部したそうで、一部は販売(360万)用だったそうな。壮絶でさえあります。

みな30代を中心に濃密極まりない、日々を刻んでいた。
わが身を振り返ると、淋しいかぎりではありますが、たまには、こうゆう本を読んで、自らけしかけるのも一興です。

112)
苫米地英人:なぜ、脳は神を創ったのか、フォレスト出版、2010
宗教のお話です。
神とは完全なるもの。故に万物を創造し、過去も未来もすべてを知る存在である。
人が神を求めるのは部分情報である自らが、完全情報を持つ神にあこがれるというのが大きな理由です。
でも、この世に完全なものはないということが物理学上でも、数学上においても証明されてしまった。
事実上の神は、やはり人間の想像物であるといわざるをえない。
神の存在は、知に対する永遠の憧憬が人にはあるということの傍証なのでしょう。

宗教のもっとも注意すべき点は、その取り扱いです。
宗教家の興味はもっぱらあの世に向けられていて、現世に対する執着はあまりない。
しかし、政治家や資本家はまさに現世(金銭や名誉、権力)に強い思い入れがあります。
彼らが行動コントロールのために宗教を利用するならば、困ったことが起こりえます。
この本では、従軍神父ないし牧師、従工場牧師などを挙げて、そのグロテスクさを語っています。
しかし、宗教的発想を中心に政治にあたるような場合は、実は比較的健全な政治を行ってくれるのだと言います。
なぜなら、彼ら宗教人は、この世で悪いことをして、あの世で罰を受けるのはごめんだと、思っているからなんだそうです。

でも理想はそれもこれも超えた、宗教よりもさらに抽象度の高い世界に興味を持つようになれば、
どこにも矛盾の無い社会、生き方が出来るようになると著者は言うのですが、この抽象的なということが
今ひとつ伝わってきません。
非常に崇高な理念なのだと想像するのですが、ひょっとして祖師たちのようなレベルに各人が成れ、ということなのでしょうか。
理論だけで人心は動かないですからねえ。どうなんでしょうねえ。

それよりも、面白かったのは、学問の評価についての記載。
数学があらゆる学問の中でもっとも純粋な記述言語であるということ。
数学は理系学問のヒエラルキーの頂点におかれていて、神の学問と扱われていたことがあったということ。
この辺り、グググっときました。
中学時代、数学は、どちらかというと、なんだか個々人の頭脳をためされているような気がして、嫌いな方でした。
でも、だからこそ、ほっておけなく、まじめに、神聖な真剣勝負的な構え、態度で授業も勉強も試験も受けていたように
記憶しています。ですから、しんどい、重い科目というイメージが今でもあります。

試験の結果も、理解のスピードも、思うようにいかないと、一番ブルーな気持ちになった科目が数学。
この科目だけはできていなければいけない、遅れると一気に取り返しのつかないことになりそうだという
切迫観念さえありました。
数学にたいするイメージ、同じような方は意外と多いのではないでしょうか。

”神の学問”というところを感じていたのかどうか分かりませんが、子供の数学のノートを見ると
いまでも苦しくなってきますね。

えーっと、そんな本でした。

111)
近藤誠、日垣隆、山田太一、吉本隆明ほか:死の準備、洋泉社、2001
人間は必ず死ぬ。ただ一人の例外もなく。こういった出だしで始まる本です。この分かりきったことを、著名人が
それぞれ適切な視点から、よりよく認識させてくれる本です。
生死は根源をおなじくするのですが、しかし、「それは生の発端を知りえないのと並んで、人間の知の絶対的限界という
べきもので、、、」と山田太一さんは言います。

清水真砂子さんは「そのことを覚悟すること」と、死に対する、くりかえされる思想にピリオドを打つ手立てを教えてくれました。
きれいに死にたいとは願うまい、糞尿にまみれて死ぬ覚悟があればそれで良い。と。
死は明け渡しなのだ。場の、権限の、その他もろもろの。そう気ずいたとき、すっと何かが分かったきがするといいいますが、
進化系であげる栃内新さんの、”老化”にも同様のコメントがあり溜飲が下がるのでした。

 ではそれがまじかに迫った老人はどうすべきなのかについて、吉本隆明さんは、過去も未来も考えず、その時々を楽しむように
時間を”刻む”のがよかろうとしています。
氏の好きな言葉に高村光太郎の「死ねば死にきり。自然は水際立っている」というのがあるわけです。仕方がないのです。
終わりったら終わりなんです。

医師の近藤誠さんは、自分が死の病に掛かった時の医療の受け方を書いてくれています。この内容に自分も強く同感します。
処置に伴なうQOLの低下が恐しい。

西尾幹二さんは、医師の態度として「病名告知はあっても、余命告知はあってはならない」といいますが、全くその通りですね。
でも、結構そういう医師はいるんですねえ。医師たちの知識の披瀝、インテリの悲しみの産物とでもいうのでしょうか。

森崎和江さんは、死に実際的な意味をもたせるとしたらそれは、「最後の仕事が残っているのよ。死とは何かを身をもって
教えること。」と勇気ずけてくれます。

阪大の加地伸行さんは、死を知ることで生にたいする大いなる畏怖を身につけることが出来るとして、宗教、特に印度仏教と
儒教をあげて説いています。気候の特色が葬儀、墓、祖先、祭礼を紡ぎ出した儒教の感性を、子供ら次世代の人に身につけ
させることが死を生に転化する有効な方法だと言います。極めて説得力のある話でした。

ここのお話は、生物であるヒトとしての視点からもまったく矛盾のない展開でした。
文理統合であります。


110)
渡部昇一:自分の品格、知的行きかた文庫、
氏の考えはいつも納得なのですが、今回の本のしめくくりに、こんなことが書いてありました。
「わたしがかつて読んだ本のなかに”断固として行なえば運が動く”とあったが、私の経験から言っても、
これほど真実なことはない。動かない人にウンは生まれようもないし、好運のめぐりようも無いのである。」
本当に、そうだと思います。

109)
小谷野 敦:もてない男、ちくま新書、1999
恋愛のことについて、いろいろ書いてあります。文学にあらわれていることや、ファッションにも目を向けてます。
最終的には結婚論となるのですが、その結婚相手を決断する時の自分の気持ちの判定に、こんな自問を挙げてます。
「障害を持った子供が生まれたら、協力して育てていこうと誓い合えるような男女でなければ、結婚してはいけない」
そうだと思います。

108)
なだいなだ:民族という名の宗教、岩波新書、1992
社会構造の一面を理解するのにとても良い本です。
この本を読むと、社会はどのように出来てきて、どうのように動き、志向し、揺らいでいるかを、
なんとなく把握できるように思います。

原始の時代、ひ弱な人間は一人では力をもてないので、集団を形成することが要求された。
そしてその集団という存在形式そのものを武器として活動して来たことによって生物界の頂点に
立つことができた。

しかし、そのためには集団内での争いを排除することが前提であり、武装解除、危険回避が求められ、
それには犬歯の矮小化と言葉の発明が大きく貢献した。
こうして人間はオスだけで集団をつくれる唯一の動物になった。他の生物を圧倒する所以がここにある。
そして、この集団をうまく運営できるために構造と命令系統の確立が必要になってきた。

もっとも原始的な構造としては土着の住民社会や、血族というものがある。
命令系統は"しきたり"であり、同質のものに教義としての宗教、社会主義などのイデオロギーがあげられる。
宗教もナショナリズムも社会主義も皆未来を約束している。これは集団をまとめる原理である。

ということであった。

107)
なだいなだ:アルコール問答、岩波新書、2001
著者の、この会話形式の文章はとっても読みやすくて、生徒が先生と話して学んでいくような
マスでなくパーソナルな教育を受けている手ごたえがあります。
ここでもアルコール中毒を題材にしていますが、やはり、依存、社会との連携、宗教と医療、心理学と哲学
論理と心情、といった氏のライフワークといえるテーマが充満しておりました。
まあ、もちろん禁酒やその社会背景、社会的病理も学習できますけれど、、。


106)
ウエイン・W・ダイアー、渡部昇一訳:自分のための人生、知的生き方文庫
この本も二度読みでありました。
かなりインパクトがありました。

大変多くのアドバイスが濃密に解説されているのですが、最終章に”自分のための人生”を実践する人を
「彼は、、、」とプロフィールを紹介するように描いていて、読み進めるとどんどん勇気が湧いてくる感があります。
キーワード
・錯信帯
・刹那主義
・過去の自責と未来の不安、行為の人ー今
・感情ー思考ー選定ーコントロール←支配
・直覚と衝動
・自愛と他尊
・戦い:けり、侮辱、名誉、自活
・自由な状態を許す
・恐るべき安全のすすめ
・何とかできるー真の安全
・先延ばしは普遍的錯信帯
・正直、責任逃れ、体裁、嘘


105)
なだいなだ:神、この人間的なもの、岩波新書、2002
70歳を越えた精神科医二人の会話形式ですすむ、宗教についてのお話。
あまりに大切な内容と思われ、二度読みしたのでした。
キーワードのみ記載しましょう

・新しい信者のエネルギーは不安だから。
・集団帰属と安堵、集団への帰依
・指導者の神格化
・不安の根源は一人
・生きている限り、不安である。
・人間の本性は部族社会
・集団は小さいほど結束が強い
・地獄の設定、逆戻りの第一歩
・弟子意識と経典化
・不安は習慣によって抑えられる。
・管理型医療
・善悪二元論と病気と健康
・病気になりたがる人がいる
・宗教=集団化への原理
・個=習慣、集団=文化
・蔑視=劣等感の治療

104)
阿久悠:夢を食った男たち(「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代)、文春文庫、2007
私らの少年期のテレビは明確なカテゴリーがあったように思いす。アニメ、ドラマ、教育関係、ニュース時事、
歌謡番組、、、。でも誰もが見ていて、話題や生活に欠かせなくなっていたものが二つあって、一つは前出の
”八時だよ!全集合”であり、もう一つは日本テレビの”スター誕生”であります。

初回から見ていた記憶は無いのですが、森昌子さんの決戦大会の時、芸能プロがプラカードをあげたシーンは
はっきり記憶しています。
もっとも印象深ったのは桜田淳子さんのケースで、決戦優勝の数ヵ月後、トレーニングをすませ同番組で、
白い帽子をかぶって「天使も夢見る」を歌いデビューした彼女をドキドキしながら見入っていた私は一歳年下の
中学一年生でした。本当に可愛かった!!

この本は、当時の芸能界、テレビ界の状況を中心にその以前と以後を具体的なスター、アイドルをあげながら
克明に解説されています。
レアーな記憶の希薄な、でも懐かしい名前が続出し、YOU-TUBEが欠かせない数日を過ごすことになりました。

この本を読むとあの当時、皆信念をもってそれぞれに懸命に頑張っていたことが強烈に伝わってきます。
また、同時に同世代を生きてきたわが身を振り返らずには居られませんでした。うむ〜。

スター誕生で司会をしていた萩本欽一さんが「あの二人だけは、ちょっと違っていたなあ」と言ってたそうだけど
誰と誰かわかる?とこの本について嫁さんと話していたら訊ねられました。

私は両名とも当てました。
桜田淳子さんと、石野真子さんだそうです。

103)
坂本光司:日本でいちばん大切にしたい会社、あさ出版、2008
健全で、存在価値のある会社の要件として、以下の人々を幸せにすることが出来るかどうかを挙げています。
それも、この優先順位で、、1)社員とその家族、2)下請け業者、3)顧客、4)地域の人、5)株主、、、。
営業のポテンシャルとして会社そのものに陽としての力が無ければ空回りするだけだというのはそうですよね。
3)の顧客と答えるのは理論的ではあるけど、実態はついてこないわけです。
内の力をつけていく、輝いているのは外から見える。ということですね。
このほん60万部売れたそうで、パラダイムの変換が起こりつつあるのかもしれませんね。
営利目的は不毛であると。
この本では「日本理化学工業株式会社」のエピソードにつきますね。皆泣きます。

102)
居作昌果:8時だョ!全員集合伝説、双葉文庫、2001
89)のいかりや長介の「だめだこりゃ」とこの本は、当事者であるタレントとプロディユーサーの異なった視点からの
怪物番組”8時だよ!全員集合”をとらえた兄弟本です。
V9のときの読売巨人を長嶋茂雄と川上哲治がそれぞれ説明するようなものですね。

ただし、やはり作り手であるこちらの本のほうが、鬼気迫るものを感じました。
それに番組としての思い出も、こちらはより鮮明に甦ってまいりました。
やはりアウディエンスの要素をもって書いていらっしゃるという事からなのかもしれませんね。

それにしても凄い番組だったんだなあとつくずく思います。
一時間の番組のために、ネタ、構成、練りこみ、それにリハーサルの10時間を含んで、まる三日を費やしたそうで、
それを16年間、毎週。計801回。
文京会館、渋谷公会堂、厚生年金会館、郵便貯金ホール、、、こういった会場での公開生放送は
まるでライブコンサートか演劇をみるようなものだったんですね。
同世代で、会場に行ったことのある人は、結構いるんだろうなあ。田舎で暮していた私には夢のような世界です。
今度、いろんな人に聞いて、もし、行ったことある人に当たったら、一杯聞いちゃおう!!とか思ったりしました。

ちなみに、この番組がヒントになって「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」「ム一族」は出来たんだそうです。
とにかくえらい影響力のあった番組だったといわざるを得ません。


101)
小林道夫:科学の世界と心の哲学、中公新書、2009
この本は2部構成になっていて、一つは科学全般についての広い記述、もう一つは意識ないし心というものの
認識についての記述であります。科学については、難しくはありますが、なんとか分かります。
しかし、心の問題については、理論展開をおっていくのも辛いものでした。
これらの説明は総じて言えば、心身問題の解明を目的にしていると思われます。
そのために、デカルトの心身二元論とガッサンディやホッブズの唯物論を対比することで得ようとしている。
ま、そう思えるのだけれど、ちょっと難しくって、そうじゃないかな〜というところです。

はなしの雰囲気では
「科学の理論的、形式的体系とは異質なレベルの意識の存在性をみとめることが出来るのである」
というようなことから二元論が受け入れやすいのだけど、この”異質なレベル”がどういうものなのかを
解明できれば、また一つステージはあがれそうなんですがねえ。やはり神経科学、脳科学あたりから、
あるいはまた最小から極大への視点の変換術のようなものから、徐々に、、、なんでしょうか、、。

まあ、しかし、読み進むのがしんどい、粘性の高い、でも、良い本でした。
少ししてからまた読みましょうかねえ。

100)
久保田 競:バカはなおせる、脳を鍛える週間、悪くする習慣、アスキーメディアワークス、2009
やはり田舎へいってのことですが、今年は雪がすごくて、スキー場へ行ったら地域一帯の停電でリフト停止の
状態。それでしかたなく巨大書店(田舎はホームセンターや、酒屋、パチンコ屋が集まった大型施設がありますが
、駐車場の必要性がこの形態を形成しているのでしょう)にいってグダグダ物色しました。
ま、することがあっても無くても、これはなかなか快適な時間です。
それで、ちょっと立ち読みしていて、この”バカはなおせる”と”あたまの良くなる習慣”が購入候補になって息子を
呼んで、「ねえねえ、これとこれ、どっちが読みたい?」と聞いたら「どっちも嫌だ、はらたつ」といって店舗の奥へ
消えていきました。

それから悩んだあげく、こちらを買ったのですが、一般観念、しつけ的なハウツウ本では無く、研究者の得意な
データと、それからこれが特出しているのですが実験系まで記載し、理論武装を磐石にしてのコメントで
構成されています。

たとえば、ブランチ(入り子型)課題、この作業だけに活躍する10野、前頭棘が発見され、これがサルには無く
人間だけに存在していて単純作業時でなく複数作業時に現われるこの前頭棘の鍛錬が作業能力を向上させる
といったような最新情報が満載。

歩行と軽走の関係も興味深い。
この本も本当は進化系だと思うけれど、100冊到達にほだされて、、、

99)
内藤佐和子:難病東大生、サンマーク出版、2009
お正月、実家に帰って、一族が揃ったのだけれど、兄弟夫婦たち+子供等でトランプ、”神経衰弱”をしました。
そこで妹の旦那がメチャクチャ強くて、その娘、私の姪ですが、彼女も負けず劣らず強いのでした。
いわゆるワーキングメモリーが強いのだと思うのですが、脳の特性(物覚えが良いとか、回転が速いとか)
や遺伝因子というものを突きつけられるようなゲームなんだと思うと同時に、訓練にも最適だなっと感じました。
しかし、中学生の息子は案の定、自分の弱点を目の当たりにするこのゲームを嫌い、そうそうに脱落して
隅へ行って4コママンガの”かりあげくん”や”フリテンくん”を読んでいじけてました。

こうゆうエピソードの中で読んでいたんですが、著者のもつ実績は、この記憶力が底支えであるとは思われず
、ある種の性格が主なパートを占めていると感じます。
これは活躍する人たちに共通するものだと読書でも、実際の対面でも、感じます。
その性格は何かというと一言、センテンスでは伝えられなく、もどかしいのですが、この本はその秘密を
感じることの出来る本の一つだと思います。

帰京の電車の中で、なにかの話の流れで、、
私:「でもなあ、一瞬で覚えるシナプス結合は脆弱で、すぐ忘れるんだぜ。何度も何度もくり返し苦しんで
  刷り込むといつまでも忘れないもんなんだ。それに皆は、その人が優秀なことより、努力したことを、
  それが表れる時に感動するんだぜ」
と、お尻がムズムズするのに耐えながら慰めたのでした。これは父の務めと心得ます。

98)
古谷敏:ウルトラマンになった男、小学館、2009
ウルトラマンセブンに背の高い、スタイル抜群の隊員がいたのを覚えていますか?
あの方が著者の古谷敏さんです。私はそのことを知っていたような記憶がありますが、定かではなく、
この本を読んで思い出す程度の印象だったのだと思います。なんせ子供でしたから。
でも、ウルトラマンのあのスタイル、シルエットは古谷さんの体型でなければ実現できなかったのだなと
ひどく納得してしまいました。
顔出しできなかったウルトラマンの、素敵な役者人生が描かれています。

あの頃は眉毛の濃い、目鼻のハッキリした、時代劇には合う顔が受けていた年代でした。
当時の古谷さんの画像をみるとスタイル、優しい顔、あのウルトラマンでの動きなどを統合すると
現代ならブレイクしていたかもしれないと思います。
時代より早く出世した俳優さんだったのかもしれません。

97)
吉岡忍:墜落の夏、新潮文庫、1997
この事件の関連書物は数多くあります。
なかでも、この本は誠意溢れる大変緻密な一冊でした。
現代社会構造を再考させられる内容に繋がってしまいます。

k-s
*ほとんどいつも問題になるヒューマンファクターは、均質化を裏切る事柄として、指摘されてきた。
気分のムラ、不注意、さくご、うっかり、見おとし、披露、病気、気まずい人間関係、、、
これらのシステムに穴を開け、システムの遅滞ない運用を妨げる人間的要素は注意深く排除されなければ
ならない対象だった。

*システムのほんとうの安定化のためにはシステムにかかわる全ての人間を均質化するしかない。
しかし、それは今のところ不可能であるばかりでなく、もし可能でも行なわれてはならないことだと
思う。人間が均質化されなくてはならないのだったら巨大技術システムもすべて要らない。

96)
玉村豊男、今日よりよい明日はない、集英社新書、2009
この本では、ちょっと衝撃がありました。大いに反省、懺悔を迫られる、でも、救われた。
仕事のこと、すこし、間違っていたな!と。

key point
1、遠くの夢を見据えながら、夢を目標に落とし込んでいかなければいけないのです。
2、目標に向かい道のりは、途中の景色が楽しいのです。その景色が楽しめれば、
  実現できるか出来ないかは大したことじゃない。
3、今日よりよい明日を求めるから人は思い煩うのですよ。
4、老化は成長である。
5、健康はなにかしらやることがあり、それに意欲がある状態、依存する気持ちを持った瞬間から病に。
  自立する気概がデッドライン。
6、つかんだ流木は話さずに自分で選び直せ。
7、きりの無い物質的な豊かさや辛い日常の憂さを晴らすたまの祭りより、目を向けるべきこと。
8、怨嗟と絶、糾弾、指示。
9、接触、集団ー欲望

玉村さんの本を読んでいると幸せな生活の絵コンテが見えてきます。

95)
山崎豊子:沈まぬ太陽(アフリカ編、御巣鷹山編、会長室編)、新潮文庫、2009
ふ〜、全五巻の小説はなかなか手ごたえがありましたね。国民的ベストセラーと言われるわけです。
社会問題になっている題材を、一部、事実に沿った形で表現されていて、小説としてはかなりチャレンジャブル
なものです。
実は、封切り直後の同名の映画を見に行きまして、翌日、ドン!と5冊買った次第です。
途中、アフリカに行きたくなったり、you tubeを見まくったり、芦原温泉にカニを食べにいきたくなったり、
随分いろいろなブームがこの本にからんでやってきました。

主題は、やはり生産効率、経済優先の現代の価値観に対するアンチでありまして、哲学を問うています。

読了した現在、今一度、映画館へいってみようと思います。

94)
石川達三:四十八歳の抵抗、新潮文庫、2008
この作家の本は、25年ほど前に「青春の蹉跌」というのを読んだことがあるけれど、”蹉跌”という言葉を
この時覚えたように記憶しています。
現在49歳のわたしは、このタイトルを見過ごすことができず、購入。
時代は昭和30年あたり、新聞小説に掲載されたのが昭和31年からのものです。

55歳定年が通例であった頃の小説でありまして、48歳はほとんど老人扱いで
ありまして、うむむむむ、、、っとなるわけです。
社会通念の変遷という視点で楽しめるかと思います。
この世代のヒトには面白いかもしれませんよ^^;;はっはっは、、、

93)
玉村豊男:田舎暮らしができる人できない人、集英社新書、2007
日本で食事が3食になったのは日露戦争からで、ランチとディナーができたのは産業革命の時からという
そんなくらいに生活のスタンダードは時代とともに変わってきているんだけど、、
私も今はここ6,7年まえから一日2食にしているが、すこぶる調子が良い。これは晩年になってきたら
健康を損なってしまうような、そんな感触は全く無いんですね。10万年の歴史ではこちらがベース。

現代の常識的になっているスタイルや価値観は信用しきるようなものではないのかもしれませんね。
この本にも、やはり現代の生産効率主義に反省を促すベクトルが明瞭に存在します。
それと著者は、自然と共存するのが田舎暮らしの身上だとすると、自然と密接になることで
「やることはやらなければならない。だが、できることには限りがある」ということを体感してくるといいます。
「自分の意思でコントロールしようとしても、コントロールできないことがある」ということですね。

仕事の成果、人生の目標、人の評価。もうそんなものはどうでも良い、とまではいいませんが、それほど
こだわるようなものではないと思うんだ、、、そう著者はさらに進んで総括しているんですね。

うーん、いいなあ。
ところで田舎暮らしは、どこら辺りから田舎になるかな。東京でも田舎はあるし、、、、、
そうすると線引きが不明瞭になるし、都心でも田舎暮らし的な生活はできないかなあなどと思ってしまう。
わたしゃ、結構、田舎に居るようなもんだと思うけれど、でも毎日(日常的に)田舎に触れないと得られぬ感覚が
あるのでしょうね、きっと。

92)
川上未映子:ヘヴン、講談社、2009
執筆者は弱冠33歳、芥川賞作家です。この方を映像で見て、とっても魅力的で、読もうと思いました。
久しぶりの新刊本です。
哲学的な香りのする、読者の人間性に迫ってくる、きびしい本でした。
「あなたはどういうスタンス?」「善悪は?」「人間の本性は?」「モラルの由来は?」、、、、、、
私は、予想道り、大好きな作家になりました。
全249頁、あっという間です。

91)
長谷川 宏:高校生のための哲学入門、ちくま新書、2007
面白かった。と、いつも言っているんですが、一応面白いと思った本だけをここに挙げているので
そうなるんですが、では他に読んでいるのかといいますと、そんなには読んでいません。
読んでて数ページで面白くなかったり、歯が立たなかったりする本は結構あるのですが読んだことになりません。
最後まで読まなければわからんではないかとなりますが、せっかちなので出来ません。
ということで、この本、タイトル通り、私には向いていたんだと思う。
インデックスに対応してのサマリーを、、
1、自分と向き合う:過去と未来を含んだ現在の自分が、世界と一体化できず、世界のうちに安定した場所を
見つけられず、何かしら違和感を抱いている自分、これが思春期の対峙する自分である。ここを潜り抜ける
ことによって自由で自立した人格が出来る。  ふむふむ。

2、ヒトと交わる:地位その他からやってくる社会的規制がそのまま通用する関係でなく、社会規制をかいくぐって、
それに縛られない交わり方をを作り出す関係。  ウーム。

3、社会の目:生産力の向上によって社会が物質的にゆたかになり、個人の「わがまま」によって
社会を壊される恐れがなくなったことが、様々な生き方を容認する社会になった根本原因。
”ならい”は過去の人々の数限りない共同の経験の観念の結晶。  そうかあ。

4、遊ぶ:自然とは質を異にする文明ないし文化を作り上げた人間が、にもかかわらず、自然へと
近ずこうとする欲求をつねにもち、それを体の動きとして実現するのが遊び。
そうゆう遊びを持つにしては動物の生はそもそも自然に近過ぎるのだ。自然に生きる動物には離反する
仕事というものが無く、だから仕事から自然に還っていく遊びもまたない。
遊びが欲するのは精神というより肉体であり、自然とともに生きる体が自然の欲求として遊びを欲する。
体の中の自然を開発し、自然とともに生きる体の可能性を豊かにすることであり、人生を楽しむ可能性を
ゆたかにする事になる。    なあるほど、やっぱりね。
                     
5、老いと死:要は生老病死という人間の総体を受け入れる社会の成熟が待たれる。

6、芸術を楽しむ:現実を越えた理想的なものが、今ここに現実のものとしてあるという矛盾を享受すること。
芸術製作とは無のイメージを現実足らしめる活動にほかならない。芸術の楽しみはその多くが生活への
楽しみへと転化し生活を精神的に豊かにする。    うんうん。

7:宗教の遠さと近かさ:この世を離れて想像力によってあの世への往った人があの世からこの世に向かって
発する言葉と見ていいが、これはあの世へと導く力を持つだけでなく、この世を新しい光の下に照らし出す
力を持っている。
容易に答えの得られぬ問いをかかえつつ、現実肯定と現実否定のはざまを生きることは精神の強さの
証である。           さもありなん。

8:知と思考の力:抽象的、観念的思考と日常的思考の融合をもとめつつ。   がんばりましょう。
          
高校生は大変なんだと思ったわけであります^^;;

90)
姜尚中:在日、集英社文庫、2008
姜さんの幼少の頃の日本、大学の頃の日本の風景がよく伝わってきます。
そして、その時代時代の在日の方のポジションが想像以上に過酷であったことを知りました。
同級生にそういう状況の友達がいたけれど、彼もそうだったのかと、思い出しながら読んだわけです。

学べることはいろいろあるけれど、どんな形であっても逆境、抵抗、障害があるときには
人は好むと好まざるに係わらず鍛えられ、真剣に物事を考えさせら生きて行くのだということ、
これはかなり真実なことなんでしょう。
ある意味、充実した人生であるともいえまいか。
試練に対し、逃げずに立ち向かって行く姿勢はゆたかな人生には大いに必要なことかもしれません。

89)
いかりや長介:だめだこりゃ、新潮文庫、2005
小学生の頃は一週間はこの番組、「8時だよ、全員集合」が週の変更線になってました。
そのまえのコント55号の番組の頃から土曜の八時は特別でしたね。初期にはこの後の9時から
「キイハンター」もセットだったと思います。千葉ちゃんのまねして”トンボきり”に夢中で練習してたなあ。
で、この番組の裏舞台、裏話、苦難の日々が克明に記述されていてあの頃オンタイムで見てたヒトには
面白いですよ、きっと。
でも、プロの仕事は凄まじいモノがあります。

88)
小林公夫:「勉強しろ」と言わずに子どもを勉強させる法、PHP新書、2009
夏休みで息子と一緒に本屋で立ち読みしてたもんで、こんな気分になっちゃって買っちゃいました。
ようするに、「本気で一喝」+「褒めて育てる」でした。そして能動性、継続性、粘着性、論理性を
正直、社会性、興味への情熱を実現するスキルとして身につかせようという物でした。

でもね、どうも一番大事なのは親がいつもブラッシュアップすべく勉強をし続けることみたい。
こどもは見ているそうで、たしかにそうだった。

87)
竹内薫:理系バカと文系バカ、PHP新書、2009
”対照性の破れ”とか”宇宙エレベーター”とか”ポアンカレ予想”とかは情報としても知ってって面白いですね。
こういうトピックスも沢山書いてありますが、読んでて興味深く、納得しきりだったところは、以下の説です。

学問は有機的で数学の上に物理学があって、そのうえに化学が乗っかってて生物学はその上だ。
当然、医学もその上の枝葉の一つで、少しはなれた枝振りには経済学も実はあるんですね。
でも医学や、経済学は現実には経験則でまかなわれている所が多くて、イロイロな歪みがそれらの分野に
出ている背景がそこにあるみたいです。

短銃よりもライフルの方が命中精度が高いわけですからね。
納得。

それと数学と物理はフィクションとノンフィクションの違いに似ていて、物理は全くの現場、現実主義なんだけれど
数学は理屈が通っていればイメージのままでOKだそうで、なるほどそうですね。
だけれど、このフィクション的な数学、人間の頭で考えたイメージの学問に宇宙学があり、後に実験証明されて
いるけれど、発想はフィクションなんですね。

これと似ているのが進化学、これもフィクション(説)が先行して出来上がった科学ですからね。
さきの”思考の整理学”でも、小説の大きな価値の一つにはこの創造性、イマジネーションの育成があると。
記載されていました。
そういえば、宇宙学と進化学が科学分野でもっとも人気のあるところでしたね。イマジネーションの
味付けが魅惑的な世界を醸し出しているのかも知れませんね。

新書系ばかり尊重していた自分の目から鱗がベロリと落ちたわけです。この歳になって、はあ〜。
ここいらも面白かった。

しかし、そうするとヤハリ数学は大切なんですねえ。

数学をターミナルとした学問体系があって我々それぞれの専門分野までには無尽蔵な学問分野があるわけで、
全部やるわけにはいけませんですからね〜。
かのヒポクラテスも”芸術は長し、されど人生は短し”といってたわけですねえ〜。
悩ましいわけで、、、(やりゃ〜しませんけどね。)

PS:デカルト以来の要素還元主義で哲学がのれんわけをしていっていろんな科がどんどん増えた。
この科に分かれた学問ということから科学という名前がついたそうです。命名者:西周(にしあまね)

86)
野中広務、辛淑玉:差別と日本人、角川ONEテーマ21、2009
差別をテーマにした本を読むと、人間の本性というものを突きつけられます。
この自問自答と格闘は必須のレッスンと言えましょう。
実際のドキュメント、しかも現代の事件について対談形式であり、すこし苦しく悲しくなりますが、是非。

85)
帯津良一:達者でぽっくり、東洋経済、2009
人間は臓器の集合体ではない。このことをあらためて再認識させられる本です。現代医学の要素還元主義
を見直し、臓器間の連携は精神の妙と絡んで実に複雑なシステムをとっていることを知る必要があるんですね。
臓器間には空間があるのですが、この空隙を生命の場とよんでミッシングリンクの一つを埋めていきます。
このことをフィジカル、マインド、スピリットの充実した状態が健康であるとの表現で多角的に示します。
氏は”ときめき”がなによりも大切であるとし、カツ丼は栄養的に問題はあるが、あの目の前に置かれた時の
ときめきは他を圧倒する効果があると言ってくれます。
そうして臓器、精神、スピリット、気、等等が平衡してバランスよく健康を維持していく、その延長線上にこそ
ポックリが待っていてくれると言われるんですよね。
まさに、どう死ぬかは、どう生きるかによるんですねえ。
これを読むと、死の持つ”淋しさ”という感触がそうとう払拭されます。現代版ー南無阿弥陀仏か。

全ての医療者にお勧めの本です。

84)
なだいなだ:お医者さん、中公新書、1991
医療を取り巻く問題について画期的な解釈を加えて論じています。
特に医者という職業の持つ独特のイメージについて以下のような視点から解明出来ていると
私も納得いたしました。

「医者に対するあらゆる非難を裏返しにし、それを純化してゆきながら作られた像を前にするとき
完璧な医者として現われるのが神の姿であるのに気ずいて私たちは驚くのだ」
医療と宗教は古代では原始宗教として同一のものであったわけで、来世の救済と現世での救済は
切り離されていなかった。
キリストの一生をあげて、来世的救済に重点をおいた現代的な宗教が、現世的救済を含んだ
原始宗教からの離脱を認めている。
それまで医療は神の領域に属していたのを、地上の職業人である医者の手にゆだねられたの形となった。

この経緯をみな潜在的に持っているのではなかろうか。というのである。

83)
外山滋比古:思考の整理学、ちくま文庫、2009
 小林秀雄さんのCDを買いに久しぶりに神田の三省堂へいってポンと入店したら、平積みのワゴンに
目が留まり、反射的に購入したんですが、こうゆう時は成功することが多いんですねえ。

 物事を考え抜く力を身につけて、この世の中を生き抜いていって、しかも充実した人生を作る。
これを実践するために必要な、思考の姿勢、態度あるいはスタイル形成のためのヒントが列挙されています。
私的には過去にイロイロな学者のアドバイスやヒントを一挙に集合してくれたようなイメージです。

日常生活での諸事において、すこし気を配ることで思考の力を得ることができそうに思えてきます。
力をつけるイメージは本文冒頭にある一文、
「植物は地上に見えている部分と地下に隠れた根とは形もほぼ同形でシンエメトリーをなしている」
底力、根を深くはることがそのイメージです。

インデックスは、、、
・発酵・寝かせる・カクテル・触媒・アナロジー・セレンディピティー・メタ・スクラップ・カード・
・つんどく法・手帖・忘却・時の試練・書く・ホメテヤラネバ・しゃべる・第一次的現実・拡散と収斂

思考の整理とは底次の思考を、発酵、混合、アナロジーなどを駆使し、抽象の梯子を登って
メタ化していくことなんだ。

82)
朝日新聞社(編):原爆 500人の証言、朝日文庫
被爆者の方々はもっと手厚い支援を国からうけていると思いました。
500人の被爆者のドキュメントを表し、統計学的な観点を含め、原爆の実態を詳細に知ることが
出来ます。

81)
上坂冬子:私の人生、私の昭和史、集英社文庫、2006
上記82)とともに併読しました。
終戦記念日まじかということもあり、この季節に読むテーマです。
極近い歴史は特に知っていなければいけないことだと思うのです。

80)
井沢元彦:英傑の日本史(源平争乱編、信長・秀吉・家康編、新撰組幕末編)、角川文庫、2006

信長・秀吉・家康編から読み出し、新撰組幕末編、そして源平争乱編へと続きました.
全部で三冊です。
この本は、これらの時代に活躍した英傑たちのミニドキュメント集であります。

英傑たちの理念、情念、志の中を揺れながらの充実した人生が鮮やかに描かれています。
それと同時に、それぞれの時代英傑たちは、同じ事件を体験しているわけでありまして、
たとえば源平争乱編であれば、;壇ノ浦に至るまでの清盛、頼朝、義経、時政などなど、
同じ事件に関わる視点の違いを見ることから、歴史的事件の本質をより良く理解することも出来ます。

こうのような見方をしていると英傑たちは悪玉、善玉という認識ではくくれないと思わざるをえません。
それぞれの置かれた立場、環境によって精一杯出来ることをやっていただけなのですねえ。
こうゆうことは現在社会でも全く同じであって、誰もが止むに止まれずの、それぞれの活動なので
ありましょう。
そこで感じるのは「人間とは感情で動くものである」ということであります。
と同時に、人生には、どうやら勝負どころというものがあって忍耐が大切だということも、
先見の明が重要だということも実証をもって教えられます。
これは実は論理の重要性を示しているものですが、つまり事前の理論的計算は、
人間が感情のいきものであるからこそ、十分なる準備が必要であるというなんですねえ。
なかなか難しい。まったく上手く出来ません。

夏目漱石の言葉に
"知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意が強ければ窮屈だ、とかくこの世は住みにくい"
というのがありますが、この言葉通り、英傑達もみな必死だったのが良く解る。
大変なのは現代も同じだけれど、なんとなく質がねえ、、どうなんでしょうねえ。
QOLというのは本当はこうゆう生き方が出来るかどうかなんだと思ったりしますねえ。

しかし、井沢さんの本、本当に良くわかります
それにしても面白かった。

*感想
・維新のひとたちは皆、30代で命を閉じているんですね、、、
・”端柴稗よし”が由来なんだって、秀吉は結構、悪。六つ。
・義経は粗忽な感じ

79)
立花 隆:政治と情念、文春文庫、2005
人間は理性と情念をあわせもつとうい見方を明確にするようになって、随分と楽になったと
考えているのですが、それは非論理的な行動をする事実(歴史)をくり返し読み、教えられ
体得できて来たように思います。
この本は極最近の政治(田中角栄、真紀子等)を多角的に深く分析、解釈したもので、
現在の日本の政治の姿を作った背景が描かれていて非常に面白いですよ

この田中政権前後が私の物心が付いた頃で、テレビで断片的なショットの数々が記憶にあり
そのショットが、読むにつれ、どんどん膨れていくのが楽しかった
ここでもやはり”理性と情念”が交錯しながら行動する人間が居ます。
政治も歴史だし、現在の政治は、私ともきわめて係わりのあるわけで、時系列としても
完全に随伴したものですので、もっともっと見つめていかなければいけないと思った次第です。

キーワード
・忠義の心と憂国の至情、劣情
・人格は人生経験の総体
・必要な時に手を汚す奴
・思う存分仕事をさせる、思わば思われる
・あらゆる意味での感服、鬼気迫る勉強
・凡百を絶する持続的な意志の強さと実行力
・衝突を機には、絶無
・金銭欲、地位欲、名誉欲
・広大な中間地帯を作る
・一番辛い、切ない気持ちは、、、、ポン!
・率先した労働、安心感、信頼感

とにかく立花さんの本は読みやすい。

78)
なだいなだ:権威と権力、岩波新書、1974
いままでも、「これは身につけよう」「これはじっくりと習得せねば」と思い、もう一回読み返す
必要がある、読まなければいけないという本は、何冊もあったのですが、さすがにこの本、
ガッツリ2度読みしました。
論理と心情をあわせもつヒトの行動のメカニズムの一面がよく解る内容です。

キーワード
・権威には自発的にしたがう。
・権威は依存者の心理
・人間関係の出発点は親子関係
・権威への態度は子ども時代に根をはる
・危険から実を守るーすすんで従う
・権威ー虚像、権力ー実像
・対象のない不安、対象のある恐怖
・安心感を求める心に、安心を与える権威が出来る。
・知識の落差、落差の持つエネルギーの問題
・自分の判断の決定の放棄ーゆだねる以上よりよい判断力が欲しい
・自分たちの越えたところにある権威の判断にゆだねる
・理由のなさが権威の特徴
・不安(無知)−依存(虚像)
・絶対的判断の希求ー権威主義
・人間が妄想を持つようになるのは、生きた現実との接触をうしなうから(ミンコウスキー)
・暗示の説得ー利の説得
・自我の確立にはあるていどの知識が必要ー依存(暗示)の原因は無知
・こちらは理があるかないか、説明すればいい。
・そこにのぞいているのは攻撃性

ね、一回じゃ把握できなさそうでしょ^^;;

77)
渡部昇一:「人間らしさ」の構造、講談社学術文庫、1977
「いきがい」、あるいは「自己実現」ということはどうゆうことなのかを追及している本です。
氏は"機能快"とうことと"創造"ということにヒントを見出していました。

機能快というのは、頭がいいヒト、足の早いヒト、器用なヒト、綺麗なヒトはそれぞれの
優れた能力機能を発揮することで充実するということが出来るということです。
その才能に早くきずくことが大切だと言ってます。
派生的に男女の違いについても、同様に言及していますが、大変、説得力がありました。

"創造"というのは、これは多分に宗教的になるのですが、ヒトは創造(神とも、両親とも、
祖先とも言えます)されたものであるということを自身が良く知っていて、それを表現したい
という潜在意識があり、実践することで充実するものなのだということです。
その実践とは"感謝"なのだそうです。

 また創造されたものは次に今度は創造するという立場もとりたくなるようで、
それは様々な活動であり、仕事であり、家庭作りなんだそうです。
感謝されたいし、感謝も実はしたいんですね、人間は。

非常に明快に説明してました。私には解りやすかった。

さらにこの考えの注意点として"唯勤労主義""成果主義"に惑わされてはいけないことも
述べています。
与えられた場をfatalなものとして受け入れるのがいいぞ、とも言ってます。

 グッドなヤマメもこれは"獲る"のではなく"授与"されるものだなっと最近よく思います。
釣れる時はサラッと釣れるし、釣れない時はどんなに釣れそうでも、手に入れることはできません。
 物事の本質はそんなものかもしれず、そこんところを目の当たりにさせられるのも、
釣りの魅力の一面のように思います。

ま、現場にいなきゃどうにもなりませんがね。その後は、Let it be。

76)
渡部昇一:自分の品格、三笠書房
品格の本を読むと身がすくむのですが、渡部氏の分はとても読みやすいのでザーっと
走りきれます。
ヒットフレーズは、、、
・卑しいことはやらない
・信じて諦めず進めたか、投げ出したかの差に過ぎない。
・イデオロギーで負けると戦意喪失
・競争が排除されるからバイタリティーが失われる
・賭して貫く
かっこいいです。

75)
勝間和代:読書進化論、小学館新書、2008
この本はタイトルでヒットしました。なんてったって進化+読書ですからね!
勝間さんは凄くアクティブなんです。文章も思いっきりがよくって素敵です。
学術書以外の本は「与太話」なんて言っちゃうし、
「要は、やったかやらなかったかの差なんですよ」なんて私も大ヒットのフレーズ。
やってなかったら堂々と話せないし、してられないですからね。
昔、”北の国から”でゴローさんがログハウスの自作を決断したときにハシャギながら
口ずさんでいたのが長渕剛の唄で「やるなら今っきゃねえ〜、やるならいまっきゃね〜」。
実体験こそ人生の作品そのものですからね!!
そうすれば、こびへつらうことなく、堂々と出来そうですね。^^;;;

74)
姜尚中:悩む力、集英社新書、2008

50万部突破!ということでチョイスいたしました。
自由や権利、生活の選択肢、情報が圧倒的に増えてきた現代では、相反して近辺への
人との密接度、濃密度、重要度が希薄になり、相互承認(ユーアーオーケー、アイムオーケー)
が得られにくくなっているんですね。
この相互承認は人の存在維持を体感するためにとても大切なコトのようです。

この相互承認の減少傾向は社会の成長(家族、地区、村、町、都市、国家、連合と巨大化)
によって起こってくるコミュニケーションの希薄化と符合します。
そして社会主義、統制への問題、大きな政府、小さな政府とも関係する、根本原理のようです。

経済至上、生産効率優先の現代のなかではそのコミュニケーションも
理詰めで、科学論文のような効率の良い情報伝達に特化した削ぎに削がれた形のもの
になりがちで、感情、情念を覆い隠す、または押し殺されたコミュニケーションの継続による鬱積は
個人、あるいは社会にマグマのように充満しているのかも知れません。

現代の社会問題の多くも、そうゆう情動が背景にあると言えなくも無いですね。
この辺のバランスを取り続ける努力も"悩む力"といえそうです。

73)
多田富雄:寡黙なる巨人、集英社、2008

多田富雄さんのことは、ずいぶん前に「免疫学個人教授」という南伸坊さんが生徒役で
授業形式の本を読んで知っていたのですが、このあいだ友人と時間つぶしのために本屋に
しけこんでいたら、作者の名前が目に留まった。
え!脳梗塞で右半身不随に、、驚いて、買い求めました。。
帯には「小林秀雄賞受賞」ともあった。

すざましい闘病の記録をよむと喉が締め付けられてきて、読み進むのが辛くなってくるのですが、
本、中程のところで、
「元気だけで、生命そのものは衰弱していて、毎日の予定に忙殺されていた発作前と比較し
、体は辛いが生命は回復しているという思いがある、精一杯、生きているのだ」と希望を掴みだす
強さが輝きだし、嬉しくなります。トンネルを抜けた、ユーレカだったのでしょう。

リハビリを待つ心があるとおっしゃいます。そして
「リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命の回復、生きる実感の
回復だと思う」といわれます。

死線を越えた氏の感性は、戦争、社会、政治、教育、医療、美、文学の問題点を鮮やかに
指摘していきます。

72)
梅原猛::学問のすすめ、角川文庫、1981

突然ですが「でかんしょー、でかんしょ〜でえ半年くらし〜、あとの半年や〜あ、、、、」
の唄の”でかんしょー”はデカルト、カント、ショーペン・ハウエルの略だったんだそうです。

この本は希少な、哲学者、梅原猛氏の自叙伝です。
家系図から、まさに幼少のころからの様子が記述されています。
戦中に中高を過ごし、哲学者へと成っていくのですが、その過程をふりかえって、
「ツァラトウストラはかく語りき」に語られているフリードリヒ・ニーチェの精神のの三様の変貌
という思想にたとえ、人生には、ラクダの時代、ライオンの時代、小児の時代があるのだよ、
という話をしています。
わたしなぞ氏達と比べようもないのですが、それでも振り返ると過去の記憶に
チラチラとラクダ、ライオンの極少サイズのカケラがあるように思われます。
これは、きっとどんなヒトにも多少にかかわらずあるのでしょう。
これから青春に突入していく人たちへの教育の話として適切きわまりないと思います。

また文中には
「私は率直にいう、否、否。そうゆう課題を果たすには、私には何かが足りない。
なにが足りないのか、、、、、」
といって自分の準備に不十分な領域を見つめる作業が頻繁にでてきます。
現実に活躍している社会人に、厳しく求められる姿勢であります。
いずれにせよ非常に示唆に富むお話でした。

さて、梅原氏は梅原古代学といわれる独自(いまは一般的)の解釈法をつむぎだした
学者なのですが、氏の古事記(712)、日本書紀(720)の研究は大変面白く、
それらの話は「記紀」の天孫降臨へと展開するのですが、
これはちょっと暗記しておくと話の種になりそうなので、記載してみますね。

”皆様ご存知のイザナミ、イザナギはツクヨミ、スサノウ、アマテラスの3人の両親で、
アマテラス(女)に全権を委譲されたことに腹をたてたスサノウが反逆罪でイズモの国へ流されて、
そこではスサノウの子のオオクニヌシが統治していたが、アマテラスの孫のニニギがやってきて、
オオクニヌシはしょうがないから、彼に国を譲って、出雲大社へかくれちゃったというわけ。
この展開を計画、指示をだしたのがタカミムスビという神様なのだけど、これは実は
古事記、日本書紀の作者、藤原不比等なんだそうです。”

藤原不比等の時代、持統天皇(女帝)から孫の文武天皇、それから元明天皇(女帝)から
聖武天皇(孫)へという皇位譲渡が行われていたんですよね。
つまり、この特殊な譲渡パターンの論拠を作るために神話を作ったわけです。
そのころの時代は言霊の影響力は絶大であったわけで、その効果を充分発揮させたわけです。
この藤原不比等はなかなかエライやっちゃな〜と言うことです。
これに似たような現象は戦国時代にも、どの時代にも、人間社会で行われていることです。。

歴史は人間の変わらない、本性の部分がよく理解でき、現在を生きる我々に有効であります。
なんで、中学のときにそれがわからんかったかなあ、。。


71)
菅 広文:京大芸人、講談社、2008
ロザンの菅さんが、宇治原さんとともに受験勉強をした。そのドキュメント。
TBSラジオでやってて面白かったので買って読んだら面白かった。
受験の極意が書いてあります。あーあ35年前に知ってりゃあなあ、、、。でもだめか、、。
面白くてあっというまに読了。

70)
内山 節:哲学の冒険、平凡社ライブラリー、1999
哲学の本です。
おおお、これなら解る!こうゆう風に話してくれないと凡人には解らんもんなあ、やっと
、やっと見つけたぞ。 と、言う感じの本でした。
と思って、あとがきを見たら、「中学生のための哲学の本を、、、」ということでした。
なあ〜るほど〜。

しかし、金言が満載でした。
「哲学とは美しく生きるための学問である」、とか、
「人間の生は永遠の歴史の中の一瞬にすぎず、しかしそれが絶対的なものだという
人間の生の二面性と矛盾、哲学はこの矛盾を解決しようとしてはじまった」とかですね。

まだまだ大丈夫、遅くはありません。しかし、”日暮れて、道遠し”ではあります。はは。

69)
マックス・ウエーバー:社会主義、講談社学術文庫、1980
えーと、、、、、良くわかりませんが、社会主義の支持論拠を、一々、不合理、論理破綻
不正確、などの指摘することによってこの思想、システムを否定的に捉えています。
”支配、管理、統制”についての功罪もたくさん述べています。

しかし、、、基礎知識不足で、難しかった;;)

68)
渡部昇一:歴史の鉄則、PHP文庫、1993
「配給は、あれは駄目なものだなあ」という戦後の母親の実感をもとに、税金の問題を
取り扱っています。
 ハイエク氏の「知の限界を知れ」という言葉と”Whim”が文化を創ったことのコメントが
印象的でした。
これは何につけ、人間の作ったものは不完全であるのだから、常に、自動的に、修正、
改善されていくべきであり、経済活動においては市場経済原理にまかすのが
よろしかろうということに繋がっていきます。。
さらには、お上のコントロール比重が大きくなると”統制””社会主義的経済”に傾いていくぞと
、氏は提示します。

人間は建前の”倫理”と本音の”情念”の二面性を適度に両立させないと、いけないんだなあ。

社会主義というものを少し勉強したくなりました。

67)
渡部昇一:かくて歴史は始まる、三笠書房(知的生きかた文庫)
お話の中心は日本人の特性についてであります。
日本の歴史と他国の歴史の対比、係わり合い等から、日本人、日本の能力を再認し
客観的史実や現況より、未来の姿を推定しておりまして、日本人としての誇りを感じ
生きる意欲と責任を感じさせてくれます。よんでいてとても気持ちいい本。

66)
渡部昇一:続 知的生活の方法、講談社現代新書、1996
知的生活の方法の、こちらが続編。新、知的生活の方法とで、3部作となります。
知的な生活をおくるために、これらの本では具体的で、現実的な方法を示してくれるのですが
それは、ハマトンの言葉にあるような「知的に生きるとは一種の精神状態である」に至るための
環境つくりに他なりません。
読むと知的であろうが無かろうが、どういう生き方をしているのか
内省を迫られます。

key word
1−自由な幼少時代、2−公務との共存、3−肉体的配慮、4−知的会話、5−機械的な仕事
6−無理な事業参画への警告、7−蔵書の威力
・egotismー自惚、欺瞞
・an empty sack cannot stand upright
・フランクリン式文章上達法
・国語の勉強は英作文
・ヒトは機会が与えられたからといって急に対応できない

65)
梅原隆:日本文化論、講談社学術文庫、1976
この本も神田の古本外で見っけました。
・ロシア、中国のマルクス主義採用とヨーロッパ文明との関係。
・ヘーゲルとマルクスの関係。
・英語、数学を中心とした日本の教育体制とヨーロッパ文明の関係。
・国語教育の意味。
・怒り、力の文明と安らぎ、慈悲の文明について。
・感情=喜び(誇り、感謝)+悲しみ(懺悔、怒り)。
、、、などについて記述されております。勉強になることばかりです。
無知の知という奴です。

「人間の尊敬の対象であった山は、知性の文明によって、尊敬や親しみの対象であるより
征服すべき対象になってしまった。」
ここが肝心、ここ!ここに気付かなければなりません。

64)
立花隆:立花隆のすべて、文芸春秋、1998
恒例の神田古本祭りにくりだして、ウロウロみてて、オリジナルのこの本が
目に飛び込み、即購入。たしか文庫本では持っていたような、、、。
傑作レポ集や、代表著書の評論、テーマを決めてのインタビューが掲載。
やっぱり、すごいねえ、この先生は。

63)
まつやまたかし:アメリカンハウス、山海堂、1999
ログハウスと薪ストーブ、フランネルシャツにダウンベスト、燻製にバーボン、
ジャクソン・ブラウンやイーグルスは春夏っぽいので、アメリカややっぱりジョン・デンバー、、、
これから冬に向かって季節が進むと、こんなシーンに憧れてしまいます。

この本は自らの家をアメリカンハウスとして建てていく(北の国からみたい)ドキュメント
であります。
自分のログハウスは実現しそうも無いけれど、著者の苦闘談を読み進めていくと
疑似体験ができますよ。
かなり充実した時間が得られます。

61,62)
松田哲夫:印刷に恋して、晶文社、2002
松田哲夫:本に恋して、新潮社、2006
活字、文、絵、本が大好きで、あらゆる面で大好きな著者が、今回は本そのものの
デザイン、構想、製作過程、ノウハウ、印刷、素材、紙について徹底的に解剖していくんです。
製本、印刷という分野を通して、現代の伝統、科学、ハイテク、アナログ、職人技というものの
構成バランスが解ります。
このバランスはおそらくどの分野でもほぼ同じように思われます。

60)
井沢元彦:「攘夷」と「護憲」、徳間文庫、2005
徳川265年の泰平から開国、維新の流れで、様々な紆余曲折があったのですが
その理由に日本の特有の民族文化があったことを知ることが出来ます。
そして、今でもその日本人の感性は残っていて、現在の政治の采配が理解できます。

59)
養老孟司:運のつき、新潮文庫、2007
いよいよ哲学的になってきました。
この本読んでて思ったのは、「やっぱりなー、読書なんだな。
無気力、怠惰な気分のときこそ読書で時間をうめよう!」ということでありました。
3年ぶっとうしの読書か、、、、。

58)
梅原猛:世界と人間、文春文庫、1998
現在の哲学の役割の大きな部分に「科学の問題点を見つけ出す」ということが
あるのですがこの本はまさにその具体例をあげています。
科学への絶対信頼は危険であることを再三再四、話しています。
哲学者としての梅原氏、本職の文章なのでした。
そろそろ世の中のOSをとっかえないといけなさそうです。

57)
渡辺昇一:新・知的生活の方法(ものを考える人考えない人)三笠書房、
前記の続編ですが、こちらはさすがに今風でした。前著の内容に追加点がたたあります。
一番の特徴は、さまざまな他の作家の著書が載っていること。
これから秋だし、買いだめとこうか、、、。

56)
渡辺昇一:知的生活の方法、講談社文庫、2008
私は本は買うとすぐにカバー、帯を外して裸で持ち歩きます。

なんだか古いタッチの本だな(古いというのは、書かれた年代が一昔前の教養主義
ゲバルトやなんやかんやのころ)と感じながら読み始めたら面白いったら無い!
あっという間に読了。
こーりゃー凄い本をめっけたぞ!!と、喜んで、秘密の本だ!!と得意になって
本棚に仕舞おうとカバー帯を付けようとしたら”不屈のベストセラー”と書いてありまして
初版が1976年で、なんと30年以上も再版を続けていた大ロングセラーでもありました。
”おくればせながら”なのでありました。たはは。

生活の中には、そんな側面も絶対に持ちたいという”憧れ”は、具体的な形を示され
実現へのプランを描く楽しみに昇格していきました。

知的生活の外的指標は00の量なんですって。

55)
徳間書店取材班編:神の手ミッション福島孝徳、徳間書店、2008
帰省中に兄に勧められ、東京に到着と同時に購入し、即、読了。
達人になるには、4つの条件があるそうです。
1、すぐれたコーチにめぐり合う
2、才能がある。
3、努力を惜しまない
4、運
チャンスにめぐり合うまでの準備を怠らないというのは、先のランディ先生はじめ
多くの先達がいってますね。
しかし、この先生の100分の1でも頑張れたら大したものなんですがねえ。

54)
ランディ・パウシュ:最後の授業、ランダムハウス講談社、2008
現在、ベストセラーです(2008)。
夢を持ち、そのために努力をし続けること。これこそ人生そのものだといいます。
そうですね。
その道程では、楽観的に、しかし決してあきらめないこと。それが大切。
最後の授業で、若すぎる教授が人生を謳いあげます。

そして、これは純愛物語です。
とても、さわやかな気持ちになれました。

53)
梅原猛:梅原猛の授業 仏教、朝日文庫、2006
梅原猛さんが、東寺にある関西の名門学校、洛南中学において、仏教について、
否、宗教についての授業を行なった内容をまとめたものです。
宗教は文明の中核であったこと、文明は余剰の富があればこそ発生したこと、
余剰の富とは農業(1万4千年前ー稲作〜1万2千年前ー小麦)によってもたらされたこと、
自然との共存が必要な稲作と自然を奪いきる小麦農業の違いが、共棲と人間中心主義の
差を生んだこと、それが西洋文明と東洋文明の差の本質であること、それが
一神教と多神教の異種の宗教を生んだこと。そういった宗教とはなんなのかを知るための
歴史的背景をとても解りやすく解説しています。
なんといっても中学3年生に話した内容ですのでとても解りやすいのでした。

しかし、そうは言っても文中にでてくる洛南中学の生徒間でのディベートの質の高さに
驚かされます。、
さすがの秀才たち!!とも、大人はもっと大人らしく知性習得の継続に努めなければ!!
とも感じられました。
いずれにせよ、私には十二分に勉強になった次第です。

科学、理論、道徳に無いものを、宗教は前者を含んで持っているのかも知れないと
思いました。
時間の淘汰を経た知識とでもいいましょうか。
プラスアルファとは、きっと、心情、情緒、感性といったものだと思われます。

52)
松田哲夫:編集狂時代、新潮文庫、2004
この本は、本当に面白い。
編集者である氏の半生のエピソードが描かれていますが、とにかく楽しい。
どうやったら、楽しく仕事を続けられるかが、なんとなく解ってくるような
そんな幸せな気分になれる本です。
しかし、まあ、こういった本読んでて、声出して爆笑したのなんてほとんど記憶にない。
ビックリしました。
巻末に南伸坊さんの、この本を評した文章がのっており、
「特筆すべきは、この本の読後がきわめて、サワヤカなことだ」と述べられています。
本当に本当にそう思いました。

もう絶版になってしまったらしく残念ですが、探し出して読んでみてはいかがでしょうか。

ちなみに51)のマンガをリストに載せようと思ったある本とは、この本でした。

51)
岩重 孝:ぼっけもん、小学館、1985
実は、最近ある本を読んでいて、マンガも大切な書物であることを再認識いたしまして、
一番好きなコミックはなんだろうと考えるまもなく思い浮かんだのがこのマンガ。
全巻揃えているのは、これと”釣りキチ三平”。不完全巻が”750ライダー”でした。
大学入学し、東京へ出てきて、一人暮らしを始めた頃の自分の生活の香りが
この本からジワーっと伝わってきて、半ノスタルジックに癒されたものです。
今はダンボールにしまわれたまま。
ちょっと開いて読んでみようかな。

50)
毎日新聞科学環境部:理系白書(この国を静かに支える人たち)、講談社文庫、2003
理系と文系のヒトの生活(学生生活、趣味、勉強、興味、賃金や待遇)の比較が豊富。
どうやら日本のこの面のバランスは大分ゆがんでいるみたですよ。

49)
井沢元彦:卑弥呼伝説、集英社文庫、1997
井沢さんの「逆説の日本史」連載のキッカケともいえる小説。
しかし相当ノンフィクション的であります。
邪馬台国と大和朝廷の関係がヨークわかります。
日本の有史の夜明けです。

48)
文春新書編集部編:論争 格差社会、文芸春秋、2006
ここんところ、いろいろと、やるせない事件が多くて、めいります。
こういった事件の病理が論じられています。
全てではないが、題名にあるような側面も少なくないでしょう。
Insentive devideということに同感であります。

47)
立花隆:エコロジー的思考のすすめ(思考の技術)、中央公論社、1998

この本は40年近く前に出版されたものの文庫版です。
内容は今読んでも全く古くない。
というか、そんなに昔に書いたということが、さらなる説得力をもって伝わってきます。

釣りをしていていつも感じることは
「ヒトというのは、もっと自然に出て遊ぶようでないといけないな」ということなのですが、
それは、社会的効用というか、この本に書いてあるようなことを理屈でなく、
感覚で身につけられる一番の方法のように思うからなんですね。
言い換えると、野遊びは楽しいし、癒されるし、退屈しない、気持ちの良いことだということを
この本は論理的に説明してくれるということです。
「あー!そうゆうことだったんだ、この感覚というのは、、、。」と呟きながら
アウトドアー志向の方は楽しみながら読めそうです。

本当は環境破壊のことが満載で、ゾッとすることが多いのですが、
氏は地球と文明の折り合いをどう付けるか、そこんところ懸命に語っています。
たとえば、多目的ダムを有効に作るには、少なくとも、その河川系の山林、気候、生物系
下流に至る生活者への影響、河口付近、海浜部への影響等などを詳細に調査、検討
していかなければならず、その調査項目は多ければ多いほどよいのだけれど、
こういった考え方を社会全体に根付かせるのは大変なんだと読むと解ります。
人間は業が深いのですね。

生物と環境、およびともに生活するものとの関係を知る学問がタイトルの
エコロジー(生態学)というものなのだけれども、各分野で進んだ知識を統合する思考が
そろそろ、学問の、なにはさておき筆頭に上がってくるようにならなければいけないと、
氏はおっしゃいます。

46)
新井満、紀子:ハイジ紀行、講談社文庫、2007
これは1994年刊行のハードカバーの文庫版です。
極最近まで知らなかったのだけど、モデルとなったアルムおんじの山小屋や、
ペーターの家が実在していて、そこへと続く山道、マイエンフェルトの村や
ラガーツの温泉が本当にアニメで出てきた通りの景色なんですね。
四十半ばのご夫婦が日本からスイスを訪ねた紀行文。
作者のヨハンナ・スピリの人生もハイジ誕生の背景として楽しく読めました。

私の妹が11歳年下で、ハイジのアニメ放映の時は3歳の少女でした。
周りの山村環境(飛騨)もあいまって、このアニメだけはガッツリ見てましたね。
大体において、初めて読んだ小説もアニメに触発されての、この本でしたからね〜。
お恥ずかしい話、中学三年生まで完読したことが無かったのであります。

というわけで間違いなく”憧れの土地”になっておりました。
本には写真もふんだんに掲載され、情報も満載、実現可能な確立は非常に高い。
現に、この本を持ってやってくる日本人が増えたそうです。
パイオニアの新井夫妻には敬意を表します。

NZとHFのほかには海外旅行地の最有力候補地になりましたね。

45)
小林秀雄:小林秀雄講演【第一巻】文学の雑感、新潮カセット講演、2004
意外と早口で甲高いお声でした。しかし、カミソリのような切れを感じました。
これは三木成夫氏の語り口とは対極でありましたが、これもスタイル、キャラクター
なんですね。
でも、よく聞いていると、それも何度も聞いていると、お二人とも、同質のことを
語っておられるように感じてきます。
そう感じたことが、本物である傍証なのだと思いました。
いや〜、超スマートな方の話というのは、簡単な語りなのだがずいぶんと
難しいことを話しておられるんですね〜、ってそれくらいは何とか解るんですが、、ははは。
高額(エキスペンシブ)なCDだけど、後悔はなさそうよ。

44)
佐高 信:佐高 信の新・筆刀両断、講談社文庫、2006
イデオロギー的なことはともかくですね、こうゆう風にメッタ切りしまくるスタイルも
徹底すると良く見えてきます。実は少々、いや多いに快感を感じながら読めました。
辛口、突っ張って行くためには相当の理論構築作業が必要で、なかなか大変ですね。
きっと。「いつでも対面する準備はある」との言葉、なるたけ勉強しとかないとね〜。
かかっていらっしゃい!!ってとこでしょうか。

43)
阿川弘之:大人の見識、新潮新書、2007
珍しくデパートで買っちゃいました。
リラックスして読める本ですが、役に立ちそうです。
日本人の特徴にはじまって、英国人、海軍の話、昭和天皇、ノブリス・オブリージェについて
孔子のこと、などについて書かれています。
日本人の特徴は
1、勤勉
2、几帳面
3、軽躁
だそうです。
軽躁とは「落ち着きが無く、軽々しく騒ぐこと」だそうです。あは、あは、あはははは(;;)

42)
速水敏彦:他人を見下す若者たち、講談社現代新書、2006
な〜んだか、ちょっと今の日本は変だゾ〜っと、私ですらも感じてきているのですが、
いったいどうなっているのか知りたくて!っていうのも読書の動議なんですね。

今の日本のモラルやら、感性やら、エキセントリックな出来事やら、、。
それらの異常は、何か必ず起因していることがあるんだと思うのだけれど、
そのひとつが、ここにも書かれているようです。
現代の子供から大学生あたりまでの現状を調査して、解析しています。

社会が疲弊してきていて、若者は実社会には価値を見出せず、身をゆだねるのを拒みだし
さりとて、社会の中でなければ自分のアイディンティテーも掴めないものだというジレンマに
苛まされているといいます。
しかし自分は見出さなければいられなく、いきおい実態も実績も無いのに
自分の存在感、有能感を満たすために、他を見下して優越感にひたる仮想的有能感
というものを得ることを見つけてしまったというのです。
つまり、、、
「バカだな〜、ははは」「何やってんだ、子供でもあるまいし、、」というように、
他者軽視的内潜的言動が生じた時に、ほぼ自動的に誇らしい快感を瞬時に感じる、
これが仮想的有能感であり、これによって一時の安寧を得ることを続けている。
この心理が形を変えながら社会現象として表れているのではないかと結んでいます。

でもこれって、若者だけではないですね。
私なんぞは読んでて苦しく辛くて恥ずかしくて、困ってしまいました。

41)
手塚治虫:昆虫つれずれ草、小学館文庫、2001
例に漏れず私も子供のころは虫大好き少年でありました。
恵まれた周りの環境によって、飼育、採集などは本当に一生懸命でした。
寝るときや、雨の日は、いつも”昆虫図鑑”を眺めておりました。
いまでも本屋でこの手の昆虫モノを買うことがあるのですが、だいたい面白くありません。
が、流石は手塚氏、大したものです。
手塚氏は蝶が一番好きなようで、私の好み(甲虫やコオロギ系統が好き、
多分、手で触って遊ぶことが重要だったんでしょうね。蝶は視覚的、私のは触覚的?)
とは違うのですが、それでも卓越した文章には(これ14〜16歳くらいで書いたそう)
グングン引き込まれていきます。
とくに、オオムラサキを初めて捕らえたときの様子は、こちらまでドキドキしてきちゃいます。
まるで、ドデカ山女のライズに対峙している時と同じ気持ちなりました。

むかし、ウルトラQで、大の大人が蝶を追ってドンドン森の奥に迷い込んで遭難する
というシーンがあって、子供心に何ぼなんでもオトナはこうゆうことしないだろ〜
と思ってたけど、ヤマメを追って、毎週、毎週っていう御仁を私は、現在、無数に知っております。

これも進化系でもいいけど、やっぱりこっち!

40)
南伸坊:顔、ちくま文庫、1998
顔について、あらゆる切り口(大きさ、輪郭、形状、眉、ほくろ、口、歯、時代、等等、、、、)
から考察していく本。
この本を読んでいると、人間の顔というのはなんとまあイロイロな要素が結集して
出来上がっているものなのだなあ〜っと、あらためて思い知ります。

ほんとうは進化系のカテゴリーに入れようと思ったんだけど、あまりに人文的な
説明やらユーモアがフンダンなので、こっち!

39)
江宮孝之:晩学のススメ、祥伝社文庫、1999
先日、朝の朝のまどろみの中でラジオを聞いていたら(毎朝聞いています)、
昭和33年生まれの人が「来年は私も50歳になるんですよね〜」と言っているのを
聞いて、あれ、私も来年50歳のはずだけれど、、あれ!?っと飛び起きて計算しなおしたら
今年の12月で49才になると思っていたのが、実際は今現在47才で、来年は49才に
なることに気がついて、スッゴク儲けた気がして嬉しかったんだけど、自分の歳も
解らなくなったのかと愕然ともした次第であります。
いずれにしても、人生の相当後半戦を走っておるわけです。

で、この本ですが、日本の有名人、北斎や武蔵、馬琴、杉田玄白、などなど50過ぎに
一念発起で学びだし、業績を上げたという方々のお話を集めたものです。
一番面白かったのは、貝原益軒の章、養生訓を書いた朱子学者ですね。
いまわの際に、弟子に言ったそうな
「心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、休め過ぎるべからず。」
悩むな!働け!ってところでしょうか、、まだまだ頑張るよ〜!

38)
井沢元彦:逆説のニッポン歴史観、小学館文庫、2004
朝日新聞のこと、文化人のこと、メディア一般についてのことなどを通して
縦に斜めに、凝視して、日本の病巣を抉り出していきます。
現実を見つめないと対応が出来ないという根本はどの世界にも当てはまります。

しかし、問題ってのは、イーッパイあるんですね〜、成熟なんて出来るのかなあ。

37)
岡本 薫:日本を滅ぼす教育論議、講談社現代新書、2006
教育すべき知識とはなにかということから、ルールとモラル、スローガンと目的
自由、責任、信頼、約束、契約、権限などの社会生活に必要な項目を説明しています。
この本はタイトルを”教育論議”としていますが、直接的に人間関係を知る本といったほうが
いいかも。
説明は非常に明快で、ズバズバっときます。
たとえば、演繹的=数学的、帰納的=科学的、、なんてのはしびれますね。

この本を読んでいて、井沢さんの論説と近似する内容が沢山出てきます。
ただ使用する言葉が違っているだけで、私的には凄く納得出来るものでした。
少し、対比して挙げてみます。
*和の精神(特出を嫌う):同質性の信仰
*言霊信仰:リスクマネジメント論議の回避
いずれにしても、日本人はかなり不思議(非合理的)な感性を身につけている民族である
ようで、しかも、それは一朝一夕には改変出来る物でなく、深くねずいているみたいです。
ですから、その特性を出来るだけ知っておくことは、今後の日本社会の行く末を考えてみたり
現状の日本社会においては上手に、かつ良い結果を得ることの出来る
コミュニケーションのために大切であると言えそうです。

36)
広中平祐:生きること学ぶこと、集英社文庫、1984
数学界のノーベル賞であるフィールズ賞をゲットした押しも押されもせぬ
いわずと知れた世界的数学者の本。
学ぶこと、知恵ということ、ひらめきのこと、科学者の生活、音楽と数学、定理と美、
などについて書かれています。

あえて言えば、メインテーマは”創造”です。研究者ですからね。
「人生には最も大きな喜びをあたえてくれるものがある。創造である」
「学ぶ楽しさの向うにある、一皮剥けた世界が”創造”。」
「その原動力になるのが”ニーズ”ではなく”ウオント”である。」
”創造”に至るまでに必要なことについて、帰郷して母校の小学校での講演会の中で
こう言ったそうです。
「私のことを抜群の才能とか、頭脳明晰といってくれるのは嬉しいのですが、それは違う。
広中平祐は抜群の努力家だというだけです。」
さらに
「努力とは他人以上に時間をかけることと同義なのである」と。

一番のアドバイスを拾ってみるとこうゆうことになるのだけれど、この本は
二度読みをさせる示唆に満ち満ちたものでした。
広中さんの文章はメチャクチャわかりやすく”単純明快”であり、
氏のモットーでもあります。

映画”リバーランズ スルー イット”はこのHPをご覧になられる方なら
知っていると思いますが、冒頭、少年が牧師である父に宿題の作文を
くり返しチェックをされるシーンがありますが、どんどん無駄な文章を省いて
いく作業でした。
複雑を単純明快にしていく作業は力をつけるための大切な手法なんですね。
この本も大推薦!!

35)
田代尚嗣:はじめての仏教入門、新星出版社、2005
キリスト教やイスラム教関係の本を読んでいたら、やっぱり身近な仏教は
より深く知っておきたいなあ、と思いこの本を選んでみましたが、仏教ってのは
随分と裾野が広いんですねえ。
でも一番魅力的な特長は「空」ということろでした。こいつは良いセンスです。

法事関係の用語や慣習もいっぱい説明されていて、勉強になります。

34)
嵐山光三郎:東京旅行記、知恵の森文庫、2004
ちょっと一休み系の楽しい本です。
東京の街、銀座だとか浅草だとかの町を探訪し、それぞれの景色や空気、文化、
味(これが良いんだ)を伝えていきます。
ちょっと斜に構えた、おとなのガキ大将の表現はユーモラスでキレが良く、ふふっ!と
思わず笑ってしまうのでした。
私のような田舎者で東京に住み着いた人間には街案内の本は楽しく役立つものです。
それでももう30年すんでいますので、それなりに出歩いた歴史も溜まってきますので、
そんな所の記述をみるとワクワクしますね。
とくに、神楽坂、早稲田、神田、淡路町あたりはもう全部知ってる。

で、11月になったら”ぼたん”の鳥鍋へ鬼平を気取って行ってみましょう。
神楽坂の”モー吉”は18才のころから行っていた”も吉”の後がまだけど
10年ぶりに、昨日初めて行ってみたら、「あら、久しぶりです」とおやじさんが
声を掛けてきてくれた。
少しだけ地元民になれた気がした。

33)
井沢元彦:誰が歴史をゆがめたか、祥伝社黄金文庫、2000
昔から時代の変わるとき、新政権というものは旧政権や前社会をネガティブに評価し
現政権、新体制を相対的に良く見せようとしてきたそうです。
まあ、それが人情というものでありましょうねえ。

実際には、歴史事実を都合の良いように抹消、あるいは保存していくのですが、
結果、それの集積によるものが現在の歴史となっているのだそうです。

そうすると、実態と異なった認識を持ってしまっていることも相当多いと思われますが
著者はこれを是正すべく、一段深い見識者を招待して対談形式で、より近いであろう
歴史の姿を追って行きます。
テーマは、韓国のこと、鎖国のこと、江戸時代のこと、、などなど、。

この本も、「ふ〜ん」「なるへそ〜」の連続ですよ。

32)
高見沢潤子:兄小林秀雄との対話:講談社現代新書、1993
難しさの象徴のようなイメージの小林秀雄氏を身近に感じさせる本です。
小林秀雄氏の言葉の数々を、実の妹高見沢氏の目を通して解説されていきます。
思考、論理の小林氏と言われるほどなのに、
*「実行という行為には、いつでも理論より豊な何かが含まれているからね」
*「人間が人間である中心になるものは、科学性でもなければ、論理性でもなく、
 理性でもない、”情緒だ”」
*「一番大事なもの?そりゃ仕事だよ」
*「命をかけて、仕事をする。損だという人もいるだろうが、惜しみなく努力する。
 いのちをかけて仕事にうちこむところに、本当の生きがいがあり、よろこびがある」
などの、言葉を数おおくされていることに、人間の複雑さや、人生の深さを考えさせられ
てしまいます。

メンタル、フィジカルは、あくまでもセットでなければいけないのですね。

おっと、氏は歴史についても珠玉の言葉を残されてますよー!ちょっと長いけど、、、
「自然というものは人間がいなくたって、それ自体で存在するものだろう。
だけど歴史には人間の体験がなくっちゃ存在しないじゃないか。
歴史は人間と離れることは出来ない。いつも人間と一緒さ。
人間と一緒に始まって、人間と一緒に終わるんだ。
だから本当の歴史は、面白い人間の性格や、尊敬すべき生活の事実談でいっぱいなんだ。
そういうものを学んで、常識を養うようにしなければいけないのに
そういうものを歴史教育からしめ出しちまっているだろう。
そのために歴史はちっとも面白くない、暗記ものになっているんだ」
うんだな。

31)
井沢元彦:日本史集中講義、祥伝社黄金文庫、2007
「話し合い絶対主義」「有名無実」「日本特有の武士」「嫌独裁的権力」
「「日本人的民主主義」など、日本人特有の感性をまず充分に理解させたところで、
その上で歴史のいろんなエピソードを線で繋げながら説明していきます。
歴史はズーット、その考え、思いが続いているもんなんだよと。

たとえば、武力の統率(武士以外からの武力の剥奪)する流れを、
信長の延暦寺の焼き討ち>秀吉の刀狩り>綱吉の生類哀れみの令
に見て取れ、武士の世界の進化の一面を気ずかせてくれます。
学校でもこうゆう風に話してくれると「ふ〜ん!!へ〜!」と楽しく興味を
もてるようになったんだけどもねえ。

中学、高校のころは本当に社会科が本当に嫌いでした。
歴史や社会科学の面白さに気が付かなかった私もアホですが、
教育の仕方にも多いに問題がある(あった?)ように思われます。
確かに、数学や英語、理科など利用価値のわかりやすい学科とは
違うので、より複雑な構造をしている歴史や国語教育には
それなりの工夫が必要に思うんですが、、、、ねえ。

いまはこんなに歴史大好きになりました!!しかし、直ぐに忘れてしまう。
同じタイプの内容本もなんどもなんども読んでも新鮮だったりするからいいけど。

30)
吉村順三:小さな森の家、建築資料研究社、1996
この本は芸大出身の建築家、吉村氏自身の別荘について話しているのですが、
造りの背景や、楽しみ方、快適なこととは、等が写真満載で伝わってくるのですね。
このまた写真が凄くいいんです、本当はここで掲載したいんだけど、、、。
 
特に暖炉に火がついている部屋(おおきな開口がある)から
雪景色(真っ白な木立に粉雪が)へと望む絵は痺れるほどです。

飛騨の山人間の私としての山暮らしは、こうゆう洗練されたものではないのですが、
郷愁と都会へ憧れが昇華したのが、この本で出てくる氏の別荘なんですね。
もてないけれど、見てるだけでため息が出てきてしまうのでした。
インテリアになんとか取りいれる位なら出来るしね。

とにかく大人の絵本と呼べる、かわいい本です。
ずーっと机の上に開いておきたい本ですよ。

ちなみに別荘周りの、いわゆるガーデニングやテラスに関しては
柳生博氏(クイズハンターの方)の”風景を作る人”がやはり絵本のような
素敵な本で、おすすめですよ。

29)
養老孟司:自分は死なないと思っているヒトへ、大和文庫、2006
養老氏は解剖学者、特に脳にたいする情熱は”昆虫”とともに並々ならぬものが
あります。
そんな理系の先生は、物事を自然(予測不可能、アンコントローラブル)と
人工(意識下、コントロール、脳化)とに区別して理解していくという楽しい作業を
教えてくれます。
やっぱりここでも出てくるのが四苦八苦ということ、つまり人間の絶対のルールからは
誰も逃げられず、それは何時、どうなるのか全くわからんことから、ご本尊は全くの自然
なのであるのは明瞭なのに、その脳から作られていく人工に囲まれ身動きできなっている様を
矛盾、滑稽などを駆使して話してくれます。
ではどうしてたら、どうゆうのがいいのかというと、
「自然に対してある程度の手入れをしていく、そしてある均衡状態が生まれる。
 それは、まさに日本の里山風景のような状況である」のがいいのではないかと言います。

そんなんだあ、やっぱり里山の里川の、ヤマメを求める感覚は正しいのである!!
と今日も家族に話している伴でした。

なんでこうなるの。

28)
井沢元彦:井沢元彦の世界宗教講座、徳間文庫、1996
この本は日本人にもっともっと宗教感を知ってもらおうとする気概に満ちた本です。
そのために、もっとも身近な仏教を主軸に展開されています。
井沢さんの本にはメインの内容に散りばめられている細かな知識が多く、
「ふ〜ん!!そうなんだあ」と呟いてしまうことが非常におおいんですよね。
仏教の基本的な構成、歴史が良くわかります。

マメ知識については、たとえば、四苦八苦。
四苦八苦とは生病老死と、以下の四つの苦のことをさしているそうです。
愛別離苦(好きなヒトとわかれてしまうという苦しみ:よく歌のテーマになってますね)
怨憎会苦
 (会いたくないヒトと会わなければならない苦しみ:そっか、こうゆうのが独立カテゴリーとは!)
求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ:どでかいヤマメですね、、く、苦しい)
五陰盛苦(暑い寒いと、感覚があるが故の苦しみ:腹減りますね)
歳を重ねるにしたがって、上記のどこが膨らんでくるのか、
人それぞれなんでしょうけれど。

あとはね、
浄土宗では般若心経を読まないのだそうだけど、その理由も覚えちゃいました。
それは、解脱の根幹をなす"空"と言う概念と、念仏することの矛盾によるもの
なんだそうです。

檀家の問題や、小さい頃からなじみのある法事の意味、等等、いっぱいわかっちゃった。
井沢さんは、深く難しい内容になってきて、読者(私)が苦しくなってくると、それを見はからって
す〜っと軽いタッチに変えてくれるんです。
イカシマス。

27)
岩城宏之:森のうた、講談社文庫、2003

東大は秀才がいく大学、真の天才のいく大学は芸大である。といわれているが、
しかり。
圧倒的な才能の存在とはいったいどんなものなんでしょうか。
ともあれ、芸大の学生、あるいは学生生活というものには大いに興味があります。
一年違いの芸大生、岩城宏之氏と山本直純氏の学生青春記であります。
音楽学部には指揮科(こんなのがあること知りませんでした)、作曲科、声楽、打楽器、
ピアノ、邦楽、ほうがく〜?、、、いろいろ興味深いものがあります。
しかし、彼らの才能は、あるいは生活環境の頭抜け度には驚かされます。
大学生活を背景にした小説、ドキュメントを読むと、なんとなくソノ分野の人間になれたような
気がして楽しいものですが、芸大の別次元の感覚は別格。
あの方々は、凄いのでした。

読み終えた直後、NHKで宮川彬良氏(宮川泰氏のご子息、芸大中退)が出演しており
やっぱり、ちがうぜ天才は!!と思った次第です。
う〜、ちょっとかっこよくってフアンになりましたぞ。

26)
立花隆:文明の逆襲、講談社文庫、1989

氏は文明の象徴、哲学に興味をもたれていて、言語哲学と科学哲学の認識を
明確に区分けしております。
それはイデオロギーの形成の背景としての自然、環境、生物学的影響が
厳然とあるということ知らしめようということからです。

現代人類の病理行動の多発を、地球の環境の激変に繋いで解説していきますが、
私的には、非常に納得できるものがあります。
精神のまえに、生物が、生物の前に自然が、地球が、宇宙が、、、と
思惟は爆発的に広がるのでした。
あたりまえなんですが、大したもんです。

25)
立花隆:「知」のソフトウエア、講談社現代文庫、1996

またしても、人生の残り時間と、行なうべき事柄に必要な時間とのすり合わせの話。
情報収集(インプットと呼んでいる)の最も身近な手段は読書であるが、自分にとって
価値のない本を読んでしまうことほど、時間の無駄使いはないと言っています。
そうゆう見地から図書の選定、読み方、速読の秘訣(ひとえに精神の集中)など、
サスガに読書の巨匠だけあって納得のアラシであります。

アウトプットは詰め込んだ情報が頭の中で発酵するのを待つしかないが、
それは無意識の能力にゆだねられていて、能力の向上には、結局出来るだけ
良質のインプットをできるだけ多量に行なうことなんだそうです。
そして「閃きのメモ」とか「ユーレカ」とかアウトプットの煌く現象を説明していきます。

文章発表や講演をされる方々には非常にヒントにあふれた本だと思います。
つまりは立花さんの活動そのものの一面を知ることができるわけです。
楽しそうなんだから!

24)
井沢元彦、天皇になろうとした将軍、小学館文庫、2002

南朝、北朝の分裂にかかわった足利尊氏、南北朝時代を終結させた孫の足利義満を
中心に往時の出来事の因果関係を解き明かしていくノンフィクション。
この時代の皇族、武士、芸能(この場合、世阿弥が作った能)、
建造物(金閣時や平等院など)を見ていくと、それらの原初的、本質的な姿が
みえてきて、現代を理解するのに有効です。

上記の二人のほか、登場してくるのは後醍醐天皇、新田義貞、楠木正成、
世阿弥(スパイ、忍者だって!)。彼らのキャラクターを説明し、
類似系として歴史人、家康、信長、頼朝、義経、秀吉、、、、、を対応させてくる。
現代でも、身の回りでも、そうゆうクラスフィケーションはできそうです。

時代は進化するが、人が考えている、あるいは感じることはあまり
変わらないのかも知れないですね。
変化しているものと、不変のものの認識をしないと、世の中しくじりそうです。

人間を理解する文科系の学問には心理学、文化人類学、行動学、宗教学等ありますが、
歴史は最もスムーズに理解していくことの出来る学問だとあらためて思いますね。

23)
井沢元彦、修道士の首、講談社文庫、1987

信長のフィクション物です。
井沢さんは信長が好きなんですが(私も日本No1の政治家と思ってます)、思い入れ
それこそたっぷりに信長はスーパーヒーローになって描かれております。
「甲高い声が、響いて、、」など、史資料にもとずき、臨場感ある物語になっています。
安土の煌びやかな世界へどうぞ。

22)
井沢元彦:ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座、徳間文庫、2006

いやいや、ここんところ、井沢さんと、五木さんの本ばかり読んでます。
ほかにも買ってはいるんですが、昔からこうゆう読み方になるんですね。
作家か、テーマ、絞り込むのは普通ですけどもね。
で、世界の宗教といったら先ずはこの三つですね。信仰者数としてはヒンズー、仏教は
ユダヤを凌駕しますけれども、それでも宗教の発祥はユダヤと考えてよいでしょうから、
親子同然のこの3宗教は政治、経済、文化を理解するには大変重要でしょう。
な〜んて、知った風なこといってますが、ほとんど受け売りであります。はは。
世界の争いの多くは宗教の違い、排除のし合いだとおもっていましたが、そんなに
単純ではなさそうですよ。やはり、住民の実生活での利害が水面下で波うっているのが
知らされます。
イスラムのロジック、ユダヤのクレバー、キリストのヒストリーを強く考えざるを
えなかったのですが、、どうやら、アメリカが心配の種。

アメリカの危うさは薄ら寒くなるほどでありました。
バックヤードドラマや、MGMのミュージカル、トムとジェリーのリフレジレーターの
イメージとは、今は随分違うのですね。

いろいろ知らぬことが山のようです。
もうすこし、すこしでも、人間、世界を理解しておきたいと思うわけで、、、、。

21)
五木寛之:雨の日には車をみがいて、角川文庫、1988

車や時計の雑誌をみると、
「うーん、この中で一番は、このモデルだな、、コッチも遊びに振ればイケル。
 でも実際にはこれが一番」
という具合に強烈に浮気心をくすぐられます。どんどん乗り換えちゃおう!と。
 しかし、五木さんのこの本を読むと自分の車を、もっと大事に、好きになってみよう!
とそんな気持ちにさせられます。
雑誌のインプレッションなどより余程その車の特性を表してくれます。
その車のイメージから作られたストーリーによって強調されてくるのでしょうか?
 車との生活はまだまだ楽しむ余地がありそうです。
ちょっとエッチなんですが、まるで運転しているみたい。
車によって数編の短編によって構成されてます。

出てくる車は、アルファ、メルセデス、ポルシェ、サーブ、シトロエン、ボルボ、ジャガー、

20)
五木寛之:うらやましい死にかた、文春文庫、2002

これは五木さんが、文芸春秋社の企画で集められた
一般の方々の「身近な人の死」という募集文章を選定されて編集したものです。
 死に直面した、あるいは死にいたるまでの時間を共有した親族や知人が
本人の行動、様子、心情、を克明に描写しているのですが、
読むにつれて、死に対する恐怖というものが減じていくのが不思議に感じました。

日本人の死に対する精神基盤には童謡―夕焼け小焼け?に集約されていると
言われています。
「遊びに,こころ残りはあるけれど、家に帰るのもまた嬉しい、、、」と
開口健氏は、人間は35歳をこえるあたりから、残りの人生、
あるいは死というものを考えるようになってくると言っておりました。
また池波正太郎氏は、どう死ぬかは、どう生きるかと同義であるともいっています。

より自然に充実して生きていくために、一読することお勧めします。

19)
井沢元彦:井沢式「日本史入門」講座」@和とケガレの巻、徳間書店、2006

神道と仏教、念仏と法華経、それからユダヤ教とキリスト教、イスラム教、これらの
違いを非常に解りやすく話しています。
日本独自の精神は、一神教の他の民族と相容れない部分が厳然とあることを
教えてくれます。
私、相当勉強になりました。

18)
五木寛之:蓮如、中公文庫、1998
       人生案内、角川文庫、2000
       大河の一滴、幻冬舎文庫、2001
       運命の足音、幻冬舎文庫、2002

この"蓮如"と一連の五木さんのエッセイ本は、大変こころが休まるものでした。
真宗、念仏の信仰を自認するだけあり、人の弱さを認めてくれる優しさが随所に
ちりばめられています。
蓮如は親鸞の阿弥陀如来を広めたことで有名であります。
「自分は救いの船の船頭なのだから、民を全て送り届けるまで、自分は運ぶのみ、、」
腹をくくった生き方は、命がけ。

”経済はクルマでたとえるとエンジン、政治、科学はハンドル。
そしてブレーキの役目をするのが宗教。ブレーキ無きクルマは暴走するのみ”
こうゆう形の説明が延々とされていきます。

固有の宗教を信じるのも信じないのもどちらでもかまわないのはもちろんですが
宗教の何たるかを知ることは、出来るなら、しておいたほうがいいなあと、
井沢元彦さんの本などと合わせ読むと、そう思います。
世の歴史や人間の行動も、理解がスムーズになるように思います。
(2007.4.10)
  
17)
武光誠:一冊でつかむ日本史、平凡社新書322、2006
原始古代の日本から、現代のマイクロソフトへのコメントも出てきます。
時代はすべて網羅です。
流れも要点のみ、ズバ!ズバ!と展開が明瞭です。
源平から頼朝、それから尊氏、朝廷とのからみから信長へ、、、尊王攘夷にいたる背景。
戦争のはなしなんか凄いのです。
「第一次世界大戦の反省から民族自決が叫ばれ国連の設立や先進国でのパリ不戦条約の
締結といった平和の実現への努力が為された。しかし、先進国の利害関係から、
より大掛かりな太平洋戦争が起こってしまった、、、この戦争のあと、ようやく、、、」
なーんて言う具合に、展開が早い早い、あっそう、そんな感じなんだあ!!てなもんです。
世界史も背景としてとりいれていて、そこでは大航海時代が重要なポイントと認識されてますね。

歴史でいちばん重要な、学ぶべき事柄は、時系列の概念なんだと思うんですよね。
局所の知識に長けることはその次でしょう。

この本は小学生高学年、あるいは中学の歴史の授業の最初の10回くらいに設定すると
ものすごく有効だと思います。

ああ、あと歴史におバカな私のような大人にも最適ですよ〜。
(2006・12.2)

16)
森永卓郎:ビンボーはカッコイイ(好きなことを仕事にする幸福)、日経ビジネス人文庫、2002
 現代の日本社会は三つの無=無感動、無気力、無表情が蔓延しているそうです。
仕事をすることは、所得を得ることと、生きがいを得ることが目的であるとも言います。
おそらく前者を優先し続けた結果が三つの無を蔓延させたのかも知れません。
徹底的に後者を選択し、明るく、勉強好きで、博学な人たちのドキュメントが描かれています。
解放されたそれぞれの生活は、読むだけでこちらも解き放たれます。
ああ、夢よもういちど。。
有利な条件は、1)好きなことと好きな仲間を見つける。2)配偶者と子供と家を持たない。
3)ラテンで生きる。の三つだそうです。なんだそうです。

15)
山田大隆:心にしみる天才の逸話20、講談社ブルーバックス、2001
世の中、たくさんスターはいますが、極めつけはここに出てこられる方々でしょう。
伝記や教科書にておなじみの方々ですが、ノンフィクションに徹した光と影のお話は
時代背景とともにどんどん引き込まれます。
彼ら天才たちは意外と短命の方が多く、本当に活躍したのは大体20〜40代前半まで。

0.00001%のひょっとしてが、完全に蒸散!!
しかし、わかっちゃいるけど、鼻の穴ふくらませて、その気になって読んでた私は
きっと長生きでしょ〜。

14)
和田秀樹:「見せかけ」からはじめるステップアップ仕事術、ぶんか社文庫、2005
ここのところこの手の啓発、ハウツウ系のモノに執心しています。
お勉強の方法論をオフシーズンに向けて、と自己刺激モードになっております。
でも、オフになったらバーンアウト!!なんてことになりそうな気がしないでもないですが、。
和田さんの本はこれで6冊目なんですが、同い年でこんなに違うもんかなと、あきれます。
こうゆう直球、剛球の責め方は読んでて気持ちが良いし、まずもって元気になります。
明日が楽しみになってきます。
タイトルはちょっとミーハーですが、内容は芯くってます。
メタ認知、推論、共感力。鏡、理想化、双子、、、。
う〜ん、やる気が湧いてきたゾ〜!


13)
宮部 修:文章をダメにする三つの条件、PHP文庫、2004
なんてったって文章の上手い事ほど、憧れる才能はありません。
これは私にうってつけだなと、思わず購入。
学生のころは現代国語が大嫌いでした。ナニを習っているのかよく解りませんでした。
それに比べ、この本からは、とても多くのことを知ることができた、と思います。

そこでひとつ、
音楽ほど形式と内容が一致した芸術はないと言われるのだそうだが、
文章においても内容、形式が、その質を決めるとしている。
「あらゆる芸術は、常に音楽の状態をあこがれる」って、、、むむむ、ムズカシイ;;
決して理解できたわけではありません。
内容か、内容ねえ、そこが問題ですねえ;;;;
内容が無い洋画、、なんちゃって;;;;;

12)
小浜逸郎:やっぱりバカが増えている、洋泉社、2003
ちょっと、赤線を引いたセンテンスを記載してみます。
*人間には自我の壁がやわらかく周囲のありかたに順応しやすいタイプと自我の壁が堅く、
周囲に対して自分を孤立させやすいタイプがある。
*読み書き計算や、自然や社旗についての基礎知識をおろそかにして
「自由にものを考える力を身につけさせる」などと称してとんちんかんなことをやっている。
*教育というのは基本的にその時々の子供の要求にあるのではなく、
歴史的に培われた文化や知識や技能を、半ば強制的に子供に押し付けることなのです。

いかがでしょう?すっきりしますよ。
当たり前の感覚なのに、ズバリ問われると、言葉につまるような微妙な問題について
カミソリのようなゾクっとするキレで示してくれます。

11)
堺屋太一:日本の盛衰、PHP新書、2002
歴史の勉強は、中一、あるいは高一の一時間目に、世界史ならアウストラロピテクスから、
日本史なら縄文、弥生あたりから始まって、3年生の受験直前に明治維新あたりに到達
し、あとはウヤムヤになって終了というパターンが多かった、と思います。
万一時間があっても、大戦前後のイデオロギーの変化(教育方針、パラダイム激変)の
の説明が学校教育上(教師の立場上)難しかったのか、上手く教育されませんでした。
今はどうだかわかりませんが、30年前はそうでした。
この本は、そこんところ、大変革から、現在の日本の状況にまでを良く解説してくれてます。
日本人の性根を解き明かしているように思います。
前出の”日本を創った12人”をお読みの後、これを読まれると文体の慣れもあって
非常に日本を理解した気分になれます。

10)
立花隆:二十歳のころ、新潮社、1997
このタイトルを見ると、高野悦子さんの"二十歳の原点"を思い出します。
いろいろな著名人の20歳のころのインタビューをまとめたもの.
己の当時と重ね合わせてしまう、ステレオ的な本。

9)
立花隆:脳を鍛える、新潮社、2000
科学の進歩や、科学の性質、思考形式をとりあげている。
"サイエンスの中心主義は普遍信仰である"等の名言がちりばめられている。

8)
井沢元彦:逆説の日本史、小学館文庫、1999
サスペンスドラマを見ているような日本の歴史があります。
”穢れ”と”言霊”の精神が日本の歴史を解くキーワードとする。
歴史がきっと好きになりますよ。

7)
堺屋太一:日本を創った12人、PHP新書、1996
現在の日本の社会、民族性に大きく影響をあたえたヒトと、その業績。
聖徳太子、光源氏、頼朝、信長、光成、家康、、、。

6)
竹内洋:教養主義の没落、中公新書、2003
読んでも何が書いてあるかわからない本を誇らしげにレジのおねいさんに
出す。そしてそれを小脇に抱え街を闊歩する。
そうゆうスノッビングの世界が変遷してきた。その理由と憂慮。
”読まなければならない本、というものがあった”と帯に書いてある。
昔の学生さんは良く勉強していたのであった。

5)
池田清彦:やぶにらみ科学論、ちくま書房、2003
現代の知的危機に警鐘をならすとともに、科学の危うさを説明する。
若者の理科離れ、科学的知識の確実性、科学とオカルト、加速するバカ化、
など、立花隆氏の”東大生はバカになったか”と重なる部分が多いが、
科学の本質を垣間見れますよ。

4)
今道友信:美について、講談社現代、1973
この本は本当にお勧め!!
技術と芸術を比較しながら、芸術の中にもある美を突き詰めていきます。
曰く、「技術は結果の持っている空間的効果を最大限に拡張し、
経過の持っている時間性を消去しようとする企てにほかならない」といい
また、「創作であれ、享受であれ、芸術は少なくともひとつの作品において
価値を発見する経過を前提としなければならない。
つまり、芸術体験は時間性の保持にほかならない。」
したがって、科学技術に成り立っている現代社会は、人間性の消去を
知らず知らずのうちに行なっているのでは?と提示している。
そ〜よね〜。仕事ばかりではね〜。人生は過程そのものがその本質だからね!!

3)
井波律子:酒池肉林、講談社現代文庫、1993
タイトルからすると、さぞや、、、という気がするのですが、
これは中国の殷王朝からの中国の歴史をつずったものであります。
人の性というものを少し理解することができるかなあ??と思えます。
宦官という怪物の存在が不思議な機能を果たす中国の性質はいまも続のかしら?

2)
開高健:知的経験のすすめ、青春文庫、1993
釣り好きな人なら、この巨匠に憧れたことが一度はありましょう。
”フィッシュオン”を先ず読んで、そして絶筆”珠玉”にいきなり飛んで、そろそろと
肉厚な著書を拾い始める、なんて感じの人は多いのでは?
気軽に巨匠のユーモアを味わうにはなかなか良い本だと思っています。

1)
池波正太郎:江戸前食物誌、ランティエ叢書、1997
これは過去の著書のダイジェストなのですが、まあいろいろまとめて書いてあって
便利な本です。
”通”のたしなみは知っといたほうがいいかな、という程度だけれど、実際の
食い物の記述は、筆舌を尽くしがたい味を、充分伝えてくれるものであります。
これを読んで、あらためて”鬼平”や”剣客商売”を読めば、熱燗が飲みたくなるのは
必定でありますぞ!




science
52)
池上正浩:「気」で観る人体(経絡とツボのネットワーク)、講談社現代新書、2002

体の学習はその形態(解剖学)と機能(生理学)が先ず基本になります。
解剖学は図譜などで形態を視覚的に示されて学んでいきます。生理学は生体の現象を
時系列で観察し因果律を理解し、システムやメカニズム、目的、つまり機能を学んでいきます。
実際は、これは同時におこなわれ、部位に応じた働きを知っていくので二つの教科は
視点の違いということになります。そしてそれを踏まえたうえで病気で異常になった
姿形や仕掛け仕組みを知る、いわゆる病理学に進んでいくわけです。
さて、医療、医学に沿って認識されているのが"気"ですが、その実在があるのかないのか
気になるところです。
この本では"気"の根本である経穴(つぼ)と経絡が図譜に明瞭に描かれ、その効果を解説しています。
その際、関連する臓器(六臓六腑)を照らし合わせてツボの効果や遠隔で治療する仕組み、
器官の働きや特性を鍼灸だけでなく自らの養生の秘訣も盛り込まれ記述されています。
原始の医療行為は'手当て'。中国ではその手当てを繰り返すうちに接触部位、強さ、深さと
効果の差異を見つけ、整理ないし法則性を紡ぎだした。それこそが経穴(ツボ)であり、
さらには中国特有の陰陽や虚実、明暗、静動の概念とその他の医学知見を重ねあわせ
ツボをグループ分けし、点を結んでラインを引いたのが経絡と言うことなのでしょう。
そして長い時間をかけ修正、淘汰され現在の体系が出来たわけです。
つまり、経絡は病理を解決しながら生理(機能を回復していく過程で)を知り、それをマッピングして
仮想のラインを人体に引いたという臨床現場からのフィードバックで形成されて来たんです。
まあ、そもそも科学はそうやって現場で困ってもがいて作られてくるものですからね。

したがって経絡は人の思索が作り出した機能のライン、エネルギーの伝道路、として実在しているわけです。。
血管や神経のように視覚では確認できないけれども、空間が無くても夢や記憶のように
明らかに存在しているものはあるわけですからね。
しかし、人には物証が欲しいという悟性の性もあります。そこで確認作業のアプローチが
盛んに行われていることも記述されています。
曰く、それは変調された低周波の遠赤外線であり、温熱変化、神経系を利用した類伝道系、
ホルモン分泌の作用(体液説)、発光エネルギーであると、非常に多彩です。
生体組織でなくてもいいのです。デジタルの値でかまわないから浮き彫りにして見てみたいのですが、
どうやら現在の人類の手持ちの科学ではいまだ説明が難しい複雑系なのかもしれません。
しかし、目をそらさず見つめていくべき対象だと強く思います。

以下、文中の有益センテンスを抜粋。
・ 唯心論(宗教時代)から二元論(デカルト)、唯物論(社会主義)への変遷と破綻。
 それゆえ折り合いのポイントの存在が精神と肉体の関係を模索する必要がある。
・ 注射針は針術にヒントを得た。
・ もともと"気"とは山や川に立ち上る陽炎を象形したものである。
・ 手をピストルね、ソフトボールを包むように両目を閉じ深く呼吸、掌で呼吸しているかのように
 →実在感、抵抗感、粘着感、熱感の発生。
・ 気は中焦から発生、横隔膜をあがっていく。
・ 特別な呼吸で体内に宿るエネルギーが気でありプラーナである。
・ 大腸肺、胃脾、小腸心、膀胱腎、三焦心包、胆肝は対応。
・ 偏重でなく平衡、放縦でなく節欲
・ 寒風を避けて皮膚と六腑を保つ、色を戒めて静を養い、思慮を正して神をやしなう、
 滋味を薄めて血を養い、言語を寡くして気を養う。飯や粥は三碗よりは二碗としたほうが良い。

51)
松井孝典:われわれはどこへ行くのか?、ちくまプリマー新書、2007
地球の、もとい宇宙の歴史をざっくりと知るにはベストの本だと思います。
ビッグバンから銀河、星の成長、マグマの海から沈静化していく地球、地球内の物質の分化、生物の誕生
、生物圏から人間圏への変貌、文明の光と影等、ほぼ全ての視点から地球の変遷を分りやすくイラスト入りで
説明しています。
いわゆる生態学の宇宙地球版とでもいえましょうか。以下、抜粋をして見ます。
・我々とは何ぞや=そうゆう汚染を引き起こすような存在とは何ぞや
・原始の地球=原始大気+マグマオーシャン+コアがプラズマ圏、大気圏、海、生物圏、人間圏などに分化。
・構成要素に駆動力が働きかけ関係性が発生する。
・駆動力=(太陽エネルギーと地球内部のエネルギー
・生物圏→(狩猟採集→農耕牧畜)→人間圏(地球のモノやエネルギーの流れをかえてしまう=文明という生き方)
・フロー依存型人間圏→(産業革命)→ストック依存型人間圏(地球全体型、エネルギー物質増大)
・地球システム存続のために時間をゆっくり→閉じた生活をする。(地産地消、旬、身土不二)
・人類は土壌を反映したような血を受け継いでいるものである。
・豊かになること→文化や学術を発展させるため
・モノVS機能(自分の時間を自由に使えることが人生にとって一番贅沢なこと)
・問いは具体的である必要がある
・アストロバイオロジー=火星、エウロパ、タイタン
・太陽光線量(雨量)とCO2

実はこの本「あとがき」を立ち読みして買いました。二元論と要素還元主義的な、外界を脳の中の内部モデルに
投影することが科学の身上だよとのコメントで、買い!!と思った次第でした。
これまたお勧め本です。

50)
平野弘道:恐龍はなぜ滅んだか、講談社現代新書、1988
地球が出来て46億年です。生物が現われたのが30億年前、その頃は地球上には酸素がなかったから
いわゆる嫌気性の生物でありました。それが生物の中の植物が酸素をどんどん作り出して10億年前には酸素が
相当に増えてきて、そして6億年まえの先カンブリア紀のエディアカラ生物群が蠢きだし、いよいよカンブリア紀の
生物の大爆発に繋がっていったわけです。オズドビズ、シリル紀と時代は流れ、デボン紀には魚類が覇権を
にぎるようになってきたんですね。いずれも動物たちは全員、海水の中に居たわけです。一方植物は4億年前に
一足早く地上に進出していて酸素濃度はどんどん増えて動物の陸上進出の環境つくりが為されていたんです。
さらにその頃、つまり古生代の終わりには地球表面は散らばっていた小大陸は集まりあって超大陸パンゲアになり、
新生代の三畳紀にはローラシア大陸とゴンドワナ大陸に再び分裂するという大陸の大変動が起りだしていて
海水面の上昇下降がくりかえされ、岸際に澄んできた生物の大絶滅(アンモナイト、三葉虫など)と脊椎動物の
陸上進出が行なわれたというわけ、、、という具合にこの本は地殻変動と大気変動、生物、植物、隕石、引力
運動エネルギー、角運動量など、多角的な視点から地球の非常に立体感のある歴史を学ぶことができる本です。

しかも、皆が大好きな恐龍のミステリーを中心に、それに絆されて一生懸命に読んでしまう。
こうゆう指導法は上手いなあって思います。

それとね、歴史というものの根源を見ることも出来るんですよ。古生代と中生代、中生代と新生代の区切りは
なんだと思います?そう、いずれも生物の大絶滅なんですね。後者はまさに恐龍ですね。
日本史だって、平家が滅んで源氏の鎌倉時代に、秀吉が滅んで徳川の時代になるんです。まさに世界が変わる
ってことはこうゆうことなんですね。

久々の進化論系、楽しいです。

49)
大島清:歩くとなぜいいか、PHP文庫、2007
なぜ歩くといいかというと、元気になって、気持ちがつよくなるから!とこの一言に尽きますね。
つまり健康になると言うことなんですね。
いろいろ、理由はあります。
1、 人は直立二足歩行であるのが身上。歩かないと人間で無くなる。2、拍動に類似したリズムによって
下肢の巨大な筋肉にある循環を促進する。3、腹背筋のバランスの補正。4、のみならず、あらゆる筋肉の
活性を上昇。5、有酸素運動で脂肪消費でダイエット効果大。6、基礎代謝をあげる。7.動脈硬化抑制。
8、がん予防。9骨粗しょう症の抑制。10、免疫力増大。11、睡眠障害予防。12、鬱予防。13、ボケ防止。
といた具合に、なんでもよくなるのです。
この考えは姿形(行動形式)としかけしくみ(機能=健康度)、とは表裏一体であって、人間は人間らしい行動を
とることが、それのみが健康に直結できるという仮説、いや信念にもとずいています。
人は魚ではないんだから泳ぎで健康を得るのも違いだろうし、特定の筋肉使用に特化した様々なスポーツも
違うでしょうね。現にスポーツ選手の寿命(いろいろな意味で)はけっして長くない。
人間は雑食(多咀嚼)と直立二足歩行は健康に多大に有効であることは進化を考えれば明白な直覚があるのです。
信じます。


48)
佐貫亦男:進化の設計、講談社学術文庫、2009
地球誕生46億年、生物36億年、顕性動物6億年、この長さを体感しにくい遥かな道のりを、
誰もが興味を引く生物の姿形、デザインという視点を通して、その変遷、栄枯盛衰を話してくれます。

著者は航空工学の専門家で、理系の中でも、ことさら理系よりの方なんでしょうけど、私感ですが、
そうゆう方の文章というのは大体において非常にシンプルで分りやすいですね。
事実関係だけを誤解無く伝えたいという科学者の性向なのでしょう。
濃厚な文学の凝った比喩は煩わしく感じることがあったりするのは当方のレベルが問題なのですけれど、
スパッと結果を示すのが私の趣味です。
専門外の生物学のバイアスが少ない分、一般の我々の持つ疑問を、同じように取り上げてスパスパ切っていくのは
気持ちが良いです。ああ、そうやってやり過ごせばいいのだな、、それでヤッパリ良いのだなと。
結果としてこの地球の長大な歴史を身近な出来事として理解することが出来ます。

と同時に、門外漢の斜に構えた気楽さが漂い、軽妙なユーモアが随所に表れことが影響してか、
進化の本としては実は極めて小説的な楽しみ方も出来る楽しい本だと思います。

 氏は最後に、"人間らしさ"の重要性を、我らの来し方行く末を通観し、案じ、強く強く訴えて来て来ますが、
非常に素直な、静かな気持ちで同意してしまう自分を発見することが出来ます。
読まれる方どなたも、きっと同様な良い読了感を持つことが出来るでしょう。


47)
南雲吉則:50歳を超えても30代に見える生き方、講談社新書、2011
いわゆる健康本です。タイトルにビビッときました。
裏切られない実用的な知識は大概、経験則での話が多いものです。経験則は、ある意味
生活の中での実証ですから信頼できるわけです。
それでいいのですが、それぞれに理由が欲しい。
人の悟性には因果律を求めるところがあります。
よくプチ成功者のインタビューコメントに、「私は何故何故といつも仕事に理由を求めて来た」と、
教訓的に言う方がいますが、そんなことは当たり前なんですね。誰でも、嫌でもそうなってしまうんです。

この本は経験則での方法を支持し、そのメカニズムをとってもリアルに楽しく説明しています。
読み進めると、健康志向そのものをエンジョイできるようになってくるんですね。

なぜか!
それは、一つ一つの健康ヒントに楽しい具体例、比喩を持ってきていて、さらにそこから派生していく
人生観や物語が満載だからなんだと思います。
秀逸な因果律がちりばめられているということです。しかも平易な表現で分りやすい。
ミミズと人間の相似性の件は最高にイケテマスよ。

 そして、この知識をついでに忘れないようになればもっと良い。
記憶しやすいのは意味記憶やエピソード記憶のパターンですから、その観点から言っても、
このスタイルは素晴しい。

さあ、30代になっちゃろう。


46)
帯津良一、幕内秀夫:なぜ「粗食」が体にいいのか、知的生き方文庫、2009
栄養学や生化学、特定の実例を根拠にした食事法が多い中、食の歴史、民族、風土など、時間の厚みと、
地域的な差異を網羅し、広い意味での自然科学を基にした食事の指南をしている本になっています。
生命場、身土不二、食事における純粋栄養学的側面と心理精神的側面の存在、食材の優先順位等
納得しやすく取り入れやすいことが多く記載され、健康改善に大いに役立つと思います。
問題点としてあげていることは、過食、欧米化、ビタミン・ミネラル・微量栄養素の減少、精製食品の増加
食密繊維の減少、化学物質の急増です。
これらを回避する方法は和食で粗食にするということだとしています。
具体的には大事な順から、ご飯をきちんと食べる>飲み物で満腹にしない>未精製米を摂る
>砂糖、異性化糖を摂らない>副食は旬の野菜>動物性は魚介類>揚げ物を控える>発酵食品を常食に
>安全な食材選び>多咀嚼
といった具合になります。
一日、二食の生活も可でした。
しかし、楽しみの食事の重要性も指摘していて、時に華やかな心躍る食事は大切なことだそうです。

この本を読んでいて、ウエストン・プライスの「食生活と身体の退化」という本がダブってきました。
私にとっては衝撃的な本だったのですが、ほぼ同じ視線を持っています。

この本(いずれも)を読んでみれば現在の食生活の問題点とその理由が素直に理解できるはずです。

45)
河合信和:人の進化700万年史、ちくま新書、2010
ちょっと久しぶりのピュア進化系です。
いや、やはりこの分野は面白い。読んでてワクワク、ドキドキです。
良く出来た小説みたいな快感があり、しかもドキュメント、さらには今後もどう展開していくか
わからないと言う続編は永遠に連なっていくわけです。

著者が「人類進化のズグソーパズルが全部で300片あるとすると、現在は30片ほどのピースで
ストーリーを作っているようなものだ」といっていますが、それでも充分に楽しい。
今後の展開が情報量と解析方法とリンケージの向上で加速されるような感じがします。

この本は大局を俯瞰でき、要所要所のエピソードについて、頭に浮かぶ疑問を一つ一つ解明していく
形式がそれとなく採られていて大河ドラマをみているような安定感と楽しみを備えています。

すこし時系列で概要を流してみますと、サハラントロプス・チャデンシス→アルディピテクス・ラミダス→
アウストラロピテクス・アファレンシャス(ルーシー318万年)→A・アフリカヌス(タウングチャイルド)→
ホモ・ハビリス→ホモ・エルガスター(トゥルカナボーイ153万年)→H・ハイデルベルゲンシス→
H・ネアンデルターレンシス→ホモ・サピエンス、、、となります。
言うまでも無くこれはこのまま進化変異してきたわけではなく、、様々な枝分かれをしてきた別種で
時には同時代を何種ものホモニンが並存していたんですね。

今回、読後にすっきりしたのは大地溝帯の周辺と南アフリカ周辺の二大発掘エリアでの発見された
ホモニンの関係を学ばせてもらえたこと。
つまり大地溝帯のA・アファレンシャスの地域種が南のA・アフリカーヌスでそれぞれの頑丈型が
パラントロプス・ボイセイでありP・ロブストスなんですね。
化石の量的な観点から進化史の中心は大地溝帯みたいで、A・アファレンシャスからボイセイが分離して
遅れてホモ属(ハビリス、エルガスター、ルドルフェンシス)が分かれた形をとっています。

これが約250万年前、その後200万年前に第一次出アフリカをおこなったのがH・エレクトス、
アフリカに残ったH・エレクトス(H・エルガスターと別称される)から104万年前にH・ハイデルベルゲンシス
が分かれ、その65万年後にその中から別種のホミニンが分かれた。
即ち、完全肉食、高消費カロリー(4000Kカロリー)でイヌイットのような体型、赤毛で碧眼、白色ソバカスの
古人類学のスター、ネアンデルタール人であります。
ネアンデルタール人は2万8千年前に絶滅したのですが、現生人類とは1万数千年も同時代を生きていた
事に成ります。キリストが生まれてから今までの年月の10倍近くもですよ!!

現生人類は20万年前にやはり、H・ハイデルベルゲンシスから種分化し、6万年前に第二次出アフリカを
行なっているんですが、もちろんホモ属以後はネアンデルタール人やH・ハイデルベルゲンシスも世界に
散らばっていたみたいですね。

2003年にみつかったH・フロレシエンシスも2010年にシベリアで発見されたデニーソヴァ人も、そこらに
ルーツがあるようです。そうそうシンプルなわけはないんですよねえ。

本文ではホモニン(人類)の名前が夥しく出てくるのだけれど、慣れてくるとトルストイの小説の登場人物の
名前より楽だし、ずーっと確定されているので覚えちゃえば安心です。
全280頁、適切な量、濃密な内容の非常に楽しい良書です。

44)
鴇田昌之、篠崎文重、武田信一、巨海玄道:初めて学ぶ力学基礎、JB企画、2009
出だしは、フムフム、、、でしたが、二次関数的に難易度が急上昇。
解らぬところを踏み倒しながら(見なかったことにして)一応、目を通したという本でした。
必要な基礎知識が欠落しすぎております。

特に微分積分ですね。
養老孟司さんが、微積は究極へと想いを馳せる、推測、想像力の育成に重要だと
いっておりましたが、そういう概念だけが残っていて、他はスッカリ消滅していましたねえ。
例の独特の数式がバシバシでてくると、悲しくなります。

以前から必要に思っていて、奮起して読んだんですが、ああ、数学も読み返さないとダメみたい。
例題やんなくてもいいから、”中学生のための微積”なんての探そう。(そんなのないか、、)

43)
栃内 新:進化から見た病気、講談社、2009
私は現在、一日の食事を昼夜の二食だけにしています。朝は果実ジュースを飲むだけ
にしていますので、厳密に2食とはいえないかも知れませんが、このジュースは繊維を除いたもの
なので消化器の負担はほとんどありません。もう6,7年になります。

また、10年前から仕事の行き帰りは徒歩20分を基本としています。
休みの日の昼近くまでの朝寝坊もここ10年はしていません。

こうした生活習慣の規範を刷新してきたのは、過去の健康本(石原結實さん、
安保徹さん、小山内博さん、三木成夫さん等々)を読んで、実際に試してみての
自分自身の体調の好感触からでありますが、背景には人類進化の中でのヒトの身上に沿うかどうか
という視点、意識があり、本採用をするかどうかの判断基準だったように思います。

進化生物学者のドジャンスキーの「生物学(医学も)では、進化というものを考えに入れなければ、
なにひとつ意味を持たない」という言葉が表すように、生物38億年、脊椎動物5億年、人類700万年、
ヒト20万年の進化の圧倒的な実績と、政治的、経済的な理由などもあったりする現在の医学常識とでは、
信用の重きを置く選択に迷いはもてませんでした。
もとより天然自然の真理のうち科学がどれほど解明してきているかをみれば、これは一つのバイアス程度に
認識しておくのが安全ではないかなと、思う次第であります。

本書の中に、
「進化という時間スケールからみるとあまりに短い時間で発展してきた現代医療というものを、
長い時間をかけて起こる進化というプロセスによって獲得された生物のさまざまな性質とすりあわせようと
努力することが大切だ」
とありますが、まさに"我が意を得たり"であります。

健康と生物と進化に興味があれば必然的にこういった発想になるんですね。
これらの視点からの医学の捉え方、修正を加えた医学を"ダーウイン医学"というのだそうです。
関連本も多数あるようで、この学問の、いえ、あらゆる学問の裾野のひろさを再認識するばかりでした。
すごく解りやすい本ですよ。


42)
アインシュタイン、インフェルト著、石原純訳:物理学はいかに創られたか、上下巻、岩波新書、1995
 大人の趣味というのは、子供のころの好きだった遊びにその源流があるといわれますが、山遊び、虫取り、
生き物飼育(犬、鳥、虫、魚、etc)で明け暮れた私が行き着いた趣味がFFだというのもその一例でしょう。

そういうことで生物周辺には興味があって、恐竜学、生物進化学、生態学などを読んできましたが、
ふと生物と非生物ということが気になってしまうことがありました。
分子、原子などから物質、空間、力学へと想いがめぐってしまいます。
そんなわけで物理学です。

タイトルから、おっ!成立の歴史を知るスタイルだ!とさっそく購入。
著者はあのアインシュタイン、ちょっとびびりましたが、きっと一流は平易なことばで諭してくれるであろうと
予測しましたが、読んでみると、そうであったり、なかったり。
上下2巻ということもあり、読了まで随分時間をかけてしまいました。

お話の流れは古典物理学の確立から、その絶対時間と慣性座標系の廃棄と量子物理学への転換に至る
というものでありました。
印象深かったのは、物理学における理論構築への根源は、人間の観念や思索であり、
求めているのは実在の形象と感覚的印象の連関の確立だということでした。
もっとも純粋な科学のイメージをもつ物理学にして極めて人間的な創造物であったことに驚いた次第です。

仮説と実験の繰り返し、弁証法による淘汰によって、どの科学者も憑かれたように研究をおこなってきました。
しかし、なぜにこのように、執拗に、泥臭く、学問をして行くのでしょうかという問いには、
人には「理解に対する永遠の憧憬」と「世界の調和の強固な信念」が備わっていると答えています。
そしてそこに障害が増せば増すほど絶えず強められて行くとも。

しかし、わかっていないことも多い、それも中核とさえいえるようなことおいてです。
光は波でしょうか、あるいは光子(光量子)の驟雨でしょうか、このいずれもが実在を矛盾なく説明できない
でいます。皆、相当苦しんでいます。

う〜む、学問も仕事も生活も、いずれも戦いなのだと思いました。


41)
河合信和:人類進化99の謎、文春新書、2009
生物進化、とくに人類進化についての系譜は10年ごとに書き換えられるといわれていますが、
現在のところ、この本に記載されていることが最もup to dateでありましょうか。
見開き2ページに一つのテーマについて簡潔にまとめられていて読みやすいですね。
いろいろな祖先たちが入り混じって同時代を生きていたことが良く現われていて先史の
世界の様子が浮かんできます。
特出すべきは巻末の系統図です。
多くの文献を読まれてきた方には、非常に明解に感じられることでしょう。

0)
池内 了:物理学と神、集英社新書、2005
人類文明の夜明け、私達人類は、それまで世の規範であった神の世界から
少しずつ、少しずつ自然のメカニズムを剥ぎ取り、科学を築いてきました。
この本は、その自然科学の中核であった物理学を基軸にした長い科学発展の歴史の
神との対話を描いています。

物理学の更に上位の学問というのは、物理学(physics)の上位(meta)ということで
metaphysics(形而上学)と呼ばれています。観念と認識、存在論というイメージの世界ですね。
めちゃ難しい世界です。面白いですけどね。

というわけで、現実の空間世界では物理はやはり中核であって、化学、生物、地学、
はては経済学までも物理学は理解には必須です。

この物理学の発展には数学が有効であるという特徴を示したのがデカルトです。
この件と公理的主義(感覚より理性を信用する手法)と保存原理をあわせてデカルト主義
といいますが、このあたりから現在までは基本的に同じベクトルの進化を続けているようです。

すこし手前味噌ですが、この時点までの人類文明を眺めて見ましょう。
その前にもちょっと前からも見てみます。
130億年まえにビッグバンから宇宙ができて、46億年前に地球が出来、30億年前に
生物が誕生、5億年前にエディアカラ生物群、カンブリア生物群の生物大爆発が起きて
1億年前に恐竜が繁栄、6000千万年前に人類のルーツが生まれ、700万年前に
直立二足歩行である人類の祖先が出て、20万年前にホモサピエンス(現生人類)が
生まれたんですね。

その10万年後アフリカから世界中に人類は散らばって、ニグロ、モンゴロイド、コーカソイド
の人種も出来てきた。約5万年前くらいのことです。
狩猟ノマドであった人類は気候の変化で定住を余儀なくされ、1万4千年前にコメを、
1万2千年前に小麦を飼うようになってきたんですね。農業の発明です。
この農業による備蓄力、生活の安定性、余裕が世界に文明を起こさせたわけです。
そして学問体系として、とうとう世界の四大哲人が期を同じくして2500年前(BC500)
に出現したのです。
孔子、釈迦、ソクラテス、第二イザヤであります。

ソクラテスの弟子がプラトンで、その弟子がアリストテレス(前384−322)です。
天道説のアリストテレスです。
これをコペ転でひっくり返したのがコペルニクス(1473−1543)です。
この辺り16〜17世紀が物理学の転換期になります。
ガリレイ(1564−1642)も先のデカルト(1596−1650)もニュートン(1642−1727)
もこの頃の賢人ですね。
考えてみると、この時代は相当にエキサイティングな世の中だったんだろうなあと想像します。
毎日ワクワクでであったでしょう。

ともかくその後、レトリック、メタファー、弁証法などを駆使し科学は進化してきたわけです。
この物理の歴史のエピソードが多く記載されています。
永久機関と物理の発展、錬金術と化学の発展、パラドックスの効用、混沌とカオス、
非線形+量質転換+多彩チャネル+ユラギ=複雑系、ストレンジアトラクター、
自己相似的+ベキ関数=フラクタル、エネルギーが満ち満ちた真空からのエキスポーズ
→ビッグバン、、、、、、、、、。
量子論あたりになるとかなりキツイ内容になるのですが、それ以外は割合すんなり理解
できる内容で、平易な表現が著者の力量を示しているように思います。

この本を読んでいて感じるのは、まあ、なんとも、人類の知りえた知識は少ないな!
ということです。
既知の知識に対する未知の物が神なのかも知れませんね。
巻末に著者は以下のように述べて締めくくっています。
「私たちがまだまだ無知であることを謙虚に学ぶ為には歴史を読み直すことが一番である」
無知の知があれば落ち着けるわけです。

楽しい本でした。

39)
北園大園:へんな古代生物、彩図社、2008
帯には「キモイ、デカい、意味不明!!」とかいてあります。
一匹一匹イラストとキャプションが見開き一ページにかいてあります。
説明書がくわしい図鑑ですね、これは。
御案内の名前が沢山出てきますよ。アノマロカリス、ピカイア、ハルキゲニア、アランダスピス
ステゴザウルス、アロサウルス、ティラノサウルス、スミロドン、、、、、
説明がおちゃらけていて、まあ面白いですがねえ。ちょっとねえ。
もう少しまじめバージョンが欲しいところですねえ。

38)
中原英臣、佐川峻:進化が変わる、講談社ブルーバックス、1991
現行の学問には個体差を許さないというようなところがあって、
もっぱら万能、普遍性がもてはやされている。生活実践の応用としての科学、
つまり生活と闘う武器という側面からでも"伝家の宝刀"的な、このコンセプトで
なんでも理解、解決ができる!そんなものを連続因果律の元、探し、集約しようとする
ところがありますね。

科学の世界で最も人気のある分野が"進化論"と"宇宙論"と言われていますが、
ここでも、万能なるものをもとめて理論構築を目指していて、お互いに論争が
繰り返されています。

この本では、
1) ダーウイン論、ネオダーウイン論(突然変異+自然淘汰)
2) ラマルク論(獲得形質+用不要:進化論の祖)
3) 中立説(変異は有利不利関係ない)
4) 断続平衡説(進化はリニアに進まない)、
5) 今西論(棲み分け+種社会―――自然淘汰の否定、還元主義への挑戦)、
6) 連続共生説(細胞間の合体)
7) ウイルス進化説(ファージ変換)
8) 成長遅滞説(浅間一男:環境因子―幼形成熟+ポリジーン)
9) その他:隔離説、生殖質連続説、定向進化説、内部進化説、
  移動平衡説、血縁選択説(レミングの例)、定向突然変異説。

などを挙げて、それぞれの論拠を比較検討しているんですが、なんといっても
ダーウインとラマルクの対照は中核であり、"生物の主体性の有無"
"進化の方向性の有無""競争か協調か"などがテーマとなっています。
というわけで進化研究に関する総集編のような本でした。

その他にも、生物絶滅(6、5億、5,0億、3,6億、2,5億、0,6億年前)の原因や、
ヒトのルーツ(ヒトは分子時計では6〜700万年前に出現、実際の化石では700万年前の
ものが確認。ニグロとは10万年前、コーカソイドとモンゴロイドは6万前に分離)などなどが
記載されていて楽しいです。

37)
西田正規:人類史のなかの定住革命、講談社学術文庫、2007

このタイトルからは、「おー、狩猟から農耕にかわった、そういったお話ね」と
購入し、ツンドク群に混入されてたのですが、どうも気になって繰上げし読書開始
となりました。
そしたら、びっくり仰天の面白本でした!

進化を、生き物・動物の性癖、本性に元ずいた解釈、説明で、無理の無い納得至極な
流れで展開、進行していきます。

この周辺の一般的な既存の知識とはかなり異なった解釈なんですが、どうもこちらの方が
矛盾が少なく、より真実に近いように思われました。

というわけで、本書の見解をあわせて、人類史の流れの概略を記載してみますね。

700万年前に人類が誕生したのですが、その出自は類人猿の先祖であります。
その後分化した類人猿と思われる現行の種としては小型のテナガザルと
大型のゴリラ、チンパンジー、オランウータンがいるんですけれど、その中間の
中型がいません。そしてまさに、その中型のが人類になったらしいんですね。
そしてそこのサイズのニッチェにはその中型類人猿とサル類のオナガザルがいて
熾烈な生存競争をしていたらしいんです。

獰猛なサルたちと戦うために、原始人類はブラキエーションで鍛えた視力、視界、姿勢と
手の器用さと知能を駆使し、棒や投石でオナガザルと対抗してきたらしいんです。

しかし、種の外部への適応には有効であった武器が、同属の仲間には危険極まりない
存在になってしまい、仲間との闘争が始まってしまった時には甚大な結果になるので、
その争いにおける安全装置として、進化的コミュニケーション、つまり言語ができたと
とまあこうゆういうことなんですね。
挨拶やご機嫌取り、不満や、罵倒などの表現として、暴力実行回避や緊張緩和が根源的
目的であったらしいんです。

論理性や効率性、生産性などを目的とする情報伝達としての言語は人類の開拓(拡散、
つまり出アフリカ)以降に目的達成への道具として発展してきたそうです。
氏はこれを”安全保障の言語”と”仕事をする言語”といっています。

そうすると、非論理的な話や、無駄話、おしゃべり、井戸端会議なんぞは人間関係の
緊張緩和、平和維持のための大切な行為なのですね。

ちなみに、資産分配や結婚も社会における緊張緩和、平和維持を目的に発明された
としています。

昨今の経済、生産、効率至上主義の傾向により、井戸端会議やおしゃべりが減り
引きこもりや、激しい争い、犯罪発生の一因になっているように思われますね。
”ダベリ”の効用は大きなものなのでしょう。

ともあれ、そんなこんなで人類はそれから世界に拡散していくのだけれども、基本的に
彼らは狩猟採集によって生き続けてたわけです。そして最後の氷河期暖解のときに
中緯度エリアにおいて四季が発生し、継続的、安定的狩猟採集が不可能になり、
定住を余儀なくされたらしいんです。

定住した居住地周辺の環境には変化(インパクト)がおこり、栽培に適切な植物が集合して
農業が誕生したわけなんですね。
それが約一万年前(コメー1,4万、小麦ー1,2万)です。

それから余剰資産の累積が文明と形を変え、BC5には4大聖人に象徴される哲学が
うまれ、現在の科学技術の現在へと繋がると言うわけです。

ほかにも私の数年来の疑問が、思いがけずドンドン消化できた本でした。
各年代が時系列でグーンとリンクすることが出来たここ数年のなかでもベスト3にはいる
進化系の本です。
5回ほど背中がゾクゾクして感動ものでしたあ。

36)
松井孝典:地球誕生と進化の謎、講談社現代新書、1990
 
 えー、一応、高校では地学も習っていたんですが、地球の構造等については
すっかり忘れてしまっていまして、そういえば、、、、、ということが最初の段階で
発生いたしました。
地球の磁力はダイナモ効果で起こっているのって、きっと、常識なんでしょうね^^;
地球の年齢は、隕石の調査でわかったんですってね、、46億年、、、^^;
原核生物が36億年、真核生物が17億年、それが10億年前に多細胞へ
7億年前でクラゲ系が、、そんでもって5〜6億年前のカンブリアで大爆発、、、、
3億6千年前に哺乳類が出現、2億5千年前と6千年前でに生物大絶滅、、(これは別ソース)
類人猿はこの当たりに出現、、、、、、
このへんからは少し身近になりますね。

10億くらいの数だった人類が産業革命からのここ一世紀あまりで約6倍に大爆発したのは
25億年前に酸素濃度が急上昇したことと似ているし、現在の二酸化炭素上昇問題も
生物の地球環境への影響という視点では同質なのでした。
必然だそうです^^;

そこで発想は宇宙へ飛び立ちます。
金星でなく、火星でもなく、地球に生物ができたのは、ここに海と大地があったから。
それどうして??
物理と化学の知識不足で悲鳴を上げ続けた本でした。

35)
犬塚則久:「退化」の進化学、講談社ブルーバックス、2007
人の体とサカナのシステムを対比していくことでヒトの器官の本性を
探るスタイルは多いのですが、この本でもふんだんにとりあげております。
ウオルフ管とミュラー管の退縮の構造はわかりやすいし、”鼠径”の由来など
ふーん!がイッパイ。。

34)
安保徹:自分ですぐできる免疫革命、だいわ文庫、2007
 安保氏は「病気はまさにその人の生き方そのものの現われである」と
とうとう言い切りだしました。医者としての誇り、信念を感じる表現です。

安保氏は結局、自然の法に則した生き方こそが病気から逃れる術だと説いて
いるだけなのです。本当にそうだと思います。

しかし、ストレスが好奇心や闘争心、活力となって生物は生きているし進化も出来る
わけで、だからストレスは生き物、なかんずく人間には付き物で、そうなると当然
病気がなくなるということも無いのだよ、とも言っています。

ただし、現在の人間社会、生産社会からのストレスは過剰であることは現在の
疾病疫学状況から明らかであり、人類の進化と、自己実現の価値、あるいは
人生の充実度、さらには個人の健康の観点から、どの程度のストレスを容認すべきか、
よくよく考えないといけないわけですね。

でもね、ここでいちばん肝心なのは地球の健康。なのですね。

33)
養老孟司:ぼちぼち結論、中公新書、2007
世の中、良く解らないことは山のようにありまして、釣りに行っても、
何で今日はこんなに天候もよく虫もブンブン出ているのに魚ッ気がないの??とか、
こんなでかいフライになんでアッサリ出ちゃうわけ??とか、
既存の知識を裏切る状況だらけと言ってもいいくらい不思議なことばかりです。
このことを氏は「まだ情報化されていない世界が不思議なことなわけで、
          それがだから面白く、自然にくりだす楽しさはそこにもあるのだろう。」
といっております。

氏は虫取りが趣味なのだけれど、これは自然のひとつの象徴であって、
氏の虫取りについてのくだりは、"虫取り"を"釣り"に置き換えてみても
まったく同じに表現できるんですね。まったく愉快になってまいります。
とくにP174は、自分の鼻の穴が膨らんでくるのがよーく解ります。
そこの文中に、こんな台詞があります。
「自然に直接に接すること、そこからなにかを情報化すること、
これが私がやってきたことである。」、、

うむ〜。

32)
梶田 昭:医学の歴史、講談社学術文庫、2003
息子の学校の歴史の授業内容に驚いた。なんと、アウストラロピテクスからハビリス、
直立原人、ネアンデルタールときわめて詳しく話されており、我が中学時代の内容とは
雲泥の差がありました。
願わくば42億年の歴史もダイジェストでやって欲しいものですが、
いずれはそうなると思います。

この本は医学史に残っているアスクレピオスやヒポクラテスの記述に先だって、
呪術、さらにはおサルの”毛つくろい””手あて”に医学の起源をもとめており、
医学を「慰めと癒し」の技術と言い切っています。

歴史をたずねることは本質を知るために重要だけれども、源流に行けば行くほど
焦点が合ってくることが多いのは、医学や人類学(狭義の歴史学)など、
分野にかかわらず、同じなんですね。


過去の医学は、今となっては荒唐無稽と思える”科学”が実践されてきました。
その都度、洗練されては来ましたが、”あやまち””間違い””不明”が消え去ることはなく
これは、現在も理論的には同じです。
ようするに医学や科学には”解らない””善悪判定不能”ことが沢山あって、そして
それを忘れないことが肝要であることも、もう充分学んできたはずなんですね。

17世紀のイギリスの医者にシデナムという人が居たそうですが、その言葉に
「何も読むな、ドンキ・ホーテだけでたくさんだ」というのがあります。
”病気をみるな患者を看よ”、ということなんでしょうが、”科学に負けるな”とも
とれます。
科学の適応に”不審”の態度を持って、それに振り回されず、
”心情と情緒”で科学の中の汚濁を消すことが、よりよい結果を出せるし、
科学の適応の間違いを減らすことが出来るのだよ、といっていると考えます。

慎重に、出来るだけローインパクトに、なんですね。
そんなことはエコや自然の儚さ、人工の危うさなどから、もはや常識なはずなのに、,,

全ての医療従事者に勧めたい一冊。

31)
立花隆:脳を究める、朝日文庫、2001

もともと知の全域を含んでいた哲学は、諸分野の科学に財産分与で譲り渡し
現在は認識論と存在論が中核になってきているのだけれど、その思弁の場である
脳の機能の解明によって統合されてしまうのもそう遠いことでもないかもしれません。

しかし、この本は面白いけれど、まあ論文読んでるみたいで重かったわ。


30)
河合雅雄:子どもと自然、岩波新書、1990

文明の進歩にともない、生活環境はどんどん人工化していくわけだけれど、
やはりヒトは自然の存在そのものなわけだから、生物としての主体性を確保することが、
身体的にも精神的にも生活設計という面からも、今、もっとも大切なことということを
この本は説いています。

本のタイトルから感じられる教育的なものというよりも、自然と文明文化との
適切な折り合いのつけ方、生活の工夫の話のように感じられます。
養老氏のいう、「ボタ山と雑木林の村里」を連想させます。
こういった志向は多方面から指示されてきているように思います。
現代が疾走している姿への地道な警鐘なのですね。

文中、とくに印象深かったコメントは
*一度できあがった悪い関係は大変強固であるが、良い関係は非常に脆く、修復が
 難しいということだ。それは人間関係についても、子どもの躾についても同じである。
*感性は知性との強固な結合によって世界を深く認識する機能を発揮する。
*まず、自然の中に包まれ、体にしみこむごとく自然を感じ取ることが大切だ。
*春の里山は、ファンタスティックな動植物の宴の世界だ。
*子どもの時から自然に親しむことを見にしみこませておけば、自然に還る心の
 準備をととのえるにも大きく役立つことだろう。
*勉強には、知的開発とそれによる知的快楽という大切な基本を織り込む必要がある。
*勉強に熱中できるのは、現在持っている能力レベルより少し難しい問題に
  向かった時である。
>>>これは簡単なライズの釣りは飽きてしまうし、難しすぎるスレスレ山女ライズは
  げんなりしてしまうが、微妙に難しく、かつ、イメージに近い釣れ方のゲットが
  いわゆる納得の一匹って思ってしまう我々には非常に解り易いですな。

29)
西原克成:健康は呼吸で決まる、実業之日本社、1998
これも古い本、これは古本屋で見つけました。
呼吸と食事と睡眠が健康になる生活の三つの大きな視点です。
これらを結びつけるキーワードは免疫力と造血機能。
海に漂うムカシホヤは波のリズムで呼吸をしていた。
これが呼吸の原形。
腹式呼吸と循環の関係など、三木成夫先生のお弟子さんであることが
よく解ります。

28)
養老孟司:解剖学教室へようこそ、筑摩書房、1993
ちょっと古い本ですが、ネットで見つけました。
解剖のこと、実にわかりやすく紹介しています。断片的な記述なのですが
要所要所を押えていて、さすがです。

27)
松井孝典/南伸坊:「科学」ってなんだ!、ちくまプリマー新書、2007
まったく何もわからないところを自分で切り拓いていくというこの楽しさ!そういって
学問や科学の魅力を語ってくれますが、しかし、夢物語になっちゃいけないよ!と
いって注意も促してくれて、両方から科学の現況を示します。

”でね、UFOについては宇宙に生命体が居る可能性はあるけれど、
地球の近くに飛んでくることは在り得ないのね!”と明解に言い切ってしまいます。

それはね、100光年の範囲を観察しても、生命体の居る惑星は見つかっていない。
ある程度の質量になると光速での移動は不可能なことは解っている。
すると、仮にその一万分の一のスピードでやって来るとしても百万年かかってしまう。
この期間をUFOという閉鎖空間で過ごせるのは単細胞動物くらいしかない。
そんなわけなので操縦可能な知的生命体がやってくるなんて無理。、、、なな!

といったグワイにバッサバッサと切倒される快感はなかなかよ〜

26)
養老孟司:いちばん大事なこと、集英社新書、2003
環境論について、養老氏の思考は飛び回ります。
環境論は座学では理解できない。現実に自然の中に身を置かなければわからない。
なぜなならば、自然は理屈で説明しきれないことばかりで、それは感じるより
ない。そして環境は自然そのものであるからです。、、、、、
というところが私的な解釈文です。

忙しい氏は口述文形式の本がおおいのですが、この本は相当の加筆があったようで
極端に難しくも無く、かつ充分読み応えのある楽しい本です。
氏の意見を読み進むと諭されているようで、現代の論語という感じがしました。

もういちど読み返すべき本なのですが、次の本をよみだすんでしょうなあ。

25)
三木成夫:人間生命の誕生、築地書館、1996
これで4冊目、解剖の出身ですが、フィールドが膨大なんですね。
私的に、もっとも印象的な概念は物事の捉え方が、”しかけしくみ”と”すがたかたち”
と言うところです。
このことは、これも私見ですが、養老猛司氏の”自然”と”人工”のような極性をもった
解釈の仕方にも受け継がれているように思います。
さきの西原克成氏も影響大と思われます。
本当に大御所なんですね。

生物の原形、”おもかげ”を知ることは「成立の歴史を知ることによって体得できる」
という意見には、素直に同意出来るし、その目的のためであればこそ
古生物学、比較解剖学、比較発生学の学習は凄く楽しいのですね。
身体器官の役割や意味も三木氏の本で随分勉強させていただきました。
と言うことで、私的活用キーワードを追加

*上虚下実
*動物は自然に対して自閉的
*健康=心臓機能+調和息+体を動かす
*文化とは自然から離れていくもの
*欲と不安に駆り立てられて自然から離れていく
*仕事の唄、井戸端会議=調和息
*生物のリズム=宇宙のリズム+環境変化に対応
*満潮は50分/一日ずれる
*呼吸心拍=迷走神経
*徹底的に舐めさせないと芸大の美術にはないれない
*日輪構造は7日の周期がある
*人間=栄養生殖+感覚運動+理解意志
*こころ:あたま=心臓:脳
*感覚門(目)と栄養門(口)をファジーにバランスされたのが仏像
*芸術は悟性から生まれた自然、だから解り易い。
このくらいにしときましょう。

24)
三木成夫:海・呼吸・古代形象ー生命記憶と回想、うぶすな書店、1992
著者の本はこれで3冊目。夢中になって読んだわけです。ある業種のかたがたには
必読と思われます。私的活用でキーワードを少々。

*位相のズレー振幅の減弱
*子宮の中の上陸劇(32日めから一週間 魚ー爬虫類ー哺乳類))
*成長繁茂ー開花結実
*神経系は出口と入り口
*感覚練磨>内臓感受性上昇・唯一の自由に操作できる内臓
*感は動なり
*脳は自然界に存在しない直線と的の中心を好む
*体の奥に一匹の魚がひそんでいる
*コヨリのように撚るとしよう
*二葉の筒
これでよし。

23)
酒井邦嘉:科学者という仕事、中公新書、2006
ここんところ、買う本に”当たり”の頻度が上がっております。
一昨日は牡蠣に”あたり”まして、大変でした(TT)。
さて、いい本です、この本も。
著者は現役の脳科学の研究者ですが、科学者の生活を紹介しながら
「科学研究の、発見のワクワクドキドキが、大変な生活も、艱難辛苦も乗り越え
させてくれる」と、いかに魅力的な仕事であるかを語っています。
科学研究と芸術発表は似ていると言うのも、ナルホド〜です。

ニュートン、アインシュタイン、チョムスキー、キュリー、ダーウイン、カハール
朝永振一郎、寺田虎彦など世紀の科学者についてのコラムもあって、
一流の科学者は、専門以外の理念も見識も、その裾野の広さの凄さに
あらためて驚かされてしまいますね。

この本の珠玉のコメントを少々、、、
1)言語が人間の創造力の源になっている(語学は極めて大切)
2)孤独感が爽快感や上質な心地よさをともなう場合がある。
3)天才はむしろ努力を発明する
4)なにをやるかより、何をやらないかが大切だ。(一生の時間なんて限られている)
5)自習や独学とは、自分で自分を教育することだ。
6)嬉々として自分自身のトレーニングを楽しめる人は、真の達人だ。

それぞれに与えられた情況で懸命に生きていくことが大切だし、
それしか出来ないんだな。
今日、一緒に飲んだ友達から以前に教えられた言葉があるんだけど、
これはこの本の中にも貫いて説かれていることで、私もいつもつぶやいています。
 「出来ることは、精一杯!!」
がんばりましょ。

22)
西原克成:これだけで病気にならない、祥伝社新書、2007
久々に、完璧にツボにはまりました。
進化と臓器と病気、免疫と身体機能、、分割されてきた学問が一気に集結した
感があります。
生物進化を追ってきた甲斐があった。

特に前半戦の記述は納得のジャブ、フック、ストレート、アッパー、カウンター!!
後半戦の考えには異論はあるものの、その展開は凄いものがあります。
仲間にこうゆう方がいらっしゃるのは心強いかぎりです。感謝。

実はちょっと秘密にしたい本なんですね、この本は。ははは。

21)
渡辺格:新しい人間観と生命科学、講談社学術文庫、1979
この本はちょっと古い本なんですが、神田の古本街で購入した物です。
タイトルに惹かれてパラパラっと立ち読みし、サクッと買って、帰りの電車の
中でもう少し読んでみたら、、、、、
「DNAと遺伝情報、、遺伝のテープ、、、RNAの生物、、、」等等、、、
ゲッ!!失敗した!!に、苦手だあ!、、、とそのまんまツンドクしていた本です。

で、最近手持ちの本を駆逐してしまい、しょうがねえなあ、じゃあ、読むかっと
気合を入れて対峙してみた次第です。
なんだか、難関ポイントのライズ釣りをしているみたいな、、、、。
それで、その内容はというと、まあ凄い本でした。
深くて広い内容をここに集約してしまうのは、頭のよい方ってのは凄い。

この本には、私たちが現在生きている現実の世界とはどうゆうものかということと、
世の中の出来事を解きほぐしてきた(科学)歴史と、これからのあるべき方向
について書かれています。すなわち、
1、無限世界の概念から有限閉鎖系の事実(地球船宇宙号)。
2、科学、経済の方向性の発想転換の必要性。
ということになります。

今までの、物事の探求方向は、デカルトのころからの精神と肉体の
分離された形で進行してきた。
すなわち、分子学のように細分化されてきた、いわゆる還元主義的方向だったが、
今後は物質と生物や、肉体と精神のつながりを見出し、あるべき姿(価値観)をも
取り込み、総合統一していこうとする構造主義的思考への転換を筆者は望んでいる。

すでに物質と生命は分子生物学によって相当リンクされてきているし、
精神と肉体の関係も安保先生の話なんかで少しずつわかってきているし、
精神も三木先生は、精神(理屈)と心情(感性、価値観)というかたちの存在
を示唆しているし、私ごときが読んでる量のなかで、しかもここの30年足らずでも
どんどん解明されているのが解ります。
我々にはまだまだ希望がいっぱいあります。
学者のみなさん、がんばって、どうか導いて行ってください。
私は、川でごみを捨てないように、エコサイクルを考え、生命の美しさ、賢さを
体感していって、自然に親しむことくらいしかできませんが、なにかあったら
言ってください。はあ?

DNAについては、簡単に説明してくれました。
”ダビングと再生はできるけれど、録音はできないカセットテープ”だそうです。
なーるほど^^

20)
安保徹、石原結實:ガンが逃げ出す生き方、講談社、2007

この本は後輩の友人に貸してもらいました。2回読んで頭に叩きこみたく
なった次第です。

両名の先生方の本はそれぞれ読んでいたのはご案内の通りですが、
やっぱりコラボされてきたんですね。同じ方向性、広角的自然志向なれば
当然のことでしょう。
両名の理論のすり合わせ、折り合いにとても役にたってくれます。
いろいろ、役立つコメントがあります。ありすぎて困るのですが、ほんのちょっと
抜粋しましょうか、
1、がん治療>免疫抑制治療の中止+生活改善+リンパ上昇、副交感優位。
2、楽しく過ごすだけで良いのです。
3、運動入浴>白血球2倍になる。
4、発熱+空腹>貪食上昇。
5、たんぱく質を過剰に取ることは生物にとって大きなストレスになる。
6、そもそも人間は草食動物に近い哺乳類です。
7、人間は体の中にある腸内細菌を食べている。
8、甘いものを食べると貪食能1/2に。
9、りんごにんじんジュースは貪食能が50%アップ。
10、吸収は排泄を阻害する。
11、低栄養が動物の寿命を延ばし、腫瘍の発生を抑える。
12、二日おきに断食させられたねずみは5,3倍ガンになりにくい。
13、人間は食べる量の四分の一で生きる。あとの四分の3は医者の為に食べている。

たしかに最近、肉を食べなくなってきたし、焼肉なんかで爆食すると調子が
悪く成ることあります。
ただ昨日、浜松医科大学の先生が、うつ病の抑制にきくセロトニンはトリプトファン
(タンパク質)から作られるので、お肉や牛乳をとらんといかんよ!と言っていたんです。
オマケに食後のデザート(糖分)はトリプトファンの吸収を促進するからいいのよ。
なんていっていたのを聞いて、ナニにつけてもやはりバランスという概念が大事
なんだと思いましたね。というか、局所理論を切り取って組み合わせるよりも
システムとして理解する必要があるのだけど、これが大変なんだなあ。

現在の医療の世界では、どうもこの局所の理論(エビデンスと称する)の組み合わせに
終始して行なわれることがガイドラインとして推奨(というか、それしかない:大学供給)
される傾向が強いように思われます。
まだまだ現実を理解するには相当の途上の様であります。

19)中原英臣、佐川峻:「進化論」を楽しむ本、PHP文庫、2001
  ダーウインの進化論が主軸になっているこの分野でありますが、そこには
  説明しきれない現実が山積にされています。
   偏りを極力排したお話のオムニバスです。ラマルク、今西、キュビエの話や
  現在の細胞の成り立ち、ネオテニーなどなど、、、、
  特に最初に出てくる「宇宙のカレンダー」は歴史を一年にたとえたもので、
  ビッグバンの150億年前からを一年換算様式で眺めることにしています。
、  宇宙の歴史の進展具合を把握するのには最高です。
                          
   それによると宇宙の誕生を1月1日とした場合
  地球誕生は初秋の9月に、そして10月初旬に生命の誕生。
  12月26日に最初の哺乳類が、30日午前9時にサルが出現した。
  そして31日大晦日の午後9時半に人類の祖先がようやく誕生。
  11時59分20秒にホモサピエンスが現れ、
  50秒にエジプト、インドで農耕文明が出現、
  56秒にキリストが生まれ
  59秒5にイギリス産業革命が
  59秒9、、ワトソンクリックによってDNAが発見されたんだそうです。
  人類の歴史は大晦日の最後の2時間半だけ、、、。

  はあ〜、、、気が遠くなる、というか、、まったく瞬く間の出来事、、。
  
  歴史の流れに触れたとき、「人はいずれ死ぬものである」という約束
  とともに、われわれ人はナニをすべきで、ナニをしてはならないかを、
  知らず知らずに考え思ってしまうではないのでしょうか。

   見識と品格、そして恥を身につけるのに最適な学問だと思うし、
  今、一番必要とされていることだと思います。
  大学入試の試験科目は英語と数学が中心になっているけれども、
  歴史全般と自然科学は外してはいけないのではないだろうか。

  そんなことを考えさせてくれる本ですよ。
 

18)小山内博:生活習慣病に克つ新常識、新潮新書、2003
  紀伊吉野のきこりさんたちは昔、胃がんの罹患率が物凄く高かった
  のですが、あるときを境に急激に改善されたそうです。
  しかし、それと反して”ハクロウ病”が発生しだしたとのこと。

  ご飯の時間も節約し、”茶粥”を流し込みながら斧をふっていた生活から
  効率の良いチェーンソウで食後休息の時間が出来てきたというのが背景。
  「親が死んでも食べ休み」ということです。

  私が朝ごはんをジュースだけにしようと思ったキッカケの本です。
  1)朝ごはんの消化は直後の稼働にスポイルされる。
  2)免疫力の鍛錬は成長期に副腎皮質にむけて。
  3)ガン細胞は低酸素が好き>循環を良くする>暖かく、運動。
  などヒントになる話がイ〜ッパイで、かなりエポックな本です。
  
   健康管理の視点は、・摂食、・血液循環、・免疫、・精神と集約できるかな。
   いまでも、17)16)とあわせてなんども繰り返して読んでいます。
  

17)石原結實:朝だけ断食、日本文芸社、2004
   朝はニンジンりんごジュースだけで、わたしも、もはや3年が経過。
   それ以前と比較して格段に健康になっているようです。
   この食事パターンは進化の歴史をたどってみると、全く説得力が
   あるのでした。
    現代生活習慣の問題を一つ一つ修正していくことが健康な日々を
   獲得するための秘訣と思われますが、その筆頭にあがる方法と思います。
   16)の安保先生が免疫系で、こちらは血液循環、栄養系と言えましょうか。

16)安保徹:安保徹の免疫学入門、宝島社文庫、2004
   ”病は気から”をここまで科学的に、整理、説明されてくるとなんだか嬉しく
    なっちゃいます。
    交感神経と顆粒球、副交感神経とリンパ球の対比は
    すっごく解りやすくて、さっそく健康管理に取り入れちゃいます。
    何せ免疫ですから、ありとあらゆる病気に対応できマス。
    ガン、アレルギー、難病系、、、。この先生、凄い!!
    現代医療現場は混乱するかも。
    図解ですので、内容と相まって頭の中は「ミクロ決死圏」状態。
   
15)三井 誠:人類進化の700万年、講談社現代新書、2005
   最新版の人類進化。ますます明瞭になってきました。曖昧模糊としてい
   た部分が非常にクリアになります。すこし進化の本を、過去に読んだことが
   ある人にはメチャクチャ理解が得られます。特大お勧めです。
   ルーシーがアファレンシスで、トゥルカナボーイがエレクトス、トゥーマイが
   サヘレントロプス、、、、、フムフム。
   おお、現生人類の初の名前はイダルトゥか、、。
   人類それぞれの中からスターは出現するのである。
   
   なぜ人類は寿命がながいのかとか、色彩感覚が哺乳類では人類が
   特異的に獲得できたのかとか、面白マメ知識も星の数ほど記載されます。
   さらに、参考文献には「やわらかな遺伝子」(どこかで聞いたような)
   がバンバン使用されていたり、うむ〜、縁を感じますね。

14)坂井建雄:人体は進化を語る、Newton Press, 1998
   これは人間の体の各器官がどうゆう成り立ちで出来てきて、どういった
   意味があるのかを、他の動物との対比で解説しているもので、
   比較解剖学の入門的な本で、とても平易な表現を用い読みやすい。
   系統発生と個体発生を絡めてくる。
   面白知識がいっぱいですよ。

   魚の鼻の穴って、左右それぞれ入り口と出口で二個ずつあるんだって
   しってましたあ??つまり、鼻は口腔とつながってないんですよ。
   不思議ッタラアリャシナイ!!

   そして、その基礎知識をもたせたうえで地球46億年の流れを生命を
   通して語るもの。このところはNHKの「生命 40億年はるかな旅」の
   ダイジェスト版といえます。

13)杉山幸丸:進化しすぎた日本人、中公新書ラクレ 2006
   現代の異常な現象を、あくまで生物学的な観点から、解読を試みる
   スタイルで構成されている。生物の使命を簡潔に回答していて
   これを人間に当てはめ、人の本来の姿を回復すべくヒントに満ちている。

   霊長類の脳を特段に発達させたのは手足や道具によるよりも
   コミュニケーション能力の発達によるものである。
   自他の関係を記憶し理解する能力や、相手がどう考えているかを
   推し量り、その心を読む「心の理論」、さらに過去の経験を記憶して
   おいて必要な時にいつでも取り出し、判断に利用できる能力、、、、。
   ここらあたりの進化はもはや目的がないとはいえ無いようである。
12)手足を持った魚たち:ジェニファ・A・クラック、講談社現代新書、2000
  ピカイヤ、魚類、ユーステノプテロン、イクチオステガへと
 陸へ上がっていく様を主に生物学的な側面から記述されています。
 化石からの骨格の変化について詳く、進化にしたがって単純化されて
 きているのが良くわかりますですね。
  人間との比較解剖にはうってつけです。
 彼らは我々の紛れも無いご先祖さまであります。
 ありがたいことでございます。
 ご先祖様は、大切に扱わねばなりません。
 だます様なことをしてはいけませんですぞ。

11)埴原和朗:人類の進化史、講談社学術文庫、2000
  新人の発生形式が多元発生説と単独発生説で討論される中、
 現在、”ミトコンドリアイブ”により単元発生が有力になっていますが、
 その点を基軸に最新の説にまとめ上げ、とても解りやすく楽しい本ですよ。
10)黒田末寿:人類の起源と進化、有斐閣双書、1987
  少し古い本ですが、そして多元説をとっている時代のものですが、
 進化の流れという点では一番理解しやすい本かも知れません。
 ドリオピテクス(プロコンスル)、ケニアピテクス、アファレンシャス、
 アフリカーヌス、ボイセイ、ロブストス、ハビリス、原人、旧人、新人
 という流れはかなり正しいように思えます。

9)浅間一男:生物はなぜ進化したか、講談社ブルーバックス、1979
  ラマルキズム(形質獲得、用不要)とダーウイニズム(突然変異、自然淘汰)
 の対比を科学的に、かつ思い入れタップリに検証していきます。
 今西錦司氏の考えに近いものですが、氏よりも論証が多く、
 科学者気分にさせてくれます。お勧めです。凄く良い。

8)香原志勢:人類生物学入門、中公新書、1975
  この本は、進化が主題ではなく、ヒトの体の解明(機能的)がそれであり、
 二足歩行、顔面短縮、脳容積増大、手の変化等等、あらゆる側面から
 徹底的に解説されております。
 この分野ではちょっとしたバイブル的な存在でもあります。
 専門書にも参考文献に取り上げられることも多いのであります。
 しかし、けっして難解では無く、ヒトの不思議を教えてくれる本です。
7)倉谷 滋:かたちの進化の設計図、岩波書店、1997
  まさに生物のボデイプランのお話です。遺伝子から系統発生、
 個体発生をくまなく、しかも平易な表現で解説してくれます。
 脊椎動物のもっともシンプルなナメクジウオからの発展は
 根源的な各器官の意味合いを知ることが出来ます。
 体節という概念、エラと顔、脊椎と頭部、遺伝と進化、楽しいです。

6)三木成夫:生命形態学序説
         (根源形象とメタフォルモーゼ)、うぶすな書院、1992
  この本は、私のお師匠様よりいただいた大切な本。
 文庫、新書ではありません。
 解剖系の本としては名著中の名著だと思っております。
 形とはなにか、それはどうゆうことなのか、物理的な要素や、
 地球上でうける力等の環境背景をおさえ話は展開されていく。
  著者は生物学と形態学を”しかけしくみ”と”すがたかたち”と言い、
 理解把握的と鑑照畏敬的認識ともいう。
 さらにはそれぞれ”精神”と”心情”の思考様式であると説いています。
  著者本人によるイラストは素晴しく、機会があれば
 是非、ご覧になることをお勧めします。

5)桜井靖久:ポケットペディアー人体、紀伊国屋書店、1997
 手帳サイズ(8センチ×5センチ)の人体解剖図集。
 イラストがすべてカラーで必要な機能等の薀蓄が付け加えられていて
 各臓器ごとの理解が広く浅くしれます。お気軽です

4)養老猛司:唯脳論、青土社、2004
  タイトル通り、唯、脳のことについてのお話。
  都市は大脳の産物であるとか、
  自己言及性は意識の特徴である等
、 脳の本性をあらゆる側面から解説している。
  氏のユーモアも楽しい

3)永井明:解体新書ネオ、集英社文庫、1998
   医者をやめた筆者が体の各臓器について書くエッセイ。
   斜めに医学を見ている著者のスタンスが解って面白いが、
   充分役に立つ内容を秘めていると思う。
    医学なんてこんなもんだぜ!!へん!といっているようだ。
   まあ、医学に超難易度の数学や物理学が必要でないことは
   明らかで、科学、物理学、数学の世界へ、優秀な人材が流入
   するべく政策が必要に思うが。

2)サイモン・コンウエイ・モリス:カンブリア紀の怪物たち
               (進化はなぜ大爆発したか)講談社現代新書1997
  NHKスペシャルのバックボーンはここにあります。
 ハチャメチャな生物達の形態を見ると、ダーウインの”突然変異”説は
 やはり説得力があるわなあと思います。地球はでっかい実験室か!?

1)平山廉:最新恐竜学、平凡社出版、1999
  従来の恐竜のイメージは、おそらく”ジュラシックパーク”で
 払拭されたと思われますが、その理論的背景を記述したものです。
 イラストも多く、地球環境も植物相も、温度も、CO2の多い大気も、
 ゆるりとしたスピード感も伝わって来るような本です。
   


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