Cattleya   quadricolor

 

山の湿地の継子

            

     原文・写真 A. A. Chadwick

     

             翻訳       花咲村 熊虞蘭土

 

 大輪 Cattleya原種には、全てのラン科植物群の中で最も波乱に富んだ植物学的分類上の歴史がある。それらは、最初に発見されたCattleyalabiata だったため、Cattlea 即ちlabiata で、その他のCattleya は全て単一種Cattleya labiata の変種と分類された時代から始まって、それぞれの種が独自の種、変種あるいはまた亜変種として断続的に認められていくまでの一部始終だ。私はしばしば思うのだが、もし植物学者が植物標本室に居る時間を短縮して、温室でもっと長時間過ごしていたら、これらの種に纏わる分類上の問題はもっと減少していただろうと。なぜならば、構造や色彩の観察よりも、生長し、開花する生態からの方がこれらの種についてより多くのことを知ることができるからだ。その間、この分野への一貫した影響力は、Cattleya 原種に対する限りない人気と、この植物群には当てはまらない極度に単純化したランの植物構造分類法の受け入れを拒否し続けた博識の栽培家の信念だけだったように思える。

 中でもCattleya quadricolor (クォードゥリカラー) ほど粗末に扱われた Cattleya 原種はない。1864年に種として記載されはしたが、その後150年、曖昧な状態と実体とが入り乱れ、それは 空空漠漠たる状態のままになっている

  Cattleya quadricolor は、 1848年にRucker (ラッカー) という名のイギリスのラン栽培家がコロンビアの旅をした友人から一株貰い、その年初めてランの舞台に登場した。そのランが1849年に咲いたとき、 Ruckerはその花を植物学者 John Lindley (ジャン・リンドゥレイ) に送って、彼にそれが何であるかを尋ねた。当時知られていた大輪 Cattleya 原種は C. labiata Cattleya mossiae だけで、Rucker が送った花はこれら2種とは全く異なると、Lindley は思ったので、彼が Paxton’s Flower Garden (パクストゥン・フラワー・ガーデン) 誌のために書いていた記事の中でそのランのことに言及した。というのは、その新しいランは紫、白、黄、ラベンダーの4色花だったので、Lindley Rucker のランに Cattleya quadricolor (4)という分かり易い名前を付けた。しかしながら、 Lindley C. quadricolor を新種だと宣言することには消極的だった。というのは、1849年当時 Cattleya 原種については殆ど知られていなかったからだ。彼はそのような植物が存在すると言っただけで、それ以上のことは何も述べなかった。

 14年後、 Ruckerが再登場し、別のイギリスの植物学者James Bateman (ジェイムズ・ベイトゥマン)にこのランを1鉢送ったとき、再び新しいC. quadricolor が注目を浴びた。1864Knypersley (ナイパースリー)Batemanの温室でその株が咲き、彼は、1864319日のThe Gardeners’ Chronicle & Agricultural Gazette (ガーデナーズ・クロニクル・アンドゥ・アグリカルチァラル・ガゼッテ; 園芸家年鑑及び農業新聞) に、次いでCurtis’s Botanical Magazine (カーティスィズ・ボタニカル・マガズィン; カーティスの植物専門誌) には色彩画を付けて、それを新種として記載した。 Batemanは、2輪の花、バルブ、及び葉の実物大の色彩画を添え、完全なラテン語で記載し、その種名を付けた点で Lindleyの功績を認め、その新種を Cattleya quadricolor”と判定した。話はそこで終わったはずだった。しかしながら、 C. quadricolor にとって、これは、植物学上の混乱という奇妙な国へ迷い込む可笑しな旅の始まりに過ぎなかった。

Bateman C. quadricolor の記載をした4年前に、植物学者H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライヒェンバッハ) は、自らがCattleya trianaei (トゥリアネー) と命名したコロンビアの別のCattleya 新種の記載をしていた。この花も Bateman C.  quadricolor の中で記載したものと同じ4色花だった。植物学会は懐疑的な目で Bateman C. quadricolor を調べ、終には、彼がC. trianaei の再記載をしたのだと結論づけてしまった。 Bateman C. quadricolor は、 Cattleya 原種の数を増やしたのではなく、突然、 C. quadricolor についての薀蓄の無視という濃霧の中に迷い込んでしまった。C. trianaei や他のいずれの Cattleya 原種にも無い明確な特徴、すなわちC. quadricolor の花は完全には開かないという Batemanの観察に注目する者はいなかったようだ。

半開きの鈴形がC. quadricolor の特徴

 

 その後、1873年に、C. quadricolor は殆ど致命的な一撃を受ける。1873年にベルギー王国の出版物L’Illustration Horticole (リリュストラスィオン・オルティコル; 園芸図解)の中で、Linden (リンデン) André (アンドレ) は、彼らが『ショコのカトレア』Cattleya chocoensis (カトレア・ショコアンスィ) と称するコロンビア共和国の別の新しい Cattleya 原種の記載をした。この花は C. quadricolor 同様半開きで、色も同じ4色だった。ことの起こりは、コロンビアのLindenの採集人が彼に大量のC. chocoensis を送り、Linden は経費を掛けて、できるだけ強力にそれを普及しなければならなかった。Linden は半開きというのではなく鈴形』の花として C. chocoensis の記載をし、それらをもっと人々の心に訴えるランにしようと決意し、彼はそのリップについて熱情的に書いた。それは普通よりも短く、花の鈴形の外観を引き立てていると、彼は感じた。 Linden はまた C. chocoensisC. trianaei とは異なると断言した。 C. trianaei をヨーロッパの園芸界に導入した当人を除いて、誰がこのことをうまく言えようかと。

  Lindenの宣伝趣向は絶好調で、 C. chocoensis はやがて確固不動の Cattleya 原種となり、WilliamasThe Orchid Grower’s Manual (ウイリアムズ・ズィ・オーキッドゥ・グロワーズ・マニュアル; ウイリアムズのラン栽培家教本) Watson’s Orchids: Their Culture and Management (ウォトゥスンズ・オーキッズ: ゼァ・カルチャー・アンドゥ・マネッジメントゥ; ワトスンのラン: その栽培と管理) にはそれが扱われている。勿論、Lindenも自分の優美な書籍Lindenia (リンデニア) にその色彩画を載せた。有名なアメリカの植物採集家John Lager (ジャン・ラーガー) 1894年のThe Orchid Review (ズィ・オーキッドゥ・レビュー; ラン概説)の記事に“自生地の Cattleya Chocoensis”と題してその採集について書いた。反論がひとつだけ植物採集家Roezl (ロウズル) から寄せられた。その原種がコロンビアのChoco (ショコ) 地方には自生していないのに、なぜchocoensis と名付けられているのか、彼には理解できなかったのだ。こうした様々な経緯があって、C. quadricolor は自ずと忘れられた名称になってしまった。

 

   1864年のCattleya quadri-  

    color に関するJames Bateman

    の記載に気付かず、Jean

   Linden は、1880年代、自分の

  Lindenia Cattleya

     chocoensis”の名での新種の

     色彩画を載せた。この絵を見

   も、C. quadricolorペタル

   幅が広く、リップが丸く、半

   開きだということがよく分か

  る。

 

 

   1898年になって初めて誰かがC. quadricolor のイメージを再び蘇らせ、ランの園芸界にそれに対する注意を喚起させた。1898年に、カリフォーニア州ストックトンのアメリカ人A. M. Hoisholt (ホイショルトゥ) 博士はイギリスの出版社The Orchid Review C. quadricolor  The Orchid Review Cattleya 原種のリストから省かれていることに対する反論の手紙を送った。 彼はまた自分の主張を補強するために活花と C.  quadricolor の写真を送った。The Orchid Review の編集長 John Rolfe (ジャン・ロルフィ)はこの件を調べ、その過程の中で、C. quadricolorC. chocoensis が同一の種だということを発見した。無論、C. quadricolor に優先権があり、 C. quadricolor が正しい種名だった。Rolfe はまた C. quadricolor 『美しさにおいてはC. trianaei には及ばないが、その特異性は今や完全な定評となっているようだ・・・』と締め括った。イギリスの当代最高権威者のうちの一人の、そして当時最も広く流布していたランの専門誌のひとつの、C. quadricolor のためのこうした明確な指摘にも関わらず、イギリス王立園芸協会によって運営されている国際登録機関は、今でもなおC. quadricolor の交配種を C. chocoensis の名称だけで記録している。100年以上後も。

  C. trianaei C. quadricolor との類似点は植物学者にとって常に問題だった。花の色彩模様は同じで、両者とも同じ時期に咲き、リードも同じ時期に成熟する。双方ともに開花前に数ヶ月休み、ともに大輪 Cattleya 原種すべてのうちでペタル幅が最も広く、花は非常に長命だ。これらの類似点があるため、 C. quadricolor C. trianaei の変種にすぎないと言うのは容易いことで、今日でも、植物学者は時々この見解を取る。

 しかしながら、 Cattleya quadricolor はコロンビアの C. trianaei とは違う地域に自生していて、C. quadricolor は皆同じ特異な鈴形つまり半開きの花で、それは C. trianaei の特徴ではない。Cattleya quadricolor にはかなり強い、心地良い香りがあるが、 C. trianaeiはもっとほのかで、希薄だ。 Cattleya quadricolor はまた Cattleya としては幾分珍しい環境に自生している。それは山中のじめじめした湿地帯のやや生長の停滞した木々に着生していて、しばしば立ち込める濃霧を浴びる。 C. trianaei や他の殆どの大輪 Cattleya 原種とは違って、 C. quadricolor は、乾き切ってはならない状態、つまり C. trianaei だったら殆どが過湿で枯れてしまうような環境で、最善の生長をする。 C. quadricolor は、明らかに、C. trianaeiとは異なるランだ。その独特の半開きの花のため、 C. trianaei で一杯の温室の中で C. quadricolor の鉢を探し出すのはたやすい。

 


同じC. quadricolor var. semi-alba の正面と側面。ペタル幅が広く、半開き

 

Cattleya 原種として、C. quadricolor には普通の大輪系 Cattleya 原種の色彩全てがある。1864年に一番先にJames Bateman によって記載されたこの植物は美しい semi-alba だった。またalba, albescens もあり、ラベンダーも多い。淡いラベンダーが優位を占め、本当に濃色のラベンダーは極めて僅かしかない。Cattleya quadricolorペタルの幅が広いことで注目されていて、両ペタルが実際にセンターで接触したり、オーバーラップする個体が多い。勿論、Cattleya trianaeiペタルの幅が広いことで有名だが、 ペタル幅の広いC. trianaei C. quadricolor に比べて数が少ない。

 C. quadricolor の大きな問題はその花が常に開いてはいるが完全には開かないことだ。 それらにはC. trianaei の花を非常に美しくし、その人気を高めている素晴らしい4色があるけれども、 C. quadricolor Cattleya 原種の中では継子のままだ。しかしながら、最も広い視野に立ってそれを見るとき、 C. quadricolor は大輪系 Cattleya 原種の中では最も賢いのかもしれない。その鈴形の半開きの花は貴重な生き残りの仕組みだ。それらはハチのような受粉媒体は引き寄せるが、人間のようなランの略奪者の気は引かない。大輪系Cattleya 原種全ての中で、C. quadricolor は今日でも自生地に豊富な唯一の種だから、そのサヴァイヴァル・メカニズムは確実に機能していることになる。

 交配家は、他の大輪Cattleya に比して、C. quadricolor は殆ど使わなかった。その交配種にこのペタルの幅が広い性質を遺伝させようと苦心はしてきたが、完全に展開する花でなければならなかった。この花の色は大輪系に見られる全ての色彩同様美しいので、この種には交配の潜在力がある。C. quadricolorBlc. Helen Huntington (ヘレン・ハンティントン)との異種交配はBrassolaeliocattleya Georgien Cataldo (ブラソレリオカトゥレヤ・ジョージェン・カタルド) の名でこの春登録されるほどだった。その際も、イギリスの国際登録機関によってC. chocoensis の異種交配として登録された。世の中なんてそんなものだ。

 

 

 

      Cattleya 原種コレクショ

 

  ンは、C. quadricolor が欠

 

  けてては、完全ではない

 

  だろう。それは大抵クリス

 

  マスに私のめに咲いてく

 

  れ、クリスマス・イヴに、

 

  私はしばしばそれを『母な

 

  る自然が贈ってくれたクリ

 

  スマスの鈴』に見立ててい

 

  る。

 

 

 

 

 

 

How  to  Grow  Cattleya  quadricolor

 

CATTLEYA quadricolor は大輪 Cattleya 原種のうちで最も栽培しやすい種のひとつだ。丈夫で、普通よりも根腐れに強い。合衆国では大抵2月下旬か3月初めに新芽が出て、初夏までにリードができ上がる。通常最初のリードが完成するや否や2番芽が出て、10月下旬にシースの中に蕾を形成するまで休息する。Cattleya quadricolor は、12月半ば、早咲きのCattleya trianaei が咲き出す直前に開花する。

 活動的な生長期には多量の日照、通風、給水を施す。Cattleya quadricolor は他の大輪 Cattleya 原種よりも湿ったコンポストにも強く、生長中は余分な水も吸収できる。しかしながら、コンポストを決して過湿つまり常にじめじめした状態にしておくべきではない。過湿は根を腐らせてしまう。 Cattleya quadricolor の植え替えは、花後、先端のバルブの根が動き出したら、直ちに行う。

A. A. Chadwick

 

 

 A. A. Chadwickは経験豊富な植物学者であり園芸家で、1943年以来営利、趣味両面で Cattleya 原種を栽培している。彼は南米の Cattleya 自生地を広範囲に探訪し、現在も Cattleya 原種を使って盛んに交配を行っている。令息Arthur E. Chadwick氏とその令夫人Rebeccaさんはヴァージニア州ポウハッタンでChadwick & Son 蘭園を経営している。

 Chadwick氏の住所  520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707, U. S. A.

 

 

 

 

 

 

― 訳 者 か ら ―

 

外国語の発音について 種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り(   )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親などを示す(   )が後に続いたり、既に(   )がある場合などは煩雑を避けるため割愛した。また、全てを英語の発音とせず、H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライヒェンバッハ)はドイツ語の L’Illustration Horticole (リリュストラスィオン・オルティコル),  chocoensis (ショコアンスィ)などはフランス語の発音を示した。

 

C. quadricolor の年暦

1848年 John Lindley, Cattleya quadricolor と命名するが、記載せず

1864年 James Bateman, Cattleya quadricolor の名で記載

1873年 Jean Linden, C. chocoensis と命名し、記載

1898年 John Rolfe, C. quadricolorC. chocoensis を同一種と判定、C. quadricolor の優先権が判明。しかし、国際登録機関はC. chocoensis の使用を続行