Cattleya maxima

『いない、いない、ばあッ!』 をする蘭

 

原文、写真    A. A. Chadwick

翻訳      花咲村   熊虞蘭土

 

 1777年、Howe (ハウィ) 大将率いる北アメリカの大英帝国軍はペンスィルヴェィニアあたりで George Washington  (ジョージ・ワシントン ; 米国初代大統領) の追跡に忙殺され、アメリカ大陸に自生する植生に関心を持っている暇などなかった。逆に、スペイン人はアメリカ大陸の征服者が交える劇戦はせず、自然を享受し、南米植民地の植物の不思議な国を着実に踏査していた。

 この探検の一部として、スペイン政府は、現在ペルー及びエクアドル領土になっている地域のキニーネの森を調査するために、Ruiz (ルイス)Pavon (パボン) の二人の植物学者を派遣した。優れた植物学者だったので、RuizPavon はまた踏査中に遭遇した植物相を見本で判断し、おし葉標本をスペインへ送ったりもした。こうした乾燥標本のひとつがエクアドルで見つけたラベンダー・オーキッドだった。RuizPavon がそのラベンダー・オーキッドの種(しゅ)としての分類説明書を出版することができたら、それには Cattleya とは違った別の学名が付けられていたいたかもしれない。しかしマドリードは南米からは遠く、二人の標本はスペインの地下資料室の中で劣化していった。一方 Washington はトレントンの戦いで Howe を敗り、新しい共和国の大統領として2期連続その職務に専念した。

 結局、RuizPavon の標本は、何冊かの園芸書や植物書の著者 Aylmer Bourke Lambert (アルマー・バーク・ランバート) に売られた。Lambertはそのラベンダー・オーキッドの特異性を見抜き、その押し葉標本をJohn Lindley (ジョン・リンドレイ) のところへ持って行った。Lindley1831年にそれらを新種だと言明し、それらにCattleya maxima (Genera and Species of Orchidaceous Plants ; 蘭科植物の属と種, 1831年版, 116ページ) と名付けた。

 Hartweg (ハートウェッグ)が生きている植物を見つけた1842年までは、そのひからびた押し葉標本だけが、ヨーロッパの園芸家がC. maxima について持っていた唯一の物証だった。Hartweg はロンドンの園芸協会の採集人で、彼はエクアドルのマラコテス近くのリオ・グランデに接する広大な森林の中でそれを発見した。Hartweg はその植物を英国へ送り、1844年に英国でそれらが開花し、Lindley はその年の the Botanical Register (植物記載登録簿) C. Maxima の記載登録をもう一度書いた。その後、ある奇妙な理由で、Hartweg の植物は園芸界からそっと姿を消し、C. maxima が再びヨーロッパに現れるまでに10年が経過した。

 しかしながら、ここまででは話は半分に過ぎない。というのは C. maxima にはふたつのタイプがあるからだ。生きているC. maxima がヨーロッパに着いたのは Hartweg によって採集された植物が初めてだった。これらは、ずんぐりしたバルブが密生し、葉は比較的短く、直立していて、1花茎に3〜5輪の濃いラベンダーの花を咲かせた。このタイプはアンデス山脈のコロンビア南部からエクアドル及びペルー北部にかけての海抜900から1800mの西側斜面で見い出される。それは "short pseudobulb" (ショート・シュードバルブ) 『短い偽鱗茎』または "upland"( アップランド)『高地』 C. maxima と呼ばれ、1864年まで栽培されたのはこのC. maxima だけだった。1864年、ブリュッセルのJean Linden (ジーン・リンデン) に雇われた採集人Gustav Wallis( グスタフ・ウォリス) は、Linden に1花茎に1221花を付けた61 cmにも達する本当に巨大な蘭を若干送った。彼はそれをエクアドルの海水面に近い低地で採集した。これらの丈の長いC. maxima には淡いラベンダーから中間色のラベンダーの花が咲き、短茎タイプに見られる超濃紫紅色は皆無だった。しかしながら、その美しさにもかかわらず、Wallis の長茎、低地 C. maxima もまた10年もしないうちに園芸界から姿を消してしまった。30年後の1894年になって、夥しい数の長茎、低地 C. maxima がヨーロッパに到来し、2種類のC. maxima がヨーロッパ園芸界でようやくその地位を確立した。

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Cattleya maxima var. coerulea

 Cattleya maxima は合衆国では11月半ばから12月上旬にかけての晩秋咲きだ。C. labiata の花が終わり、C. percivaliana が咲き始める前に咲く。Cattleya maxima には感じの良い芳香と大輪のCattleya 原種を網羅したあらゆる種類の色彩がある。albas, semialbas, 美しく淡い pink のラベンダー ― 特に長茎、低地タイプにおいて― 更に短茎、高地タイプの非常に色の濃い紫がある。また魅力的な coerulea の個体もいくつかある。1800年代末に英国のBackhouse & Sons of York  (バックハウス・アンド・サンズ・オブ・ヨーク) 社が本当に有名な傑出した鮮やかな濃色個体を house ()back( 裏手) に秘蔵していた関係で、短茎、濃色個体を指して 'Backhouse' (バックハウス ; 離れ、裏屋)と呼称することがあるが、これは無思慮というものでふさわしい呼称ではない。

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Cattleya maxima 'Belle' HCC/AOS

 Cattleya maxima は、大輪のカトレヤのうちでその色から簡単に識別できる数少ない種のひとつだ。Cattleya maxima には albas を含め全ての色彩の花の lip の中央に独特の黄色い stripe(ストライプ)が入る。上の個体 'Blle' (ベル ; 美人) HCC/AOSの写真に見られるように、短茎タイプの濃い紫に映えるこの鮮やかな黄色の stripe は、実にきわだっている。John Lindley がこの種に付けたmaxima (マキシマ ; maximum の複数形、最大、最高)という学名については多くのことが書かれてきた。というのもそれがこの蘭に相応しい名称だとは思えないからからだ。Veitch(ヴィーチ)は、1887年の彼のManual of Orchidaceous Plants (マニュアル・オブ・オーキダセアス・プランツ ; ラン科植物教本)で、『殆どの labiata の変種はもっと花が大きいから、その名前はあまり適切ではない』と評した。一部の著者を含め、今日大方の人々は、John Lindley は、当然、低地性の丈の長い偽鱗茎と沢山の花が付いている花茎を見て、C. maxima にその学名を付けたのだと受け止めている。これらの中にはCattleya 原種のうちで最大の花序になるものがあるからだ。ところがどっこい、そうは問屋がおろさない。RuizPavon の押し葉標本から偽鱗茎の長さを掴むことはできなかった。それは中途で切り落とされていて完全ではなかったからだ。花茎もまた完全ではなかった。それは先がもぎ取れていてわずか20cmの長さだったし、花も5輪しか付いていなかった。こんな標本を根拠にして植物に maxima などと名付ける人がいようか。一方、保存されていた1輪のドライ・フラワーは幅18cmで、C. maxima としては大きいばかりでなく、Lindley がそれまでに見たうちでは最大の花だった1831年はCattleya というものが発見され始めたばかりだった。わずか5種― 4種の小輪の2葉Cattleya (Cattleya forbesii, Cattleya intermedia, Cattleya gutata, それにCattleya loddigesii) と1種の大輪Cattleya (Cattleya labiata) ― が記載登録されていただけだ。2葉系カトレヤの花は幅わずか10 cmで、1821 年に種の記載をするために用いたLindley C. labiata の挿し絵も、栽培が非常に稚拙だったため、通常の大きさの3分の2しかない花になっている。

 1831年当時、18 cmの花が咲いているC. maxima がその筋では最大のカトレヤだった。1844年になっても、Lindley は、C. maximaC. labiata に匹敵し、『その花は同じくらい大きい。』とBotanical Register (ボタニカル・レジスター ; 植物記載登録簿)の中で述べていた。Veitchが考察しているように、当時Cattleya maxima は花の大きさを根拠にしてmaxima と名付けられたのだ。この名は植物または花茎の大きさとは無関係だ。勿論18 cm以上の花が咲くCattleya の原種は多い。がしかし、それは今日のことであって、1831年のことではない。

 Cattleya maxima は長い間気まぐれな人気の浮き沈みに振り回されてきた。そして、そのことが、時々誰にも栽培されなくなってしまう原因のひとつになっているのは紛れもない。サンダー商会は他のたいていの主要なCattleya原種を目玉商品にして丁重に扱ったが、その有名な社誌Reichenbachia (ライケンバッキア)C. maxima の写真を掲載すらしなかった。Helen Adams (ヘレン・アダムズ) もまた1940年代のAOS Bulletin (エイオーエス・ブレティン ; AOS会報)Cattleya 原種に関する連載の中でC. maxima をぞんざいに扱った。問題は、C. maxima は大輪の labiata タイプの原種と見なされているが、花の大きさも形もこれらの原種には及ばないということのようだ。丸形のC. maxima はないし、それに近いものすら無い。花は全く星のようなものだし、ペタルもしばしば前屈みになる。、感謝祭の頃から12月初めのその願ってもない花期にも関わらず、私が知る限りでは、1940 年代及び1950年代の間、C. maxima の切り花用栽培はなかった。

 短茎タイプの場合、その魅力の殆どすべては、その花の色にあるようにみえる。一方長茎タイプの場合は、草丈や花序の大きさが資産でもあり、負債ともなっていて、栽培する人がこの蘭の為に備えることができる広い場所があるかどうかに関わってくる。

 本当にC. maxima を魅力あるものにした唯一の人物はLinden (リンデン) だった。彼は二つの人目を引く短茎C. maxima ('Virginalis'と鮮やかな濃色個体) の写真と、それに二つの素晴らしい長茎C. maxima の写真を自分のLindenia (リンデニア) に載せた。後者のひとつ 'Floribunda' (フロリバンダ) の写真は2ページ大で載せた。Linden は、花序が大きく非常に豪華な展示になるため、長茎、低地C. maxima が最良のタイプだと感じた。勿論、Linden は、多数の販売用低地性C. maxima を所有していた最初の人物だったので、これは彼が自分の思惑に粉飾を施したということなのかもしれない。

 玄関や廊下で 『いない、いない、ばあ!』 をして遊ぶ幼子のように、C. maxima は園芸界に顔を突き出し、素早く引っ込め、そしてまた現れ、見る人をびっくりさせる。優美な pastel pink (パステル・ピンク ; 柔らかな淡紅色) の花が咲く長茎低地性C. maxima の美しさに対する人気は温室内の栽培空間の伸縮に応じて盛衰する。一方高地性C. maxima は、今日のように濃色の花が咲く小振りな蘭が流行っているときに、人気がある。

 しかしながら、ペタルが狭いことに目をつぶれば、コンパクトで居間のカクテル・テーブル(カクテル・パーテーに使う立食用のテーブル) にぴったり収まる草本の上の強烈な濃紫紅色を背景にして lip の中央を流れる黄色のストライプが鮮やかなC. maxima を寵愛できよう。もう一方のC. maxima に目をやれば、すらりとした端正なバルブの上のすばらしい花序を愛でることができよう。どちらにしても、Cattleya maxima は天然の不朽の逸品のひとつだ。

 

謝 辞

 この特集に使用するためにペルーの高地性Cattleya maxima の様々な色彩の見事なスライドをご提供戴いたことで Isaías Rolando ( イサイアス・ローランド ) 医学博士に感謝したい。

 

 

Cattleya  maxima の栽培の仕方

 Cattleya maxima の短茎、長茎両種とも栽培は容易いが、両種の栽培要件は若干異なる。 これらは合衆国では春共に生長し始め、11月下旬から 12月上旬に共に開花するが、2種の 最低温度は同一ではない。

 高地性植物として、短茎 C. maxima は普通のカトレヤの夜温14℃あれば申し分ないが、10℃以上であれば問題はない。 しかしながら、長茎 C. maxima は海抜0m近くの低地に自生し、自生地の夜間の気温は18℃〜24℃だ。 長茎 C. maxima を逞しく育てるには、夜間の温度も18℃以下に下げない方が良いので、温室の一番暖かい場所に置くとよい。 C. maxima の両タイプの日中の温度は30℃ぐらいが望ましい。 高地性C. maxima は低地性より強い日照を好むが、両種とも葉が黄ばむくらいの日照であれば、最もよく生長する。両種はまた絶えざる風からも恩恵を受ける。 高地性 C. maxima の葉はしばしば紫味を帯びる。 が一方低地性の方は普通生粋の緑だ。 低地性C. maxima の丈の長いバルブを極限まで伸ばすには、根を旺盛に張らせなければならない。 根を張らせれば株は早く鉢からはみ出し気味になる。(そうすればそれだけよく花が上がる。)

 私はC. maxima をコルク板よりもむしろ素焼鉢で栽培する方が好きだ。 鉢で水持ち良く栽培した方がバルブは長く伸びるようにみえる。 植え替えはリード・バルブ(新芽)から新しい根が出るやいなや行い、肥料は春夏活発に生長しているときだけ施す。
                                                       ─ A. A. Chadwick

A. A. Chadwick 氏は1943年にアマチュアとして洋蘭栽培を始め、14才で最初の10坪の温室を建てた。

Mr. A. A. Chadwick      520 Meadowlark Lane, Hockessin, Delaware 19707  U.S.A.

 

 

  ─訳者から─

 外国語の発音について 種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り( )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親などを示す( )が後に続いたり、既に( )がある場合などは煩雑を避けるために割愛した。また、すべてを英語式の発音とせず、Ruiz (ルイス) とか Isaías ( イサイアス ) のように Espanol ( エスパニョル ; スペイン語 ) はその言語の発音を示した。

 カラー写真について これはAOSマガジン200012月号の特集で、表紙を含め、6枚の鮮やかなカラー写真が載っている。それらのうちの2枚だけをコピーさせて戴き、他は割愛した。