Cattleya jenmanii

原文・写真 A. A. Chadwick

翻訳    花咲村 熊虞蘭土

 大輪系Cattleya の新種がベネズエラ南東部のthe Gran Sabana (グラン・サバナ; 大草原) 付近の密林に人知れず自生しているという噂が1960年代半ばにベネズエラの蘭協会に広がり始めていた。こんなに遅くどうして新種が出現したかは人知を絶していた。とにかく、ベネズエラは、1836年のCattleya mossiae ( モッシエ ) の発見以来、120年以上もの間、Cattleya 収集家の採集の的になってきた。実際ベネズエラにはもう人跡未踏の地など残っていないと思われていたので、殆どの蘭愛好家はその考えを「嘲笑」に付してしまった。

 その後、1968年及び1969年に、よく知られているCattleya原種とは全く違う原種が若干山から出た。それらはCattleya labiata (ラビアータ) の劣種のようにみえたが、花にはC.gaskelliana を連想させる甘い香りがあった。数株がベネズエラの有名な蘭愛好家G. C. K. Dunsterville (ヘ・セ・カ・ドゥンステルビーエ) の目にとまった彼は英国の月刊誌 The Orchid Review (ズィ・オーキッド・レビュー;洋蘭概説) 196910月号にそれらに関する記事を投稿した。その記事には「蘭の謎」というタイトルが付けられそれはベネズエラ奥地の紫の幻影を巡って好奇心と興奮のオーラを醸し出した。Dunsterville はこの新しいCattleya の名前が分からなかったので、それをただ"Cattleya guayana"(グアヤナ) と称した。Guayana (グアヤナ; ギアナ地方) とはこの Cattleya が自生していると思われていたベネズエラの広大な地域の地名だ。

 197112月、2年の調査の後、Dunsterville は合衆国の、新しい Cattleya のカラー写真と植物画を売りにしている専門誌 The Orchid Digest (ズィ・オーキッド・ダイジェスト; 洋蘭要約)に更に広範に渡る記事を投稿した。Dunstervilleは、またハーバード大、オークス・エイムズの蘭標本室のLeslie Garay (レズリー・ガレー)に、この種が以前に記載登録されているかどうかを尋ねていた。Garay は、この種が既に1906年に本当に発見されていて、The Orchid Reviewの編集長 John Rolfe (ジョン・ロルフィー)によってその時記載されているという驚くべき事実を発見した彼はCattleya jenmanii と名付けていて、大輪系 Cattleya 原種の希少種だというラテン語による適切な植物学的記載に健筆を振るっていた。

   RolfeKew Bulletin 20 ( キュー・ブレティン:キュー王立植物園の会報20)The Orchid Review 19067月号に 、この原種の記載をしていた。 彼は、 ガイアナ協同共和国、ジョージタウンの国家公務員で植物学者だった故 G. S. Jenman ( ジー・エス・ジェンマン )を称えて、この原種にCattleya jenmanii と名付け、イングランド、サセックス州、ヘイルシャム, ダウンフォードのMiss Sinnock (ミス・シノック) という人に何株か送った。Rolfe が自分の記載に用いたのはこの Sinnock の株と花だった。あいにく、Rolfe はこの新種をあまり重要視しなかったに違いない。というのは、彼は、Cattleya jenmanii の発見を1906年の蘭の分野の重大な出来事のひとつとして、1907年に取扱おうとはしなかったからだ。そんなわけで、その後、C. jenmanii についてはあまり聞かれなくなった。

 初めて出版されたC. jenmanii の写真を見ても、Cattleya 愛好家の多くは、この蘭を手に入れてみようという気にはならかった。Cattleya が初めて栽培された頃のC. labiata 同様、それらは栽培が稚拙で貧弱な個体だった。実際、それらには既定の大輪 Cattleya 原種のいずれかを凌駕して園芸家の心を捉え得るものは何一つ無かった。しかしながら、結局、極めて美しい、特異な、優れた個体が発見され、これらは、今日我々が認識しているように、この原種の特徴の定義に役立ってきた。

 Cattleya jenmanii は基本的には大輪系カトレヤの小型偽鱗茎の仲間で、このこぢんまりした体質は、その強く、芳しい香りや花上がりの良い生態と相まって、この原種の最も顕著な特徴だ。Cattleya jenmanii のラベンダーにはC. labiata と共通の色彩模様があり、中にはC. labiata と間違えられやすい個体もあり、またC. gaskellianaに似た個体もある。しかしながら、Cattleya jenmaniiC. labiata とは区別しやすい。Cattleya jenmanii はシングル・シースで、C. labiata は普通ダブル・シースだから。また、Cattleya jenmanii はたいていはC. labiataよりも花が小さく、C. labiataの花期の終わりに咲く。C. jenmanii には C. gaskelliana に似た素晴らしい香りがあるが、開花習性によって C. gaskelliana とは分離できる。合衆国内の環境下では、C. gaskelliana はまだリードが生長中に開花するが、C. jenmanii は、C. labiata 同様、リードを完成させた後、開花まで2〜3ヶ月休息する。また、C. gaskelliana は合衆国では6月に咲くが、C. jenmaniiは通常秋咲きだ。

 C. jenmanii C. labiata とのシングル・シース対ダブル・シースの違いを無視している著者もいる。というのはC. labiata が時にはシングル・シースだったり、シースが無いこともあるし、C. jenmanii も時にはダブル・シースになることもあると知られているからだ。しかしながら、ダブル・シースが C. labiata の基本的特質ではないとする考えは不合理だし、C. jenmanii C. labiata との明確な違いを混同しているきらいがある。C. labiata99%以上はダブル・シースだし、シングル・シースだったり、シースの無いごく僅かなものは自然変異にすぎない。 シングル・シースの C. labiata は、リップがふたつある C. labiata と、何ら異なるところはない。こうした現象は栽培または突然変異によって本当に起こるが、それらがこの種の基本的特徴でないことは明白だ。C. jenmanii がベネズエラ産 Cattleya の固有で、特異な種だということには何ら疑い を差し挟む余地はない。結果、ベネズエラの誇りとする単葉 Cattleya 原種は、6種、すなわちC. mossiae, C. gaskelliana, C. lueddemanniana, C. lawrenceana, C. percivaliana と、それにこのC. jenmaniiだ。

 C. jenmanii は、生息地ベネズエラでは、海抜 4001,100 m の間の比較的鬱蒼とした森林に自生してる。こうした地域の気温はだいたい1530℃の範囲で変化する。Cattleya jenmanii には、木の枝に着生している着生植物と、剥き出しの岩に着生している岩生植物の両者がある。やや隔絶した地域に由来する遺伝形質群がふたつあると考えられている。ひとつは、比較的形が良く、サイズも大きい淡色から中間色までのラベンダーの花を付ける植物群で、もうひとつは花が小さく、形も貧相だが、色は遙かに濃い植物群だ。自生状態では、C. jenmanii は2月から4月にかけて1度、9月10月にもう1度、年2回咲くようだが、合衆国の栽培環境下では通常秋咲きのみだ。

C. jenmanii var. alba 'von S' AM/AOS

 Cattleya jenmanii にも大輪系 Cattleya 原種の持つ標準の色彩模様が何でも揃っている。美しいalba ( アルバ ) の個体、'Fuchs Snow' ( ヒュークス・スノー ) は、AOSから滅多に出ないFCCを受賞した。また、大変魅力的なsemialba(セミアルバ)の個体もいくつか出ている。lavender ( ラベンダー ) の良個体もあるし、魅力的な coerulea ( セルレア ) だって出ている。2年前、私のベネズエラの読者のひとりが、私が楽しむようにと、私に coerulea の個体を1鉢送ってくれた。そして私はその通りそれを享受している。それはよく花を付け、家中を芳しい香りで満たし、Cattleya原種の中で私が今までに見たうちで最高の coerulea のひとつだ。この1鉢で C. jenmanii は私のお気に入りのひとつになった。

C. jenmanii var. coeruleya  生では希少。流通しているものはシブリングが多い

   C. jenmanii の可愛らしい特質のひとつは花上がりの良いことだ。それは通常1花茎に3輪から5輪咲き、元気が無く手入れの行き届いていない株でも、更なる衰弱をも顧みず力を振り絞り3輪は咲かせる。Cattleya jenmanii は1花茎に7輪もの花を付けることで知られている。

C. jenmanii tipo     花上がりが良い

   1906年になって初めて発見されたので、C. jenmanii Reichenbachia ( ライヒェンバッヒア )Lindenia ( リンデニア )またはWilliams' The Orchid-Grower's Manual ( ウイリアムズ・ズィ・オーキッド・グロワーズ・マニュアル; ウイリアムズの蘭栽培家教本 ) といった有名な昔の蘭の書籍のいずれにも記述もされていないし、写真も載っていないが、Sander's Orchid Guide (サンダーズ・オーキッド・ガイド; サンダーの蘭の手引き ) 1927年版には、labiata 系の希少で型の良い原種・・・ 』と述べられている。サンダー ズ商会は交配に C. jenmanii を使う努力をした唯一の会社だ。1954年、サンダー商会は C. jenmanii C. percivaliana との交配種を開花させ、それはそれまでに登録されたこの原種の初めての異種交配だ。サンダー商会はその異種交配をとても貴重なものだと考えたので、それに Cattleya David Sander ( デイビッド・サンダー ) と名付けた。1969年の再発見以来30余年が過ぎても、登録されている C. jenmanii の他の異種交配は無い。C. jenmanii の発見以前は、ベネズエラの the Gran SabanaC. lawrenceana ( ローレンセアナ ) の自生地として知られていた。それで C. jenmaniiC. lawrenceana との自然交雑種つまりCattleya xgransabanensis ( カトゥレヤ・自然交雑種・グランサバネンシス ) が見つかっても別に意外ではない。

   1906年に記載された後、C. jenmanii を再発見するまで60年以上もかかったとは全く奇妙な話だ。まるでアーサー王の有名な魔術師マーリンがこの原種に魔法の杖を振って、60年間眠らせる呪文をかけたかのようだ。その魔法の眠りの間に、C. jenmanii は、略奪するヴィクトリア時代の植物採集人とともに、「カトレヤ原種の黄金時代」を見逃し、1930年代及び1940年代の間、巨大な営利温室を満たす為にジャングルを荒らし回った切り花商人の毒牙を逃れたが、結局は1960年代になってこの蘭が何万と捨てられる羽目に遭った。呪文が解け、C. jenmanii が眠りから覚めてみると、時勢は環境認識と種の保存の時代になっていた。── 幸運な蘭だった。しかし、C. jenmaniiでさえ現地の略奪者からは免れることはできない。彼らはこのカトレヤを合法的に国外へ持ち出すことができない観光旅行者に売るのだ。だからベネズエラの栽培者は植物を護り、種の保存を確実にするために兄弟交配を続けなければならなかった。

 マーリンのように、 C. jenmanii が歳月を重ねるにつれ歳を取るどころか若返り、蘭が生長して大輪 Cattleya 原種という宝石のひとつになる所ならどこででも花が咲いてくれることを願わずにはいられない。C. jenmanii Cattleya 原種の新しい時代の貴重な仲間だということは当然のことだ。Cattleya jenmanii には交配親としての履歴が殆どないが、小振りな蘭なのに花は比較的大きい点から始まって素晴らしい香りに至るまで魅力的な特質が多い。Cattleya jenmanii は私たちのお気に入りの Cattleya 原種だけを集めた現代の殿堂へ本当に快く迎え入れられる優れた種だ。 現れるのは遅かったが、待つだけのことはあった種だ。

 

<Cattleya jenmanii の 栽 培 の 仕 方>

   CATTLEYA jenmanii は栽培に関する限り伝承的 Cattleya 原種だ。夜間15℃、日中30℃の通常の温度領域を要する。日当たりの良い、絶えず空気が動いている環境を備え、合衆国のような温帯地域では寒い冬期間は乾き気味にする。特に腐敗し易いということはないが、夜間や曇天の日には葉や新鞘に水滴が付着しているのは好ましくない。Cattleya jenmanii の植え替えはリードに新しい根が出始めたときにのみ行う。カトレヤに使われるバーク・ミックスのような標準的植え込み材ならいずれも適し、合衆国では通常初夏に新芽が完成し、晩秋に開花する。

A. A. Chadwick

  Cattleya jenmanii について更に理解を深める手だてとして、www.orchidweb.org を閲覧する方法がある。Armando Daniel Betancourt のこの新熱帯地域の蘭に関する別の話を知ることができる。もっと沢山の写真とともにテキストも組み入れていて、彼は、もっと広く栽培される値打ちのあるこのベネズエラの美人の物語を付け加えている。

 

 

から

外国語の発音について

種名、個体名、人名、誌名、カタログ名等は原語で表示し、発音はできる限り(   )内にカタカナで示すように努めたが、交配名や交配に使われた親などを示す(  )が後に続いたり、既に(  )がある場合などは煩雑を避けるため割愛した。また、すべてを英語式の発音とせず、G. C. K. Dunsterville ( ヘ・セ・カ・ドゥンステルビーエ ) や Guayana (  グアヤナ ) などのベネズエラの言語は公用語のスペイン語の発音を示した。

C. jenmanii の 歴 史

1906 発見。RolfeCattleya jenmanii と名付け、記載。その後60年余登場なし

1960    地元で自生の噂が広まる

1968    周知の原種とは異なる Cattleya 原種が若干山から出る。再発見

1969    Dunsterville Cattleya guayana と称して、The Orchid Reviewに投稿

1971    DunstervilleThe Orchid Digest に投稿

                Garay1906年に Rolfe により Cattleya jenmanii の名で記載されている事実を発見