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  山桜桃(ゆすらうめ)



  「お邪魔します」
 通い慣れた骨董屋の暖簾を指先で軽く跳ね上げて、女子には少し重いかな?
という古めかしいガラス戸を開ける。
 からからからっと小気味良い音がして、目の前に開けた店内は、あいも変わ
らず雑多な雰囲気に包まれていた。
 生理整頓の上手い如月さんが、麻雀の賭けで負けたメンツに心置きなく掃除
をさせているにも関わらず雑然としているのは、『骨董屋』という店の質によるも
のなのだろう。
 「如月さん?」
 『やあ、いらっしゃい?』
 いつも変わらない穏やかな声は聞こえず、小さいけれど黒檀で設えてある品
の良い整理棚と、どうにも店の雰囲気には合わないレジスター、檜の香りが衰
えることない文机が置かれた小さな座敷にも、その姿はなかった。
 「失礼しますね」
 如月さんがいない時は、店番の式をつけてあるはずなのに、それもいないと
なると。
 「何かあった、とか?」
 靴を脱ぎ、端に揃えて置くと、嘗て知ったる何とやらの調子で、店の中を通り
抜け、普段僕らがお邪魔することの多い、居間に続く渡り廊下を歩く。
 「へぇ?随分と早いなあ……」
 廊下からよく見渡せる庭先には、まだ蕾が多いが、幾つか花開いている桜の
木が植わっていた。
 「東京の開花情報だと……3月下旬という話だったけど」
 今日はまだ、3月10日。
 下旬には少々間があった。
 居間の障子に手をかけて、すっと開けると。
 「やあ、いらっしゃい」
 湯飲みを手にした如月さんが座っていた。
 「もう来る頃だと思っていたから。お茶でも、とね」
 見れば木目の鮮やかなイチョウの木から切り出した座卓には、二人分の湯飲
みと茶菓子が用意されている。
 「……今日伺うって、言ってませんよね?」
 「そうだね。でも来る気がしたから」
 さらりと言われてしまったが、普通ならわかるはずもない。
この人の勘の良さには舌を巻く。
 「人様から頂いた初物だったから、紅葉に食べさせたかったんだ」
 「この、和菓子ですか?」
 「そう。好きだったと思ったけれど。山桜桃」
 ……僕が山桜桃を好きだなんて、如月さんに言った覚えは無いんだけど……。
 だいたいそんなマニアックな話、しないよな?
 「あれ?嫌いだったとか?龍麻から聞いたんだけど」
 「いえ、好きですけど。如月さんに言った覚えがなかったものですから。情報提
  供者は龍麻ですか。あ……でも龍麻も好きだったと思いましたけど」
 確か果物好物リストのベスト5に入っていた気がすると、首を傾げれば。
 「あー知ってるけど、龍麻に食べさせると風情がないからね。それに彼は加工
  品はあまり好きじゃないし」
 「こういうのも加工品になるんですね」
 淡い桃色の花びらが浮かんだすりガラスの器乗っている和菓子は、恐らく葛で
固めてあるのだろう。
 透明の饅頭のような形の中央に、形の良い山桜桃が封じ込められている。
 「質の良い葛を使っているから、まず、山桜桃の素材を損ないはしないだろう
  けどね」
 はい、と渡された竹の匙で、葛を掬う。
 微かに香りがついているのは、果汁などを混ぜたわけでなく、山桜桃の移り
香らしい。
 人工の香料を使わない和菓子は、品も良く、口の中ですっととろけた。
 「葛も良い味を出してるけど、山桜桃も甘いよ?」
 薦められるままに、崩れた葛から現われた山桜桃を舌の上に乗せる。
 鮮度の高い果物特有の歯触りも心地良い。
 味は、如月さんが太鼓判を押すのも納得の、やわらかな甘味がとても好みだ。
 本来は甘さよりも、さくらんぼなどに比べてすっぱさの方が強いのだけど、余
程熟したものを、タイミングよく使ったからこその仕上がりなのだと思う。
 「気に入ってくれたようだね」
 「ええ。ありがとうございます。一人暮らしだと、なかなか果物や和菓子まで買
  えませんから」
 「僕も自分では買わないかな?……貢がせるけど」
 如月さんにモノをねだられて、断れる人間はそうそういないだろう。
 ……少なくとも僕は知らない。
 「これは店の方でご贔屓筋のご老体が持ってきてくださったんだけどね。
  この山桜桃を……ああ、商品名もそのまま山桜桃っていうんだ……
  売っている和菓子屋っていうのが、もともとは中国産の果実を使った
  和菓子ばかりを置いているんだそうだ」
 「へぇ、それは変わってますね。劉君なんか喜ぶでしょうに」
故郷を中国の奥地に持つ、明るい関西弁も流暢な後輩が頭の中で嬉しそうに
手を振っている。
 「劉、ね」
 如月さんは、劉君の話になると途端に口が重くなる。
 嫌い、というよりは。
 苦手らしい。
 同じ苦手でも村雨さんの話になると、必要以上に饒舌になるのだけれども。
 如月さんの口を噤ませるには、劉君の話を持ち出せばいいと、密やかに囁か
れるほどだから、重症だ。
 「君がどうしてもっていうのなら、連れて行ってもいいけど……」
 「ええ?」
 っていうか、何時の間に和菓子屋さんへ行くなんて決まった?
 「きっと君が好きな和菓子、たくさんあると思うよ?」
 「……そうですか」
 嬉しそうに畳み掛けられては否定なんてできやしない。
 勿論、否定なんてはなっからするつもりもないけれど。
 「じゃあ、さっさと日付を決めてしまおう!」
 いそいそと箪笥の上に置いてあったカレンダーに手を伸ばす如月さんの様子
が、何だか微笑ましくて。
 とても、嬉しくて。
 必要以上に顔がにやけてしまうのを堪えるために、程好い熱さを保っている
緑茶に口をつけて、飲み込むと。
 ほうっと一つ。
 満ち足りた息をついた。




                        
*如月&壬生
 ほのぼの茶の間劇場。いかがだったでしょうか?ちなみに山桃桜の和菓子                                     
 近いものはあるらしいです(検索してみました・笑)が一応オリジナルです。
 この二人、日本間で茶をしながらスーパーのチラシ見てそうですよねー(笑)




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