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  春霖(しゅんりん)


 
  「すいません、遅れました」
 門下生も残っていない夜半。
 紫暮道場に訪れるのは、珍しいことじゃあない。
 「……五分も過ぎてないじゃないか。全く律儀な奴だな」
 途中まで、はもっていた声が、一つになる。
 僕が来たので、己を、二人から一人にしたのだ。
 特異な技を持つ宿星の仲間内でも、如月さんと紫暮さんしか持たない技。
 如月さんは忍者なので、修行の中で培っていったらしいが、紫暮さんは龍麻
に逢ったことによって、その血が目覚めた、といったところか。
 分身とドッペルガンガーでは、正確にすれば違う技なのだけれど、己の移し
身を生み出すという点においては同種としても間違いない。
 稽古相手がいない時は、本来ならその姿を見たものは死にいたるという己
のドッペンルゲンガーと対峙するというのだから、凄まじい。
 醍醐君も練習熱心な人だったが。
 紫暮さんは彼に勝るとも劣らないだろう。
 気が付けば僕専用にと常備してあった、胴着に手早く手を通す。
 帯を締めると、精神までもが研ぎ澄まされて、引き締まった気になるのだか
ら、不思議なものだ。
 「少し。座禅を組んでもよろしいですか?」
 それでも紫暮さんを相手にする時には、更に精神を高めるようにしている。
 命の取り合いにしてはいけない真剣勝負は。
 暗殺者の僕には、ちょっとばっかり厳しい。
 「ああ、俺も汗を拭きたいからな。気がすむまで組んでいればいいさ」
 言い様上半身をはだけて、タオルでごしごしと汗を拭き始めた。
 見れば額にもべったりと髪の毛が張り付いている。
 一体このすっかり暗くなってしまった道場で一人、どれほどの鍛錬をつんでい
たのか想像もつかない。
 暗殺屋として、実践にことかかないはずの僕が、簡単には勝てないというのも
頷ける。
 道場の中央で座禅を組み、目を閉じて黙祷に挑む。
 紫暮さんの荒い息遣いが届き。
 篠突く雨足が、遠く、聞こえ。
 さしたる間を置かずに。
 全ての音が消える。
 ごっそりと切り取られた、静寂の中では。
 寂しい、という感覚すら薄れてゆく。
 意識が周りと同化してしまうといえばいいのか。
 雑念が少なくはない僕だったけれど。
 紫暮道場での座禅は、どこでするよりも楽に意識を溶かしてしまうことができ
た。
 道場の雰囲気というよりは、紫暮さんの余りにも武士然とした風情に引き摺
られるのかもしれない。
 ほんの一瞬。
 目を閉じていたはずなのに、一時間以上過ぎている時すらあった。
 今もまた。
 「……随分、降るな」
 汗を拭き終えたどころか、僕のすぐ隣すっかり寛いでいるらしい紫暮さんが、
僕に話し掛けるまで、どれぐらいの時間がたっていたのか。
 「……ええ、そうですね」
 意識が急速に現実に戻ってくるのに、少々手間取り。
 こめかみに指をあてる。
 「大丈夫か?」
 「心配させてしまって、すみません……もう、大丈夫ですよ」
 「そうか」
 ほっと胸を撫ぜ下ろす紫暮さんからは、鍛錬を行う時特有の覇気が消えて
いる。
 座禅を組んでいる僕を見ている間に、まったりとした気分になったのかもし
れない。
 「こういう雨をね。春霖と、いうんです。低気圧がもたらす雨で雨滴が景色に
  遮幕を張るように降り注ぐ所から、きたんだそうですですけど」
 「しゅんりん?」
 「春という文字に、雨冠の下に林で霖」
 「へぇ?梅雨なんていうより、涼しそうに聞こえるな」
 「そういわれてみれば、そうですね」
 しとしとと降り続く雨に、気が滅入ったりもするが。
 暗殺に、雨はありがたいので、助かるといえば、助かる。
 まあ、気分的にはやっぱり、滅入る、が近いけれども。
 紫暮さんに『涼しそうだ』といわれれば、陰鬱な気分もさらりと乾いてゆくよう
だ。
 「……何だか、熱い日本茶が飲みたくなってきたなー。煎れてくれるか?」
 「僕でよければ、喜んで……鍛錬は、いいんですか?」
 「いつでもできるからな。せっかくお前と一緒にいるんだ。のんびり茶を飲む
  のも悪くはないだろう?」
 お茶を飲もうなんて発想は、きっともともと紫暮さんにはなかった。
 如月さんに影響されて僕がたれた薀蓄が、想いの他、紫暮さんにも浸透し
ているらしい。

 あいかわらず、雨がしっとりと降り注ぐ最中。
 僕と紫暮さんは、真夜中のお茶を楽しむ為に二人。
 道場から紫暮さんの部屋がある、母屋へと足を向けた。




*紫暮&壬生
 何度書いても、苦手です。よって、短い。
 うぬー。いつかは克服しないといけないんですが。
 紫暮&壬生は他の方も書いていらっしゃるからなー。
 ……と、思って検索を書けたら。
 ほとんど新作はなかった。
 がっくり。が、頑張らないと(半泣)
 
               




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