1999 年6月20日Viva Brasil 花咲村 熊虞蘭土 prologue viva( ビーバ)はポルトガル語で「 万歳 ! 」の意。今もなお広大なブラジル全土に亙り着実に進化し続けている蘭に対して「ブラジルの蘭よ ! 万歳 ! 」という思い入れだ。 ブラジルは英語では Brazil と書くが、ポルトガル語では Brasil と綴る。蘭を始めて 20年ちょっとになる。マニアにとって自生地探訪は見果てぬ夢だ。夢は Andes 山中、Cape Town、東南アジアを彷徨いはしたが、Brasil の山谷を駆け巡ることはなかった。しかし、最近 Brasil 産の collection が増加したことと、昨年8月の蘭店の共同売り出しと、今年2月の東京ドーム世界蘭展日本大賞'99の前夜祭後のインターネット・チャットの会で英語を理解する Brasil の蘭の販売業者 Wenzel さんと懇談できたことがきっかけとなり、夢にも見なかった漠然とした抽象観念が徐々に現実的な形へと変化していった。長野蘭友会の会友を誘ったが、健康に自信があり、 2週間も気ままに旅を続けられる者はいなかった。「単独なんて、無謀としか言いようが無い。」「予防注射はしたか?」「ブラジルでは英語が通じねようだからあぶねえぞ ! 」などと、まるで悪のみが蔓延る後進国と誤解している友人・知人ばかりで、賛成してくれたのは、昨年医局の出張で、新婚旅行も兼ね、嫁さんと、合衆国、カナダを回ってきた愚息ぐらいなものだった。1978年にやはり独りで米留し、研修後2週間合衆国各地を遊学した経験がある。単独でも無事に旅ができる秘訣は心得ていたが、治安の実態に対しては defense を強固にした。合庁で passport を取り、HIS で round-trip ticket と visa を取得し、形が明確化するにつれ、internet mail で Wenzel さんと頻繁に連絡し合い、万全の準備を整えた。安くて、速い。市内通話料金で、しかも地球の裏側へわずか数秒で送信できる。このような場面では internet は本当に重宝だ。便利なものが実用化したものだ !また、サン・パウロ蘭協会の副会長 Sr. Sumio Nakashima とは電話で appointment を取った。Sr. Nakashima は二世で、お父さんが須坂のご出身とのこと、最初から互いに親近感が持てた。インターネットはやっていないが、日本語の master で、敬語もうまく使いこなす。
ROOTS 探訪 5月28日(金) 晴れ 19:00 成田離陸。RG(Varig Brasil Airline)837便。幸運にも1人3席。 機内食はまずまず。量が多い。ニコチンガムを携帯。 Losで2時間、補給や搭乗員の交代の為の休憩。タバコは吸えたが気がすすまない。5月29日(土) 晴れ 5:30 朝靄煙るSão Paulo(サンパウロ)に着陸。滑るような landing. 着陸がうまい。成田から22時間30分。Wenzelさん出迎え。一路 Rio Claro(リオクラロ)へ。 Rio Claro は人口約20万で松本と同じ位の都市。ハイビスカスの並木が満開。通りによって赤とか黄色とか花の色が色分けされている。 Wenzel Orchids; 大小10棟ぐらいの無加温の簡単な温室がずらり。Brasil には台風も、ハリケーンも、トーネードも無く、ときたま強い風が吹くだけ。ただし、夏、時として鶏卵大の雹が降るという。 直ちに商談。 昼食 Restaurant Akamine で魚。魚はバター焼き。茹でたヤシの芽の料理が出る。アスパラの5倍位の太さ。味が無い。「Brasil人は竹の子は食わない。」と Wenzel さん。午後、自生地探訪の段取り。航空便、ホテル、ガイドの予約。 Lider Hotel check in. floor; tile. 中級 hotel. 清潔。朝食付きで1泊 50 Real 約3,530円。 夕食 街で Wenzel さんと pizza and beer. 1,200円この町は生活物価が安い。 5月30日(日) 晴れ São Joaquim da Barra (サンジョアキンダバッハ)の蘭展へ Wenzel さんの新車 Ford で Rio Claro を出発。Brasil の車のギアチェインジは全て手動。オートクラッチにすると、販売価格が高くなり、販売台数が伸びないからだとか。国策。 行けども行けども平坦だが緩やかな起伏の反復する highwayを120km/hで飛ばす。両側は見渡す限りサトウキビ農場、ときどきオレンジ農場。Brasil は広いと実感。いたる所の大木に紫の花が満開。イッペー樹(ipe)という。[ノウゼンカズラ科。Brasil の国樹]。竹林もある。たまに赤松も。昔はこの辺りにも Cattleya (カトレヤ)の小型種 walkeriana(ワルケリアナ)が着生していたとのこと。サトウキビ農場の作業も全て手作業。機械化すると失業者が増えるから。これも国策。 11 時半 São Joaquim 着。所要時間4時間30分。Renato 副会長が steak をご馳走してくれる。田舎の restaurant はどこも体育館のような建物の中にtable が置かれているだけ。São Joaquim da Barra Orchid Show (オーキッドショー) Orchid = 蘭。 さすが地元。殆どが色、形の良い原種。垂涎の plant ばかりだ。品評は点数制。 7点が最高で25鉢ぐらい。会場の外で、ある若者が審査のことでぼやき、 Renato 副会長が話を聞いてやっていた。そこを通りかかった Wenzel さんも巻き込まれる。「審査員と親しい出品者には高い評点が付き、疎遠な出品者には良い点を付けない。審査を改善せよ。」というのがその主旨だと、 Wezel さんがブラジル・ポルトガル語を英語に直してくれた。「日本の東京や名古屋の蘭展と同じ。」と彼は笑った。 そう言えば、雛壇に登っていない展示の中にも垂涎の plant がいくつかあった。いかにも日本的な通俗的悪習だ。C. percivaliana 'Albelt's' C. walkeriana tipo C. は Cattleya 属の規定の省略語。percivaliana(パーシバリアーナ), walkeriana などの種名は、原種の場合、最初の文字も小文字という決まりになっている。交配種は大文字。個体名は大文字とし、'Albelt's' のように" ' "で括る。tipo = type(典型)で、種類ごとの典型的な色を指す。Cattleya の場合はこの lavender 色を指す。しかし、この 'tipo' という用語を使うのは Cattleya 系に限られているようで、他の属では見たことがない。 夜、 Wenzel 夫妻と Rio Claro のカラオケへ。猛烈な人気。超満員。ハイテーンや20代の若者ばかり。すぐに立錐の余地も無くなる。Wenzelさんは「I have a dream.」という感動的な英語の歌を歌ってくれた。勿論一際高い拍手喝采。「Love me tender !」をリクエストしたが、若い可愛い女の子なんか2回も3回も歌っているのに、いつまで経っても回ってこない。明日は5時起きだ。辟易ほうほうの態で退散。出口でまた仰天。10時過ぎだというのに、空席を待つ人が50人もずらりと並び、立ったままチキンやビールを注文し、飲み食いしながら席が空くのを待っている。こうして Brasil の夜は更けていくのか!5月31日(月) 晴れ 5時起床。Campinas(カンピナス)空港発7:15。 Belo Horizonte(ベローリゾンテ)着8:15。Minas Gerais(ミナスジェライス)州の首都。 driver, guide, Wenzel さんの友人、Wenzel さんと一行5人で walkeriana の自生地 Sete Lagoas(セテラゴアス)へ。 車を止めると直ぐ自生地。足元には種々雑多な蘭、また手の届く所には茶色の渋い花を付ける Onc. jonesianum(オンシジューム ジョネジアナム)など無数の蘭が自生。高い所に花を付けた walkeriana の100 bulbs ぐらいの大株を3株発見、デジカメに収める。不思議なことに、ひとつの株の花が全て同じだとは限らないという。自然交配してその種子が同一の株にこぼれ、実生が生長したものと考えられている。そうした実生の中から色違いや進化したものが出ることがある。実際 walkeriana tipo の大株の園芸的価値の乏しい花の中にペタルの幅が広い惚れぼれする花を発見したり、 Soph. coccinea(ソフロニテス コクシネア)の赤花の大株の真中に黄花を見つけたりするそうだ。guide が3年前に来た時ここには walkeriana が群生していたという。手の届く所や簡単に登って採れる場所の walkeriana は採り尽くされていた。ここも絶滅の危機に瀕していた。
大木に着生 Cattleya walkeriana tipo 次に Sophronites cernua(ソフロニテス セルヌア)の山へ。しかし、鉄鉱石を採取していて発破をかける予定があり、入山を断られる。土日ならOKだという。 GH Grandville Hotel 泊。朝食付きでR$114、約8,000円。4つ星。 6月1日(火) 晴れ 朝、Wenzel さんの別の友達と昨日の guide が迎えに来る。Laelia pumila(レリア プミラ)の谷へ。谷底の樹林帯と山腹の草地の間を歩く。ここにも無数の蘭。最後に種子の付いた Laelia pumila の大株を発見。
L. pumila Rock Laelia (ロックレリア) 次にRock Laeliaの山頂へ。車から降りて、さわやかな風に吹かれながら、わずか数分歩くと直ぐ石ころばかりの地面に地生している Rock Laelia crispilabia(クリスピラビア)の群生が目に入る。潅木の縁に黄色の花を付ける Laelia flava(フラバ)も発見。 6月2日(水) 晴れ Rio Claro での最後の一日。休養日。 昼食。待望の Churrasco(シュラスコ). いろいろな種類の3kぐらいの肉塊の串焼きを次々と持ってきてカットしてくれる。アッという間に大きな皿が肉で山盛りになる。砂肝もうまい。うまくて安い。食い放題でビールも入れて1,200円なり。幸せだなあもう !夕食。先日と同じ restaurant で pizza and beer. ここの pizza が結構いけるのだ。 pizza をつまみに、beer を飲みながら、蘭やいろいろな話をした。今年2月の松本井上の蘭展以来、いささか不快感を覚え、疑問に感じていたことを、Sr. Wenzel に尋ねてみた。 この蘭展に C. trianae 'Victoria Castro' (カトレア トリアネー 「ビクトリア・カストロ」)も出品した。これは退職金の1%を叩いて、求めたものだ。ある人物がこの展示品を見て、あれは本物のビクトリア・カストロではないと触れ回った。自分ならいざ知らず、あいつに本物が買えるわけがないと思い込んでいたのか、或いはあいつがそんな高価なものを持つのはけしからんという怒りの衝動に駆られたのか、或いはまた軽挙妄動なのか知る由もない。これを聞いて、羨望と妬みが癒され、溜飲が下がった人もいるものと察せられる。が、言われた当人は(あの人だったらそれくらいのことは何の躊躇いも無く平気で曰うだろうな)とさり気なさを装おうと努めるが、長いこと耐えに耐え、やっと手に入れたものを贋物呼ばわりされたら、これはもう不快感を禁じ得ないどころではない。また別の会員は C. walkeriana 'Feiticeira' (カトレア ワルケリアナ「フィッチセイラ」)を出品した。これは 1 bulb 10万はする代物だ。件の人物はこれを見て、やはり「あれはフィッチセイラではない。本物のフィッチセイラは、フィッチセイラ・イワシタだけだ。」と触れ回ったそうな。自分だけが蘭に精通していて、本物の希少価値のある蘭を所有しているのだと吹聴したかったのか? 自分のコレクションだけが本物で、他の人の蘭はすべて贋物だと言わんばかりだ。この人物の触れ回っていることが果たして真実なのかどうかを確かめたかったのだ。 Sr. Wenzel は大笑いし、栽培方法が違うだけで、variety は全く同一だと、その裏技を詳しく説明してくれた。この岩下さんは Brasil 人だが、彼は自分が特に愛培している蘭には2〜3年に1度しか花を付けさせない。例えば、昨年咲かせたとすると、今年は、場合によっては来年も、花が上がってきたらそれはカットしてしまう。するとバルブが逞しくなり、翌年または翌々年は同種の蘭を遙かに凌駕する見違えるような大輪の花が付く。確かに C. walkeriana や C. nobilior は水切りをしないと花芽が腐ってしまう。従って、花は見たいから、水切りをするわけだが、そうすると plant は草臥れ、渾身の力を振り絞って花を咲かせているようにみえる。花後は衰弱し、back bulb の葉が落ちてしまうことがよくある。実際、自分でも体験していることなので、この話には充分納得がいった。「日本人は毎年花を咲かせて喜んでいる。」と Brasil 人は笑っているとのこと。案の定、だいたい予想通りの事実が判明した。後日、Sr. Nakashima にもこの件について確かめたところ、彼もまた 'Feiticeira Iwashita' の 'Iwashita' は余分だと言った。虚栄とハッタリで嘘八百を並べ立てていると犯罪になる。市場の相場で求めた蘭が本当に贋物だったら、売った蘭園は当然詐欺罪に問われるし、反対に本物だったら、正直な商いをしている蘭園に対しては最も悪質な営業妨害になるからだ。 旅の前半が歓喜と感動のうちに無事終ろうとしている。事故にも遭わず、アイスクリーム強盗にも狙われなかった。 Wenzelさんのお陰だ。自分でも身なりには細心の用心をした。衣類は全てワークマン・ショップで揃えた。上は夏物の麻の長袖シャツとポケットが8つ付いた作業用のベスト、ズボンもポケットが8つ付いた作業着、それに1,980円の運動靴だ。初冬だというのに最低温度は19℃。この服装で快適に過ごすことができた。6月3日(木) カトリックの記念日で休日 晴れ Rio Claro を離れ、人口約1,600万の東京よりも大きな Brasil 最大の大都市 São Paulo(サン・パウロ)へ。Wenzel さんが家族と共に São Paulo まで送ってくれる。途中反対車線の下りの highway が大渋滞。日本のGWと全く同じ。翌金曜日は勤務日だがこのような場合は皆が勝手に休んでしまうという。すると木、金、土、日と4連休になる。で、皆が一斉に田舎へリゾートに・・ そして大渋滞 ! It's too bad. (お気の毒に !)São Paulo 蘭協会の副会長 Sr. Sumio Nakashima がご令息と共に迎えてくれる。 昼食は Nakashima 家の近くの豪華な Restaurant で。 入ると直ぐ、無料サービスの Pinga(ピンガ ; サトウキビから醸造する蒸留酒で、いわば Brasil の焼酎)やその様々のカクテルがずらりと置かれている。一渡り賞味するだけで酔っ払ってしまう。ニッキのカクテルがさっぱりしていて口に合った。ここは日替わりメニューで木曜は Shurrasco. 昼食を取りながら、昨日 Wenzel Orchids へ電子 mail に添付されてきた画像の話をした。セパルとぺタルの幅が今まで見たことが無いほど広く、ぺタルの先端も丸かった。そして花全体が円に近い。Wenzel Orchids の実生から出たそうだ。意外なことに、Sr. Nakashima の反応は極めて冷ややかだった。「そういったあまりにも理想的な実生の中には dolosa(ドローサ; 一般にはloddigesii(ロデゲシィ)とwalkerianaの自然交配種だといわれている)との交配もあるので気を付けるべきです。その交配に更にもう一度 walkeriana を交配するともう dolosa の血が入っているのが分からなくなるから困るんですよ。」つまりdolosa の血が入るとサラブレッドの walkeriana ではなくなり、ただの C. Mini Cattleya という雑種になってしまうとおっしゃっているのだ。どうしてこのようなことをするかというと、正直に C. Mini Cattleya として販売すると、極上品でも高々5000円だが、C. walkeriana だと言えば、その100倍位にはなるからだ。貴重な教訓として承った。 午後早速 Sophronites coccinea(コクシネア)の谷へ。丘の上には空軍の無線基地が見え、犬や鶏の鳴き声が聞こえてくる。車を停め、潅木の中のなだらかな坂道を2,3分下ると直ぐ着生を発見。更に浅い谷底の小さなせせらぎの畔を探すと、その周辺の樹木に着生している。時期はこれからだというが、幸運にも花を付けた着生を何株か発見、撮影することができた。撮影直後濃霧発生。重ね重ね lucky だった。Sr. Nakashima は1935年 Brasil で出生。日本の悲惨な戦争を異国の地でハラハラしながら見守っていたとのこと。この長閑なソフロの自生地が一番好きだという。 3世のご令息は日本で7年間ほど働いたが、今は後を継ぐべく彼の labo.で研鑚中。ヨーロッパ系の女子大生と恋愛中。「日本人とどっちが良いか?」と聞くと「ヨーロッパ系。」だと言う。お嬢様は日本人と結婚して埼玉在住。小学生と中学生の2人の男の子がいらっしゃるとのこと。 Sophronites coccinea (ソフロニテス コクシネア) Sophronitis の自生地を濃霧が覆い始める。
4つ星 Nikkey Palace Hotel に逗留。朝食付きで1泊12,000円。連泊20% discount.
6 月4日(金) 晴れSr. Nakashimaが経営する Orquidario São Bernardo( オーキダリオ サン ベルナルド)を見学。 高嶺の花 C. trianae 'Rolf Altenbaug'(トリアネ 'ロルフ アルテンバゥグ')を撮影。商談成立。 Sr Nakashima と8日、9日の Rio de Janeiro の schedule を組む。 夕食 肉にもたれて鉄火巻きとラーメンのセット。 6月5日(土) 午後はじめて雨 サンパウロ蘭協会会長 Sr. Jorge Kawasaki 宅訪問。ご夫婦とも日系人。子供は娘ばかり4人で、全員教員。金髪の可愛い孫娘が日本茶を入れてくれた。 不登校が多いが、日本と違うところは親が学校へ行かせない点。体罰を与えると、裁判沙汰になるのは全く同じ。説諭して矯正できなければそれまで、物理的処置は採れない。公的教育の衰退が進んでいるようだ。経済的に余裕のある家庭は私学へ通わせる。 会長の温室も大きなのが 3棟も。大株に小鳥が巣を作っていたのにはつい心が和む。いろいろと話を伺っているうちに、趣味の園芸でお馴染みの江尻先生とか横浜の故有馬先生など日本の洋蘭界の有名人は皆この蘭協会を訪れていることが分かった。そんな有名人が残したエピソードに一頻り花が咲いた。 昼食 ; Feijoada(フェイジョアーダ)に挑戦。小豆と豚足、豚の尻尾、豚の耳、豚の臓物などと煮込んだ料理。昔恵まれない人たちが考え出した安価でハイカロリーの料理だが、今では Churrasco と並ぶ Brasil の名物料理。後学の為に全部頂いた。おいしい。竹の子の話。「 Brasil 人も食う。」と Sr. Nakashima。食事中また Brasil の蘭展の話。「私の花を借りていって蘭展で top 賞を取り、本人は何の呵責を感ずることもなく、大喜びで返しに来た。」というお話。Brasil の蘭展は滅茶苦茶だと Sr. Nakashima は嘆く。しかし、どこかの国の檜舞台でも似たようなことが繰り返されたのは万人周知の事実だ。午後、 Laelia purpurata(レリア パープラータ)の自生地へ。河口周辺の jungle。開花期ではないし、雨も降っていたので、道路から見ただけで引き返す。6月6日(日) 小雨 10時頃小止みになったので日本人街の日曜市を独りでひやかしに行く。日本の有名な祭りと同じくらいの人出。日本人よりもヨーロッパ系 Brasil 人の方が多い。家族連れも目に付く。Brasil も不況だというが、おいしい restaurant や祭りはどこへ行っても盛況だ。蘭店も3店ほど出ていて型の良い、色の冴えた Cattleya を見つけたが、発送のことを考え、衝動買いを抑えた。 6月7日(月) 曇り 銀行へ T/Cを換金したり、カードで現金を引き出しに行くが、駄目。ブラジル銀行は物々しい警戒でいちいちボデイ・チェック。日本でこんなことをしていたら潰れてしまう。αインテルに Rio の宿泊料、guide 料、サンバダンスの入場料金などを支払う。昨日に引き続き、 Restaurant Yamagaで昼食。昨日は寿司だったが、今日は刺身、てんぷら、すし、きんぴら、生野菜、漬物、ごはん、味噌汁、みかんなどの Yamaga 定食を取る。おいしいが、とにかく量が多い。ビール込みでR$17約1,200円也。昼食後、 Itacolor 宝石店で amethyst(アメジスト)など家族のみやげを買う。ここも入り口のドアは防弾ガラスで、営業中でも施錠。店内で人物を確かめ、リモコンで開ける。人並み以上の水準の家々は高い塀を巡らせ、門は鉄柵、車内からリモコンで開閉、ガードを固めている。貧富の差が大きく、殆どの Afro-Brazilians は車どころか自転車すら買えない。どこへ行っても、小銭を稼ぐ為に、駐車中の車の車上ドロを見張ってくれる子供たちが居る。 RV(recreational vehicle)などの one box car は滅多に見かけない。殆どすべてがトランク付きの普通乗用車だ。理由は中の物が外から見えると盗難に遭いやすいからだろう。 6月8日(火) 曇り Nikkey Palace Hotel check out.5:30 6:00 Sr. Nakashima の車で Rio de Janeiro へ向かう。今度は作物が何も栽培できない荒野を突っ走る。燃料はサトウキビから作ったアルコール。途中2回給油。カロリーはガソリンより低いが、その分価格も安い。7時間ほどで Orquidario Quinta do Lago(キンタドラゴ蘭園)に到着。街路樹にチランドシアがびっしり。湿度が高い。Laelia purpurata(パープラータ)などの山採り品がずらり。花が付いていないので買えない。大きな蘭園だが所有しているものは交配種が多く、めぼしい物は見当たらない。 Orquidario Binot Ltda(ビノー蘭園) 大量の山草を採取し、トラックに積み込んでいるところを見つかり現在国際取引禁止処分を受けている。係争中。Rock Laelia や Laelia sincorana(シンコラーナ)などの山採り品が目に付く。買う気が無いのを見て取ると客には非公開の鍵のかかっている蘭舎の秘蔵品を見せてくれた。目を引いたのは山採りの中から出た Sophronites brevipendunculata(ブレビペンドゥンクラータ)の薔薇色の大輪整形だった。2月の蘭展で井上賞を受賞したソフロに似ているようにみえた。その中の特に大輪の2輪を無造作に摘み取り、Sr. Nakashima に渡した。彼はそれを使って交配するのだ。この種は名前が長いのであちらでは「ブレビ」と短縮して呼ぶ。 Rioでは美しい海岸線が望める5つ星の Le Meridien Copacabana(レ メリディエン コパカバーナ)に check in. ビュッフェ(バイキング)の朝食付きで1泊11,000円。 夜10:00よりサンバショー。世界中から来ている観光客を国別に呼びだし、ステージでサンバを踊らせてくれるサービスもあった。賑やかで、華やかだ。ダンサーはヨーロッパ系とアフロ系の混血が殆ど。女性が大きいのに圧倒される。ブラジル人のスタイル特に脚線美は松本でも見慣れているので、改めて驚嘆することもない。眠い !
6月9日(水) 晴れ 久しぶりに陽光燦燦たる晴天。ホテルからの煌く海岸線が絶景。 ロープウエイでPao de Acucar(ポンジアスーカル)の天辺へ。Rio の街やGuanabara(グアナバラ)湾が一望。Corcovado(コルコバード)のキリスト像もよく見える。 午後、 600種の蘭があるというので植物園へ。蘭は全然駄目。渋いMaxillaria(マキシラリア)が少し咲いていただけ。落胆。帝王ヤシすなわち徳利ヤシの若木が面白かった。空港まで Sr. Nakashina と guide の Sr. Fukai が送ってくれ、搭乗手続きまでしてくれた。最後に3人で Brasil wine を飲みながら夕食を取って再会を誓い合った。これで感動的で、楽しく、しかもおいしかった roots 探索は、期待をはるかに上回る収穫を収めて、無事終了。 「Brasil の蘭をみんな見たかったら毎月来なさい。」「来年5月に長野蘭友会を訪問したい。」サンパウロ蘭協会正副会長の談。 Sr. Nakashima が L. pumila を10株、Sr. Kawasaki が Natural Hybrid(自然交配種) の L. lunddii X C. loddigesii を数鉢会員の皆さんへ送ってくれる予定。皆さんによろしくとのこと。 訪問の際には日本語で講演も OK。
植物園の徳利ヤシ
epilogue 以上でこの2週間のレジメ(resume)的 Brasil 紀行を締め括る。
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