ジゼル (松山バレエ団)

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03年5月3日(祝)

オーチャードホール

 

作曲: アドルフ・アダン

台本・構成・演出・振付: 清水哲太郎

舞台美術: 川口直次    衣裳デザイン: 森田友子, 清水哲太郎

指揮: 河合尚市    演奏: 東京フィルハーモニック管弦楽団

ジゼル: 森下洋子    アルブレヒト公爵: 清水哲太郎

ヒラリオン: 金田和洋    ミルタ: 倉田浩子

ベルタ: 大胡しづ子    ウィルフレッド: 橋本達也

クーランド大公: 桜井博康    バチルド: 中村千絵

ぺザント パ・ド・カトル: 山川晶子, 平元久美, 鈴木正彦, 石井瑠威

パ・ド・シス: 佐藤明美, 小菅紀子, 久保阿紀, 藤原夕子, 鎌田美香, 鎌田真理子

アテンダント(ドゥ・ウィリ) モイナ: 佐藤明美    ズルマ: 山川晶子

 

松山バレエ団の『ジゼル』を見るのは,たいへん久しぶりでした。

幕が開くと,ジゼルの家もアルブレヒトの小屋も屋根の上の石や積もった落葉やからまるツタなどでふんだんに装飾されておりました。おお,清水+川口作品ならではの美術だなー,と興味深く眺めていたら,普通はヒラリオンが登場する音楽で,いきなりアルブレヒトが登場したので仰天。

しかも,いでたちがスゴイ。上半身はどっしりした臙脂色のきらきら光る模様つきで,タイツは光沢のある金茶。右手には乗馬用の鞭らしきもの,左手には普通より派手な装飾の剣。
その姿で,赤い大きなマントを広げて,貫禄たっぷり思い入れたっぷりで舞台中央に立っているの。(ウィルフレッドはかなり遅れて登場)

そして,音楽が通常のアルブレヒト登場の辺りになって,村人が多数登場すると,彼らの目を避けるため上手の袖の幕前に移動,これも思い入れたっぷりで片手を上げてマントで身を隠す。

ははー,アルブレヒトを踊るダンサーが自分で演出するとこういう派手なコトもできるのかー,と感心し,かつ,清水さんってこんなにすてきな方だったかしら〜,とうっとりしました。

 

村人が去って,2人は小屋に入り,ここからは普通の音楽の使い方で穏便に再登場。おおっ,上半身は黒のレザー(?)に替わっているではないの。うーむ,凝っとりますなー。

この姿になってからはうっとりはできませんでしたが(すみません),恋の冒険をエンジョイする若々しいアルブレヒトで,2人の関係に関してはジゼルより余裕を持っている感じ。立ち姿もノーブルでたいへんよかったです。

特に感心したのは,ヒラリオンを去らせる場。
手であちらのほうを指したりしなくても,腰の剣(のあるべき場所)に手をやったりしなくても,胸を反らせて立つだけで,貴族の威厳が立ち現れて,ヒラリオンは圧倒されてしまう。(金田さんの気圧される演技も上手) こういうふうに追い払われては,不愉快さもひとしおで恨みも大きくなるでしょうし,「いったいコイツは何者だ?」と疑念を抱くのも至極当然,という感じでした。
(こういうのを見ると,小嶋さんはまだまだ青二才だなー,と思いますわ。あら,もしかして,あと20年待たなくちゃならないのかしら〜。いやいや10年後,できれば5年後くらいにはお願いしたいものです。)

 

森下さんのジゼルは,まああ,なんて愛らしいんでしょ。素直で優しそうで,父親はいないにしても,母親の愛に包まれて育った幸福な少女。でも,どことなく儚げな印象があって・・・。
そして踊りは,もちろん跳躍の高さなどはないですが,ほんとうに軽やか〜♪

ただですね・・・私は,森下さんが幸福感を表すときの顔の表情の作り方が苦手です。(えーと,即物的に言えば,目を大きく見開いて,口も大きく開ける,あの表情) どうも「作りすぎ」という気がするので・・・。

でも,森下さんの域に達すると,私がどうこう言うのも僭越ですし,一つの確立した表現方法として受け入れるしかないわけです。
ただ,ここのバレエ団は,皆さんこの表現方法を見習って,同じ表情の作り方をするので・・・見るのがかなり辛いときもあります。わかっているなら見にいかなければいいというご意見もありましょうし,だから実際,私はあまりこのバレエ団の公演は見ないわけですが,でも,森下さんのジゼルは見たい。ああ,自己矛盾・・・。

 

で,コール・ドの村娘たちは,予想どおり,そういう表情の作り方で踊っていました。とほほ。

それにしても,ここのバレエ団の男性不足は深刻ですねえ。細かくて恐縮ですが,数えると村娘が20人にソリスト級のパ・ド・シスという方々がいて26人。これに対して村の青年は3人。しかも,このうちお2人は貴族とかけもちなの。(着替えが大変でしょうねー) 群舞のときは,ペザント・パ・ド・カトルの男性2人も加わっていましたが,女性ばかりだなー,という印象は拭えず,しかも,残念ながらすてきな方も発見できなかったので,男性ダンサー好きの私としては,物足りないところはありました。

そして,村娘の人数が多すぎることと装置もかなり大きいこと,ホールの舞台が小さいこともあって,舞台の上はかなり混雑している印象で,これも清水作品特有の現象ですねー。
でも,ベルタが家から出てきてジゼルが友人たちの後ろに隠れるシーンは,この混雑ぶりが効果的。う〜む,これじゃお母さんも見つけられないわけだよねえ。

 

演出は,非常にわかりやすくて私は好きです。
アルブレヒトの登場シーンもそうでしたが,細かいところもよく考えてある印象。

狩の一行の角笛が聞こえてアルブレヒトが身を隠すときには,まずウィルフレッドがマントや剣を小屋から持ち出してきます。本来の姿に戻って一行を迎えましょう,という意味なのでしょうか。そして,アルブレヒトはその提案を却下して身を隠すわけですねー。(そりゃそうだ。ジゼルの家のそばでそんなコトができるわけがない)

で,ウィルフレッドは小屋の扉にちゃんと鍵をかけるの。だから,ヒラリオンは短剣で扉の一部をこじ開けて忍び込む。(考えが足りなくて無用心な主従ではなく,ヒラリオンの執念が勝ったわけですねー)

貴族の一行が到着すると,クーランド大公親子だけでなく,他の人々にもテーブルと椅子が用意されます。(なるほど,おもてなしの当然の心得だ)
そして,机の上には,お茶請け(?)として収穫したばかりの葡萄がっ♪ 話の本筋とずれますが,この葡萄がすばらしく豪奢なの。重々しい色でつやつや輝いているのよ〜。『ジゼル』はたくさん見たけれど,こんな立派な葡萄は初めてかも〜,と嬉しくなりました。(それがどうした,なんの意味が? と聞かれると困るんだけどー)

ペザント・パ・ド・カトルはこのシーンで貴族たちに披露されるのですが,それが終わると貴族たちは全員(クーランド大公とバチルドを含めて)立ち去っていきます。普通の『ジゼル』だと,家の中に高貴なお客様がいらしているのに,ジゼルが外で遊び惚けているのはいかがなものか,という気がするでしょう? その辺りを解決して,しかもその結果,ジゼルの家の壁に角笛をかけるわけにはいかないから,ヒラリオンがアルブレヒトの小屋の中で剣といっしょにコレも発見したという設定になっていて,たいへん合理的でした。しかも,アルブレヒト自身の角笛のせいで正体が完全に露見するという「運命の皮肉」感もあるし。

それから,村人たちの貴族たちへのお辞儀のしかたが平身低頭と形容したいようなていねいさで,身分の違いが際立っていました。バチルダのジゼルへの好意がいかに彼女にとって嬉しいことであったことか,また,アルブレヒトの身分を知ったときの衝撃がどれほど大きかったことか,と思わせる,優れた演出だと思います。

 

さて,角笛が鳴り響いたとたん,アルブレヒトは貴族の立場に戻ります。その変り身の早さには唖然。どうしよう,逃げ出そうか,などという様子は全然見せないし,もちろんジゼルを全く見ない。(忘れていたのかも。忘れられる程度の存在だったのかも)
そして,容儀を整えて,まるで自分がここに招待したかのような鷹揚な態度で一行を迎え,クーランド公にあいさつし,バチルドの手をとる。

ジゼルは,その間ただ立ちつくしていて,ううう,とてもかわいそうでした。

狂気のシーンもとても哀れ。髪を下ろしたりなどしないで,片方の前髪だけが薄く顔の前にかかっていて,それがかえって常軌を逸している感じに見える。そして,すごく静かで・・・楽しい恋の想い出をいとおしむような表現で,とても哀しくて,とても同情できました。

死の瞬間も静かで,生命の炎がだんだん小さくなっていってついに消えてしまう感じというか・・・。それはもう感動的・・・。

 

これを見るアルブレヒトは,今度はにわかにジゼルに集中。(いや,当然ですけどー)
何回も駆け寄ろうとしてはウィルフレッドに止められるし,ジゼルから剣を奪いとるのも彼。最後は,死んだ彼女に必死に駆け寄ろうとするのを村人たちにはばまれ,ウィルフレッドに連れ去られる。

・・・と思ったら,舞台中央奥で彼を振り払って,後ろから(このときも混雑している)村人たちをかきわけかきわけ,ついに横たわるジゼルのところにたどりついて,彼女の死体をかき抱いて,呆然としていました。

うううむ・・・いい役だよねえ。すごく,いい役。私が清水さんのファンだったら,見応えがあってとても嬉しいと思う。
でも・・・演出家がこういうふうに自分の役をいい役にしていいのかなー,これは,ヌレエフなんかと共通する清水さんの悪癖なんじゃないのかなー,という気もするんだけど・・・?

 

2幕の幕が開くと,舞台中央にヒラリオンがひざまずいていました。スモークが立ち込めていて・・・。おお,清水さんはアルブレヒトだけでなく,男性ダンサー全体を重要視しているのねー。(ますますヌレエフみたいだわっ)

金田さんは1幕でも,わかりやすい演技と男性的な存在感で立派なヒラリオンでしたが,ここも深い悲しみが伝わってきてよかったです。
ウィリたちの怪しい気配を感じて取り乱す芝居も上手でしたが,ううむ,鬼火が出なくてがっかりしました。いや,清水演出はそういうモノは欠かさないに違いない,となんとなく思い込んでいた上にスモークだったから,派手なモノを期待してしまったのよ。すみません。

死のシーンはすばらしい迫力でした。這いずり回ると言うべきか,もがきまくると形容すべきか・・・。1幕でのジゼルへの無骨な愛情が印象的だっただけに,気の毒な感じも強く,たいへん心を動かされました。

倉田さんのミルタは,踊りは少々滑らかさに欠けたように思いますが,たいへん威厳があり,恐ろしくもありました。

コール・ドは・・・ううむ,私にはあまりきれいには見えませんでした。席が前の端のほうだったのも悪かったのかしら。それと,多少振付が変えてあったみたいで,違和感があったせいもあるかもしれません。(あ,安田バレエよりはもちろん上手だったと思いますよ。念のため)

 

アルブレヒトの登場シーンは,たいへん印象的なものでした。
清水さんの表情には後悔とか悲しみのようなものはなく,ただ呆然としている。このアルブレヒトは,1幕の幕切れからずーっと呆然としたままだったんじゃないかしら,と思わされました。
その表情で,ゆっくりと,実にゆっくりとジゼルの墓に向かって歩いていく。これだけ歩みの遅いアルブレヒトは初めて見たような気がします。それは・・・まるで廃人のよう。ジゼルの死は彼にとってそれほどに衝撃的なものだったのでしょう。

ただ,ええとですね・・・抱えている花束がちゃちで,とってもとってもがっかりしました。
百合ではなくカラーのようで,だから葉がないわけです。で,茎に張りというものがないために,腕の外側でだらーんと垂れているのよ。とほほほ。
その後ジゼルが持つ花も(最後にアルブレヒトの手中に残る花さえ!)似たような張りのなさで・・・。よくも悪くも徹底した美意識で知られる清水作品の小道具とはとうてい信じられませんでした。なぜなのか,とっても不思議・・・。

アルブレヒトには,終始一貫ジゼルは見えていないようでした。気配は感じるのでしょうが,それがジゼルであることを知っていたのかどうか・・・。でも,後半は手探りで何かを求める手の動きが多かったから,ジゼルだとわかって彼女を求めていたのかもしれません。(ところで,この多用される手探りの手の動きが美しくなくて残念でした。意図には感心したのですが・・・)

サポートするときも,全然ジゼルのほうを見ないで,目は虚空に向けられている。そういう状態で,見事にサポートをしているのでたいへん感心しました。特に,リフトで,普通ならジゼルが床に足を着けるところで,床近くまで下ろすものの完全には下ろさずに,そのまままたリフトする動きの連続は,うわ〜〜,まるで神業だわ〜〜〜。

 

森下さんは,とてもひっそりとしたウィリでした。もちろんポアントの音などしませんし,動きは柔らかで,そして,シンプル。余計なものが全くないと言えばいいのかしら。
ウィリというよりは,1幕の愛らしい少女がそのまま霊的な存在になったように見えました。

雰囲気としては,愛というより優しさとか悲しみの精霊のよう。・・・うーん,ちょっと違うかしら。愛ではあるのかもしれません。でも,愛が溢れてアルブレヒトを(そして観客を)包み込むようなジゼルではなくて,見ている側の心の中に静かに優しさが染み込んでくるような感じ・・・。
アルブレヒトを救おうと(愛の)力を尽くしているジゼルではなくて,静かに彼のために祈っている感じと言えば伝わるかしら・・・。

どんなに祈っても,アルブレヒトを救いたいと思っても,彼に見てもらうことさえできないジゼル・・・。2人の間は,こんなに隔てられてしまった・・・。
それでもなお(というより,そんなことを超越して)アルブレヒトに心を寄せるジゼルは感動的ですが,夜明けが来たときに2人は別れなければならない。そして,別れの最後の瞬間もアルブレヒトの目には彼女は見えない・・・。

ジゼルが最後に残していった一輪の花を手にアルブレヒトは立ち尽くします。
そして,そのときの清水さんの表情は,登場したときよりは視線は上を向いていますが,やはり「呆然」としか形容のしようがないものでした。この抜け殻のような表情で,アルブレヒトはこのあとの一生をすごしていくのでしょうか・・・。

たいへん悲しい物語でした。

 

・・・と,私は思ったのですが・・・プログラムのあらすじには,「二人は・・・(略)・・・踊るにつれ,互いが生前にもまして深く愛しあっていることを確かめあう」とか「アルブレヒトは・・・(略)・・・もはや会うことの叶わぬジゼルの面影を胸にいだき,新たに進むべき魂の径に就く」と書いてあるし,演出の清水さんの難解きわまりないプロダクションノートにも,もっと前向きな話のようなコトが書いてあるので,全然違うのかもしれませんねえ。う〜む???

 

2幕で独自の演出かな,と思ったのは,墓の上に立つジゼルとアルブレヒトに対してミルタがロ−ズマリーの枝を向けるところ。
普通は,枝が折れて,2人の(あるいはジゼルの)愛の強さを感じさせるわけですが,それではわかりにくいという考え方からでしょうか,ミルタ以下のウイリーたちが,何かにうたれたかのように,片手を上げ身体をねじって顔をそむけていました。(説明がわかりにくくてすみませんー)

それから,パ・ド・ドゥだけ上演される場合の最後と言えばいいのかしら,通常,アルブレヒトがジゼルの後を追って下手に去るところ。あそこで,ウィリたちがアルブレヒトの行く手を遮っていました。で,舞台に残ったアルブレヒトに,ミルタが踊るよう命じて,普通はコール・ドが踊る音楽でもアルブレヒトが踊リました。
このソロは「・・・」でしたが(いや,それ以外のソロもかな),でも,清水さんの場合,あの年齢であれだけ踊れること自体が驚異的なわけで,私の不満を解決していただくには,そういうシーンをカットするしか方法がない。まさかそういうわけにもいきませんものねえ。

 

装置は,1幕は最初に書いたとおりですし,2幕も,墓の周りや舞台後方にたくさん草が茂っていて,通常よりは装飾的だったと思います。

1幕の衣裳はすごかったです。
コール・ドは,色調は落ち着いた茶色とか緑なのですが,スカートの上に小花模様のドレープのエプロン(オーバースカート?)が乗っているのよ。しかも,髪に三つ編みやらたくさんの花やらがついている。ううむ・・・。ジゼルは薄いブルーで簡素なデザインですし,髪につけた花も耳の後ろに一輪程度でしたが,主役が一番地味でいいのかなー,と首を捻ったり,ジゼルの清楚さが際立つという意図なのかなー,と思ったりしました。

貴族たちは,女性はまあ普通ですが,男性は,非常にかさばったデザインでしたねー。フェリペ2世みたいな大きなベレー帽なんかかぶってしまって,派手でした。決しておかしくないので,感心しましたけどー。

2幕も,普通のウイリーと大きく外れてはいませんでしたが,スカートの生地の分量は多かったかも。そして,ジゼル以外は,多少の光りモノが付いていたし,髪には三つ編みとかティアラとか白い花とかが・・・。主役が一番地味で(以下同じなので省略)

あ,清水さんの2幕は,形容しがたい薄い色のタイツで(もしかすると1幕と同じ色? 照明が違うからよくわからない)上半身は黒で装飾皆無でした。異様に地味で違和感が大きかったですが・・・喪服という意味でもあったのかしらん?

 

というわけで,衣裳・装置の独自色も含めてアレコレ考察できるし,演出・表現面でも見るべきものが多く,堪能しました。

森下さんのジゼルさえ見られればあとはいいわね,という失礼な心境で見にいったのですが,清水さんも金田さんもよかったし,概ね満足できる公演で,とてもよかったです。

(03.5.4)

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