Cattleya lueddemanniana春はC. lueddemanniana とともに原文・写真 A. A. Chadwick翻訳 花咲村 熊虞蘭土
Cattleya 原種を栽培する者にとって、春は感性が一段と高揚する季節だ。この時期は、最高の原種が何種も咲き競うから。春は、Cattleya mossiae (モッシエ), Cattleya mendelii (メンデリー), そしてあの愛らしいCattleya lawrenceana (ローレンセアナ) の季節だ。春は、また、春の風情にさらなる煌きを添える種の中でも最も美しく、しばしば見逃されがちな寵姫、Cattleya lueddemanniana (ルデマニアナ) の季節でもある。
C. lueddemanniana ‘Orlata’この種特有のリップが鮮やかな虹色のラベンダー個体
Cattleya lueddemanniana はベネズエラの蘭だ。しかし、そこでは壮麗で華麗な国花Cattleya mossiaeの陰に隠れている。C. mossiaeと同じ時期に咲くため、C. lueddemanniana は当然の受けるべき評価を殆ど受けていない。それはいつも美しい姉に人気を浚われている内気な妹のような存在だ。 しかし、C. lueddemannianaにはC. mossiae には無い長所がいくつかある。最も優れた長所のひとつは、その理想に近い花形だ。Cattleya lueddemanniana には、Cattleya 属全ての内で最善の花形のものがいくつかあり、そして、C. mossiae とは違って、ありきたりのものですら形は良い。 また、Cattleya lueddemanniana には濃色個体が多く、殆ど虹色の輝きを放つものもあり、そういったものはCattleya 原種の中では類をみない。 しかし、気の毒なことに、C. lueddemanniana ほどその命名に伴う迷惑沙汰を蒙ってきたCattleya 原種は他に例が無い。その学名も発見後殆ど知られていなかったので、この種は実際に3つの異なる種として記載されていて、それらのうち“Cattleya lueddemanniana”は最も知られていない名前だった。 正式な学名Cattleya lueddemanniana は、1854年、H. G. Reichenbach (ハー・ゲー・ライヒェンバッハ) によって命名された。その年、彼はドイツのXenia Orchidacea (クセーニア・オルヒダーツェア) 誌第1巻29ページにこの種を記載したのだ。Reichenbachの記載は、Lüddemann(リューデマン)氏という人から贈られたプラントに基づいていた。Reichenbachは、彼に敬意を表し、彼の名を取って、この種にCattleya lueddemannianaと名付けたのだった。Lüddemannは友達で、フランスはパリの有名なPescatore orchid collection(ペスカトレ・オーキッドゥ・コレクション)の栽培担当者だった。しかしながら、その時既に凶兆が表れていて、Lüddemann が Reichenbach に贈ったプラントには、ラベル間違いで、‟Cattleya maxima”(マキシマ)のラベルが付いていた。 8年後、1862年にRobert Warner(ロバート・ウォーナー)はスコットランド、グラスゴウ近郊のメドー・バンクのDawson(ドースン)氏という人のコレクションの中にC. lueddemanniana を1鉢見出し、それを新種と信じ込み、それにCattleya dawsonii (ドーソニー)と名付けた。 Cattleya lueddemannianaは、Reichenbach が最初にその記載をした後も、殆ど栽培されなかった。イギリスのHugh Low (ヒュー・ロー) 商会が大量に輸入した1868年( 明治元年) までは販売用のプラントは実質的には皆無だった。ReichenbachもWarnerも自分たちが記載した植物がどこに自生しているのか知らなかった。だからLow の採集人がそれらをベネズエラの新たな探索地帯で発見したとき、Lowもそれらを新種として扱い、Cattleya speciosissima (スペシオシッシマ) の名でイギリスのGardener’s Chronicle (ガーデナーズ・クロニクル; 園芸家年鑑) に発表し、Lowの大量の流通供給がヨーロッパ中にC. speciosissima の名を広め、その後100年、C. lueddemanniana に代わってC. speciosissima が栽培業者にもアマチャーにも最も多用された名称だった。当時の蘭栽培業者のバイブル、Williams’ The Orchid-Grower’s Manual (ウイリアムズ・ズィ・オーキッドゥ-グロワーズ・マニュアル; ウイリアムズの蘭栽培家教本) 第7版もこの原種についてCattleya speciosissima の種名で読者に説明しているが、C. lueddemannianaという種名には言及すらしていない。 1880年にこの状況を精査して、Reichenbach は、『そうですねえ、このカトレヤは種名を3つ持っていることを誇りにしていまして、それらは全て相応しい名前です。この種は3つの種名を持つに値しますから。』とC. lueddemanniana に最高の賛辞を贈った。 しかし、C. lueddemannianaの種名から生ずる災難は続き、最初に咲いたC. lueddemannianaの交配種は、それを育生したVeitch (ビーチ) の部下 Dominy (ドミニー) 氏によって、C. mossiae の異種交配として登録されてしまった。 C. lueddemanniana はC. mossiae と同じ時期に咲くが、C. mossiae よりステム当たりの輪数が少ないので、1930年代及び1940年代の切花業者には人気が無かった。そんなわけで、ベネズエラには有り余るほどあったが、C. mossiae やC. trianaei のように大量に輸入されることはなかった。 Cattleya lueddemannianaは栽培業者には関心を持つに値しない二流の原種とみなされた。J. Lindenは、自分の豪華な5巻の蘭の専門書Lindenia (リンデニア)に、C. lueddemanniana の写真を1枚だけ載せたが、その時でさえ彼はそれを‟Cattleya malouana” (マロウアナ)と称した。Helen Adams (ヘレン・アダムズ)も、1940年代のAOS会報掲載の彼女のCattleya 原種に関する記事に、ヴァーチャル上の他の主要Cattleya 原種はすべて載せたが、C. lueddemanniana は含めなかった。 ベネズエラの自生地で、C. lueddemanniana は海岸山脈 the Cordillera de la Costa (ザ・コルディイェラ・デ・ラ・コスタ) の北向斜面の海抜0 〜500 mの至る所に着生している。そこから少し高い内陸のthe State of Lara (ザ・ステイトゥ・オブ・ラーラ; ラーラ州) へと広がっている。両者は色彩、サイズが幾分異なり、それらが異質であるばかりでなく、別々の種だと考えている著者もいる。海岸のC. lueddemanniana は一般に大きく、形が良く、明るい色彩であるのに対し、Lara 産いわゆる”Larense type”(ラレンセ・タイプ) は小型だが、色が濃い。Larense typeは豊富で、C. lueddemanniana には他の殆どの単葉Cattleya原種よりも色の濃い個体が多いため、C. lueddemanniana は多年に渡って交配に重要な影響を及ぼしてきた。Laeliocattleya Lustre (レリオカトレヤ・ラスター) を生み出したのは、Laeliocattlea Callistoglossa (L. purpurata × C. warscewiczii ) と交配した色の濃いLarense C. lueddemanniana だったし、そのLaeliocattleya LustreはBrassolaeliocattleya Norman’s Bay (ブラソレリオカトレヤ・ノーマンズ・ベイ), Brassolaeliocattleya Memoria Crispin Rosales (メモリア・クリスピン・ロザレス) 及びBrassolaeliocattleya Oconee( オコーニー)のような傑出した濃色交配種の遺伝因子となっている。 C. lueddemannianaの白花個体は一定の評価を獲得した。英国王立園芸協会はそれらにFCC3個、アメリカ蘭協会はひとつ授与した。最初のFCCは1892年RHSによって”Sanderiana”(サンデリアナ)の個体に与えられ、その受賞花はReichenbachia(ライヒェンバッヒア)に掲載された。2番目のFCCは1898年イングランド、マンチェスターのW. Duckworth(ダックワース)氏という人によって出展されたプラントに与えられた。3番目の個体 ’The Queen’ (クイーン), FCC/RHSは全Cattleya 属の中で形が最も良いalbaのひとつと考えられている。私は、10代の頃、華麗で、大きくて、丸い、白花のCattleya Lady Veitch ‘Superbissima’ (C. lueddemanniana ’The Queen’ × C. warneri )を見て、どうしてみんなはCattleya Bow Bells(ボウ・ベルズ; ロンドンのイーストゥ・エンドゥ地区のボウ・チャーチの鐘)がそんなに気に入っているのか首を傾げたことがあったのを覚えている。Cattleya Lady Veitch(レィディ・ヴィーチ)の方が遥かに素晴らしかった。
C. lueddemanniana ‘Angel Falls’ C. lueddemanniana ‘Stanleyi’FCC/RHS
C.
lueddemanniana
には優美なsemi-alba
がいくつかある。それらの中には、非常に形の良い’Margaret’ (マーガレットゥ),
AM/AOS(1979年)や非常に大型の’Angel
Falls’(エンジェル・フォールズ)がある。しかしながら、昔からある有名な
semi-alba、’Stanleyi’
(スタンレイ),FCC/RHS(1901年)には、それに纏わる混乱がかなり起こっている。J.
A. Fowlie
(ファウリー)
は、’Stanleyi’と1886年頃の個体C.
lueddemanniana
’Schroederiana’(シュローデリアーナ)とは同一物だと考えているが、これは、RHS入賞時の’
Schroederiana’の写生がないので、確かめようがない。しかしながら、’Cerro
Verde’ (セルロ・ヴェルデ),
AM/AOSには、もっとゆゆしき混乱が存在する。そしてそれはメリクロン増殖され、’Stanleyi’の名で広く流通流布したが、’Cerro
Verde’が’Stanleyi’になんとなく似ているのは確かだ。’Cerro
Verde’, AM/AOSは、私が知る限りでは最も美しく心引かれるカトレヤのひとつだ。セパルやペタルの先端に、またペタルの縁に沿って、ほっそりしたラベンダー模様が入り、それによってこの花は引き立ち、リップは鮮やかな濃紫紅色で、花弁とのコントラストが素晴らしい。しかし、そういったものは’Stanleyi’
には無く、’Cerro
Verde’ と比較すると、’Stanleyi’の楔はぼやけている。’Cerro
Verde’, AM/AOSもまた強健種で、比較的花上がりが良く、初心者にも適する原種だ。
C. lueddemanniana ‘Cerro Verde’, AM/AOS
C. lueddemanniana には美しいラベンダーの個体が多く、正に最高の一品には私の父の名を取って、’Arthur Chadwick’ (アーサー・チャドゥウイック), HCC/AOSと名付けられている。これは特に形の良い巨大輪で、リップは大きな古典的C. lueddemanniana のリップだ。1935年に輸入された山採りプラントだった。
C. lueddemannian ‘Arthur Chadwick’, HCC/AO S
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