現状報告 - 2000年5月

 AYUCAが2000年5月に現地で行った活動の報告です。
 地名については活動地域地図を参照してください。写真をクリックすると大きくなります。
 
ホンジュラスの現状と活動状況(5月)
2000年6月6日  金井優子

■AYUCAの活動状況
トタン板を乗せた家(00年5月) 1.ベインティシンコ・デ・アブリル村で22軒分360枚のトタン板、60ポンドの釘を配布しました。ほとんどの家にトタン板がすぐに乗りました。このこ とから、住民たちがこのトタン板を本当に必要としていたということがすぐに分かりました。
 しかし、まだトタン板を必要とする人達がいます。残りの資金、彼らの状態を見た上で、もし援助できるのなら、もし資金があるのなら、援助をしていきたいと思っています。まだ、彼らの家のチェックをしていません。資金的に援助できそうであれば、これから彼らの家、生活状態をチェックしていこうと考えています。

2.ベインティシンコ・デ・アブリル村でのスイカ栽培は、今のところ順調に行っています。今スイカの実がなり始めたという段階です。スイカ(00年5月)あと1ヶ月もしないうちに食べられるくらい育つといっています。その頃がとっても楽しみです。
 しかし、今、スイカに蚊(彼らは蚊だといっていますが、私にはそれが蚊には見えません。とにかく蚊みたいな小さい虫です)が卵を生み始めています。それを殺すための薬が必要です。早速買いに行く予定です。この薬でスイカの被害は防ぐことができます。
 彼らは本当によくスイカの世話をしているように見えます。スイカの実がつき始めたこれからの時期の大量の雨は、スイカをだめにしてしまうので、今は大量の雨が降らないことをみんなが祈っています。彼らの真剣なスイカの栽培を見ていると、本当にこれがうまく行って、彼らの生活に少しでも役に立ってくれればと、思います。

3.シリン村の5軒の家を援助することになり、彼らに援助をするということを告げました。ここでも、ベインティシンコ・デ・アブリル村と同様、はじ めにトタン板を載せる状態にまで家作りをしてもらい、その状態になったときにトタン板を配布する、ということを言いました。彼らには、6月中にトタン板を配布できると考えています。

■1年半が経過して
 ハリケーン・ミッチから1年が経った頃、再びカタリーナと名づけられた暴風雨が被災者たちを襲い、やっとそのカタリーナから半年が経った頃から、被災者たちが精神的に立ち直り始め、これから生きていくために、再び人生を始めるために、何か始めなくてはいけない、と考え始めるようになりました。そして、多くの人達が、私に「村で組織を作って、共同で魚の養殖をしたいのだが、その資金援助をお願いできないか」、「共同で米の栽培をしたい」などと言ってくるようになりました。
 しかし、ミッチから1年半経った今、ほとんどの援助団体がこの国から去っていき、住民たちは何も起こせないという状態にいます。ミッチから1年半以上も立った今頃そんなことを言い出しても・・・などと思う人もいるかもしれません。しかし、世界的なニュースにはならなかった、約半年前に彼らを襲ったカタリーナによって、ミッチが来たときと同様の被害を受けた彼らにとって、このとき受けた精神的ダメージはミッチが来た時以上のものとなりました。
 ミッチによって失ってしまったものを再び何とかして取り戻そうと必死になっていた時に、カタリーナによってあっという間に再び失ってしまった彼らにとって、この時受けたショックは本当に計り知れないものでした。それでも、生きていかなければならない彼らは、何とか今立ち直り始め、これからは彼ら自身で何かを始めなければならないと、考え始めるようになったのです。しかし、世界的ニュースになったミッチから1年半以上経った今、被災者の今の生活、精神状態を気にかける人達というのはほとんどいなくなってしまったのです。しかし、まだまだ彼らには他の人たちの援助が必要なのです。
 世界各地で継続して何らかの自然災害、被害が起きています。その度に、それらの地域に援助の手が届いています。しかし、ブームが去ると、それらの援助も去っていきます。そして残された被災者たちは、まったく生活していくめどが立たないままの状態でほったらかされていくのです。私の眼の前の状況を見て、いったい本当の援助とはなんだろうか、と疑問に思う毎日です。




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