2008年2月10日(日)
ゆうぽうとホール
第1部
『牧神の午後』
振付: ワツラフ・ニジンスキー 音楽: クロード・ドビュッシー
牧神: ウラジーミル・マラーホフ ニンフ: 井脇幸江 ほか東京バレエ団
へー,マラーホフが踊るとこういうふうになるのかー。びっくりー。
彼は私にとって「焦燥と惑乱の王子」なのですよね。ですから,そのセンのエキセントリックな牧神を期待していたのですが,全然違うものを見てしまいました。
怖そうなメイクはしているけれど,獣性が薄くて怖くない。「半獣神」というよりニンフに属するほうかもしれないわね〜。愛嬌があって,なんだか楽しそうで。女の子たちにちょっかい出すのが好きな,無邪気な山羊の妖精さん?
意外ではありましたが,悪かったと言っているわけではないです。
こういう牧神もあるかも〜,もしかするとギリシャ神話のパーンってこんな感じなのかも〜,笛を吹く羊飼いですもんね〜,『ワルプルギスの夜』のパーンに近いのかしらね〜,なんて思いながら見ました。
ニンフたちは上演回数を重ねているからか,踊りなれているのでしょうね,この作品独特の「横向きばかり」を上手にこなしていました。
周りのニンフたちに比べて,中心のニンフの衣裳だけが「薄物」感が強くて違和感がありましたが・・・あれが普通なのでしたっけ? 一人だけ水浴びしたという設定なのかしらん?
『エスメラルダ』
振付: マリウス・プティパ 音楽: チェーザレ・プーニ
ヤーナ・サレンコ ズデネク・コンヴァリーナ
サレンコは初めて見るバレリーナ。小柄な割りに足が大きいのかな? 膝から甲にかけてのアーチがきれいで,安定したテクニシャンでした。
バランス披露もまずまず安定し,タンバリンの使い方も上手。なのですが・・・音のとり方が私の好みと違うのかしらん? 常に遅れてタンバリンが鳴る気がして,ひっじょーな違和感が。
コンヴァリーナは,前回の世界バレエフェスティバルで見たときの「普通によいダンサー」という印象と同じ。(脚は,あのときのほうがきれいだったような?)
サポートは安定し,跳躍は少々弱く,回転が上手。文句を言う要素も特にないのですが,催しの趣旨からして,彼の替わりに誰かベルリン国立の男性ダンサーを紹介したほうがよかったのではないのかなー?
サレンコのグリーンのチュチュは,スカートの柄がとってもすてきでした。
コンヴァリーナは白に金の王子系衣装で,このパ・ド・ドゥには合わないと思うんですけどー。(そういえば,世界バレエフェスのときもそう思ったのだった)
『カルメン』
振付: アルベルト・アロンソ 音楽: ジョルジュ・ビゼー, ロディオン・シチェドリン
マリーヤ・アレクサンドロワ セルゲイ・フィーリン
カルメンのソロ → 悩むホセのソロ → 愛の一夜 →(既に記憶が・・・なにかデュエット)の4曲が上演されました。
いやもー,アレクサンドロワがかっこいいのなんのって♪
冒頭,舞台奥,横向きで左膝を立て,右足を深く後ろに流したポーズがかっこいい。踊りだすとさらにかっこいい。大柄な身体から発散されるスターオーラ,ダイナミックに振り上げられる脚,片脚を軽く前で曲げて両肩をそびやかして胸を張るポーズ。すべてが決まりまくり。はまりまくり。
自分に自信を持っていて,自分の思うとおりに生きていく。男に媚びる必要はない。その姿には天真爛漫な明るさがあって,その明るさに惹きつけられて,灯りに集まる蛾のように男たちが寄ってくる。そういうカルメン。
惚れ惚れと眺めました。
フィーリンは,あははははは,面白かったです。
ミスキャストと言うべきでしょうねえ。前髪を下ろしてヴィジュアル的にも若さを出す努力をし,翻弄されるホセの演技も万全でしたが,「えらそー」オーラと端正な踊りがあだになる感じ。熱演されればされるほど,「違うよねぇ」と笑いたくなってしまいました。(すみません)
ところで,ボリショイのホセの衣裳はやっぱりヘンテコですよねー。
『くるみ割り人形』
振付: レフ・イワーノフ 音楽: ピョートル・I・チャイコフスキー
イリーナ・ドヴォロヴェンコ マクシム・ベロツェルコフスキー
アダージオではうっとりしました。美男美女のカップルで,スウィートな雰囲気で,ガラらしい派手な味付け(ちょっとけれん味)ではっとさせてくれる瞬間もあって。
お菓子の国といっても子ども向けではなく,大人の好むリキュール入りのチョコみたいな味わい?
ベロツェルコフスキーのヴァリエーションでは「うーむ,ちと地味。美男と舞台上の華とは直接には結びつかないのね」と思いました。
ドヴォロヴェンコのヴァリエーションは,「少々振付いじりすぎでは?」と首を傾げました。
コーダは「うーむ,これは『くるみ割り人形』とは似て非なるものだよなぁ」と。
あれがABTで踊られている振付なのでしょうかね? 世界バレエフェスティバルでドヴォロヴェンコ/カレーニョで見たときはあそこまでテクニック披露に終始していなくて,品格があるパ・ド・ドゥだったと思うのですが・・・?
あ,これはこれでいいと思いますよ。全幕ではなくガラでのパ・ド・ドゥですから。「似て非なるもの」であっても,見応えがあるのはよいことですよね。うん。
第2部
『白鳥の湖』第2幕 (全編)
振付: レフ・イワーノフ 音楽: ピョートル・I・チャイコフスキー
オデット: ポリーナ・セミオノワ ジークフリート王子: ウラジーミル・マラーホフ 悪魔ロットバルト: 木村和夫 ほか東京バレエ団
マラーホフには,ここでも予想を裏切られました。
いつのことか忘れましたが,以前見た彼のジークフリートは,まさに「焦燥と惑乱の王子」だったのですが,今回は,そうですねー,世間知らずの若者? とってもかわいらしかったし,帝王教育など受けていないように見えました。
白鳥が乙女に変わるのを見た素直な驚き,おそるおそる彼女に近づいていく様子,自分の手元を彼女が恐れていると気づいてからそれが弩だからだと認識するまでの間の長さは王子のおっとりというよりは子どもの迂闊さ,なんとか腕の中に捕まえようとする様子は美しい蝶がなんとか逃がしたくない無邪気な少年のよう,身の上話を聞くと素直にそのまま受け入れ,ロットバルトには蹴散らされ,白鳥の群れの中では彼女を見分けることができない・・・。
乳母日傘で育てられた良家のお坊ちゃんで,躾はよいが覇気はない。これではお母さんも心配でありましょう。一人で狩にやってきたのが不思議なくらい。必要なものはすべて与えられ,自分から要求する必要などない境遇で,それに不満を抱くことなど考えつかず,世の中には「悪意」というものがあることさえ知らす・・・そんな少年に見えました。(ええ,青年ではなく少年です)
その若者が生まれて初めて欲したものが白鳥の乙女。いえ,白鳥の乙女を幸福にすること。でも,そんな素直な少年を欺くことほどたやすいことはない。舞踏会では見事に騙され,さぞ呆然とすることでありましょう。そして,その後は・・・?
というストーリーが,この2幕を見ただけで頭の中に浮かんできてしまいましたよ。
いや,ほんと,マラーホフはすばらしい表現者だと思います。今回の公演では,跳躍も回転もほとんど見せませんでしたが,そういうもの抜きで,これだけ見せられるんだわね〜。ほんとに見事だわね〜。
まあ,正直言って,今回見せてもらったジークフリート像ではなく,期待していたもの・・・えーと,一目見た瞬間にオデットの虜になり,常軌を逸した性急さで彼女を求める王子とか・・・を見たかった気はするのですが,まったく違う2人の王子が年齢を重ねたマラーホフの解釈の変化なのか,パートナーの違いから来るものなのか,あるいは,もしかして,休演中にいっそう細くなってしまった自分の身体を逆手にとった役作りだったのか・・・そんなことも知りたいので,今後彼が『白鳥の湖』全幕を日本で踊る機会があれば,是非見にいこうと思ったことでした。
なお,マラーホフの踊り自体は,いつもほど美しくなかったと思います。(そう思って見てしまうせいか)「・・・歩き方がちょっと? やっぱり右膝が?」がありましたし,王子の立ち姿としては,胸の張り方が足りなかったですし。
ただ,立ち方の問題に関しては,もしかすると意識的にそうしていたのかな? という気も。あまり堂々と立っていては,この日見せてもらった少年ぽいジークフリートにはならなかったと思いますから。
セミオノワは,うーん・・・元気がよすぎるというか・・・腕の使い方に丁寧さが欠けているように見えてしまいました。顔が小さい上に肩のあたりが鍛えられすぎているため,腕が実際以上にたくましく見えてしまうせいかもしれない,という気もするのですが・・・どうなんでしょう?
東京バレエ団のコール・ドはいつもどおり。揃っていますが,上半身の使い方が私の好みと違っていてきれいに見えません。どこが好みと違うのか説明する能力がないのですが・・・「たおやか」風味が足りないのかしらん? 中では,大きな3羽の上手の方がきれいで風情もあって目を引かれました。
ロットバルトはよかったです。大きな翼の扱いが手馴れているし,踊りもきれいですし。
ところで,ここのバレエ団のセットは妙ですね。あの書割りは柳なのでしょうか? 白鳥よりは幽霊でも出てきそうな?
第3部
『白鳥の湖』より黒鳥のパ・ド・ドゥ
振付: マリウス・プティパ 音楽: ピョートル・I・チャイコフスキー
マリーヤ・アレクサンドロワ セルゲイ・フィーリン
この作品でも,アレクサンドロワはすばらしかったです〜。
悪魔の傀儡ではなく黒鳥の女王が堂々と舞踏会に登場し,偽計に頼るのではなく,その美しさと輝きと踊りの力で王子を正面から陥落させた・・・という感じ。
難しそうなグリゴローヴィチ版のヴァリエーションも完璧に見えましたし,コーダ後半で,上手奥から王子に向かって進んでくるところでは男性顔負けの足技(青い鳥が「つ」の字になりつつ見せる技?)も披露,フェッテにはアンオーやア・ラ・スゴンドを織り込んでほとんど一点から動かず。
そして,何より,眩いばかりのプリンシパルの輝き。舞台上に燦然と輝き,客席まで明るくするようなそのオーラ。「これぞボリショイ」と言いたいような,その熱さ。
感服いたしました。
フィーリンは,アダージオでの疑心暗鬼の演技もしっかりと見せつつ,全体としてはきっちりとノーブル。
踊りは「・・・不調?」でしたが,まあベテランですからねえ。しかたがないことなのかもしれません。ヴァリエーションはともかく,コーダでは,踊りが加速するのがジークフリートの気持ちも高まりを表わす・・・という雰囲気は十分見せていたと思います。
なお,王子役なのですから,タイツは黒でなく白にしてほしかったなぁ。
『アレス・ワルツ』
振付: レナート・ツァネラ 音楽: ヨハン・シュトラウス2世
ポリーナ・セミオノワ
この作品は,最近ガラでよく上演されますが,どこが魅力なのか私にはわからなくて困っているのです。
このソロは,プログラムによると「ウイーンの街を歩いているとき,宮殿から聞こえてくる音楽に耳を傾ける女性」を描いているのだそうで,「あ,そうだったのか」ではありましたが,だからと言って面白いとは思えず。
芥子色のパンツスーツのセミオノワはチャーミングでオデットより魅力的でしたし,優れた身体能力もよくわかりました。
『スプレンディッド・アイソレーション』
振付: ジェシカ・ラング 音楽: グスタフ・マーラー
イリーナ・ドヴォロヴェンコ マクシム・ベロツェルコフスキー
音楽は,マーラーの交響曲第5番の第4楽章,いわゆる「アダージェット」でした。
この音楽は振付家の創作欲を刺激するようで,いろいろな作品を見たことがありますが・・・今回のこれは,かなーり「困った・・・」なものでありました。
プログラムに載っていた説明によると,この作品は「男女の関係性を探り,その関係のために自らの一部を犠牲にするということについて考える」ものだそうですが,そういうものが舞台上に現れていたかというと・・・?
シーツの如く長いスカートに妨げられて,男は女に近づけない。女も男に近づけない・・・という話が延々と続いて,最後にはどういうわけかスカートがとれて「めでたし,めでたし」になりました。わかりやすいと言えばわかりやすいのですが,なんというか・・・通俗的なわかりやすさで,私は好きではありませんー。
スカートの周りをゴロゴロと転がってもがく半裸のベロツェルコフスキーやスカートをたくしあげてジュテをするドヴォロヴェンコが気の毒に思われました。
『ドン・キホーテ』
振付: マリウス・プティパ 音楽: レオン・ミンクス
ヤーナ・サレンコ スデネク・コンヴァリーナ
イマイチ盛り上がりに欠けました。
サレンコは,バランス技を盛んに見せていましたが,使い方・見せ方が効果的でないのですよね。あと,踊り方がおっとりしすぎ? キトリらしいスピード感やチャキチャキ感がありませんでした。
コンヴァリーナは決して悪くない。ちゃんとバジルとして舞台上で振る舞って,パートナーへの熱い気持ちを見せていました。(この点もサレンコは疑問)
ただ,いかんせん,こういう催しでこのパ・ド・ドゥを踊るには力不足という感じ。「きゃああ」な伊達男に見えるスター性か,(リフトを含めて)「うっわー」と驚かせる超絶技巧かのどちらかがないと,ガラのバジルは苦しいですよね。
『ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ』 (世界初演)
振付: ロナルド・ザコヴィッチ 音楽: クラウス・ノミ/ロン・ジョンソン(編集:アルシャーク・ガルミヤン)
今回の公演のために作られた新作。
マラーホフ自身の解説によると「この作品のアイデアは,天使のようなものが禍々しい部分から生まれるというものです。ネガティブなことや悪いエネルギーから逃れようと何かを試みること,それが新生(ニューボーン)であり,新らしい人生(ニューライフ)なのです」ということです。
実のところ,「天使のようなもの」が生まれたようには私には見えませんでした。途中で暗い色のスエット? の上下を脱いで白い衣裳(短パン? と透ける素材のTシャツ)とになったところで,「はあはあ,これが新生か」と思ったのですが,その後も「禍々しい」ものと苦闘していて,それが最後まで続いた感じにみえたので・・・はてな?
でも,「ネガティブなことや悪いエネルギーから逃れようと何かを試み」ていることは伝わってきましたし,そのことはたぶん,解説を読んでいなくてもわかったと思います。
特に印象的だったのは,耳をふさいだり,目を覆ったり,口を押さえたり・・・という身振り。
外側から来るものなのか,「人間だもの,そういう感情もあるよね」という内から出てくるものなのかわからないけれど,生きている中で出会わなければならない「醜いもの」や「卑しいもの」に征服されまいと抗する動きなのでしょうか。
全体としては,マラーホフらしい軽やかで流れるような美しい踊りを,これもマラーホフ独特の視線の強さと集中力で隈取りした,魅力的な舞台だと思いました。
折りにふれて上演してくれる『ヴォヤージュ』のように,また見せてほしいです〜。
フィナーレは,『ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ』の何回かのカーテン・コールに引き続いて。
幕が開くと舞台中央に1人立つマラーホフが上手に「どうぞ」とマイムをするとサレンコ/コンヴァリーナが登場し,続いて下手からはアレクサンドロワ/フィーリン組,次に上手からドヴォロヴェンコ/ベロツェルコフスキー。最後にマラーホフが下手に歩み寄って,セミオノワを迎え入れて,前方へと押し出しました。
彼女が下がって横一列になったところで,周りが「マラーホフさん,どうぞ」と促すと,「え? ぼく?」とびっくりしたマイム。ひっじょーにわざとらしい段取りなわけですが,そういう仕草が嫌味にならずチャーミング♪ になるのが,マラーホフの魅力なのでありましょう。
今回の公演は,手術明けで復帰間もないということで,直前にマラーホフの出演演目に大幅な変更がありました。
公演をキャンセルしたり,マラーホフ抜きで公演を行うのは不可能だと思いますので,その時点では,演目変更は最善の対処だったとは思います。しかし,昨秋の「マラーホフ ニジンスキーを踊る」を降板した時点で,この公演を延期する選択はあったはず。当時の公表された情報からして「2月にほんとうに間に合うのか?」とは誰もが思ってしまうことで・・・果たして万全とは見えない体調で公演に臨むことになったわけです。
公演を見た後でも,そもそもこの公演は延期すべきであった,主催者のNBSもマラーホフ自身も判断を誤った・・・とは思います。
私は彼のファンというほどではありませんので,心を痛めたわけではありませんが・・・無理しないでほしいと言いたい気分にはなりました。ファンの皆さんの心中はいかばかりであったか,と。
でも,まあ・・・現在の体調と折り合いをつけながら,これだけ満足できるパフォーマンスを見せてくれたことには,大したもんだなー,と感心します。
今さら言うのも間抜けですが,マラーホフは稀有なダンサーであるだけでなく,見上げたプロフェッショナルですよね〜。
(2008.02.17)
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