Cattleya trianaei

 冬 を 謳 歌 す る 華 麗 な 淑 女

 原文・写真  A. A. Chadwick

翻訳    花咲村 熊虞蘭土

  冬は、自然の植物を愛する者にとっては、どんよりした日々と長く憂鬱な夜が続く陰鬱な季節になろう。しかし、C. trianaei を栽培する者にとっては、この時期こそ野生の最 も多彩で最も魅力的な花々を享受する至福の時なのだ。
 
C. trianaei は冬咲きなので、Cattleya 原種すべてのうちで最も人気のあるもののひとつになっている。 自然の美を最も必要とするときに開花するから。しかし、その人の心を惹きつけ易いときに咲くなどということは、この素晴らしい蘭の一部始終の中のほんの些細な部分にすぎない。Cattleya 原種すべての中で、C. trianaei は非の打ち所の無いものの手本として傑出している。この属の中で最高の天性を持っているからだ。
 
Cattleya trianaei は、単葉カトレヤすべてのうちで花形が最も優美で、色彩領域も最大だ。 美しいパステル調が多く、フレアーが付いたり、ペタルに羽根模様が入ったり、花弁が極めて柔らかくきらきら輝く種もある。花弁は柔らかいが、C. trianaei は他のいずれのCattleya 原種よりも花命が長く、5週間も稀ではない。 花命の長さでは、唯一近縁種 Cattleya schroderae  だけがこれに匹敵する。
 
Cattleya trianaei は生育が逞しく、右、左と交互に2本リードが出て、双方に花が来る。殆どのCattleya 交配種よりも腐敗にも過水にも極めて強い。C. labiata と同時に発見されていたら、C. trianaei は今日間違いなく単葉カトレヤの『基準種』になっているだろう。
 
Cattleya trianaei  は、ドイツの植物専門誌 Botanische Zeitung  (ボターニッシェ・ツァイトゥング) 18601月号に、H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライヒェンバッハ) によって、初めて記載されたが、実際にはその18年前にヨーロッパのコレクターによって発見されていた。
 
C. trianaeiを最初に発見した人物はベルギー王国の Jean Jules Linden  (ジャン・ユーレス・リンデン) で、彼は1842年にコロンビアの Fusagasuga (フサガスガ) 付近を探索中偶然この至宝に遭遇したのだが、何一つ採集はしなかった。
 最初にヨーロッパに届いた
C. trianaei は、コロンビアの友人から、ウォンズワースのラッカー氏という人への贈り物だった。それが咲いたとき、ラッカーは英国の植物学者John Lindley (ジョン・リンドゥレイ) にその花を贈った。その時点でC. trianaei は新種となるはずだったが、John Lindley は、そのカトレヤについて、それがC. labiata とは全く違うと断言し得る情報を掴んでいなかった。 Lindley1850 Flower Garden  (フラワー・ガーデン) 誌にそれについて書くには書いたが、その花が紫、ラベンダー、黄色、オレンジの4色花だということを明確にする為、それをCattleya quadricolor (クァドリカラー) だと記述した。しかしそれは彼が掴んでいた限りの不充分な情報から出た判断だった。
  1851年になって初めて、コロンビアの植物学者José M. Triana (ホセ・エメ・トリアナ)が、Eastern Cordillero (イースタン・コルディイェロ) で、C. trianaei の群生地を見つけ、C. trianaei は遂に日の目を見た。 このカトレヤは Linden に送られ、1855年までに、Linden は、自分の蘭のカタログに『 Cattleya Trianae 』という種名にして、1株当たり150フランで載せ、それらを販売に出していた。この種の種名は、「あの博学で慎み深い『コロンビアの植物 』の著者José M. Triana に」奉げられたと、Lindenは言った。
 
Linden1800年代にヨーロッパの園芸界に導入した数々の新しい蘭の中で、C. trianaei  は、殊の外、彼のお気に入りになったようだった。 その豊富な供給と色調の多様性のお陰で、C. trianaei は収集家の夢となり、Lindenは嬉々としてその販売に勤しんだ。彼はその第一発見者で、それを商業ベースに乗せた第一人者 だった。彼 は 友 人   Reichenbach を急きたてて、それを新種とする記載を出版させ、彼の有名なLindenia (リンデニア) に、豪華版の見開き2ページ8コマ8枚の写真を含め、28枚のカラー写真を載せ、41の異なる個体を紹介した。彼はフラワーショーでは C. trianaei を大々的に取り上げ、1870年にはブラッセル動物園でC. trianaei の特別ラン展を企画し、240鉢もの異なる個体を展示した。  総体で900輪余が咲き競う壮麗なトリアネー展だった。
 
Reichenbachでさえ、その記載に当っては、Linden が付けた“Cattleya trianaei”という種名を使うことによって、Lindenのこのカトレヤへの思い入れを認め、さらに種の記載には“Cattleya Trianaei Lind. Rchb. f.”と自分の名前の前に Linden の名を記した。
  Linden が、現地のコロンビア人に花を持たせ、C. trianaei と名付けたのは、この上無く適切だったと思える。 なぜならばコロンビアとC. trianaei は固く結びついているかだ。 Cattleya trianaei はコロンビアの国花で、この国のあちこちに豊富に自生している。 コロンビア人の誰もがC. trianaei のお気に入りのヴァラィァテーを自分のコレクションにしているようで、新聞でよく目にする記事にもかかわらず、コロンビア北西部のMedellín (メデジン)で一番有名なのは自然の中で咲き誇るC. trianaei であって、Medellínの麻薬組織は二番目にすぎない。
 “
trianaei”という種名は“tri-an-ee”(トゥリアネーまたはトゥリアニー)と発音され、“i”で終わっているので、違和感を受ける。Reichenbach は自分の記載にJosé Triana が男性だと分かるように最後に“i”をひとつ付けてtrianaei と綴った。しかし、Linden, Sanders, Veitch そして英国王立園芸協会までも含めて、その後100年間、Reichenbach に従った殆ど誰もがこの種名から“i”を除去し、それを“trianae”と綴るようになった。 この綴りは種名の一般的発音と一致していたので、特に問題は無かったが、丹念な調査の結果、1960年にこの綴りだけが Reichenbach
の当初の綴りに戻された。しかし、私たちは今もそれを“tri-an-ee”と発音している。
  ベネズエラのCattleya mossiae 同様、コロンビアのC. trianaei も大量に発見されたので、発見後それこそ誇張なしに何十万株もがヨーロッパや合衆国に流れた。Cattleya trianaei は非常にふんだんにあり、輸入しても非常に安価だったので、種子から育てられるのは稀で、1930年代、1940年代の切花生産者は実際開花株を輸入し、12年それらを育て咲かせ、捨てていた。それでも切花は良い儲けになった。1948年トーマス・ヤング蘭園で私が撮ったこの掲載写真はC. trianaei の花でいっぱいの彼らの6棟の温室のうちの1棟の1部を映している。これはトーマス・ヤングの C. trianaei の一番小さな温室だったが、この写真撮影直後、彼らの全6棟の温室のC. trianaei
は花だけが出荷用に切り取られ、株は惜しげもなくゴミ捨て場に捨てられ枯死した。こうした無謀な愚行は、蘭の歴史に取り返しのつかない痛恨痛惜の暴挙を記してしまった。



百花繚乱のC. trianaei
1948年、ニュー・ジャージー州、バウンドゥ・ブルックのトーマス・ヤング蘭園にて

Cattleya trianaei はまた、個体名が多い点でも、Cattleya 原種の中で最多のC. mossiae と肩を並べる。1930年の有名な Dixon (ディクスン) のコレクションの一覧には C. trianaei  の傑出した個体68種がリストアップされ、他のコレクションやカタログなどでは更に数百に及んだ。1916年までに英国王立園芸協会はC. trianaei FCC22個、AM 24 個を授与し、AOSでもC. trianaei  は最多の賞を受賞した単葉Cattleya 原種のひとつになった。
 
C. trianaei の優美な alba の個体が長年の間にいくつか発見されてきた。 Linden は特に美しい個体の写真を自分のLindenia の第1巻に掲載した。 1930年代及び1940年代、C. trianaei  Broomhill’s (ブルームヒルズ)は主要な白花個体で、それは純白の花を生み出し、繁殖力が強かったので、莫大な富を欲しい侭にした。当時、冬咲白花 Cattleya 交配種を作り出す為にこの個体が頻繁に使われた。極最近、C. trianaei Aranka Germaski (アランカ・ジャーマスキー), FCC/AOS は、花型が良い為高い評価を受けたが、繁殖力は弱い。 優美な semialba C. trianaei  は、本当に希少で、C. trianaei  Trenton’ (トゥレントン) は私が見たうちでは最高の個体だ。比較的型の良い semialba は少しはあるが、それらには Trentonlip の鮮やかな色調が無い。


   上 C. trianaei ‘Mary Fennell’ HCC/AOS  最高の濃色個体。 希少種
   下 C. trianaei var. semialba ‘Trenton’  リップの色が濃い個体。 希少種

 

   C. trianaei の上品なラベンダー種は、極めて豊富で、The Baron’ (バロン;男爵), FCC/RHS, のような淡いパステル調やMrs. F. E. Dixon’ (ミセズ・エフ・イー・ディクスン) のように美し い、極めて淡いピンクから、The President’ (ザ・プレジデント;大統領) FCC/AOS,  ‘A. C. Burrage’ (エー・スィー・バレッジ), AM/AOS,  ‘Jungle Queen’ (ジャングル・クイーン; 森の女王), AM/AOS,  ‘The Premier’ (ザ・プレミア;総理大臣), FCC/RHS, そしてClinkaberryana’(クリンカベリヤーナ) のような 平均的なラベンダーにまで及ぶ。 Mary Fennel’(メアリー・フェンネル), HCC/AOSのような本当に色の濃い種類は非常に見つけ 難い。


現在でもこの種の中では最高の平均的ラベンダーの個体。 強健種。
C. trianaei
 
‘A.C.Burrage’
AM/AOS  AOS 初代会長の栄誉を称えて名付けられた 。

 Cattleya trianaei には、ペタルの縁に沿ってフレアーが付いて濃い紫が入ったラベンダー種も非常に多い。 C. trianaeiMooreana’ FCC/RHS, AM/AOS はおそらく最も有名だろう。また、Linden C. trianaei  Striata (ストゥリアータ) Fennell ‘Jungle Feather’ (ジャングル・フェザー) のような本当にユニークな個体もあり、それらにはペタルの中央の脈に沿って羽根模様が入る。 更にまた、Steven Christoffersen (スティーブン・クリストファースン)Blue Bird ( ブルー・バード;  青い鳥 )、そして Linden  Coerulescens (セルレッセンス) のような際立ったブルーの個体もある。
 しかし、
Cattleya trianaei を他のカトレヤ原種よりも際立たせているのは、なんと言ってもさまざま な繊細なパステル調の色彩だ。 H. G. Reichenbachでさえ、自らの記載の中でCattleya trianaei について、「これ以上美しい色彩を持つカトレヤは他に存在しないだろう。」と記した。そして Cattleya trianaei  の花が咲き競っている温室を見れば、彼の言わんとしたことがよく理解できよう。


パステル・ピンク
C. trianaei  ‘Mrs. F. E. Dixon’  AOS2代会長夫人に因んで名付けられた

Cattleya trianaei は、他のいずれの原種よりも、Cattleya 交配種に理想的な丸い形を遺伝し、C. trianaei の初代交配種には、今日の殆どの複合交配種よりも形の優れているものが多い。特に優美な初代交配種には Cattleya Princess         ( trianaei × lueddemanniana ), Cattleya Ballantineana (trianaei × warscewiczii ), そしてCattleya Maggie Raphael        ( trianaei  × dowiana ) などがある。

休暇気分も醒め、虎落笛(もがりぶえ)が吹き荒び、屋外の万物が荒涼として、物悲しげに、色褪せて見えるとき、何もうらぶれることはない。  というのは、この時期こそCattleya trianaei が心弾む色の饗宴を開いてくれる時だから。彼女の輝く頬笑みは雅やかにしなやかにあなたの冬の鬱屈を解きほぐしてくれる。 というのは、彼女は紛れも無く冬の優美な淑女だから。


C. trianaei  Clinkaberryana トリアネーの人気を高めた古典的濃色巨大輪花

 

 

 

栽 培 助 言

 

 CATTLEYA trianaei  は殆どのカトレヤ交配種と同じくらい栽培し易く、どんな植え込み材料を使っても逞しく生長する。  大株の場合は、早春、花後直ちに生長を始めれば、C. trianaei  は初夏までに最初のリードを完成し、即座に2番芽を出し、これも晩夏には完熟する。 しかしながら、1番芽完熟後絶対に株を干上がらせてはならない。 さもないと2番芽が出ないことがある。  新しいバルブは両方とも、秋の休息後、年末から2月に掛けて花を咲かせる。

 最高の花を咲かせたければ、可能な限り植え替えは行わない。 行う場合は、リードバルブから新しい根が現れたときのみとする。 他のCattleya 原種同様、C. trianaei も充分な日光と風のある環境で育成し、葉が黄いばむぐらいの日照量が望ましい。 しかしながら、手で触って葉が熱く感じられるような状態で放置してはならない。  これでは日照が強すぎ、葉焼けを起こすかもしれない。 根腐れを防ぐため、休息期は常にやや乾き気味にしておく。 花後は直ちに、晴天の日には頻繁に軽い細かな霧を噴霧して、株の生長を促す。

 Cattleya trianaei は、ステム当たり輪ないしそれ以上花を付ける C. mossiae,  C. labiata, そして C. dowiana  などの他の殆どの主要なカトレヤ単葉原種とは違って、 大概ステム当たり輪しか咲かない。  勿論、新しい2本のバルブに連続して4〜5輪の一際目立つ花が咲く。 そうなれば実際の結果は同じになる。

                                                                                                         A. A. Chadwick

 

  A. A. (Art) Chadwick 氏は今月Cattleya 原種の連載を始める。 彼は、趣味と実益を兼ね、それらを54年間栽培してきた。 現在厳密に言えばアマチュアだが、今もCattleya 原種の遺伝因子の潜在力を研究するためにCattleya 原種との交配をかなり行っている。彼はまたヴァージニア州ポゥハッタンの Chadwick & Son 蘭園の重役で顧問だ。

520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707, USA

 

 

 

━ 訳 者 か ら ━

 

外国語の発音について 種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り(   )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親などを示す(   ) が後に続いたり、既に (  ) がある場合などは煩雑を避けるため割愛した。 また、すべてを英語式の発音とせず、H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライヒェンバッハ), Botanische Zeitung (ボターニッシェ・ツァイトゥング) などはドイツ語の発音を、Fusagasuga (フサガスガ), José M. Triana (ホセ・エメ・トゥリアナ), Cordillero (コルディイェロ) などのコロンビアの言語はスペイン語の発音を示した。

 

年表について 今回年表を創る発想が閃いた。何かお役に立てれば幸甚だ。

1842  Jean Jules Linden, Colombia Fusagasugaで発見

1850  John Lindley によりC. quadricolor として記載される

1851  José M TrianaColombiaEastern Cordillero で群生地を発見

1855  この頃までに Linden,  C. trianae の名で販売を確立

1860  Reichenbach 記載。 C. trianaei と命名

1960  C. trianae と書く慣行を C. trianaei  に戻すことに決定