『ジゼル』(東京バレエ団)

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振付: レオニード・ラブロフスキー(ボリショイ劇場版J.コラーリ,J.ペロー,M.プティパの原振付による)
改訂振付(パ・ド・ユイット): ウラジーミル・ワシリーエフ 

音楽: アドルフ・アダン

美術・衣装: ニコラ・ベノワ  衣装: 宮本宣子  照明: 高沢立生

指揮: アレクサンドル・ソトニコフ   演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

    9月12日   9月13日マチネ   9月13日ソワレ
ジゼル 斎藤友佳理 上野水香 吉岡美佳
アルブレヒト マニュエル・ルグリ 高岸直樹    ウラジーミル・マラーホフ
ヒラリオン 木村和夫 後藤晴雄
バチルド姫 井脇幸江 川島麻実子
公爵 後藤晴雄 木村和夫
ウィルフリード 野辺誠治
ジゼルの母 橘静子
ペザントの踊り
(パ・ド・ユイット)
西村真由美−横内国弘 乾友子−宮本祐宜 阪井麻美−梅澤紘貴 河合眞里−小笠原亮 小出領子−長瀬直義 高村順子−中島周 佐伯知香−松下裕次 吉川留衣−平野玲
ジゼルの友人
(パ・ド・シス)
高木綾 奈良春夏 田中結子 吉川留衣 矢島まい 渡辺理恵 西村真由美 乾友子 高木綾 奈良春夏 田中結子 渡辺理恵
ミルタ 高木綾 田中結子 井脇幸江
ドゥ・ウィリ 奈良春夏 田中結子 西村真由美 乾友子 奈良春夏 田中結子

 

2008年9月12日(金)

ゆうぽうとホール

「ウヴァーロフ@バジルを1度は見とかんと」に続いて「ルグリ@アルブレヒトを一度は見とかんと」という趣旨で見にいったのですが・・・1幕はかなり消化不良な気分になってしまいました。2幕については,滅多にないほどハッピーエンドな雰囲気の『ジゼル』だったわね〜,珍しい舞台を見られてよかったわ〜,という気分になったので,全体としては悪くなかったのですが。

 

ルグリさんのアルブレヒトは初めて見たのですが,最初のうちは役作りに中途半端な感じを受けました。
立居振舞はノーブルですし,ヒラリオンに対してはもちろんジゼルの母親や友人達にもかなり冷ややかな態度なので,そういうところは「お貴族さまの戯れの恋」に見える。一方でジゼルに対しては性急で情熱的な恋人で,「真剣な恋」のようでもある。
なんかよくわかんない人だなー,と思いつつ見ているうちに,どうやら,若くて考えなしの「お坊ちゃんの恋」らしいなー,と思うに至りました。

かわいいジゼルにぞっこんで,母親や友人も恋の邪魔者に見える。先のことなんか考えていなくて,ウィリフリードの忠言は説教に聞こえて不愉快。農民の姿の自分に落ち着かず,何度も服装をチェックする。
ジゼルの首にバチルドから貰ったネックレスがあるのに気づいて「?」と思いながら,そのことを深く考えようとはしない。バチルドが現れれば場を取り繕うためその場しのぎの嘘をつくし,当然の礼儀として手に接吻する。割って入ったジゼルに婚約者が真実を告げそうになると,慌てて止めようとする。
そして,我を失ったジゼルを心配はしても,怖くて触れることができない。彼女が死に至ったことの衝撃は大きく,ベルタに押し退けられた後も,呆然とジゼルのそばに座り込む・・・。

こういう「若気の過ち」も説得力あるかも〜。ちょっとロメオみたいなアルブレヒト像ですよね〜♪・・・と言いたいところなのですが,うーむ,視覚的説得力に欠けました。
中年のロメオはキツイ・・・は言い過ぎかもしれませんが,そもそも若くはない上に,アルブレヒトが随所に見せる「貴族らしさ」での重厚度・大物度が高いので,軽はずみの恋に走りそうな人には全然見えず,少なからず違和感が。

 

視覚的説得力という意味では,斎藤さんにもかなり苦しいものがあります。
彼女のジゼルを見るのは2回目でしたが,たいそう子どもっぽく無邪気な役作りなのですよね。今回はアルブレヒトが熱かったせいか,前回ほど積極的ではなく受身の感じでしたが,それがいっそう無垢な感じを強め,「あどけない」と言いたいくらい素直に純真に恋に浸っている雰囲気。
その一方で,容姿は実年齢相応・・・よりは若いかもしれませんが,要するに大人の女性にしか見えないので,「身体は大人でも心は子ども」,もっとわかりやすく言えば「少し知的障害があるんでは?」な女性に見えてしまいました。

フィーリンさんと踊ったときは,アルブレヒトが明らかに「上から目線」でジゼルに対していたので,「こういう女性を弄ぶとは実にけしからん男だ」感が強まってよかったのですが,ルグリさんの「好きで好きでたまらない」様子を見ていると,「なんでこういう人をそんなに好きになったのでしょー?(謎)」感が。
パートナーシップというのかダンサーの組合せというのか,いや,ダンサーの解釈の組合せか? なんかわかりませんが,斎藤/ルグリというキャスティングは失敗だったのではないかなー? と思ってしまいましたよ。この時点では。

踊りの面でもよい組合わせとは思えませんでした。2人でいっしょに踊ると,斎藤さんの踊りのまったり度がいっそう高く見えてしまい,それにより「なんでこういう人をそんなに好きになったのでしょー?(謎)」感がさらに増しておりました。(ルグリさんが「踊れすぎる」ことの弊害ということになるのでしょうが,翌日の舞台を見たあとでは,彼の配慮不足のような気も)

2人とも,それぞれ踊る分にはよいのですよね。
ルグリさんは,大きくてきれいな踊りで,跳躍の着地音以外は文句なし。
斎藤さんの踊りは,未だかつて私に「きれい」に見えたことはないのですが,その点は織り込み済みなので問題なし。首の傾げ方やスカートの裾の翻し方などまで含めて,熟練の表現だったと思います。

狂乱シーンは烈しいもので私の好みではありませんが,「狂ったジゼルに触れることができない」というアルブレヒトの態度に大いに説得力を与えておりました。

 

2幕のアルブレヒトの登場シーンは,たいそう見事なものでした。沈痛な面持ちで舞台に歩み入ってきて,舞台を大周りしてから墓のほうに向かっていく。そのときマントを左肩にだけ残して,だんだん後ろにすべらせていくのが特に見事。とってもすてきでした〜♪
ではあるのですが,このシーンは表現としては難しいのだな〜,としみじみ思いました。見事すぎて,堂々しすぎていて,打ちひしがれているようには見えなかったので・・・。(この「ハッピーエンド」版を見終わったあとでは,その辺はどうでもいいような気もしてきたが)

斎藤さんのジゼルは名人芸。まさに亡霊という感じでした。浮遊感は足りないし,きれいとも思わないのですが,とにかく,まとっている雰囲気が1幕とは明らかに違っていて・・・ふわふわと漂っている感じに見えて,異界の存在なのが如実にわかる。
今回は,母性的な雰囲気を感じなかったのがかなり意外でした。アルブレヒトを包み込むような愛はあったと思うのですが・・・それは,たぶん,1幕の純真な少女の愛,恋人を信じきっていたままの愛だったのではないか,と。

ジゼルはアルブレヒトを恨みながら死んでいったわけではないのですよね,考えてみれば。正気を取り戻した中でアルブレヒトと抱き合った瞬間に死が訪れたわけで・・・そこまでの経緯はともかく,死の瞬間には,間違いなくアルブレヒトを求めていたわけです。
「赦す」とか何とかでなく,その瞬間の気持ちのまま,素直に恋人の命を救ったのではないかなー,なんて考えました。

そのように考えたのは,ルグリさんの独自色の強い表現のせいもあって・・・このアルブレヒトは亡霊となったジゼルに出会えてそれはもう嬉しそうでした。
今でもちょっと自信がないのですが・・・微笑んでいたのですよね,アルブレヒトが。最初のうち腕の中をすり抜けていたジゼルがはっきり見えた瞬間があったらしく,その後はにこやかな表情に変わって。びっくりしてオペラグラスを使ったのですが,やはり微笑んでいたように見えました。

ミルタたちに発見された後はさすがに笑いませんでしたが,単に踊らされて苦しいだけではなくジゼルと踊れるのが嬉しかったんじゃないかなー? ジゼルのほうも,似たような気持ちだったんじゃないかなー? パ・ド・ドゥにもそれぞれのソロにも,そこはかとなく幸福感が漂っておりました。

いや,ルグリさんのソロに関しては「そこはかとなく」どころではない。テクニック全開で華やかな踊り。跳躍は高く,回転は速く,そしてもちろんきれい。(着地音はある) 最初のソロで倒れ込んだ後拍手が止まないと上半身だけ起こしてポーズを見せたり,ブリゼとアントルシャ・シスと両方たっぷり披露したり,サービス精神も旺盛。「全然弱ってないじゃん」とツッコミを入れつつ,堪能させていただきました。
なお,倒れ込み方もうまいのですよね〜。あれだけ派手に元気に踊っていても,倒れるときはちゃんと「力尽きた」に見えるので,そのことにも感心しました。

 

ラストは,たいそう心和むものでした。今まで山ほど見た『ジゼル』の中で一番ほんわか〜,した気分になれたかも。

ジゼルは,アルブレヒトの生命を守れたことに安心し,満足して成仏していきました。成仏という言葉は不適切かもしれませんが・・・昇天と言えばいいのかな? ウィリーの世界に戻ったり,暗い墓の中に帰ったのではなく,幸福で穏やかな世界に向かっていったように思えた,という意味です。
初演時の台本では,ジゼルは最後にアルブレヒトにバチルドと結婚するよう言い残すのだそうですが,斎藤さんの去り際の表情を見ているうちに,もしかするとそういうことを告げているのかも? なんて考えてしまいました。

アルブレヒトのほうは,ジゼルに心からの感謝を捧げているようでした。そして,こちらもことの顛末に満足・・・は言い過ぎかもしれませんが,納得しているように見えました。(つまり,ジゼルを引き止めてはいなかった)
アルブレヒトは,ジゼルの真心により救われるという経験を経て人間として成長した・・・きっと今後は他人のことも考えられる人間になるでしょう,よい領主になるでしょう,という感じ。
「アルブレヒトの成長物語」的な印象で,とても後味のよい『ジゼル』でありました。

 

ヒラリオンは不動の木村さん。大仰過ぎるように見えるので私の琴線には触れませんが,純愛路線の芝居にいっそう磨きがかかり(技が細かい),踊りもキレておりました。
バチルド姫の井脇さんもおなじみですが・・・今回は,登場シーンの他を圧するキラキラがすばらしかったです。その後も「これも上に立つ者の務め」的なにこやかさですし,ジゼルに対する親切な態度にも「上つ方の慈悲」感があり,この役にプリンシパルを配する意義を十分感じさせてくれました。(周りの貴族役の皆さんは,がんばって見習うように)

高木さんのミルタは初めて見ました。ウィリの不気味さよりシルフィード的な可愛らしさを感じてあまり怖くなかったですが,普通にきれいに踊っていたと思います。(顔と名前が一致していないダンサーだったのですが,今回も見分けられるようにならなくて残念)

ペザント・パ・ド・ユイットは8人とも初役だそうで,いかにもそういう感じ。
中では,オレンジ色の衣裳を着ていた西村さんが文字どおり「抜群」。エレガントで見せ方もうまく,他のダンサーより格上に思われました。
男性は,技のキレでは小笠原さん。(一番小さい緑色の衣裳。ところで彼は,ヘアスタイルを改善したほうがよいのでは? 髪が膨らんでいるのでプロポーションが実際以上に悪く見えるような) バレエ的にきれいなのは梅澤さん。(一番長身で茶色の衣裳) 形が正しくて手の動きが柔らかでした。

 

コール・ドは,よろしくなかったです。
最初に登場する「ぶどう狩りの娘たち」があまり揃っていない上に「バタバタ」感が強かったのが全体の印象を悪くしましたし,村人たちの踊りでの男性陣は以前より元気がないような?

ウィリたちも誉めかねる踊りで・・・左右からアラベスクで交差していく場面は,脚が落ち気味のダンサーが散見されましたし,足音が大きいし,(その足音から推測するに)音の取り方にズレがあるようでしたし・・・ああいう踊りに拍手をするのはいかんと思いましたです。
また,今回は上手の端近の席で見ていたのですが,これはウィリたち整列する上手側の列をほぼ正面から見る位置でして・・・「脚の高さ揃えてくださいー。腕の角度揃えてくださいー。タイミングももっと合わせてくださいー」とお願いしたい気分になりました。

私はこのバレエ団に疎いので確たることは言えないのですが・・・ソリスト級の退団が続いただけでなくコール・ドも相当ダンサーが入れ替わったのでしょうかね? 斎藤/フィーリンで見たときに比べて,男女ともかなーり「???」なコール・ド・バレエでありました。

 

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『ジゼル』(東京バレエ団)

2008年9月13日(土)マチネ

ゆうぽうとホール

 

「前日から泊まっていてソワレ開演まで暇だから,ついでに」ということで,たいして期待していなかったのですが,いやいや失礼をいたしました。主役2人がとてもよくて,見といてよかったわ〜,な舞台となりました。

何より,カーテンコールでの上野さんの立派なプリマぶりにびっくり。
落ち着きや存在感が牧バレエで踊っていたころの「なんか確信なさげ」とは大違いで・・・私,全然彼女のファンではありませんが,「成長したな〜」と感激してしまいましたよ。(移籍してよかったですよね〜)
あ,よかったのはもちろんカーテンコールだけではなく,舞台のほうもです。

 

特に1幕がよかった。
彼女の「おっとり〜」な個性は幼く見えてしまって欠点になる作品も多いだろうと思いますが,ジゼル役はぴったりとはまっていました。疑うことを知らない10代の村娘に見えるのですよね。明るく素直でチャーミング,お母さんにはお茶目で,恋人と接するときは恥じらいを見せる少女がそこにいました。
そして,華があります。日本人であれくらい華のあるバレリーナは珍しいのではないかなー? 
幕間のロビーでは「かわいいわね〜」の声があちこちで聞こえましたが,私も全く同感。上半身の動きに滑らかさが足りないと思う部分もありましたが,そんなことこの際いいわね,と思えるジゼルでありました。

高岸さんのアルブレヒトは,そういう子どもっぽさのあるジゼルを心から愛しんでいる風で・・・ちょっとお兄さん風・保護者風の愛情表現に見えました。(余裕を持ってジゼルに接している風に見えるので,身分差を目で納得させるという効果も生んでいたと思います)
と同時に,そんなに可愛いく思っているならなんで嘘をついて・・・と詰め寄ることもできるわけですが,でも,この場合,身分を隠さなければ恋人になれないわけで・・・うん,やむを得なかったよなぁ。・・・と,なぜか納得してしまいましたよ。(ほんと,なぜなんだか不思議だ。高岸さんの人徳か?)

彼については,予想以上にエレガントだったのも印象に残ります。古典の主役はほとんど見ていないし,バジルを見てもそういう感じはなかったので,ちょっとびっくり。立派なダンスールノーブルだったのですね〜。(今さらでごめん)

上野さんの狂乱シーンはかなり派手なもので,こういう大騒ぎは私の好みではない・・・はずなのですが,どういうわけか,ものすごーく感動してしまいました。
なんというか・・・急に子どもではなくなったのですよね,あのシーンになったら。突然生々しい大人の女性になったように見えて・・・それを見ていたら,「真実を知ったことによって一気に大人になった」みたいに見えてきて・・・そういうふうに成長したからこそ,2幕で「赦す」存在として現れるのか! そうだったのか!! なんて。(本来の設定とは全然違うから,上野さんにはそういう意図はなかっただろうとは思うけれど)

高岸さんは終始一貫「助けてやりたい」・「守ってやれなかった」という感じの芝居を見せ,最後も従者に無理無理連れ去られる感じ。たいへん好感が持てるアルブレヒトでした。

 

2幕の上野さんについては,ウィリ感が薄かったとは思います。斎藤さんと比べてしまうせいかもしれないけれど,「この世のものではない」ようには全然見えませんでした。(跳躍が弱いのかもしれないし,やはり腕の動きが要改善なのかもしれない)
とはいえ,全然足音がしないのが立派ですし,「脚の上げすぎ」の突出もなくしっとりと踊っていたので,「愛」はそれなりに見えました。

そして,ソロではウィリではなかったものの,リフトされているときはちゃんとウイリ。パートナーの力は大きいなー,と感心しました。
高岸さんは物理的にリフトが上手なだけでなく,「ジゼルの気配はあるがはっきりとは見えない」や「抱こうとしてもジゼルは腕の中をすり抜ける」も上手に演技し,上野さんのウィリ化(?)をさらに助けていました。
しかも,ゲストの方とは違って「ジゼルより美しく踊ってしまう」弊害もなく,上野さんにとって実に優れたパートナーですよね。

登場シーンも彼なりにきれいで悔恨に満ちておりましたし,踊りながら段々消耗していく様子も上手に見せていました。(ブリゼなし,すべてアントルシャ。シスかどうかは黒タイツだったため判別できず)
ラストは百合の花をすべて腕から取り落とし,ジゼルが残していった小さな花もいっしょに落ちてしまい・・・しかし,ふと足元のその小さな花に気づいて拾い上げ,その1輪を抱きしめつつ立ち尽くして幕となりました。その花を拾うことにより完全に現実の世界に戻り,「大切なものを永遠に失ってしまった」ことを改めて認識し,いっそう深く後悔に沈むという感じ。感動的でした。

常に口元から歯が覗くお顔立ちと立ち姿のノーブル度が今ひとつ物足りないため私としてはツボりませんでしたが,とてもよいアルブレヒトだったと思います。

 

後藤さんのヒラリオン(初役だと聞きましたが,本当なんですかね? 木村さんのほかに踊った人はいないの?)は,とても「いい人そう」な雰囲気。ジゼルとアルブレヒトの仲良しの様子に割って入るときも,ことを重大とは捉えておらず,にこにこしながら「ジゼル。いったいどうしちゃったんだ?」と尋ねます。(もしかすると既に婚約していたのかもしれませんねー) アルブレヒトさえ現れなければ,もちろんジゼルはこの人と結婚しただろうし,こういう暢気な人と結婚すれば絶対幸せになれたろうに・・・という感じでした。
2幕の踊りが,木村さんと違って「これじゃ死にそうにないですなー」でなかったのも結構なことでした。

バチルド姫の井脇さんは前日に続いて好演ですし,公爵の木村さんもとてもよかったです。(これも初役らしい) 立居振舞がノーブルなので,悠揚迫らざる貴族に見えました。(周りの貴族役の皆さんは,がんばって見習うように)
パ・ド・ユイットは,前日と同じキャストで同じ印象でしたが・・・うん,やはり梅澤さんはよいと思いますよ。(今後注目しよう)

高木さんに続き,田中さんのミルタも初めて見ました。(初役なのかな?) 地味な感じではありましたが,「真面目な学級委員長」的なお顔立ちの効果もあってか,けっこう怖い。跳躍が軽くてトウの音が少なめなのもよかったです。(そして,彼女についても,結局お顔は見分けられないまま)
ドゥ・ウイリには西村さんが登場。空間を大きく使う踊りで,なぜ彼女もミルタに配役しないのか不思議ですが・・・身長が足りないのでしょうか? それとも,ジゼルのタイプだから?

 

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『ジゼル』(東京バレエ団)

2008年9月13日(土)ソワレ

ゆうぽうとホール

 

吉岡さんのジゼルは初めて見ましたが,1幕がとてもすてきですね〜。
髪を半分後ろに下ろしたヘアスタイルがよく似合って,おとなしやかで聡明そうなお嬢さんの雰囲気。「ジゼルは実は貴族の落とし種。だからこそベルタが傅くように育ててきた」みたいな説がありますよね? そんな設定も似合いそう。「村の中では恵まれた家の娘で,村人たちの憧れの的」みたいな感じでしょうか。
持ち前の透明感が生きて,幸せいっぱいの場面でもどこか病弱そう・薄幸そうに見え,悲劇を予感させるのもよいです〜。

マラーホフさんのアルブレヒトは,そんなジゼルに真摯な愛を捧げる青年貴族でした。
身分を偽る芝居は淡白で,ごく素直に恋をして,恋人をこの上なく大切に思っている青年。遊びでないのはもちろんのこと,城での暮らしへの反発から村娘を選んだわけでもなく,「出会ってしまえば惹かれるしかない」という恋。

彼がそういう解釈をとっていることは過去の舞台から承知していましたが,そのことを伝えるための細かい演技にますます磨きがかかっていて,いたく感心。というより感動。それはもう素晴らしかったです。

例えば,ジゼルが家に入ろうとするのを引き止めて・・・のシーン。「通せんぼ」する位置がドアの前ぎりぎりだから,いかにも一生懸命止めているという感じになる。
ベンチをジゼルが独り占めして・・・での「さあ,隣に」と前のめりになった瞬間自分の場所が残っていないのに気付く芝居も秀逸。あんな風に(=ちょっとコミカルなくらいに)勢い込んですわろうとするアルブレヒトは初めて見たな〜。ほのぼのするな〜。
それから,ジゼルが自分の家の窓際の花壇(?)に花占いの花を摘みに行くところ。アルブレヒトは「家に入っちゃうの?」と誤解して,またも慌ててドアの前に立ちふさがりにいく。こういうのも初めて見たな〜。

そして,これは前からこういう演技だったと覚えていますが・・・ジゼルが「なんだか胸が苦しくて・・・」になったとき,最初に「大丈夫? 家に帰って休んだら?」と勧めるんですよ。あんなに家に入ってしまうのを心配していたのに!!! 単に恋に夢中なのではなくて,恋人のことをほんとに思っているんですよね〜。いいですよね〜。

吉岡さんの演技もよかったです。
なんていうのかなー,過剰に恥じらったりしないし,情熱的すぎるわけでもない。至極素直に恋をしていて,素直に恋人を信じていて・・・だからこそ,この後の話の運びがいっそう残酷に思える・・・そんなジゼルでした。
バチルド姫のドレスに触れるシーンも,控えめに裾のほうを撫でて,絹の感触にうっとりする風で,たいへん好ましく。
ヴァリアシオンで(たぶん同じ種類の回転で)2回「ん?」があったのが惜しかったですが,表現面で十分納得させてくれたので,特に瑕にはならない印象。

2人での踊りはよく合っていて・・・これはマラーホフさんの功績が大きいのでしょうね。腕を組んで弾むように踊るところなど,音の取り方も上げる脚の高さも角度もぴったりで,微笑ましい恋人たちでした。

ヒラリオンが正体を暴くシーンですが・・・このアルブレヒトは,剣を持ち出されただけでたじろいでしまう誠実さ。 ん? 「誠実」はいくらなんでも変かも? ええと・・・「正直」と形容すればいいのかな・・・・。ジゼルを安心させようとする演技も,むしろ,自分の中の不安を抑えつけようと努力しているように見えました。
バチルドの手に接吻するまでの逡巡ぶりも著しく,彼女のほうを見たりしないで虚ろな瞳で前を見て・・・のろのろと上体を傾けるところにジゼルが割って入りました。

吉岡さんは,狂乱シーンが激しすぎないのも私の好み。身体は動いてはいるけれど,空虚な感じが漂っていて・・・既に心は死んでいるという印象でした。
マラーホフさんのほうは,「恋人に駆け寄りたい・何とかしたい」で一貫したアルブレヒトで,私は大好き♪
自分の罪を自覚している様子は見せないので,困った人ではあるわけですが,この際そんなことまで思い及ばず,目の前の恋人しか目に入らない・・・のですよね。うん。

 

2幕ですが・・・アルブレヒトの登場シーンに説得力があって驚きました。以前はこの場面がナルシスティックにすぎて,「あんたほんとに後悔してるんかい?」と言いたいようだったのですが,今回は大違い。

マントを身体に深く巻きつけて闇に紛れそうに歩む姿からは,(年齢的な問題からでしょうね)以前より痩せた面立ちの効果もあって,悔恨に加えて孤独感が色濃く強く感じられました。
マントを広げて美しく舞台を大回りするところも,耽美な趣が減っていて・・・いったい何が以前と違うのかわかりませんが・・・もしかすると体力的な衰えがよい効果を生んだのかもしれませんが・・・むしろ,自罰的な雰囲気を感じました。

吉岡さんは,悲しみの精霊のようでした。
技術的にはかなり苦しく,登場して最初の速い回転は力任せに何とか振付どおり踊った感じでしたし,その後も跳躍が低いので浮遊感に欠けるのですが,踊れすぎて死んでいないジゼルよりは余程いいですし,上半身がたおやかだから踊りに静謐な雰囲気が出るし,透明感ある雰囲気がいかにも精霊らしい。
うん,彼女はジゼル向きのバレリーナ。技術でウィリーらしさを見せなくても(見せられなくても),耳隠しに結って白い衣裳を着けて登場しただけで霊的存在に見える,そういうバレリーナなのだなー,と思いました。

アルブレヒトとジゼルの間には,対話はなかったと思います。というより・・・吉岡さんは何も語らないジゼルを踊っていたのではないかなー?
アルブレヒトにはジゼルの姿は見えていて,でも,その人は今はもう異界にいる。そういうジゼル。抱こうとする腕の中をすり抜け,呼びかけても声は耳に届かず,何も語らないジゼル。
でも,アルブレヒトを救おうという意思だけはあって・・・それを感じたアルブレヒトは,深く頭を垂れ,いっそう深い悔恨に沈む・・・。

マラーホフさんの踊りは,凄絶なものでした。
高く跳ぶようなことはほとんどしないで,踊り疲れて死に近づく様子とそれとともに切迫していくアルブレヒトの心情だけを見せていく。ダンサーの体調に関するこちらの先入観(懸念)のせいもあり,ほんとうに体力的に限界なのではないかと思ってしまうような迫真の表現。

下手に走り込むジゼルのあとを追って大きな跳躍を見せるシーンがありますよね。その跳躍には浮遊感はなく,むしろ直線的でスピード感に満ちていて,「ジゼルを追う」ということを見せるためだけの動きになっていました。意味のない・・・というより話の緊迫感を削ぐほうに働くあの振付を,こういう風に見せられるとは!)

ヴァリアシオンでは,普通なら跳躍や回転をするであろうところで深く上体を反らす形を多用していました。それはもう柔らかく美しいポーズで,同時に,そのことにより消耗していくことを如実に見せる。
そして,もちろん跳躍もしますが,決して「お見事」な高い跳躍ではなく,苦しそうな表情を見せての重さを感じさせる跳躍。(でも,足音はない)

かの有名な高速ブリゼは,以前ほど速くはなく,爪先も彼にしては多少甘く・・・それに代わってミルタに訴えかけるかのような腕の動きが加わっていました。
表現を優先して技術を抑えたのかもしれないし,以前ほどの速さでは踊れないので上半身で補ったのかもしれない。いずれにせよ,見事だと感心しつつも「これじゃ死にそうにないですなー」と揶揄したくもなった以前の踊りより,ずっと感動的でした。

 

物語の最後は悲痛なものでした。
夜明けとともにジゼルは去っていきます。吉岡さんのジゼルからは,恋人の生命を救ったことへの安堵や満足は感じられず・・・アルブレヒトに心を残しながら,朝の訪れとともに消えていったように見えました。
アルブレヒトは,両手で彼女の手を包んでいると思い・・・ふと気づくとそこには1輪の白い花が残っているだけ。

ふらふらと立ち上がった彼は墓の上の白い百合を拾い,はらはらとその百合が腕からすべり落ち・・・最後は失意のうちに地に倒れ伏し・・・おそらく,息絶えたのだろうと思います。
いえ,息耐えていてほしい,と思います。このアルブレヒトにとっては,生き永らえることのほうがずっと苦しいことでしょうから。一生,失った恋人のことを悔い,自分を責め続けるでしょうから。

 

すばらしい舞台でした。心を揺すぶられました。
マラーホフさんのアルブレヒトは何回か見たことがあり,(前に見たから今度はいいわ,と思うのではなく)よかったわ〜,また見たいわ〜,だったのですが,今回の舞台はその中でも特別のものだと思いました。そして,彼の踊るアルブレヒトはほかのダンサーが踊るそれとは別格の存在だ,とも感じました。

つまり・・・
稀有なる美しい肢体と作品に対する並外れた深い愛情。意図するものを観客に差し出すための表現力。加えて,考え抜かれた演技とそれに呼応できるパートナー。そして,表現のためには自らの美しさを犠牲にすることも辞さない覚悟と,衰えた技術を逆手にとって観客を納得させる計算高さとの両立。
それはもうすばらしく・・・当代最高のアルブレヒト。稀代の名演。

 

後藤さんは,えらいこと自己中心的なヒラリオン。マチネと全然違う印象になったのは,主役が変わったのに合わせて表現を変えたのか,マラーホフさんと同じ舞台にいるとそう見えてしまうということなのか,よくわかりませんが・・・とにかくソワレでは,笑みを浮かべて「ジゼル。いったいどうしちゃったんだ?」と尋ねるシーンがものすごく押し付けがましく見えました。村一番の器量よしのジゼルを嫁にできるのは,森番と言う地位(公職)にある自分しかいないと思い込んでいたのような感じ。

井脇さんは,いつもどおり普通に怖く普通に威厳あるミルタ。(バチルドのときはあんなに華やかで表現力も見事なのに,なぜミルタを踊ると舞台上で浮き出してこないのか不思議です。世間の評価は「すばらしい」ということで一致しているようですから,単に私が不感症なのでしょうねえ) 当然ながら,ここまで見た2人に比べると熟練の踊りで,特に,滑るようなパ・ド・ブレが上手でした。

ウィリフリードの野辺さんは,物腰の洗練度が足りないと思いますが(従者とはいえ,村人とは違っていてほしい),長身でその辺りをカバーできているから,よいキャスティングですよね。
3人のアルブレヒトの芝居はそれぞれかなり違っていたと思うのですが,それに応えてきちんと合わせていたのが立派でした。(お疲れ様でした〜)

ペザント・パ・ド・ユイットはファースト・キャスト(←たぶん)が登場。
女性では,高村さんの歯切れのよさが際立っていました。(小出さんはそんなでもなかったですが・・・初めてジゼルを踊って,しかもパートナーはゲストで,おまけに2人と日替わりで・・・という難事業に挑戦している最中に,こんなところに出さなくてもよかろうに)

男性については,「ソリストとコール・ドではこんなに違うのか」と感心してしまいました。前2回とは,踊りのレベルが明らかに違う。特に中島さんは,踊りの大きさと風格が際立っていました。(プリンシパルなんだから違わないと困るとも言えるが) 
でも,「揃えて踊る」という意味では,コール・ド軍団のほうがずっと上で・・・レベルが低くても揃っているほうがよいか,多少不揃いでもそれぞれが上手なほうがよいかは・・・難問ですな。

というより・・・何もそんなにパ・ド・ユイットにこだわらなくてもよいんでは? と思いました。以前はパ・ド・ドゥで上演していたのだから,日程の半分は8人の踊りで新人を登用してもよいけれど,半分くらいは,例えば高村/中島のパ・ド・ドゥにしてはいかがか,と。(身長や個性から中島さんのヒラリオンは難しいのかもしれませんが,これではプリンシパルの無駄遣い・・・というより飼い殺し)

コール・ドは,回を重ねてまとまってきた感じはしましたが,でも,やっぱりバタバタしておりました。
マラーホフさんのアルブレヒトを見られるなら万難を排してまた見にいくことに決めたので,次回はもっと上達していてくださいね〜。

(2008.10.05)

 

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