Cattleya   warneri

纏わり付かれる蘭

 

原文・写真  A. A. Chadwick

翻 訳       花咲村  熊虞蘭土

   春の風情が薄れ始め、夏の太陽が天空から微笑みかける頃、ふと気が付いてみると温室は美しいブラジルのCattleya warneri (ワーネリー)で満たされている。気分を壮快にさせてくれるこの原種はそのライバルにラベンダーや紫を誇示し、ブラジルの秋咲き姉妹Cattleya labiata (ラビアータ) を連想させる。花期の明確な違いがなければ、花は互いに間違えられやすい。

 ブラジルの二大Cattleya原種 ―― C. labiataC. warneri ―― は、植物学上及び園芸学上縁のないもの同士ではない。Cattleya warneriを見るといつもCattleya labiataが浮かんでくる。これほど見るたびにその近縁種が浮かんでくる蘭は他にあまり例がない。Cattleya warneriC. labiataに似ているため、その過去は暗いものとなり、しばしばその将来も不安定になった。諸問題はそもそもC. warneriが正式に発見される以前に発生していた。

 一番最初にC. warneriを見つけたヨーロッパ人は、植物学者Dr. George Gardner(ジォージ・ガードゥナー博士)で、彼は1830年代末の現地踏査中ブラジル、ミナス・ジェライス州でそれを見つけた。C. warneriには不運だったのだが、Gardnerは所在が分からなくなっていたC. labiataを再発見したと思い込んでしまった。その結果C. warneriCattleya labiataとして蘭の名称という不思議な国へ迷い込んでしまい、25年間もそこから抜け出すことができなかった。

 1862年8月、当時の傑出した洋蘭栽培家Robert Warner(ロバート・ワーナー)が立派なSelected Orchidaceous Plants(セレクティドゥ・オーキダセアス・プランツ; 主要蘭科植物)を出版し、その書に “Cattleya warneri” という呼称で4枚の豪華なラベンダーの写真と植物学者Thomas Moore(トーマス・ムーア)によるその新種についての植物学的記載を載せたとき、すべてが一変した。C. labiataとは全く違う時期に咲くのだから、C. warneriC. labiata の1変種ではなく新種でなければならないとWarnerはその書面で指摘した。

 しかしながら、1880年代はC. warneriにとってあまり快適な時代ではなかった。この時期に、著名な園芸家James O’Brien(ジェイムズ・オブライエン) は、すべての大輪系カトレヤC. labiataの亜種でもまた変種でもなく、本来固有の種(しゅ)でなければならないという考えを支持していた。O’Brienはこれら二つの種は園芸的にはまるで異なり、別個の単一体であり、C. labiataには全然似ていないと論じた。彼が旧来のC. labiataのままにして置いた原種はC. warneriだけで、それはC. labiata に似ていて、ブラジル産だという以外明確な根拠が無いまま C. labiata var. warneriのままになっていた。

 しかしながら、時がたつにつれて、C. warneriは他の大輪系カトレヤと同じランクへ徐々に昇っていき、今日それは一般的に独自の種として受け入れられている。
Cattleya warneriには、C. labiataとは異なる特徴がいくつかある。Cattleya warneriの偽鱗茎はC. labiataより短く、ずんぐりしていて、株ももっとこじんまりしている。C. warneriの葉はC. labiataよりも幅広く、そして両者共に特有のダブル・シースだが、ブラジルのÉrico de Freitas Machado(エリコ・デ・フレイタス・マシャド)の最近の研究によるとこのダブル・シースも本当は同じではないのかもしれない。

 勿論、この2種の最も明白な違いは、Robert Warner が自筆の解説でそれとなく指摘した点、つまり両者の花期の違いだ。Cattleya warneriは合衆国では5月末から6月に咲くが、一方C. labiataは9月から11月にかけての秋咲きだ。この2種はまた新芽を吹く時期も異なる。すなわちC. warneriは秋から冬で、C. labiataは春から夏だ。生育及び花期の違いはC. labiataC. warneriを同じ温室の同じ棚に並べて栽培したときにも現れる。だからそれらはこの植物の生来の生態であって、一部の人が言うように、環境または地域的要因によって生ずるものではない。

 Cattleya warneriは、確かに晩春咲きCattleya原種のうちで、栽培するのが最も楽しみな種のひとつだ。そのラベンダー色は極めて冴えていて、大輪でしかも栽培しやすいので初心者にとっても熟達者にとっても申し分のない蘭だ。また色彩が非常に様々なので洋蘭収集家が魅力を感じる蘭でもある。

 この蘭は私が十代の時初めて輸入した蘭なので、私はC. warneriには特別な思い込みを抱いている。1946年、私は濃色の個体C. warneri 'Ardenholm' (アーデンホルム) を1鉢イングランドのStuart Low(スチュアート・ロー) から買った。その個体の出所は、イングランド北西部のCheshire (チェシャー) 州、Ardenholm, The Gardens (ガーデンズ;農耕地方の地名) のMr. W. J. Robertson(ロバートスン)だったので、この名称が付いている。当時に遡ると、イングランドではまだ10進法と12進法の魅力的な旧式の通貨制度を用いていた。1英国ポンドは20シリングだったが、1シリングはたったの12ペンスだった。蘭のような贅沢な商品は通常ギニー(金貨)で価格がつけられていて、1ギニー(金貨)は現在の1.05ポンドに当たり、21シリングで、ポンドの20シリングではなかった。ギニーは、1シリング多かったので、よく『金持ちのポンド』と呼ばれていた。シリングは銀貨で、ギニーは金貨だった。そして、それがギニーのデラックス・イメージを増幅させた。当時の5ポンド紙幣はとても大きかったので、イギリスの札入れに納めるには4つ折りに、アメリカの札入れに納めるには8つ折りにしなければならず、また、それを取り出し、拡げるのが結構面倒だった。その紙幣はティッシュペイパーと同じくらい薄く、それぞれの札には実際に生きている人の手によってインクでサインがしてあった。バター1ポンドが30セントだった1940年代の5ポンド紙幣は約25ドルに相当した。5ポンド持ってイギリスの洋蘭栽培家のところへ行けば、そこの温室の中の殆ど何でも手に入れることができただろう。私はC. warneri 'Ardenholm' に2ギニー払った。法外な価格だったが、私はそれが大いに気に入ったのだった。

  Cattleya warneriは均整の取れた花として知られているわけではない。これはC. labiataにも当てはまる特徴だ。 しかしながら、優れた型の個体も発掘されてきたし、1800年代末にはロンドンでRHSの賞を受賞したものもいくつかあった。


典型的なCattleya warneri.

 狭いペタルが真っ直ぐに展開し、冴えたラベンダー
色で、濃い紫の唇弁にクリーム色の目が入る

 

  C. warneri の殆どの alba はラベンダーよりも貧相で小さい。もっとも1903年に Peeters ( ピーターズ )が出展した或る alba の個体はFCC/RHSを受賞し、『極めて美しい大輪』だと品評されてはいるが。確かに1902年にVeitch (ヴィーチ) がCattleya Lady Veitch (warneri alba × lueddemanniana alba) という独自の異種交配を作るのに用いたC. warneri albaは傑出していたにちがいない。というのもこの異種交配は華麗な丸形の白花で、そのうちの2つがFCC/RHSを受賞したからだ。1940年代に私が所有していた個体Cattleya Lady Veitch 'Superbissima'(カトレヤ・レィディ・ヴィーチ・スーパービッシマ)は巨大輪の白花で、オーバーラップしていた。しかしながら、C. Lady Veitchの改造版は、片親に使ったC. warneriが貧相だった為、まったく平凡な花だった。今日合衆国で販売されていて、一般に入手可能な C. warneri alba"McPeak's Variety"(マックピークス・ヴァラィァティ)で、花がよく付き、栽培しやすいが、咲ききったとき、花が反り返り、ペタルもセパルも細い。こういった性質は望ましいものではない。

C. warneri var. alba ぺタルの幅が狭い       C. warneri lavender ぺタルの幅が広い

 

Cattleya warnerisemialbaの個体はむしろ珍しく、私がいままでに見た最高の個体は、1994年に Naturalia(ナチュラリア)によって出版されたL.C.Menezes(エレ・セ・メネゼス)のCattleya Warneriと題する素晴らしい本に写真が載っていた 'Itabirana' (イタビラーナ) だ。Menezesは、また彼女の本にC. warneriのラベンダー系の様々な種類の写真も載せていて、その結果この本はこの原種に関する優れた参考資料になっている。

  Cattleya warneriには'Ardenholm' のような色の濃い個体が常に数多く出ていて、この種は色の濃い個体があることで注目されている。C. warneri の中にはペタルが前方に垂れ下がるものもあるが、たいがいの個体は垂直に伸び、たとえペタルが幅広くなかったとしても、この花に魅力的な風情を添えている。C. warneri の花は横の差し渡しが15〜20cmだが、4輪咲きで、差し渡しが各々24.8cmもあったと記録されているものもある。

  Cattleya warneri の幅広い葉はその交配種の殆どに受け継がれ、葉が幅広いCattleya 交配種のルーツを辿っていけば、たいてい片親はC. warneri だと判明する。C. warneri のダブル・シースもまたときどき交配種の中に出現する。

  C. warneri1860年代の導入以来絶えず入手可能ではあったが、供給が十分だったとは言えない。Linden (リンデン) は自分の有名な書 Lindenia(リンデニア)にC. warneriの写真を載せなかった。それは販売可能な株をあまり持っていなかったからだ。それに1930年代、40年代、50年代の合衆国の切り花市場でC. warneriは必ずしも無くてはならない花ではなかったからだ。

C.   warneri var. coerulea  栽培が優秀な株は1花茎に5輪咲く

 

attleya warneriの歴史的存在は展示や交配に意義があり、この面で、その大きさや開花特性によって際だったディスプレイになるのだし、またその花期は春咲き交配種に新しい門戸を開いた。晩春咲き交配種、特に6月咲き交配種を生み出す潜在力がある為、大輪系Cattleya原種の中でのC. warneriの存在は常に安泰なのだ。この点でC. labiataの常に付き纏う陰はその陰の中に消えてしまう。なぜならばC. labiataでは春咲き交配種を作ることは不可能だからだ。C. warneriの初代交配リストには1930年代、40年代の晩春咲き切り花用洋蘭が紳士録のように載っている。Cattleya Myra Peters alba (warneri alba × gaskelliana alba) は6月の結婚式シーズンに咲く初期の見事な白花カトレヤのひとつだった。Cattleya Dupreana (warneri × warscewiczii) は6月咲きラベンダーの中で優秀花の域に達していて、たいていの優れた6月咲き濃紫紅色交配種の片親だった。Cattleya Comet (warneri × dowiana) は極めて色の濃い6月の花と言えよう。Cattleya R. Cadwalader (カドゥワラダー)と交配したCattleya warneriCattleya June Time(ジューン・タイム)とさえ呼ばれた。

1860年のRHS(英国王立園芸協会)の大会でC. warneriが初めて展示されたとき、この賞は『その優美なる容姿に雨霰と浴びせられる称賛絶賛の印として』与えられるものであるという注目すべき賛辞を贈って、RHSはC. warneriにSilver Medalを授与した。かつてこのような賛辞を受けたCattleya は他に例がない。

幸いにも、それから140年後の今もなお、 C. warneri は私たちの身近に存在し、日の長い6月の日々の輝きと色どりを更に鮮明にしてくれる。長いこと忘れられていた物語の中から現れた美しい乙女のようにC. warneri は静かに春の扉を閉じる。そしてきらきら輝き、溢れんばかりの微笑みを浮かべ、夏への扉をぱっと開く。秋風という絶えず彼女に纏わり付く彼女の姉妹C. labiataがいつも存在していたことに彼女は気づかない。

 

 

Cattleya warneri の栽培の仕方

 

   C. warneriは栽培しにくい種ではないが、特殊な生態を有することは確かだ。例えば、合衆国では他の殆どのカトレヤが休眠しているとき、この種はぐんぐん生長する。この為ときには最善の生育条件を満たすことが困難な場合もある。

   他の殆どのカトレヤ同様、生育中は温もりを必要とする。日中は気温30℃が必要で、これは、陽射しが低く、外気が氷点をかなり下回る冬季、温室では満たしにくいものだろう。これは、他の殆どのCattleya 原種が冬季休眠に伴ってより涼しく、より乾いた条件を好むという問題と絡みあってくる。C. warneriは最善の生育条件より劣っていても耐えてくれるし、それに申し分のない新芽も吹くので、温室の中で一番暖かく、一番陽の当たる場所に置けば、たいていの場合他のCattleya 原種と一緒に育てることができる。これは、旺盛な生育に必要な熱と日光を与えるために、冬季は天井のガラスの近くに吊すのがよいということだ。

   Cattleya warneri は他の殆どのCattleya 原種より弱い日光でも十分に育つし、この種には低めの光度が良いと言っている栽培家も多い。しかしながら、最強の生長と最多の花を望むなら、盛んに生長している間は、Cattleya mossiae, Cattleya trianaei そしてCattleya warscewiczii のような他の大輪系Cattleya原種の生長期と同程度の日光と風をC. warneriにも与えたほうが良いということに私は気づいたのだ。

   うまく開花したとき、C. warneriは1花茎に少なくとも4輪は付けるし、5輪も珍しくはない。冬季C. warneriを天井のガラスの近くに吊して置く場合、シースの中に蕾が出てきたら直ちに棚に戻す。蕾が形成されてからの高温は望ましくないし、強い光線は実際にシースの中の蕾を焼き殺してしまう。逞しく生長した場合は通常ダブル・シースになる。勢いがなかったり、生長が後れた場合はシングル・シースだったり、シースが付かない。

   全てのCattleya原種同様、C. warneriも給水はたっぷり施し、完全に乾ききってから、再びたっぷりと給水する。鉢内の植え込み材が絶えず湿っていると、根を腐らせてしまう。C. warneriの植え替えは新しい根が一斉に噴出する時にのみ行い、暖かい夏季が適している。

― A. A. Chadwick

 

. A. A. Chadwick (チャドウイック) さんは1943年にアマチュアとして洋蘭栽培を始め、14才で約10坪の最初の温室を建てた。

 

住所 520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707 USA

 

 

 

━ 訳 者 か ら ━

 

   外国語の発音について

   種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り(    )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親など(  )が後に続いたり、既に(  )がある場合などは煩雑を避けるために割愛した。また、全てを英語式の発音とせず、Machado (マシャド), Menezes (メネゼス), Itabirana (イタビラーナ) のような自生地の言語はその公用語ブラジル・ポルトガル語の発音を表示した。

 

  C. warneri の年暦

1830年代末  Gardner、発見。しかし、彼はC. labiataの再発見と確信

  その後25年間、独自の種名無し

1862年    Warner、Cattleya warneriの呼称で、Mooreの記載を発表

1880年代末  以後徐々に独自の種として認識されていく