2000年の12月に、香港であの姚莉さんにお会いすることができました。
香港の友人Stevenさんが、2000年の9月に行われた呉鶯音さんのコンサート
で偶然姚莉さんの息子さんと知り合いになり、その縁でご本人とお会いしたことを
きいて、東京で「イーナイーナ」と騒いでいたら、じゃあということでアレンジしていた
だき、お会いできることになりました。
お会いしたのは12月17日(日曜日)です。
ここでまず簡単に姚莉さんのご紹介をしておきます。
姚莉さんは1921年生まれ、16歳でデビューして以来上海香港を通じて國語時代
曲の最高の歌手の一人として長く活動された方です。
代表曲としては、皆さん良くご存知のRose rose I Love youをはじめ、秋的懐念、
小放牛、大江東去、賣相思等々多数の曲が上げられます。
又そのお兄さんは中国時代曲を代表する作曲家の一人、姚敏です。
日曜の午後の銅羅湾は大混雑
待ち合わせは銅羅湾ジャンボそごう前(笑)、お話自体はExcelsiorHotelの喫茶で
伺いました。といってもこちらは普通話も広東話もからっきし、せいぜい怪しい英語
を使うくらいなので、Stevennさんと姚莉さんの会話の間隙を縫って質問させてもらう
というような感じでしたが。
Stevenさんと
第一印象はとてもきりっとした方だなあということです。やっぱりスターの持つオーラ
見たいなものでしょうか?周囲の人とは違ったなにかがありました。
小柄な方で、若干足がお悪いようでしたがしっかりとした足取りでとても79歳の方と
は思えないかたでした。
お話をさせていただくと又、とても愉快な、楽しい方でした。11月にシンガポールへ行
かれたらしく、そのときの写真や向うでファンの方にもらってきた昔のブロマイドなども
見せていただき、「是はずっと捜してたのよ」なんておっしゃっていました。
向うでは、雲雲さん(三輪車上的小姐)などとチャリティショウに出演されたそうです。
私と
色々伺ったのですが、私の語学力の問題のため断片的にしか書けなませんので
ご了解ください
1。周センについて
周センについてはとにかくすごい大歌手だといっていました。大歌手で大女優という
稀に見る存在、そして私(姚莉)は周セン、厳華夫妻によってこの世界でスターになれ
たのですから、この2人は私の恩人です、とおっしゃっていました。
2.服部良一さんについて
彼には、喇叭伝情、留恋、海茫茫の3曲を作ってもらいましたと言っておられました。
また彼は天才ですねとも。あと息子の克久さんについても知っていますと。
3.歌手として
上海時代歌手としてはどういう仕事が多かったのですか、とお伺いしたところ
ナイトクラブなんかもあったが、一番メインだったのは電台(ラジオ局)ね、6時間ぐらい
ラジオ局にいて、リクエストで歌うのよ、とのことでした。
4.日本について
日本について思い出はありますか、とお伺いしたところ(50年代に来日されています)
箱根で温泉に行ったこと、浅草に行ったことなどを覚えているとおっしゃていました。
又呼んでくれたら行きたいですね、とも
あと陳芬蘭(台湾の60年代の歌手です)さんが結婚して日本にいると教えてください
ました。
5.支那の夜
何のタイミングだったか忘れたのですが、この唄の話が出てStevenさんがどの曲?と
きいたら、日本語で「しーなのよーる」と口ずさまれたのにはびっくりでした。
6.鉄三角
お兄さんの姚敏さんの話の中で
姚敏作曲、陳蝶衣作詞、姚莉歌 を鉄三角といってヒット間違い無しだったのよと
おっしゃっていました。(陳蝶衣氏は鳳凰于飛、花外流鶯、前程萬里、情人的涙など
代表的な國語時代曲の作詞家)

大変有意義な時間の最後に、「日本のファンの為に」ということでメッセージをいただき
ました。
普通話です。録音状態が余り良くないのですが、もしよろしければお聞きください。