Cattleya percivaliana

永遠のクリスマス・プレゼント

原文、写真 A.  A. Chadwick

翻訳       花咲村  熊虞蘭土

  Cattleya percivaliana の無いクリスマスなんて思い浮かべることすらできない。あのかぐわしい香りと濃厚で鮮やかな彩色は、ベーラム・キャンドル、松かさ、そして焼きたてのミンスパイ同様クリスマスには欠かせないものになっている。

 近くの花屋さんで、 クリスマス用に C. percivaliana の花が咲いている鉢を何鉢か買うことができたのは、 そんなに大昔のことではない。 1940年代私がティーンエイジャーだった頃、 私はこうした店に C. percivaliana の鉢物を売ってクリスマスの小遣いを稼いだ。 新しく輸入され、 作りの良いシース付きの鉢を9月に単価2ドル50セントで買い、 12月に花を咲かせて5ドルで売った。 9月にどんなに沢山の鉢を仕入れようとも、 12月の需要を満たすことはできなかった。 同じ値段で蘭が買えるのに、 あえてポインセチアを買おうとする人はいないようにみえた。

   Cattleya percivaliana は他の殆どの貴重な Cattleya 原種と比較して洋蘭の舞台への登場は遅かった。 C. percivaliana が発見されたのは、 Cattleya mossiae の発見から46年後のことだし、 Cattleya trianaei, Cattleya warscewiczii, そして Cattleya lueddemanniana の発見からは20年以上も後のことだった。 それが姿を現したときまでに、洋蘭界ではそれを受け入れる準備が整いすぎているほどだった。 生産者は、 11月に咲き終わる Cattleya labiata と 1月まで咲き始めない Cattleya trianaei との端境期を埋めるカトレヤを躍起になって探していたからだ。 Cattleya percivaliana はこのカトレヤの花の無い12月に咲き、 どこの洋蘭栽培業者も心ときめかせ、 大喜びで歓迎した。 イギリスの洋蘭業者サンダー商会の Frederick Sander(フレデリック・サンダー)は、 Cattleya percivalianaCattleya gaskelliana の発見で、 我々には通年何時でも何かしら花を付けているカトレヤがあると得意になって豪語した。 それほどepoch-making(エポックメイキング;画期的)な出来事だったのだ。

   しかしながら、 その栄光は長くは続かなかった。 新しく発見された原種がヨーロッパ中や合衆国中の何百という温室で開花し始めたとき、 花型が良く、 色が濃く鮮やかで、花季もお誂え向きなのに、 C. percivaliana の花は他の主要な Cattleya 原種の半分にすぎなかった。 期待が大きかっただけに失望も大きく、 英国王立園芸協会の会長Trever Lawrence (トレバー・ローレンス) 卿は、この蘭を褒めちぎり顧客を騙したと言って、Frederick Sander を公然と罵った。嫌悪感から、 Lawrence は C. percivaliana を単に「mossiae もどき」だと苦々しげに吐き捨てた。

   Cattleya percivaliana はサンダー商会の採集人 William Arnold (ウイリアム・アーノルド)によって発見された。 そのとき彼はベネズエラの奥地の探索をした。 Arnold は、 1881年12月 Sander に、 新種と思われる美しい Cattleya を偶然見つけたので、 イングランドへ20箱、 合衆国のサンダー商会の共同経営者に10箱送るという手紙を書た。   この蘭が届いたとき、 Frederick Sander は、 それを Cattleya の新種として売り出すために、 友人の植物学者 H. G. Reichenbach (ライヒェンバッハ)を煽ててこの蘭の植物学的説明書を書いてくれと頼んだ。

   Reichenbach は、 不承不承、 かなり冷めた解説ながらも、 1882年6月17日の The Gardeners' Chronicle(796頁)で園芸界に C. percivaliana を正式に紹介した。 その説明の中で、 Reichenbach は、 手元にはたった20輪のドライフラワーとたった2鉢の花の咲いていない植物しかなく、 あまつさえその説明の基にし、 C. percivaliana を植物体系に組入れるための Frederick Sander の覚書も僅かしか な い こ と を 嘆 い た 。 Reichenbach は、 「若くて時間と資金のある植物学者だったら、 Cattleya labiata の研究の為に自生地踏査をして偉大な業績を挙げるかも知れないのに。」 と言って嘆きに終止符を打った。 こう物悲しげな論評をして、 Reichenbach は C. percivaliana を“Cattleya labiata variety percivaliana" だと評定を下した。 Frederick Sander は激昂・激怒した。 C. percivalianaC. labiata の variety だと品定めしたことで、 Reichenbach は Sander の C. percivaliana の商品価値を半値にしてしまったからだ。

   翌年 James O'Brien(ジェイムズ・オブライエン)は、The Gardeners' Chronicle (ガーデナーズ クロニクル)の紙上で、 C. percivaliana を品種のランクに昇格させた。サンダー商会は彼らの有名な洋蘭の書籍 Reichenbachia(ライヒェンバッヒア)にその時初めて写真を載せたのだが、その第1号を Cattleya percivaliana にして最高の賛辞を与えた。

   Reichenbach は、イングランド、 サウスポート、 バークデイルの R. P. Percival(パーシバル)氏に敬意を表して C. percivaliana と名付けた。 Percival氏は熱心で私的な洋蘭栽培家、 つまり趣味家で、 友人達には「バークデイルの天才的洋蘭栽培家」と称されていた。

    自分の名前が洋蘭の名称の中に出てくる多くの人達とは違って、 Percival は自分の名前にちなんで名付けられた洋蘭を重く受け止めていた。 Reichenbach が C. percivaliana についてあまりにも良いことを書き過ぎたといって非難されたとき、   Percival は、 C. percivaliana が本当に美しく心ひかれる花だということを   Reichenbach に再確認して貰うために自分の最良の個体から切り取った花束を   Reichenbach に送った。 Percival はあちこちのフラワーショーに C. percivaliana を出展し、 FCC/RHS を2つ受賞した。 ひとつは大輪の色の冴えた個体で、 もうひとつは alba の個体だった。

   Cattleya の原種として、 C. percivaliana は特徴がはっきりしていて識別し易い。 その強力な推奨者 Frederick Sander は、 それを他の品種と間違える人はあり得ないし、 「子供だって目を瞑っていてもそれを言い当てる。」 と感じた。 こう言って Sander は子供でもその香りを嗅ぎ分けると思い込んだはずだ。 というのはその芳香は独特で、 一度それを嗅覚すればその後はずっとそれを識別できるようになるからだ。

   Cattleya percivaliana の香りは普通「香料のようだ」と言われ、 たいていの人は好むが、 誰もかもが好むわけではない。 ともかく、 それは、 その芳香が心地よく、 好ましいということに関して唯一話題になる Cattleya の原種だ。

   もうひとつの C. percivaliana を見分ける大事な特徴はその lip の色だ。 lip の喉には、 決まって、 その下部の唇弁の濃い紫色をも下に敷いているようにみえる濃い鮮やかなオレンジ色が入る。 Sander はこの色が「際立って豊潤」だと言い、 Reichenbach はそれを「きらめく色彩が展開しているペルシャ絨毯」に喩えた。 C. percivaliana が初期の交配に使われた重要な理由はこの lip の 色にあるが、 やんぬるかな、 この色は交配種には原種そのものと同じ効果を発揮しなかったので、 殆どの C. percivaliana の交配はあまり成功しなかった。 C. mossiae との自然交雑種 Cattleya Peregrine (ペレグリン)でさえ、 この点ではわくわくするほどのものではない。

   高い評価を受け、 実際注目に値する唯一の C. percivaliana の初代交配種は Cattleya Leda ( percivaliana × dowiana )だけだ。 Cattleya percivaliana は花型が良く、 色彩も濃くて鮮やかだ。 これに C. dowiana の他の紫のカトレヤの色を引き立てるよく知られている効果を加えれば、 C. Leda(リーダ)は親譲りの美しい花になるばかりでなく、 濃い紫の交配種を生む有望な片親にもなる。Cattleya Leda はBrassocattleya Hartland (Bc. Hannibal X Leda )や Laeliocattleya Hyperion (Lc. General Maude × Leda ) のような有名な色彩の濃い交配種の片親だ。 その   Laeliocattleya Cavalese (キャヴァリーズ) との交配種つまり Laeliocattleya Bloody Mary (ブラッディ メアリー)を見ればそれが交配種に濃紫紅色を遺伝することがよく分かる。

 Cattleya percivaliana は1930, 40, 50年代の切り花市場ではあまり振るわなかった。 なぜなら一輪一輪の花が華やかなコサージュを作るには小さすぎたからだ。 C. percivaliana 'Summit' AM-FCC/AOS のような大輪の 2, 3 の優れた個体だけが Lager (ラーガー) や Hurrell (ハーレル) のような生産者によって切り花用に栽培されていただけだ。 彼らは、 私が最後に会ったとき、 クリスマスの切り花用の個体を少なくとも200鉢は持っていた。

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C.percivaliana 'Summit' AM-FCC/AOS

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Grandiflora forms of Cattleya percivaliana

  しかしながら、 鉢物としては、 C. percivaliana は理想的だった。 リード当たり2〜3輪の花を付ける比較的小ぶりな蘭で、 4号鉢1鉢あればクリスマス休暇の時季には美しい飾りになった。

  C. percivaliana は小ぶりなカトレヤと思われているが、 花の横の差し渡しが18cmもあった個体が記録されている。 しかし、 こうしたものはごく稀だった。 標準的な C. mossiae の差し渡し15.2cm〜20.3cmと比較すると、 その標準的な花は11.4cmぐらいだ。

 'Grandiflora'(グランディフローラ), AM/RHS(1916)と名付けられた C. percivaliana の優れた個体があったけれども、 その用語は今日ではあらゆる大輪の個体に、 とりわけ花型が優れ、 通常よりも lip が広いものに対して適用されている。

   Cattleya percivaliana には Cattleya 原種のうちで比較的花型の優れた alba がいくつかあり、 John Lager は自分の有名なラベンダーの 'Summit', AM-FCC/AOS と同じくらい花型も大きさも秀でていると自分で思い込んでいた個体を持っていた。 しかしながら彼の alba の個体には個体名が無く、 彼の死後蘭の世界から消えてしまったようだ。 1884年に FCC/RHS を受賞した R. P. Percival の alba に加え、 'Lady Holford' (レィディ ホルフォード)という個体が1913年に FCC/RHS を受賞した。

   最も有名な semi-albaC. percivaliana 'Charlesworth'(チャールズワース), FCC/RHS(1913) で、 リップの古典的な濃紫紅色とセパルやペタルの白とのコントラストがずば抜けている。 C. percivaliana 'Jewel'(ジューエル) のように、 今日でも一般的に流通している semi-alba は、 'Charlesworth' の lip のあの鮮やかな色合いには及ばないものの、 それでもなおクリスマスの飾りに加えればその配置の中で絶妙な演出をしてくれる。

   C. percivaliana のラベンダー(lavender)系の lip の色は、 濃厚な紫からオレンジ・パープルの中間色まで、 さまざまで、 勿論、 淡いラベンダー色を帯びた albescens (アルベッセンス)や concolor (コンカラー)もある。 lip は Grandiflora 系を除いてたいてい細い。 最も有名なラベンダーの個体は疑いなく 'Summit', AM-FCC/AOSで、 C. percivaliana の他の殆どの個体よりも優美だ。 しかしながら、 非常に暗い感じの、 lip が細い C. percivaliana であっても素晴らしい花であることに変わりはない。

 もし私が蘭友みんなにクリマス・プレゼントを一つずつ贈ってやってくれとサンタ・クローズにお願いできるとしたら、それは10輪余の鮮やかな紫の花が鉢いっぱいに咲き誇っている C. percivaliana になるだろう。 クリスマス・ツリーの傍らのコーヒー・テーブルから微笑みかけ、在りし日の天才 R. P. Percival の広げた手のようにクリスマスの客を温かく迎えてくれるであろう一鉢だ。

 

 

Cattleya percivaliana の栽培の仕方

   CATTLEYA percivalianaCattleya 属の中で最も栽培し易い種のひとつで、 通常生育が逞しく、 病害の無い洋蘭だ。 合衆国では晩冬から早春にかけて生長を始め、 生態遷移のなかでたいていは新芽が二つ出る。 その新しいバルブ両方に11月の終わりから12月にかけて同時に花がくる。 すくすく育ち、 成熟した株の花は少なくとも4週間は持つ。

   Cattleya percivaliana は1200mから1800mの比較的高所に自生している。 しばしば岩の上で発見される岩生植物で、 直射日光をかなり受けている。 しかしながら、 海抜0mに近い低地の温室では、 夏季、 葉焼けを防ぐ為に、 少なくとも30%の遮光を必要とする。 Cattleya percivaliana を最善の状態に仕立て、 最多の花を咲かせる為には多量の日光と風が必要だ。 植え替えは活発に生長し始める前の春に行うのがよい。

   生育力が旺盛で小振りな為、 根塊を解さないように一回り大きな鉢に鉢増しすれば、 C. percivaliana は格好の展示向き洋蘭となる。 こうした環境で育てれば、 5号鉢で10輪ないし12輪咲かせることができる。 ---しかもクリスマスにそれを鑑賞することができるのだ。

A. A. (Art) Chadwick is a director of Chadwick & Son Orchids, Inc., in Powhatan, Virginia. ・ 520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707.