現状報告 - 2000年2月

 AYUCAが2000年2月に現地で行った活動の報告です。
 地名については活動地域地図を参照してください。
 
ホンジュラスの現状と活動状況(2月)
2000年3月08日  金井優子


■AYUCAの活動状況
1.クアクにトタン板21軒分、378枚を配布し終わる。また、フレナカインにトタン板10軒分(105枚)を配布。
 これによって、ひとまずクアク、フレナカインでの援助が終わった。後は、彼らが提供した物資をちゃんと家作りのために使ってくれたかどうか、というチェックをするのみ。

2.次の援助地であるベインティシンコ・デ・アブリルに行く。ここでは以前20軒分だけ援助を行なった。この時は、まだ活動中の別地域での援助が終わっていなく、資金がどれほど残るのかわからなかったため、20軒分しか援助ができなかった。しかしそのときの調査で、実際にはその倍以上の人たちが援助が必要と思われるような状態で生活をしていた。
 そこで、今回これまでの援助地域での活動が終わり、新しい地域を選ぶ段階で、彼らのことがどうしても気がかりだった為、再びこの村を訪れることにした。
 彼らの生活状況というのは、MITCH後本当に厳しいものとなってしまった。また、昨年にこの地域一帯を襲った暴風雨「カタリーナ」によって再び家が崩れてしまったり、育てていた作物が全滅してしまったりという被害を受けた。
 この村の代表(教会の神父たち)と話をして、以前援助しきれなかった残りの家々、カタリーナで新たに被害を受けた家々のリストを作ってもらうことになり、3月9日にそのリストを元に再びそれらの家々の調査をすることとなった。約20軒の家がリストに上がることとなる予定。

3.TRUJILLOから車で15分ほど行ったところにあるシリンという集落に住む人が私のところに援助を求めてきた。話を聞くと、彼らが住むところは集落から歩いて10分ほど離れた山の中にあるため、シリンに援助が届いても、彼らの元までまったく援助が届かなかったらしい。彼の言うことを疑いながらも、とにかく一度その場所に行ってみようと思い、早速彼に案内され、そこに行った。確かに彼の言うとおり、集落から歩いて15分はかかる離れた山の中に6軒の家があった。すべての家が樹の葉っぱの屋根で、本当に貧しい生活を送っていた。仕事は人の土地の草刈をするなどで日銭を稼いでおり、その日その日食べるだけで精一杯といった感じらしい。ハリケーン・ミッチ以降は、以前よりも仕事を見つけにくくなっていて、生活に困るようになったという。確かに彼らの生活を見ると本当に苦しそうなのが伝わってくる。
 彼らには、新しい地域で活動をはじめたばかりなので、その地域が終わらない限りここでの援助活動はできない、ということを言った。また、もう資金が底をついてきているということ、家を失ったということではないので、援助できるかどうかも分からない、というようなことを言った。しかし、私としては彼らに援助をできるのならしてあげたいと思っている。

4.ベインティシンコ・デ・アブリルの住民たちがスイカの栽培を始めたがっている。しかし、それを始めるにあったての資金がなく、その資金の援助をしてくれないか、ということを私に言ってきた。今はスイカを栽培し始めるシーズンで、スイカは3ヶ月で食べれる状態まで成長するらしい。ひとまずその時には、はっきりとNOと言ったのですが、関心を持ち、いったいどれくらいの資金が必要なのか、ということを今調べている。ここの住民は、定職を持ていない人がほとんどで、近くにあるパーム椰子のプランテーションで、不定期に雇われて何とか食べていけるだけの金を稼いでいる、といった大変きつい生活を送っている。このスイカ栽培が彼らの生活の助けになるのなら手伝えないかと思っている。  まだ、調査段階なのですが、1マンサナ(1.75エーカー)でスイカの栽培をしようと思うと、実がなるまでに約3000レンピーラの資金がかかるという。

(シリンの6軒分のトタンの援助とベインティシンコ・デ・アブリルのスイカ栽培への支援は検討の結果、行うことで同意された)

■活動地域のその他の状況(?)
最近のAYUCAの車の調子ついて  車のバッテリーがまただめになってしまって、今は毎回止まるたびに、車を押さないとエンジンがかからない、という状態です。で、来週末に大家さんのお父さんがサンペに行くと言うので、そこで新しいバッテリーを買ってきてもらおうと思っています。というのも、TOCOAで買うよりも安くて良いものが買えるからです。だから、今は毎回押してエンジンをかけてます。


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