1999年03月 かきかき 以前のページへ

3月31日 (ねこの系譜)
以前話したように、俺は昔からねこ派だ。今日帰りの電車の中で、俺のねこ好きのルーツについて考えた。俺の初めてのねことの出会いは、いなかっぺ大将のにゃんこ大先生に違いない。俺は2才で保育所に入ったのだが、その頃からいなかっぺ大将の大ファンで、黄組さんながらいなかっぺ大将のだいざえもんと、にゃんこ大先生のプリントされた座布団を愛用していたのだ。わが家は小さい頃から犬(クロ)飼ってたから、2才の俺が外でねこと会う機会は殆ど無かったはずなのだ。そんなわけで、俺は昔から犬も好きだったけど、どうしてもねこを飼いたかった。

その夢が実現されたのは、高専に入って一人暮しを始めてからだった。ソーセージにつられて下宿に迷いこんできたネコを、ブレンビーと名づけて可愛がった。卒業時に下宿から俺の実家に愛猫を連れて帰ったとき、母にねこの名前をブレンビーだと教えた。その晩母は、ぶ、ぶれんびぃ...と呼んでいたのだが、翌朝、母がご飯(猫マンマ)を持って、たまーっ、たまちゃーんと呼ぶと、にゃぁーっにゃぁーっと近づいてきた。環境への適応力は抜群のブレンビーなのだった。たまは、俺が厳選したキャットフード"日本猫"を与えただけあって、煮干の頭だけ残してボディを賞味するという、なかなかのグルメぶりだった。そのブレンビーも、残念ながら2年前に死んでしまった。...全く惜しい猫を亡くしてしまいました。俺が家を建てたら、また可愛い猫ちゃんを飼って、そのうち2代目たまを襲名させるのだ。

今日で3月も終わり... 来月もよろしく。

3月30日 (S-2000)
最近、魅力的な新車がたくさん出ている。俺が一番気になるのはホンダのS-2000に決まってるが、どの雑誌を見てもこの車の話題でもちきりだ。なんつーても自然吸気で最高出力250馬力というエンジンは、ひじょーに魅力的だ。これ、ほとんどレーシングカーのエンジンやんけ、こんなの市販しするな、ボケ!圧縮比12というのは市販車両ではほとんど限界の数値で、量産するなんて今でも信じられん。俺のロードスターはもともと9くらいの圧縮比を、ハイコンプピストン入れて10.2くらいに上げとんのに。パワーだって数年前まではリッター当たり100馬力で大騒ぎしとったのに、S-2000は125馬力も絞り出しとんだから許せん。俺のロードスターは60万円以上お金かけて、ハイカム入れたり高圧縮ピストンまでいれてやっと144馬力だぜ、フフフ... (興奮して、ちょっと言葉が乱れてしまった)

でも、気にくわんことも多いぞ。メータはディジタルでカッコ悪いし、リアトランクに埋め込まれたでっかいハイマウント ストップランプも気にくわん。三連メータ埋めこむスペースもなさそうだし、標準装備のエアコンにパワステ、パワーウインド、どれも俺には必要ないんぢゃ。(パワーウインドなんかにしてしもたら、アルミのハンドルが付けれんやないか。) なんつーても車重が1トンを切る俺のロードスターは、馬力なんかなくても最高なんぢゃ。俺は死ぬまでロードスターに乗るぞ。(乗ってて死ぬという意味ではない。)
俺はバイクに乗っとった頃からホンダ嫌いなんやけど(カワサキ派)、ホンダにFRを作られちゃぁ困る。...ちょびっとだけホンダが好きになりそう。

桜の開花宣言が出ているというのに、また寒波がやってきた。今日は日中の最高気温が7度と、東京はまた冬に逆戻りなのだ。おぉ、さむっ。...話は変わるけど、焼肉が食べたい。

3月29日 (臭いぞ、おばちゃん)
今日、いつものように朝7:35発の東西線に乗り込み、おばちゃんの隣に空席を見つけて座った。その10秒後、俺は自らの過ちに気付いた。その40半ばのおばちゃんは、とても香水臭かったのだ。しかし気付いたときは、時既に遅しといった感じで、もう席はサラリーマンで埋め尽くされていたのだった。結局日本橋まで約40分の間、匂い地獄の中で俺は眠ることも出来ず、そればかりか幼き日の楽しい思い出までもが失われていくような気がしたのだった。あぁ、これぞまさに通勤地獄...

今日アムロがテレビに出ていた。Hey Hey Heyの生放送特番に出演していたのだが、例の事件後、初のテレビ出演では無いだろうか。元気そうな姿を見て、心優しき俺はちょっぴり感動した。ダウンタウンの松本が、「どう対応してええのんかよく分からんけど、あとでコーラおごったる」と言っていた。なんと勇気の出る言葉なのだ、やっぱり松本は天才だ。

3月28日 (和製プリンスの行方)
俺は岡村靖幸というミュージシャンが好きなのだが、最近全く新曲を出してくれない。岡村靖幸はとてもくせがあって、気持ち悪いと言う人もいるが、俺は彼が天才だと思っている。(和製プリンスと呼ばれていた...) 彼曰く、シンガー ソング ライト ダンサーなのだが、噂によるとデブデブになってしまい、今はコンサートが出来る状態じゃないらしい。彼の最も有名な曲は、TV CMでも使われた"だいすき"なんだけど、それ以外にもいっぱい名曲がある。中でも"友人のふり"というバラードは、詩も曲も最高で気に入っている。以前、渡辺美里と付合っているという噂があり、"19才の密かな欲望"という名曲を彼女に書いたこともあった。最近では、川本真琴のプロデュースを手掛けていたけど、そう言えば最近彼女も見掛けないような気がする。

俺は200枚くらいCDを持ってるんだけど、最近は余り買ってないから古いのばっかりだ。俺の持っているCDで、古いところでは大滝詠一の"ロングバケーション"('81 リリース)や"Each Time"('84 リリース)がある。確かCDプレーヤが発売されたのが'81で、CDソフト第一弾の一つが"ロングバケーション"だったよーな気がする。(俺がこのCD買ったのは'86年。) ジャケットに\3,500とプリントしてあり、歌詞カードの最後に"ディジタルオーディオシステムの特徴"という記事があるのが泣かせる。この中でも、俺は"カナリヤ諸島にて"という曲が好きだ。岡村靖幸と違って、この"ロングバケーション"というアルバムは万人向けでお薦めできるから、一度聞いてみてはいかが...

3月27日 (Fluke87)
俺は仕事柄、ディジタルマルチメータというツールをよく使う。マルチメータと言うのは、電圧、電流および抵抗が測定できる計器の一般的な呼名だ。本日無事、クウェートに行ったときに買った、USA Fluke社製のマルチメータを会社からくすねて、自宅に持ち帰ってきた。いつも色々と会社のお世話をしているんだから、このくらいの報酬は当然なのだ、給料カットだし... ポータブルマルチメータの世界では、フルーク87といえば一流品で、どこに出しても恥ずかしくないツールのひとつだ。日本で買うと4万円ぐらいするみたいだけど、俺がクウェートで流した汗と涙?に比べれば、ただ同然だ。

俺は工事出張する際に、必ず自分のツールを持参する。俺は普段からKTC(京都ツール)社製のツールを愛用しており、仕事でも自分のツールを持参する。これはプロとして、最低限の身だしなみみたいなものだ。KTCのツールは、日本で最高級のクオリティだと俺は確信している。KTCブランドは俺にとって、学生時代からの憧れの一品だったのだ。フルーク87と、KTCの工具を腰に下げた現場の俺は、最高にかっこいい。インド人ワーカー憧れのエンジニア像だったに違いない!(実際、フルークのマルチメータは、現地インド人作業員の月給よりも高価なのだ...)
マルチメータでコンセントの電圧を測ると、104.1ボルトだった。さすが東京電力...

3月26日 (壊れゆく老兵に感謝!)
今日、訳あって、エンジニアリング専業3社の若手計装エンジニアと飲む機会を得た。俺の印象では、この先プラント業界も厳しい冬の状態が長く続くな、と痛感した。みんな甘いよ、海外のエンジ会社につぶされちゃうよ、こんなんじゃ。業界の危機感というのは以外に薄く、アメリカのエンジニアリング会社を見てきた俺には、日本の弱さが目についてしょうがなかった。アメリカで様々な経験が出来て、俺は本当に恵まれていると感じている。ありがとう、AWM部長(壊れゆく老兵殿)!今、報告書まとめてるから、もう少し待っててね。

明日は嫁さんの実家で、1週間ぶりの栄養補給を行う日だ、さらばコンビニ弁当... 今晩から母上様が、明日の料理を考えてくれているようで、なんとも嬉しい限りだ。持つべきものは義理の母!といった感じで、実は鮭のムニエルよりも、ブリの塩焼きが好みなんだけど... マスオさんも悪くないなと思う、今日この頃だ。これで嫁さんの実家が広ければ、言うことなかったのだが...

友人Kさんからメールが入っていた。なんと友人Kさんは俺より1歳年下ながら、昨日話したラジアメ (大橋照子のラジオはアメリカン)のリスナーだったのだ。これには、本当にびっくりした。ラジアメを知っている人なんか、身近にいると思わなかった。構成の鶴間さんを覚えているとは、Kさんは相当のツウです。じゃぁ、歯ブラシの歌とか知ってるかな?結構古いから、もしかしたら知らんかな。でも世間は案外狭いのだった。

その友人のKさんが、明日結婚式を挙げます。おめでとう、どうぞ末永くお幸せに...

3月25日 (Best Song)
俺の最も好きな歌、それは"秋の気配"という歌だ。オフコースの曲で、もう20年近く前の曲だけど、これが最高にすばらしい。オフコースといえば"さよなら"や"YES-YES-YES"が有名だけど、秋の気配の方がもっともっと心にくるのだ。中学2年の時に、夕方6時からやってたNHK-FMの"夕べのひととき"という番組で聞いたのが、この曲との初めての出会いだった。以来、この曲を超える名曲は俺の前に現れていないような気がする。もし機会があったら聞いて見てね。

"夕べのひととき"で思い出したけど、俺は昔、結構なラジオ少年だった。俺がラジオに興味を持ったのは、小学4年生の時に、雑誌"科学"(学研)の付録だった"ラジオ組み立てキット"を、一つ年上のいとこの女の子からもらったのが始まりだった。単三電池1本で機能するラジオのイヤホンから流れる音声に、胸をときめかせたのだったのだ。それ以来よくラジオを聞くようになり、中島みゆきのオールナイトニッポンなんかを、小学生ながら時々聞いていた、もちろん自作ラジオで。当時俺が最も気に入っていた番組が、日曜日の夜10時15分からニッポン放送で流れる"大橋照子のラジオはアメリカン"という、30分の番組だった。結構面白くて、人気がある番組だったから、もしかしたら知っている人もいるかもしれないね。
中学に入ると、毎日放送(大阪)の"ヤングタウン"をよく聞いた。これはとてもメジャーな番組だったから、関西出身の人なら誰でも知ってるはずだね。俺が聞いていた頃は、月曜日のパーソナリティが明石家さんま、火曜日が嘉門たつお、水曜日が原田のぶろう(あのねのねの清水じゃない方)、木曜日が島田新助、金曜日が谷村新司だったと思う。うーん、なつかしいなぁ...

3月24日 (ココナッツボーイズ)
今日仕事から帰って来てTVをつけると、なんとCCBの"ロマンティックが止まらない"が流れてきた。ものまね番組だったけど、途中から本物が現れるという、よくある設定のやつだ。15年ぶりに裏声で歌いながらドラムをたたくRyuを見れて、ホントに良かったよ。もう死ぬまで見れないだろうからね。さらにこのものまね番組で、渋谷哲平の姿まで拝めてしまった。彼は昔よりも太っていて、文句無しの立派なオヤジだった。それにしても、あべ静江のSPEEDのものまねだけはいただけなかった。公共の電波を使って流してはならないものもある。

3月23日 (切腹男)
タイヤメーカのブリジストン本社で、凄い事件が起こった。リストラにあった元社員が社長室に立てこもり、リストラ先での待遇の悪さなどを社長にぶちまけたあと、包丁で切腹したのだ。うちの会社はじぇんとるまんの集まりなので、誰も社長を襲ったりはしない。さすがに給料カットされちゃったら、もともと薄い労働意欲がますます無くなるけどね。新入社員なんか入社直後に出向・給料カットだなんて、ほとんど詐欺に近いね。
新しい仕事が無いから、会社も新しいパソコンをなかなか買ってくれない。俺はPentium/75メガという、化石の一歩手前のマシンを仕事に使っている。もともと500メガバイトしか無いハードディスクにウインドウズ95をインストールし、それに加えてエクセル97・ワード98をインストールしている。にもかかわらず、まだ240メガバイトのスペアが残っている。これぞ究極のカスタムインストール、激ヤセ宮沢りえ?といった感じ。しかしこの程度でくじけてはいられない、うちの部署ではDX4/75メガも現役マシンなのだ。

3月22日 (牛丼論)
今日、牛丼の吉野家(新宿)で、約1年ぶりに牛丼を食った。吉野家では、色々とスペシャルオーダができるのをご存知だろうか。"つゆだく"といえば、おつゆをいっぱいかけてくれるし、"頭(かしら)大盛り"とたのめばご飯が並で、牛丼の具を大盛りにしてくれる。(もちろん値段は大盛り料金。) 玉葱なしの"ねぎぬき"とかも可能だ。俺は通常、並盛の牛丼に七味をたっぷりかけて、コールスローサラダと一緒に食う。最初は薄味の吉野家の牛丼が好きになれず、関西の濃い牛丼の方がうまいと思っていたが、なれるとこれも結構うまいのだ。
今日、俺の隣で牛丼を食っていたオヤジはかなりのツウだった。大盛りの牛丼を頼んだところまでは普通だったが、それに加えて牛皿(大盛り)と卵をオーダした。肉の好きなオヤジだな...と思っていたら、そこからが普通のオヤジとは違っていた。卵をかき混ぜたと思うと、まるですき焼きでも食うように、牛皿の肉を卵につけて食べ始めた。そうか、そういう食べ方もあったのか、オヤジなかなかやるな...

3月21日 (栄養補給)
おぉ寒っ、寒ーっ。今日は日中の最高気温が6度くらいしかなくて、東京は一気に真冬に逆戻りといった感じだ。今年はもういらんだろうと思ってたダウンジャケットを引っ張り出してきて、着てしまった。ニュースでは来週には桜が咲くとか言ってるけど、本当かなぁ。早く四国に帰りたいよ、四国は東京より1ヶ月は早く春が訪れるからね。

今週は、うちの嫁さんの実家に泊まりに行った。ファミリーマート弁当が続いていたので、そろそろ栄養補給も必要なのだ。義父が魚好きなので、おじゃまするとたいてい魚を食べる事が出来る。刺身とブリの照焼きを食べて、大満足の夕食だった。翌日、帰りの車の中で、義母が面白い事を言った。「ここのカーブ、帰りはいいんだけど、行きは強くブレーキをかけないと曲がれないのよねェ、なんでかしら...」 そっ、それは、カーブの内側の方が、半径(R)が小さいからじゃないかな...
人の事ばかりは言えず、うちの実母も似たようなことを言っていた。「ロサンゼルスまで来ると、さすがに日が長いわねェ...」 そっ、そうかなぁ、比べにくいなぁ...

3月20日 (ちょっとすごい野口五郎)
最近、昔のアイドル"シブガキ隊"のメンバーも見掛けなくなってきたと思っていたのだが、ここ数日年休を取ってお昼前のテレビなんかを見ていると、しょっちゅうヤックン(薬丸ひろひで)が出現する。俺の知っているヤックンは、今はなき土井まさる司会のクイズ番組"ヒントでピント"に情熱を注ぐ、回答者ヤックンなのだが。俺が最近彼を見掛けなくなったのは、どうも彼の活躍の場が移ったためらしい。まったりとした時間帯の奥様バラエティ番組で、相変わらず情熱ゆえムキになるヤックンがいたのだ。そう言えば"たのきんトリオ"の面々も最近見掛けなくなったけど、元気にしてるだろうか。そう考えると、今でもよくテレビで見掛ける西城秀樹や郷ひろみは、結構すごいんだなぁと思う。(たまに見掛ける野口五郎も、ちょっとすごい。)

3月19日 (社運を賭けたチタン鍋)
俺の炊飯ジャーは、世界一の炊飯ジャーだ。ナショナル ダブルIHで、泣く子も黙る鍛造厚釜だ。俺が18の時、一人暮しするために炊飯ジャーを買いに行ったのだが、そこには5号炊きで4万円の値のついたナショナルIHジャーなるものがあった。結局俺は9800円の別の炊飯ジャーを買ったけど、いつの日か炊飯ジャーの最高峰を手に入れる事を誓ったのだった。その夢をかなえてくれたのが、3年前に手に入れたナショナル ダブルIH炊飯ジャーだ。(5合炊きでナント5万4000円!) 5mmはあろうかというステンレス+アルミのサンドイッチ構造の鍛造厚釜は、エンジニアの所有欲をも魅了する輝きを放ち、3年経った今も全く色褪せていない。電気炊飯ジャーのお釜を、コスト無視で本気で作るナショナルには頭が下がるね、これだから家電メーカの頂点を長年キープできてるんだと思うよ。平凡なメーカでは、コストの高いステンレス鍛造のお釜なんかアイデアも浮かばないだろうし、浮かんだとしても設計段階で却下されるだろうね。

俺の会社は不況でつぶれかけているけど、うちだけのオリジナリティが無いんだから、それも仕方がない。俺は絶対にお釜の世界に参入すべきだと考える。次はチタンの時代なのだ。高い熱伝導性と超軽量のチタン製の鍋はヒット間違い無し、高価でも必ず売れるはずだ。バイクのマフラーだと、チタン手曲げといえば最高級なのだが、どうも人々は手曲げとか手作りという言葉に弱い。"〇井造船の名工が手掛けた手溶接チタン鍋"、これで決まりだ。俺が次に炊飯ジャーを買いかえるとしたら、チタン厚釜採用の炊飯ジャーしかないのだぁ。

話は変わるが、天地真理が激太りのあと、激ヤセしたらしい。なんでも66.5キロまで肥え、その後3ヶ月間で49.5キロまで減ったらしい。俺も今別居中でファミリーマートに養ってもらってるから、そのうちやせるだろう...

3月18日 (便所よ)
俺は2才の時から保育所に通って英才教育?を受けてきたんだけど、あお組さん(5才)の時にどうしても納得いかない事があった。幼稚園は女の子も男の子も共用のトイレで、その入り口に"べんじょ"とひらがなで書かれていた。幼い俺は、まだひらがなの読みが完全ではなく、"便所よ”と書いていると思った。早い話が、大きい"よ"と、小さい"ょ"の使い分けがよく分からなかったんだな。なんで一緒のトイレなのに、女ことばで書くのだ!と便所に行く度に、不満の気持ちを抱いていたのだ。かれこれ24年も昔の記憶だが、こんなどうでもいい事は早く忘れて、もっと覚えておかないといけない事があると思うんだが...

今日、新宿にある秘密の釣具屋を訪ねた。別に何も秘密じゃないんだけど、まるで秘密の隠れ家のような、こきたないビルの2階にあるのだ。そこで俺が85ドルで購入した50年代のクレイジークローラと、全く同色、同程度(箱付き新品)のルアーを発見した。売価は2万3800円と、俺が買った値段の2倍強の値段だった。ぐふふふふ...

3月17日 (宇多田ヒカル)
今日久しぶりに邦楽CDを買った。洋楽CDは時々アメリカで買ってたけど、邦楽盤は久しぶりなのだ。そうそう、海外出張から帰った時に、一番浦島太郎状態を実感するのが邦楽のヒット曲だ。今回も例に漏れず、日本では俺の知らない"宇多田ヒカル"っつうのが流行っている。今CDが売れまくってる16歳の新人ヴォーカリストなんだけど、デビューアルバムの売上げがいきなり200万枚を超えたんだって。CDが売れたといっても、団子三兄弟を唄っているお姉さん(茂森あゆみ)じゃないよ。藤ケイコ(私の人生暗かった...の歌の人)の娘で、テレビにもほとんど出てこないところが逆に若者の心理をくすぐって、今大ブレイク中らしいのだ。以前、日本の音楽界はとても元気がいいと、CNNか何かで扱われていたのを見たけど、本当なんだね。

今日、NTTドコモのケイタイを買った。以前より基本料金も、通話料も安くなってた。これで田舎に帰った時も、快適に使えるね。俺の買ったケイタイはとても小さくて、68グラムと超軽量だ。1年余りの間にこんなに小さくなって、通話時間も長くなって、進歩の早さには驚かされる。あととても賢くて、電話機に話しかけると自動認識して相手の電話番号が呼び出される。すっ、すごいよこれは。こんなちっちゃいボディの、一体どこに小人が...

3月16日 (裕次郎13回忌)
朝10時ごろから裕次郎13回忌ということで、西部警察の再放送をやっていた。ちょうどマシンX(Skyline 2000GT EX Turbo)が登場する回で、なかなか面白かったけど、今見ると結構チャチいところが目に付いた。コンピュータ搭載のマシンXだけど、事件解決後に6型くらいの古臭いモノクロテレビに"イツケン ラクチヤク"と表示されたのには驚いた。小文字も表示できないのか... マシンXにはカメラも搭載されているが、あれがニコンF3だとは知らなかった。俺はニコン信者だから、少し嬉しかったのだ。
最高速度の設定が240 km/hというのも泣かせてくれる。当時は相当ふっかけた数値だったんだろうけど、今のGTRならライトチューンでいけそうな数値なんだけどね。タイヤは思ったよりも太くて、195ぐらいはあったんじゃないかな。当時の標準車は155ぐらいだろうから、頑張ってたほうだ。当時の記憶では、改造に1200万円かかってるとニュースになってたんだけど、どこに1200万もかけたんだろう。やっぱりコンピュータかな。当時はまだNEC98シリーズも登場する以前の話だから、結構高かったはずだ。明日も再放送やるのかな、楽しみだ。(ちなみに今年休とって休んでいます、怒りの10連休なのだぁ。)

3月15日 (引越し完了)
祝!ホームページ引越し完了です。熱烈なHiro's Roomファンの皆様、これからもよろしく。プロバイダは悩んだ挙句、結局So-Netにしましたが、Webスペースが5MB固定と少々物足りなさを感じます。今のところ4メガ弱なので問題ありませんが、窮屈になったらプロバイダを替えるかもしれません。まぁ、しばらくはこれでいけると思いますが...

契約していたケイタイ電話が、海外出張から帰って来たら動かなくなっていた。バッテリがだめになってしまったらしく、充電しようとしてもちゃんと充電出来ないのだ。完全に放電させてから出張したんだけど、それでもダメみたいだ。リチウムイオンバッテリは、ノートパソコンみたいに充電器にさしっぱなしの方がいいのかもね。そろそろ新しいケイタイに替えたかったこともあり、結局ツーカは解約してしまった。俺の古い番号をお持ちの諸君、その番号はもう使えないからね。

3月7日 (引越し)
引越しの荷作りがやっと一段落しました。今夜中の1時20分です、あぁ眠ぅ。このアドレスでHiro's Roomが見られるのも、今日が最後です。熱烈なファンの皆様、短い間でしたがご愛顧ありがとうございました。また日本でオープンしたらよろぴく。

3月6日 (プロバイダ)
昨日の独り言のタイトルは、ちょっとシュールすぎたかな。でも俺だけじゃなくて、みんなそう感じている事実なんだよ。歳とっても、ああはなリたくないよね、みんなも気をつけようね。

日本でのプロバイダ選びで頭を悩ます今日この頃だけど、今のところSo-NetかBiglobeにしようかと考えている。ソネットは4月から150時間3,000円のサービスが始まり、これがかなり魅力的なんだけど、個人用Webスペースがたったの5MB(固定)しかないのが引っ掛かる。かたやBiglobeのほうはというと、15時間2,000円のコースの上は50時間5,000円と、いまいち魅力的な料金コースが無いのだ。ホームページをメンテしてると、15時間じゃ十分とは言えないからね。今のところこのページは3.5MB程度だから、ソネットで契約して、いらない記事を削除しながらやっていこうかなと考えているのだ。そのうちソネットも、10MBぐらいに拡張出来るようになるだろうし。

3月5日 (壊れゆく老兵)
最近、俺の親分は壊れかけていて、みんなに敬遠されがちだ。しょうもない事で意地を張り、来月から給料0.9の若きビジネスマネジャーにも迷惑をかけている。(俺も0.9だけど...) 人の陰口はたたきたくないけど、黙ってはいられないほど最近はひどいのどぁ!歳をとると子供に戻るというのは、どうも本当らしい。人の家庭にちょっかいを出すよりも、定時で退社しても新宿の立ち食いそばで外食しなければならない自分の家族事情を心配しろというのどぁ。(ちょっと厳しすぎ?) ともかく9ヶ月も密室の中、2人きりで仕事を共にしてきた自分は偉大だと感じる、自分で自分を誉めてあげたい今日この頃だ。頑張れE藤さん、あとはよろしく。

3月4日 (24段変速)
なに!プレステ2のCPUは128ビットだとぉ!プレステの何倍もするパソコンが未だに32ビットだというのに、なんでまた?でもホントに128ビットのCPUなんて必要なの?だって今のプレステは32ビットだけど、グラフィックは十分きれいだし、昔のゼビウスみたいにたくさん敵が現れても遅くなったりしないぞ。128ビットのCPUっちゅうのは24段変速のチャリンコみたいなもんで、実は12段変速とさほど違いがないんじゃないのか?それとも動作クロックが28.8 kHzと、モデム並みの速さとか... 64ビットを飛ばして128ビットにいったは、やっぱりニンテンドー64を意識したんだろうな。でもそんなに安易で簡単な問題? ...ともかく、出たら買おう。

3月3日 (カリフォルニアロール)
帰国日がだんだんと近づいてきた。昨日部署の人達が送別会をやってくれて、日本料理を食べに行った。ロサンゼルスは日本料理屋がたくさんあって、それほど珍しくはないのだけれど、なにかある時は日本料理を食べに行く事が多いのだ。日本で寿司なんか高くてほとんど食べないんだけど、こっちでは結構食べている。中でも舟寿司(近くの寿司屋)のカリフォルニアロール(アボガドの巻き寿司)は最高で、同じ味が再現出来たなら、日本でも大ブレイク間違いなしだ。
以前一度だけVons(スーパー)でカリフォルニアロールを買った事があるんだけど、アボガドがまだ十分に熟れてなくて非常にまずかった。カリフォルニアロールは寿司屋で食うべし。

3月2日 (ファミコン登場)
小学生の頃、俺はテレビゲームがしたくてしょうがなかった。唯一、ひとつ年上のケンジ君がカセットビジョンを持っていて、時々遊びに行っていた。スペースギャラクシァンは難しいなぁ、げ、またやられた!とか、やっぱりきこりの与作はおもろいのぉ、うわっ蛇やんけ!げげっ、いのししがっ!とか言いながら。中学に入って、もっとすごいのを持っている奴が現れた。シャープの高級ゲーム機、インテレビジョンだ。ビートたけしがコマーシャルしてたやつで、49,800円もしたのだ。野球ゲームとか、カエルがぴょこぴょこ跳ねるやつとかあったけど、ぜんぜんおもろくなかった。

ファミコンが登場したのもその頃だ。友人の家で、フォーメーションゼットやベースボールに狂じたものだ。ファミコンの最初の大ヒットゲームはゼビウスだと思うけど、それはそれは感動ものだった。きこりの与作から3年の月日が流れていたが、カセットビジョン時代のドット絵に比べ、ゼビウスの画像はCGと呼んで差し支えないレベルにあったのだ。俺の友達の弟は、ファミコンを持っててゼビウスがうまい(100万点を超える)という理由から、学級委員に選ばれたほどだ。

A: おー親指いてー、赤うなっとる。
B: どしたん?
A: ファミコンやり過ぎ...
B: なにやっとん、ゼビウス?
A: うん、昨日30万点いったんや。
B: うそー、ええなぁ。俺もファミコン欲しなぁ...

こんな会話が毎日繰り広げられる、のどかな良き時代だったのだ。

3月1日 (ゲーム機)
プレステが新しくなるらしい。今度はDVD ROMを搭載して、DVDのプレーヤとしても使えるようになるそうだ。もちろん今までのプレステのゲームソフトとも互換性があり、今まで通りにプレー出来るらしい。アメリカにいたから、セガのドリームキャストがどんな感じなのかよく分からないんだけど、いきなりピンチなんじゃないかな。セガは昔からなかなか天下が取れなくて、ちょっと可愛そうだ。でもセガは昔からとっかえひっかえ新しいマシンを発売して、古いマシンのユーザを見殺しにして来たから、そのバチが当たっているのだ。俺もその昔、セガのマスターステーションというゲーム機を持ってて、ファンタジーゾーン(ゲームの名前)に熱中していたのだ。しかし後継機のメガドライブが出てからと言うもの、ぜんぜん新しいゲームが出なくなって、寂しい思いをしたものだ。ざまー見ろ、セガエンタープライゼス。