第1章
『予感』
第2章
『動揺』
第3章
『運命の瞬間』
第4章
『巨星逝く』
第5章
『回顧』

1章 予感

1994年イモラサーキット

4月29日金曜日午後1時17分09秒。バリアンテ・バッサでジョーダンハートのルーベンスバリチェッロが宙を飛んで時速200kmでコンクリートウオールにクラッシュ、グリーンにたたきつけられた。幸い彼は鼻骨骨折だけでモナコGPには出走可能な程度の軽傷ですむ。しかしこれは”悪魔のサンマリノGP”のはじまりにすぎなかった。
  バリチェッロ後日談

『バリアンテ・バッサのシケインを高速で突っ走っている途中で突然グリップがなくなった。ガードレールに向かって突進して、フロントが浮き上がり、ひっくり返った。いったい何が起こったのかとっさには分からなかったよ。僕は感覚が麻痺して、頭がぼうっとして、本当に痛いのかどうかも定かじゃなかった。救助されて、サーキットの医療センターから病院に運ばれたんだけど、あんな事故のわりに怪我は軽くてすんだ。
でも、ショックを考えて医者はレースには出ない方がいいと判断した。それで、荷物をまとめてすぐに帰宅した。その週末に何が起こったのかは、テレビで知ったんだ。僕は泣いたよ。それまでの緊張と不安が吹き出したんだ。』

4月30日土曜日午後1時18分。ビルヌーブ・コーナー進入で右フロントウイングのフラップを飛ばしたシムテックのローランド・ラッツェンバーガーが、コースを横切ってコンクリートウオールに激突。コクピットにうなだれたままのラッツェンバーガーは、レスキュー隊によって救い出されて心臓マッサージを受け、ヘリコプターでボローニャのマジョーレ病院に運ばれたが、ほぼ即死の状態だった。
ラッツェンのマシンのモノコック左側には大きな穴が。
   【高速,タンブレロ・コーナー】

イモラ・サーキット、タンブレロ・コーナーでは大きな事故が過去3件発生している。
そしてそれら3件とも有力チーム、有力ドライバーが遭遇している。
これら3件は幸い大事にはいたらなかったものの、最悪の予感をさせるに充分なインパクトを与える事故であったことは間違いない。

  【1】 ネルソン・ピケ 1987.5.1
青・黄・白に塗られたウイリアムズのマシンがその場所に現れたとき、突然にしてまるで強大な力に引っ張られるかのように2回転して吹き飛ばされ、後ろ向きにコンクリート壁に激突した。病院に運ばれたピケの頭部は、直ちにCTスキャンにかけられた。幸いなことに脳はまったく損傷を受けておらず、しかも奇跡的に身体の方も無事だった。
この事故の原因としてリアタイヤパンク説が有力であり、事実グッドイヤーは万が一の為に備え、すべてのタイヤを引き上げ、飛行機をチャーターして代替のタイヤを運び込み、全チームに供給しなおしている。

  【2】ゲルハルト・ベルガー 1989.4.23
第2戦サンマリノGP決勝4周目、5番手走行中のベルガー(フェラーリ)がタンブレロ・コーナーでコースアウト。壁に激突し、クルマは停止した直後に炎上、素早い鎮火作業により、手にヤケドを負ったものの、1戦を欠場しただけでレースに復帰した。
『時速280km近くでコンクリート・ウォールにほぼ正面から激突し、しかも200キロ以上の燃料を背負っていたんだ。かなり大きな衝撃を受けたあと、クルマ全体が一気に炎に包まれたんだ。幸いなことに九死に一生を得たわけだけど、今にして思うと焼け死ななかったのは運がよかったとしか言いようがない。あの日のこと、あのクラッシュのことは、決して頭から離れない』
事故の原因としてジョン・バーナード
『ベルガーがシケインの縁石に乗って、フロントウイングを壊していたため』
と証言しているのだが…。

  【3】リカルド・パトレーゼ 1992.5.8
金曜日、ウイリアムズを駆るパトレーゼはここイモラでフルディスタンス・テストに臨んでいた。それはタンブレロ・コーナー出口で起こった。
パトレーゼのマシン左側後部が大破。

マシンはコンクリート壁に激突、サスペンションの一部をもぎ飛ばしながら壁の反対側へと飛ばされていった。ヘルパーたちがパトレーゼをマシンから降ろすと、彼は軽い脳震盪をお越し、首を痛めて身体の何ヶ所か打撲していることが判明したものの、それは軽度のものであった。このアクシデントがコーナーの進入時でなく、脱出時に発生したことが幸いした。彼は事故後
『右リアタイヤのパンクがマシンの制御を突然失う原因だった』
と証言している。

第2章 「動揺」に続く