周璇は1918年、江蘇省常熟県の生まれとされていますが、正確なところは
未詳。
幼名は小紅、別名嘯紅とも。
生家が貧しかったため生後早い時期に上海の周家に養女として出されたよ
うです。

1930年、12歳で学校を辞め歌舞団に入り芸能生活を開始する。

1931年、音楽家として有名な黎錦暉の主催する明月歌舞団に入団する。
ここでピアノと普通話を学んだ。(このころは芸名は周旋であった)

1932年、いわゆる上海事変に際して愛国歌「民族之光」を歌い、一躍有名
になる。この頃より周璇と名乗るようになった。
あわせてラジオなどにも出演し、「金嗓子」(ゴールデンボイス)といわれる
ようになり,上海の十大歌星にも数えられるようになる。
その後新月歌劇社(のち新華歌劇社)に移った。

1935年には映画「風雲兒女」に出演する。(但しまだ端役であった)
その後1936年にかけて数本の映画に出演する。

1937年袁牧之監督の「馬路天使」に歌女小紅役で主演、その可憐さと歌声で
大成功を収め、一躍トップスターの地位を獲得する。

1937年から1941年の間に約20本の映画に出演、いずれも好評で歌える主演
女優として常にトップの地位を保つ。

私生活では1938年最初の夫厳華と結婚する。(1941年離婚)

1942年は離婚の痛手などによりほぼ引退状態にあり、1943年から45年
まで3本の映画に出演した。

1945年、日本敗戦に伴う上海開放に際しては、漢奸として法廷に立つことに
はならなかったようだが、混乱を避けその活動の中心を香港に移した。

1946年から49年の間に歌女之歌、清宮秘史、彩虹曲等の映画に出演。

また香港時代に結婚をし男子をもうけるが再び離婚する。

1950年に上海に戻り「和平鴿」に主演するが、その撮影中に発病し療養生活
にはいる。

療養生活中に再び結婚し第二子をもうけた。

1957年、いったん歌手としての活動を再開したが、9月22日日本脳炎の為
上海で急逝。
享年39歳。