Cattleya schroederae

美しい淑女のための美しい蘭

 

原文・写真       A. A. Chadwick

翻訳      花咲村 熊虞蘭土

 

 BARON J. H. W. VON SCHRÖDER(ジェイ・エイチ・タ゛ブリュー・ヴォン・シュローダー男爵) はヨーロッパで最も素晴らしい蘭のコレクションを所有していて、カトレヤが大のお気入りだった。カトレヤだけのために、英国バークシャー州東部のウインザー近郊の豪邸内に最も広大で豪華な温室を建て、秀逸なカトレヤ原種に対する彼の欲求は飽くことがなかった。Dell (デル;小さな谷) で、自分の豪邸をこう呼んでいたのだが、彼は最善の蘭だけを求め、そうでないものは一顧だにしなかった。

 Schröder 男爵は英国サンダー蘭商会の上得意だった。そんな次第でコロンビアのサンダー商会の orchid hunter (オーキッド・ハンター) William Arnold (ウイリアム・アーノルド)1886年に新しいカトレヤを見つけたとき、Frederick Sander (フレデリック・サンダー) が真っ先に思い浮かべたのがこの男爵だった。

 新しく山採りされた植物が届いた時、男爵はそれらの殆どを大喜びで買い込んだ。Frederick Sander は、植物学者 H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライ ヒェンバッハ)にその最初の花を送り、Reichenbach がそれらを Cattleya の新種として認定してくれるよう依頼した。Reichenbach が分類組み入れの記述を延び延びにしていると、Sander はもっと多くの花を送り、自分の温室に来て、その植物を見てくれと Reichenbach を急き立てた。それでもなお Reichenbach は何もしなかった。

 その後、1887年の復活祭の日に、男爵自らが Reichenbach に新しい蘭の素晴らしい花を送ると、わずか数日の内に Reichenbach は分類登録を書き、1887 4 16日の The Gardners' Chronicle (園芸家年鑑152) に掲載した。Reichenbach は、上機嫌で、その『豪華な』新しい花の名称を、『ランの熱愛家としてよく知られている』 Schröder 男爵夫人に捧げた。  しかしながら、Reichenbach のその新植物の分類は、Sander が期待していた通りのものではなかった。 Reichenbach はその新しい植物を"Cattleya (trianaei var.) Schroederae" として分類したので、その植物は新種ではなく既に分類登録済みの種 C. tranaei  の新しい1変種になってしまった。

   しかしながら、Sander はその蘭が C. trianaei ではないと確信していた。そのさわやかで、かぐわしい香りは際だっていて、C. tranaei の希薄な香りとは異なっていた。ペタルやリップはひだが多く、縮れていて、より旺盛な生育を示す植物だった。 また、花茎毎に咲く花もC. tranaei よりは多かった。Sander はそれが間違いなく新種だと確信した。

 Sander は創意に富んだ実業家だったので、この問題を自分で善処しようと決意した。1800年代末の園芸家達は、種そのものの分類登録こそが大輪系 Cattleya 原種を植物学上の適切な位置に組み入れる唯一の方法でなければならないと考えていて、ちょうどその頃、そういった声が彼らの中から一斉に上がり日増しに高まっていて、彼はその大合唱に同調したのだ。当時、最も傑出し、最も腕の良い園芸家のひとりだったJames O'Brien (ジェィムズ・オブライエン) は、既に1883年、Cattleya labiata var. percivaliana Cattleya percivaliana に独立させていた。そこで、Frederick Sander もそれをCattleya shroederae に昇格させる論争に突入した。彼は、The Gardners' Chronicle (ガードナーズ・クロニクル; 園芸家年鑑)の紙上であろうと、自分の私書Reichenbachia (ライヒェンバッヒア)の魅力的な全頁大の図版であろうと、できるところなら何処ででも、それをただ単に "Cattleya shroederae" と表記した。Sander Reichenbach が綴ったように、Schröder 男爵の名前の中の ö の代わりにギリシャ文字を用いて、常に shroederae と綴った。そしてその原種は"Cattleya schroederae Sander" として徐々に知られていった。 Cattleya schroederae はいつも女性的な花だと考えられてきた。その美しい淡いラベンダー色は『ピンクの真珠に覆われている』としばしば形容され、そしてそこには誘惑をそそる甘い香りがある。Reichenbach もそれが女性的だと感じたから、Schröder 男爵夫人に因んで名前を付けたのだろう。

 しかしながら、その女性的な外観にもかかわらず、C. schroederae1930年代、40年代、50年代の切り花市場での女性用アクセサリーとしては限られた存在でしかなかった。C. schroederae には C. trianaei に見られる多種多様な色彩は無く、しかも2月下旬から3月初旬にかけての花市場ではC. trianaei と競合しなければならなかった。C. schroederae のたいていの個体はおおかた似通っていて、ダンスやパーティで似通った花で飾って他の女性みんなと同じにみえることを望む女性はいなかった。少なくとも合衆国では。

 しかしながら、Cattleya schroederae は形が良かったので、展示植物としては非の打ち所がないモデルとなった。この点で、その伸び伸びと咲く性質、フリルが付いたペタルやリップ、そして快い香りは際だった長所だった。1花茎に2〜3輪しか付かないC. trianaei とは違い、Cattleya schroederae は3〜5輪咲いたし、ずば抜けて生育が良好であれば、1茎に7輪も咲き、壮麗な手本となった。そのような株の実例写真は、1903年6月のThe Orchid Review (オーキッド・レビュー ; 洋蘭概説)や1953年3月のAOS会報 にそれぞれ掲載された。

 Cattleya schroederae は、さまざまな展示個体の色彩の類似性にも関わらず、形が秀でていたので、発見後20年でFCC/RHSを9個受賞した。The Orchid Review の編集長R. A. Rolfe (ロルフィ)1893年に存在したすべての Cattleya var. alba の中でC. schroederae var. alba が最も美しい白花 Cattleya だと思った。

 アメリカの orchid collector (オーキッド・コレクター ; 洋蘭採集家) John Lager (ジョンラーガー)1900年代初期にコロンビアを踏査し、そこではC. schroederae が最も豊富なCattleyaであることを知った。ある探査で、Lagerはカサナレ川の上の山腹でC. schroederae の最も美しく後に最も有名になった個体を2つ発見した。

 最初の個体、C. schroederae 'Hercules' (ハーキュリーズ ; 《ギリシャ神話》ヘラクレス ; 怪力無双の英雄)は、喉がオレンジ色の美しい、丸い、アルバだった。それは非常に美しかったので、Lager はニュー・ジャージー、サミットの自分自身の蘭の会社 LagerHurrell (ラーガー・アンド・ハーレル)商会の便せんを飾るためにその写真を使った。また、その花の写真は1932AOS会報 第1巻9月号に載せられた。Lager 'Hercules' の分け株を趣味家に売り、それはやがてイギリスの Stuart Low (スチュアート・ロー)蘭商会の手に渡り、その商会がそれを1925年にロンドンで展示出品し、AM/RHSを受賞した。AOSもまた 'Hercules' に、展示出品された1932年6月、AOS第2代会長Fitz Eugene Dixon (フィッツ・ユージーン・ディクスン)によってAMを授与した。

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Cattleya schroederae var. alba  'Unnamed'

 もうひとつの個体に Lager はニュー・ジャージーの自分の栽培場の名称を取ってC. schroederae 'Summitensis' (サミッテンシス)という名前を付けた。これは喉が濃くて赤味の強いオレンジ色でリップは紫の大輪淡紅色の花だった。'Summitensis' は美しい丸形で、これもまた趣味家に売られた。それは後に Major George L. Holford (ジョージ・エル・ホルフォード少佐; ウエストンバートで有名なジョージ・ホルフォード郷)に渡り、彼はそれを 'The Baron' (バロン ; 男爵)という個体名で展示出品した。'The Baron' の名で、それは1908FCC/RHSを受賞し、善悪はともかく、'Summitensis' という個体はそれ以来ずっと 'The Baron', FCC/RHS として知られてきた。

 C. schroederae には濃色の個体はないが、1901年にFCC/RHSを受賞した'Pitt's Variety' (ピッツ・ヴァライァテイ)は、セパル、ペタルが本当に中位のライラック色だった。今日でもこの色に近い   'Severn's' (セヴァーンズ) のような個体を時々見いだすことができる。C. schroederae の喉の深みのあるオレンジ色はこの原種特有のもので、この種の殆どの個体に現れる。しかしながら、どんな Cattleya 原種にも自然に色が変化する特性があるので、喉がレモン・イエローや淡いイエローの個体も多少はある。

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Cattleya schroederae  'Severn's'

 C. schroederaeCattleya の交配に大きな貢献をしてきた。交配者は花型を改良し、大輪にしつつ、C. schroederae のセパル及びペタルの非常に淡い天然色を利用して、Cattleya交配種の芸術調の美しい色を維持してきた。初期の最も成功した異種交配のひとつは Laeliocattleya Elinor (C. schroederae X Laelia Coronet) で、華麗な赤味を帯びた黄色とLaelia Coronet (cinnabarina X harpophylla)の赤みがかった茶色の色合いの殆どを受け継ぎ、まずまずの形の花だった。今日の多くの大輪で展示向きの淡いラベンダー系Cattleya交配種の丸い形は、C. trianaeiからばかりではなく、C. schroederae からもよく出ている。

 Reichenbach C. schroederae を分類する際遭遇した最大の問題は、その生育、開花習性、及び花期にあった。それらは事実上遅咲きのC. trianaei と同じだった。Cattleya. schroederae は遅咲きのC. trianaei i同様、春、生長を始め、その生育は晩夏にC. trianaei と同時に完成する。その後、C. trianaei 同様、開花まで数ヶ月休む。C. trianaei C. schroederae の偽鱗茎は見かけ上同じにみえ、互いに間違えられ易い。C. schroederae の花もまたC. trianaei の花と同じでCattleya 原種の中で最も花持ちの良いものの1つで、通常5週間だ。C. trianaei C. schroederae も共に美しい丸い形の花を咲かせる個体で有名だ。Reichenbach の観点からは、C. schroederae C. trianaei の淡いラベンダーの変種にすぎないようにみえた。他との相違点を見極める為には、その植物を1〜2シーズン栽培してみなければならなかったが、Frederick Sander 男爵のような Reichenbach の友人は、彼にそんな猶予は与えなかった。

 ちょっと気に掛けてみると興味深いのだが、切り花として Cattleya が全盛期だった頃、英国や合衆国では鮮やかな濃い紫紅色のカトレヤがコサージュ用により好まれる花だったが、一方ドイツでは C. schroederae のような淡いラベンダーの花がより好まれた。Reichenbach がドイツの人名 von Schöder という姓の男爵夫人に因んでC. schroederae と名付けたとき、彼はしばしばその功績を称賛されているが、それ以上に自分が何をしているのか承知していたのは彼自身だった。

 優美なピンク- パールの色合いと甘い香りを持つC. schroederae Cattleya 原種王国の魅惑的な乙姫様だ 美しい男爵夫人がしなやかに手を添えてあなたを冬から春へといざなう華麗な花だ。

 A. A. Chadwick さん、1943年アマチュアとして蘭栽培を始め、14才で最初の10坪の温室を建てた。Artさんは2000年10月バージニア州、ウイリアムズバーグの the Eastern Orchid Congress (東部蘭会議) Cattleya原種について講演しているだろう。

 Mr. A. A. Chadwick  520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707 USA

 

 

  Cattleya schroederae の栽培の仕方

 CATTLEYA schroederae は栽培が楽なので初心者向きの洋蘭だ。合衆国の殆どの地域では初春に生長を始め、C. trianaei  同様、6月下旬までに新しいバルブを完成させる。

 適切な栽培環境(30℃、高湿度、十分な清風と日照)を維持すれば、C. schroederae は通常2番芽を出し、8月末に完成する。その後、12月下旬にシースの基部で蕾が膨らみ始めるまで生長を止める。この時期は短日のため、蕾はゆっくり生長し、2月の終わりか3月の初めまで花は開かない。1番芽、2番芽とも両方同時に開花する。

 9月から2月までの休眠中水は控えめに与える バルブに皺が寄らない程度で十分だ。休眠中の過水は根を腐らせたり、花命を縮めやすい。

 3月から8月にかけて活発に生長しているときだけ施肥をする。休眠中は決して施肥はしない。これは時として株を枯らすこともある有毒な塩分を偽鱗茎の中に蓄積させる結果となりうるからだ。過肥による損傷は、菌または細菌による腐敗とよく似ているので間違え易い。

 Cattleya schroederae Cattleya 原種の中で栽培して最も報われるもののひとつだ。なぜならば、花は涼しく(13)、乾き気味にしておけば、5〜6週間はもつからだ。

 すべてのCattleya 原種同様、Cattleya schroederae30℃で十分な日照と風がある環境で、最良の新芽を吹く。活発に生育しているとき水はたっぷり与えるが、鉢内が完全に乾いてから給水すべきだ。C. schroederae の苗は普通生長が速く、他の殆どの大輪系Cattleya 原種よりも速く開花サイズに達するようだ。夜温は、開花株の通常1416℃に対して、苗の場合は18℃に上げた方が生育がベターだ。

A. A. Chadwick

 

 

訳者から

 外国語の発音について 種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り( )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親などを示す( )が後に続いたり、既に( )がある場合などは煩雑を避けるために割愛した。また、全てを英語式の発音とせず、カサナレ(Casanare) 川のような自生地の言語は Español (エスパニョル;スペイン語)の発音を示した。