ラ・バヤデール(ベルリン国立バレエ)

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05年6月19日(日)

東京文化会館

 

音楽: ルードヴィク・ミンクス   音楽(編曲?): ミヒャエル・ハラーツ   音楽研究: イーゴリ・ザプラフディン

振付・改訂: ウラジーミル・マラーホフ,マリウス・プティパ   演出: ウラジーミル・マラーホフ   振付補: エレーナ・チェルニチョーワ

装置・衣装: ヨルディ・ロイグ

指揮: アレクサンドル・ソトニコフ   演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ニキヤ,寺院の舞姫: ディアナ・ヴィシニョーワ

ソロル,裕福で名のある戦士: ウラジーミル・マラーホフ

ガムザッティ,領主の娘: ベアトリス・クノップ

ダグマンタ,ゴルコンダの領主: アレクセイ・ドゥビニン     大僧正: アンドレイ・クレム

マグダヴェーヤ,托鉢僧: アルトゥール・リル      ガムザッティの侍女: ビルギット・ブリュック

トロラグワ,戦士: ヴォルフガング・ティエッツェ     黄金の仏像: マルチン・クライエフスキー

影の王国(ヴァリエーション): コリーヌ・ヴェルデイユ, ガエラ・プジョル, 寺井七海

 

初めて見た演出,初めて見たバレエ団で,楽しかったです。

ただし,コール・ド・バレエには不満。
女性のポアントの音がほとんど気にならず,男性の跳躍も静かであった点はとてもよかったと思いますが,踊りに「きれいだわ〜。うっとり〜」と思える瞬間がなくて,残念でした。

特に,影の王国は・・・なんというか・・・ロシアのバレエ団のように脚を上げなくてもいいのですが,日本のバレエ団のようなイキの合い方までは求めませんが・・・うううむ・・・統一感とか美しさというのものがあそこまで欠けているというのは・・・困惑しました。
有名なアラベスク・パンシェにしてもその間をつなぐポーズにしてもバレエらしい伸びやかさが感じられず,かといってきびきびと揃っているわけでもなく,なんというか・・・踊り方がばらばらだという印象。
事実上発足したばかりのバレエ団の日本公演初日ですから,けっこう応援モードで見ていたのですが・・・それでも文句を言いたくなりました。

それから,美術が気に入りませんでした。

1幕でマラーホフもヴィシニョーワも地味に見えて,非常に不思議だったのですが・・・途中で気付きました。装置が茶色で衣裳が黄色〜赤系なのがいかんのだ! 保護色で,主役を地味に見せてしまっているのだ! と。
その上,前半のソロルの衣裳は,「マラーホフ,もしかして太った?」と思わせる効果(?)がありました。(後半にブルー系で出てきたら,いつもどおりすてきに見えたのでほっとした)

衣裳自体は美しかったとは思いますし,例えば婚約式でのコール・ドのチュチュのスカートの色遣いなど,「いいな〜♪」もありましたが,全体に,凝っている割に効果が薄かったような。
あと,僧たちの衣裳が不思議。ブータンとか中国の山間部少数民族の服のように見えました。いや,ヒマラヤの麓での物語だから地理考証的には間違っていないのかもしれませんが,僧職者には見えにくかったです。

装置も,それ自体は美しかったと思うのです。特に,婚約式の背景の精緻な装飾はすてきでしたし,神殿の象のレリーフなども印象的。(象さん2頭が顔を突き合わせているすきま(?)からニキヤが登場するのはかっこ悪いとは思ったが)
批判が多い気配の3幕の背景画も,私には「写実的な高峰ヒマラヤ」に見えて,「なんかわかんない岩山」よりいいかも〜,と思いました。(その背景画の場面で,両脇に茶色い宮廷の装置が残っているのは「なんだか中途半端で感興を削ぐなぁ」ではあったが)

でも,舞台を全体として見たときに,あの衣裳や装置が作品の雰囲気づくりに貢献していたか,効果的だったかは疑問です。

そして,一番気に入らなかったのは,1幕の神殿に石段がなかったこと。
1幕のソロルはあの石段の奥に向けて想いを送ってくれないと・・・。ニキヤはあの石段を一段ずつ下りてきてくれないと・・・。大僧正はあの石段の上から二人の密会を覗き見してくれないと・・・。
いや,これは単なる刷り込みの問題なのかもしれません。でも,あの石段は,ニキヤとソロルの恋がそもそも禁断の恋であったこと,ニキヤと大僧正は神に仕える身であったことを伝える上で不可欠なものなのだなー,とこの日の舞台を見ながら思ってしまったのでした。

 

装置から来るそういう印象もあったせいか,1幕は,かなり妙なものに見えました。

一つには,話の展開がかなり早い。ソロルは「この神殿の奥に愛しい人が」という芝居をする暇なく,てきぱきとマクダヴェヤに逢引のアレンジを命じて消えるし,大僧正がニキヤに迫る場面もあっという間に片付けられる印象。

いや,この大僧正との一場はほんとうに妙でした。
ヴィシニョーワも巫女には見えませんでしたが,大僧正はそれに環をかけて聖職者に見えない。いや,聖職者らしくなくても「なんか地位のありそうな人」であればよいのですが,クラムには威厳の類が全く感じられない。かといって「ヒヒじじい」かと言えばそうでもなく・・・「地味だが背の高いかっこいい人」に見える。
その結果,なんかジゼルとヒラリオンの関係みたいな「え? あなたと私が結婚? やだわ,そんなつもりはなかったわ」的な拒絶に見えてしまいました。

そして,ニキヤとソロルの逢引シーンになるわけですが・・・これも少々変わった味わい。若い二人の幸福な恋の場面の雰囲気で,他人の目を盗んでの刹那的な逢瀬には全く見えない。
まあ,この辺は,振付的に見ても,そういう場面になってしまうのはやむを得ないとは思いますし,そのほうが直後のソロルの裏切りが効果的かもしれませんが・・・でも,ヴィシニョーワは舞姫を忘れて全身で恋を謳歌している感じだし,マラーホフのほうも少年のような純愛を捧げているように見えて・・・「なんか違う」感がありました。

なお,ヴィシニョーワ/マラーホフのこの場面のパートナーシップは,かなり安全運転重視に見えて,少々意外でした。(これだけのスーパースター同士でも,初日だと緊張するのかしら〜,それとも調子が今一つなのかしら〜,と思った)

演出や振付に関しては,マグダヴェーヤたち苦行僧がちょっと変わっていたかな。衣裳・メイクがこぎれいなのが珍しかったです。
彼らの踊りは,「火の上を跳び越す」に加えて「火の周りで輪になって難しそうな跳躍をする」もあって,見応えがありました。

それから,冒頭に虎が出てきませんでした。というか・・・この版は,虎狩りから帰ってきたのではなく,今から狩り行く,という設定だそうで,マラーホフは「君たちは狩りにいきたまえ。いや,僕は行かない」とマイムで語っておりました。
これにどういう意味があるのかわかりませんが・・・勇猛な男が恋をしている,という設定ではなく,恋は得意だが狩りには興味がない軟弱な男だ,ということを強調しているのかしらん。(笑)

・・・と言いたくなるくらい,マラーホフは戦士には見えませんでした。
彼のソロルは以前にも見たことがありますから,戦士らしくないことはわかっていました。ですから文句を言っているわけではないのですが・・・・登場シーンの,上手奥から舞台前方に向けて美しい放物線を描くグラン・ジュテを見た瞬間,おお,これぞマラーホフだわ〜,と思い,同時に,なんだってよりによってこの作品を持ってきたのだろうか? と不思議にも思いました。(そうねえ,例えば・・・『マノン』を見せてくれたほうが嬉しくないですか?)

 

2幕1場は,これに比べると,普通に話が進みました。

最初に,戦士たち8人の踊りがあるのが珍しかったような。戦士たちがシャンベの踊りを見ながら囃し立てたり,ちょっかい出したり,去っていくのをわらわらと追うことまでする演出も珍しいかもしれません。
それから,ニキヤと奴隷のパ・ド・ドゥもありませんでしたが,これはマカロワ版と同じ。
ところで,シャンベの踊りはよくなかったと思います。元気がよすぎるというか,あれではバレエになっていないというか,ボンボン持ってチアリーダーをしているほうが似合いそうというか・・・。

ガムザッティを踊ったクノップはたいへん長身のバレリーナでした。(マラーホフと同じくらいのように見えたから,180センチ近いのかも)
長身だから見栄えがするし,国立歌劇場バレエ時代から10年以上プリンシパルを務めているというだけあって,威厳もある。美人であるとか華があるという感じではなかったのですが,それに替わるだけの存在感がありました。そして,そういうものがある場合には,美貌はないほうが効果的なこともあるのだなー,と感心しました。

もっとありていに言うと・・・彼女はヴィシニョーワと似たタイプのお顔立ちなんですよね。でも,たいへん失礼ながら,どういうわけか,ヴィシニョーワと違って不器量に見える。で,その「不器量に見える」という事実が,ガムザッティという役に説得力を持たせていたのではないか,と。

雰囲気としては,「ワガママな箱入りのお姫様」ではなくて「自分の立場をよく知っていて,その権力や財力が他人に与える力も知っていて,それを行使するのが当然と心得ている」大人のガムザッティでした。(そして,大人だということは,つまり,「嫁かず後家」の一歩手前なわけです)

さて,プログラムの説明によると,ソロルとガムザッティの間には「大昔に結んだ婚約の約束」があるらしいのですね。そう言えば,ソロルと領主のやりとりには,それらしいものがあったような気もしますが,結局は領主は「ええいっ,ごちゃごちゃ言うな。我が娘に引き合わせるぞ」と話を進めるから,意味がない設定のように思いました。

この後のマラーホフの演技は,私には意図不明なものでありました。
ガムザッティを目の当たりにした途端,よろよろと少し後ろに下がったのですが,いったいどういう意味であったのか・・・? この場面のソロルは,大別すると「その美貌に心が動く」か「困惑しつつも社交儀礼に沿って振る舞う」のどちらかだと思うのですが・・・どちらにも見えない芝居で・・・あえて言えば,「ガムザッティの威に打たれた」という印象。うーむ,そりゃいくらなんでも情けなくありませんかね?

なお,領主のドゥビーニンは,肉襦袢を着けていたのでしょう,恰幅もよく,いかにも「マハラジャ〜」という容姿。雰囲気や演技も,鷹揚(=無神経)な異国(=クラシック・バレエの世界から見てのステレオタイプな異国)のご領主さまで,とてもよかったです。(モスクワ音楽劇場で踊っていた頃に見ていると思うのですが,こんな形でこんな風に再会するとはびっくりー)
大僧正がニキヤとソロルのことを告げたときも,怒りに燃える風ではなく,どことなく悠然と「うむ,それではその舞姫を殺せばよいな」と決定する感じでありました。(依然として威厳のないまま慌てる大僧正が非常に気の毒)

 

ニキヤとガムザッティの対決シーンはとてもよかったです。(そうそう,『バヤ』はこうでなくっちゃ〜♪ と大いに盛り上がった)
まず,ニキヤが現れる前,ガムザッティがソロルの肖像画を見る演技に雰囲気がありました。単に「すてきな方だわ〜。やっぱりこの方と結婚したいわ〜」ではなくて「・・・言い交わした女がいるのね」と事実を咀嚼しつつ「あれだけ美しい男だもの。女の1人や2人いるのは当たり前。それだからこそ私のものにする価値があるのだわ」という感じ。

そして,ヴィシニョーワが登場してからは,双方感情の起伏も激しければプライドも高く,しかも戦法も知っている,という感じで,攻守がめまぐるしく入れ替わる白熱した闘いが繰り広げられました。(戦争が起きたら,ソロルよりこっちの2人のほうがよっぽど頼りになりそうですなー)

特に印象的だったのは,「この国も領地も領民も私のもの。ソロルももちろん私のもの」というガムザッティに気圧されていたニキヤが顔を上げた瞬間。
ソロルの自分への愛を高らかに宣言する・・・と続くのですが,「顔を上げる」というだけのヴィシニョーワの身体の動きから,「一途な愛」というキャッチコピーが見えるようで,感動しました。
そうなんだよね〜。多少巫女に見えなくてもこの際いいんだよね〜。妖艶さもあるけれど,それよりもっと大切なのは,燃え上がる愛なんだよね〜。ヴィシニョーワってそういうダンサーなんだよね〜。・・・と。

 

婚約式の演出も,マカロワ版に似ていました。
ガムザッティとソロルが寄り添って歩いて登場するところとか,コール・ドはオウムではなく扇を持って踊ることとか,太鼓の踊りがなくブロンズアイドルも出てこないこととか,最後にガムザッティとともに去っていくソロルを見た衝撃でニキヤが解毒剤を取り落とすとか・・・。ただし,壷の踊りはありました。

女性16人と男性8人の扇の踊りは,華やいだ雰囲気があって,まずまずよかったです。
ここはたぶん,純粋にマラーホフが振り付けた部分なのではないかしらん? 音楽もちょっと違っていたように思いますが・・・編曲の違いでしょうか?
続いてグラン・パですが,男性2人があまり見目麗しくなくて残念でありました。

そして,マラーホフの踊りがよくなくて,かなり残念。というより,ちょっとショックを受けました。
ほとんど身長差のないクノップを上手にサポートしているのには感心しましたが,ヴァリアシオンがあまりにも精彩がなくて・・・。跳躍の高さはないし,回転では「え? こんなに形が決まらない人だったっけ?」と。(あ,もちろん,普通にはきれいで上手ですよ。でも,マラーホフだと思うと「???????」な踊りでした)

それから,終始一貫歯を見せて踊るのが非常に気になりました。いや,にこやかにしているのならいのですが,そうは見えない。なんか,彼の歯を見せている表情って・・・失礼な形容かもしれませんが・・・ターバンとあいまって,「おばさん」くさかったです。
もしかすると「偽りの笑顔」の表現だったのかもしれませんが・・・うーむ,私はマラーホフに対して,ファンの3歩手前くらいの感情を持っているので,そういう立場からいうと,ああいう表情は見たくなかったなぁ。

クノッブはよかったです。
上半身が硬いのでしょうか,優美という感じではなかったですが,押し出しが強いし,見せ方も心得ている。いかにもガムザッティらしい気迫の感じられる踊りで,最後のイタリアンフェッテ〜グラン・フェッテも「さあ,見せてあげるわ。私の踊りはこんなに見事なのよ」と満場の観客に向かってアピールしている風情。
「ひゃー,かっこいいなー」と感心しました。

ところが,満場の中にただ1人,彼女のフェッテを見ていない人がおりまして,それが誰かというとソロルなのですね。

この版では,自分の担当する踊りが終わったソロルは,上手の前のほうに腰を下ろし,客席に背を向けて鷹揚に藩主と物語ったりしているのです。脚をゆったりと交差させて,片手を背後に突いたその様子は,まるで,嫁取りに来た隣国の王さまがくつろいでいるかのようでした。(「逆玉」には全く見えない)

で,このマラーホフはすてきだけれど,婚約式に臨む態度としてはマズイのではないのかなー? と不可解に思ううちにニキヤが登場しました。
そうすると,このソロルは完全に俯いてしまって,ニキヤもガムザッティも目に入らない様子。ただひたすら自分の存在を消したいかのように見えるので,「うう,かわいそう」と同情しつつも,「極端なやっちゃなー」とツッコミを入れたくなりました。

ヴェシニョーワの踊りは美しかったです。
身体を反らす動きが雄弁で,悲哀と妖艶と未練のブレンド具合が絶妙。しかも「ニキヤ」からはみ出さないように抑制を効かせて表現している感じで,「よいな〜」と思いました。

花篭の踊りは,音楽も振付も違っていました。あのクレッシェンドしていく音楽と振付は「なんだかはしゃぎすぎのような」ではあるので,ここをよりおとなしめに変えたマラーホフは趣味がよいな〜,と感心。
が,その一方で,ニキヤが廻りのダンサーに花篭を見せてまわり,見せられたほうも皆で「まあ,よかったわね〜」と喜ぶという不可解な演出もありました。

でも,喜ぶヴィシニョーワがかわいらしかったので許します。
花篭をもらってソロルからだと告げられた瞬間,ぱっと全身の表情が変わって,それはもう愛らしい笑顔になったの。で,再度「一途な愛」というキャッチコピーが心に浮かんで,なんだか幸せな気持ちになりました。
あの場面を見て幸せになるのは変ですが・・・でも,ヴィシニョーワって,そういう力のあるダンサーなんだと思います。

 

ニキヤが毒蛇に噛まれたあとのソロルの行動はかなりトホホなものでありました。
ニキヤがガムザッティに迫っている間はなにもできずにいて,彼女が倒れると駆け寄りかけたものの,(誰かに止められたわけでもないのに)丁度舞台中央で踏みとどまる。最後には,領主とガムザッティに促されて,彼女とともに上手の袖に去っていく・・・。

ただ,まあ,この辺りはなにをどうやってもトホホな男なのは変わりない,という気もします。ニキヤのすがるような視線を受けて顔をそらすのでも,なにもできずに突っ立っているのでも,ニキヤを見ようとしないのでも,結局は,肝腎の瞬間に彼女を救う行動をとらなかったという意味では,ガムザティといっしょに舞台を去るのと同罪かもしれません。
そういうこともあるし,マラーホフ版はマカロワ版を踏襲しているようなので,これをもってトホホな演出だ,という気はないですが・・・マラーホフが,なぜ,よりによってこの演出を採用したのか? と不思議には思いました。

だって,誰が見ても「ひどいっ」か「・・・情けない」にしかなりませんよね。
いや,ソロルというのはそもそも「ひどい」か「情けない」になるのが普通な役ですが・・・1幕1場で曇りも翳りもない純愛路線を打ち出しているだけに,なんで2幕でこうなるのかしら〜? せっかく演出もしているのになんだってこういう展開を選ぶのかしら〜? どういうソロルを見せたいのかしら〜? と首を捻ってしまったのでした。

 

さて,3幕ですが,まず,冒頭で自室に戻ってきたソロルがソロを踊らないのが気に入りました。ここで上手に跳躍したり回転したりされると,嘆きぶりがウソくさくなる気がしてしまうのです,私は。(ルジマトフが踊る場合にも,これはないほうがよいのではないか? といつも思う)

そして,カウチでうなだれるソロルの前に,スカート様の衣装でろうそくを持った男性ダンサーの集団が現れ,不気味な踊りを踊りましたが・・・私,これも好きです。
ものすごく場への違和感があって,ソロルの現在の心中は,こういうどろどろぐちゃぐちゃなんだろうなー,と思えて,とてもいいと思いました。しかも,山の中腹のニキヤは,この不気味な集団の間から一瞬現れるのでたいへん効果的。

混乱したソロルはスカート集団に「散れ」と命じて・・・ソロを踊ります。
ありゃ,やっぱり踊るんですかいな,と少々がっかりしたのですが・・・いやー,このソロが,とってもとってもすばらしかったです〜♪♪

たぶん,マラーホフ版独自の振付なのでしょう,メロディアスな聞き慣れない音楽での,ロマンティックな悲嘆と悔恨の踊り。センチメンタルと言いたいくらい甘さに溢れた,恋人を失ったことへの嘆きと苦しみの踊り。
それはもう優美な美しさに満ちていて・・・たぶん,マラーホフにしか踊れない,1幕を戦士らしく踊れるダンサーには絶対見せられない表現。
うわ〜,このソロを見られただけで今日見に来た価値があったわ〜♪ と感激しました。

そして,これを書きながら思うのですが・・・マラーホフはこれを見せたかったのかもしれませんね。だから,『バヤデール』を日本に持ってきたのかも。

 

影の王国のコール・ドについては,冒頭で書いたとおりで,私は全然感心できませんでした。
ソリスト3人は普通に上手というか,さほどでないというか。中では,寺井七海がおとなしげな感じで,精霊に見えました。

ブロンズアイドルの登場シーンには笑いました。(鎮座している仏像がぱかっと縦に割れて,中にブロンズアイドルがすわっている。で,踊り終えて元の位置に戻ると,また仏像が元に戻る) なお,衣裳は総タイツ系。
クライエフスキーはプロポーションが洗練されていない感じでしたし,そのせいか,仏様(神様?)らしい有り難味が感じられませんでしたが,エネルギッシュな感じの踊りで上手でした。

ヴィシニョーワは美しかったです。
柔らかな上半身と強靭な下半身。たぶん難しいのであろうこの場の踊りをすべて見事に踊り,これぞプリマの格と美,という感じ。

(初役だったと聞く)キーロフ日本公演の舞台で見たときは「精霊になろう。ニキヤの影になろう」という懸命さが突出して,「意欲は買うが向かないものは向かない」だったのですが,今回はそういう無駄なことに精力を使わずに,音楽と振付に忠実に(完璧に)踊り,その中から,「愛した女が純粋な美しさでソロルの眼前に」という趣が現れていたと思います。

最後の高速のピケで舞台を斜めに横切るところなどは,「見事すぎてニキヤには見えない」とも思いましたが,これは音楽と振付のせいですものねえ。
(マラーホフも,せっかく音楽や振付を改訂するなら,こういうところをロマンチックに直してくれればいいのにぃ)

マラーホフのほうは,普通にきれいだったというか,全幕だからセーブしていたというか。
必要十分な程度には美しいのですが,はっとする瞬間,「マラーホフって美しいわ〜」と言いたくなるものがないままに終わってしまいました。ヴァリアシオンは明瞭に省エネモードだったと思いますし。

一番印象的なのは,最後にニキヤを追って倒れ伏した姿。
そう,これは哀切な美しさで胸に迫るものがあって,それはもう見事だったと思います。あたかも生贄が倒れるかのような,無垢の存在が不法な力で蹂躙されているかのような美しさ。これぞマラーホフの真骨頂。
・・・あとから振り返れば,「自分のせいでこうなったわけなのに,あたかも一方的な犠牲者であるかのように倒れました」などと描写したくもなるのですが・・・見ているときは,たいそう引き込まれて,心動かされました。

さて,倒れ伏したソロルの前に,ガムザッティが現れ(もしかすると領主や大僧正もいたかも),ソロルは惑乱の中に結婚式に臨むこととなります。

 

終幕は,話の進み具合はマカロワ版と似ていましたが,音楽や振付はかなり独自のものがあったように思います。
ソロルがなんとかこの場から逃げ出そうと甲斐ない努力を繰り返すところや天から白いベールが降ってきて,それを掴んだガムザッティの手が赤く染まったことによって,彼女がニキヤ殺しの犯人であることが顕かになるところなど。

ただ,このベールの件は少々わかりにくかったように思います。
プログラムで予習していたからわかりましたが,私の席(1階後方)からは,全然赤くは見えなかったです。さらに,それで驚愕したガムザッティが「ぎゃああ,なんなの,これ? 急に手が真っ赤になっちゃったわ? いったいなにが起きたの?」と大騒ぎしながら周囲の一同に手を見せて回るので,「犯罪露見」という後ろ暗い感じに見えないという問題点も。
というより・・・そもそも白いベールは1幕1場の最後から大僧正の手の中にあったわけで・・・この場に至って忽然として出現されても,大切な意味のある場面にはなりにくいのではないでしょうかねえ。

さて,この場面のヴィシニョーワですが,とーってもよかったです。
(ソロルの目にしか見えないとはいえ)結婚式の場にまで現れるニキヤというのは,怨霊のように見えてしまって鼻白むこともあるのですが,「愛と情熱」のバレリーナである彼女が踊れば,情の深さの現れとして共感できる存在になるのだなー,と感心しました。
一方のマラーホフは,「まああ,なんとも情けないこと」の極み。たいそう見事だと思いましたし,その憔悴した姿の美しさ,色っぽさを,それはもう堪能しました。

ガムザッティとソロルが並んで跪き,大僧正が二人の手を重ねた瞬間に,神殿が崩壊します。
この崩壊シーンは,装置自体はゆるゆると動くのですが,明滅する照明とスモークの使い方が効果的で,緊迫感ある場面となりました。(今まで見た崩壊シーンの中で一番よかったわ〜)
そして,舞台が明るくなるとニキヤが登場。瓦礫の中からソロルを救い出し,ニキヤに導かれてソロルは彼岸へ・・・という形で,舞台は終わりました。

 

全体としては・・・そうですねえ・・・↑でいろいろ悪口を言っているのでわかるように,ちょっと期待外れ,という感じでしょうか。
ヴィシニョーワのニキヤ@「恋に生きる女」とマラーホフのソロル@「運命の犠牲者」という組合せは,この作品を感動的にするのには向かないのかなー,という気もしましたし・・・。

ところで,カーテンコールのときに,マラーホフが1人でカーテン前に出てくるという場面がありました。そのときの彼は,それはもう長く,深々とお辞儀をしていて・・・それを見て,かなり感動しました。
絶賛する気にはなれない舞台ではありましたが,でも,あのマラーホフを見たら,(多少脚色して)「いい舞台だったわ〜。あなたのバレエ団といっしょに来てくれてありがとう♪ 是非また来てね〜♪」と言いたくなってしまいましたよ。(次の機会には,心から同じことを言えるといいな〜)

(05.10.10)

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