真昼の野蛮 紫暮編


 「これで、良し、と。どこもきつくないですか?特におなかのあたりどうです?」
 「いや大丈夫だ。ゆるいということもないが苦しくもない」
 「それは良かった。せっかくのお祭ですからね。屋台物食べられないのは寂
  しいですから」
 背中越し、浴衣の帯を締めながら紅葉の笑う気配が届く。
 「決して旨いものでもないんだが、食べずにはいられないな」
 「兵庫さんは何が好きなんです?」
 「最近の好みは大阪焼きだな。卵まるごと一個使ってあるのが良い。キャベ
  ツと乾燥イカの細切りがたくさん入って入ればいうことなしだ…俺に出来る
  ことはあるか?」
 手早く俺を着替えさせた紅葉は手際良く自分の着替えを始める。
 「いいえ、全然。一人でできますから大丈夫ですよ?」
 くすくすと笑い声をたてながら紅葉は、ズボンを脱ぎ日に焼けない太ももを
晒しながら手馴れた風に浴衣を羽織る。
 襟足を丁寧に整えると胸元の辺りをゆるく引いて足元を揃えつつ腰で長さを
調節した。
 「何時見ても器用なものだ」
 紅葉の浴衣への着替えを見るのは今に始まったことじゃあない。
 二人きりで温泉なぞに行ったりもしたし、骨董屋での何らかの集まりに着物
を好む如月にあわせて着ることもあった。
 如月が眉根を寄せるほどにいい加減な着方が得意な村雨の衣装同様、如
月宅には紅葉用の着物が準備されている…それぐらい頻度の高いことだから、
慣れもするだろうといわれればそれまでなのだが。
 俺は紅葉が浴衣や着物に着換える様を見るのが大好きだった。
 「…兵庫さん、待ちくたびれましたか?」
 二人でいるときだけ紅葉は俺を"兵庫さん"と呼ぶ。
 別に皆がいる時でも呼んでくれて一向に構わないのだが、名を呼ぶに付け
てにやけてしまうのが恥ずかしいのだと言って、普段はかたくなに"紫暮さん"
と出会った時と変わらない声音で呼んだ。
 傍目から見ていてもにやけているとは思えないのだが、幸せそうに見えるか
もしれないとは、龍麻談。
 まー呼び方ぐらいで何が変わるわけでもないので紅葉の好きなようにすれ
ばいいと思うのだが、二人きりになり紅葉の穏やかな声音で名を呼ばれるの
は純粋に嬉しかった。
 「いや。いつも器用に着るな、と思っただけだ」
 「そうですが?自分ではもっと手際よく出来ないものかと思っているんですけ
  ど…如月さんのように、とまではいかなくとも」
 学校以外のほとんどの場所で着物をまとう如月と同様に着付けをし、また着
こなすようになるに難しいだろう。
 こと家庭的な面において器用さを発揮する紅葉だったけれど、如月と違って
四六時中着物を着る環境にそもそもいないの
だから。
 ……例えば紅葉の母親がご健勝であったのならば、それも可能かもしれな
いが。
 今の紅葉には暗殺業に身を費やす時間が多すぎる。こんな風に俺の手前
で浴衣に帯を巻いている図こそが珍しいのだ。
 「兵庫…さん?」
 暗い色が顔に出てしまったのか、不安そうな紅葉がなぜか怯えめいた色を
乗せて俺を見上げてくる。
 「考え事をしてしまっただけだ…そんな顔をするほどのことじゃあない。悪か
  ったな。準備はできたのか?」
 「こちらこそお待たせしてしまって…申し訳ないです」
 気のせいかもしれないが紅葉は時折俺の前、妙に他人行儀になってしまう
ことがある。
 まがいなりにも恋人、同士なのだからもう少し親しげでも問題ないと思うの
だが、俺の大事な思い人はなかなかにかたくなだ。
 これが村雨辺りなら気の聞いた言葉でもかけて緊張めいたものを緩和させ
るのだろうが、俺にはそれが難しい。 
 先に立って下駄を履いていた紅葉が、俺の下駄を準備してくれる。
 「すまないな」
 足先を下駄に差し入れて馴染ませた。
 「いいえ」
 足がきちんと下駄の上に収まったのを見届けた紅葉は、俺を真っ向から見
つめ花綻ぶように笑って見せる。
 選んだ相手が紅葉で良かったと、何度でも新鮮に思ってしまう笑顔に思わず
まごつきながら、照れ隠しの代わりにと紅葉の頭を軽く叩くと祭りへ向かった。

 「さすがに凄い人ごみだな…大丈夫か、紅葉」
 夜の祭りとは違い、昼間の祭りということもあってカップルなどよりも家族連
れや小さな子供達が多いのが、やっかいといえばやっかいなのかもしれない。
 「はぐれた時の待ちあわせ場所、決めておいた方が無難かもしれませんよ」
 でかい図体が二人、人ごみの中を縫うのは簡単ではない。 
 今も紅葉の胸の辺りに女の子の髪飾りが引っかかってしまい、はぐれそうに
なる。
 「とりあえず…何か買って空いている境内の方で食べるとするか」
 どうにか女の子の髪飾りを壊さないようにとってやり、意外に映るのだろう
慣れた手つきで簡単に女の子の乱れた髪を直して『すみませんでした』と頭を
下げる紅葉を、ナンパでもしかねない熱烈な女の子達の目線から隠すように
立ちはだかってから紅葉にこっそりと囁く。
 「そうしましょうか」 
 見るからに残念そうな顔をする女の子達に会釈をする紅葉を急いで促す。
それほど女の子達の目線は必死だったのだ。
 「あ!あったぞ、大阪焼き!」
 人の波に飲まれないように紅葉の手をしっかりと握り込んで屋台へと向かう。
長身の二人でがたいを生かせば対岸へ渡るのぐらいなら、さして難しくもない。
 「紅葉も食うだろう……どうした?」
 ふと隣を見やれば紅葉が真っ赤な顔をして俯いている。
 「いえ…僕も食べますので…お願いします」
 「あ、ああ」
 人ごみにあたって熱でもだしてしまったのかと心配しながらも、紅葉が『あ
れとそれを』と指差した二つはキャベツと乾燥イカの細切りがはみ出でるほ
ど入っている奴だったので、ちょっとだけ安堵もし屋台の裏手に回る。
 さすがに人が疎らな屋台裏で、紅葉がようやっと顔を上げる。
 「すみません……手、突然握られたので……驚いただけです。何だか馬鹿
  みたいに緊張してしまって……」
 そんなセリフを言われてしまったら、どんな顔をすればいいのだろう。
 夜、二人で蒲団に入れば恐ろしく妖艶な風情で喘ぐ、見惚れてしまうほど
の淫らさと、たかだか人ごみの中はぐれないように手をつないだだけで頬
を染める初々しさとを絶妙なバランスで飼っている紅葉は、いつでも新鮮な
驚きと共に俺をひきつけてやまない。
 「手、汗掻いてるから。気持ち悪いでしょう?」
 「そんなの全然気にならないがな。だいたい俺の方が汗かきだろうに」
 手を離して自分の浴衣で軽く拭うと、もう一度、指を絡めて握り締めれば、
しなやかな指がきゅっと力を込めて握り返してくる。
 「驚いただけで、けっして嫌なわけではないんです…兵庫さんの手は暖か
  くて、大好きですよ?」
 ……何だか俺の方の熱こそ上がってしまいそうだ。
 「俺も好きだぞ?いつでも適度に冷たい……紅葉の手は…な…」
 「……ありがとうございます」
 「さ、冷める前に食べてしまおう?食べ終わったらそうだな……亀でも掬っ
  ておくか」
 名残惜しさを噛み締めつつも、指を離して大阪焼きの入ったパックを手に
乗せれば、紅葉は爪楊枝で器用に一口大に切り分けた上で、一番大きなひ
とかけらを口の中放り込んでくれる。
 「はふい、熱い、けど旨いぞ。紅葉もさめないうちに食えよ」
 「ええ、頂きますよ。この微妙な粉っぽさがいいんですよね」
 紅葉の口に入る寸前の大阪焼きから、タイミング悪くぽと、と落ちたソース
を指先で拭う。そのまま何の気なしに自分の口元に持っていき嘗めてしまえ
ば、紅葉の顔が、再び鮮やかに紅く染まる。
 俺はまた目を細めてまじまじとそんな紅葉を見つめては、声をたてずにゆる
く微笑んだ。

                                             END




*紫暮×壬生
 今時の小学生でも貴方!手を握られただけで緊張しますかい!(しかも既に
 ラブラブモードに入っていて)…という話を書きたかったようです。甘くて自分、
 のた打ち回ってしまいそうです。早く仕上げるつもりが結局前半から1週間か
 かってしまいました。とほーり。それはさておきこの話。真昼シリーズにも関わ
 らず夜祭り設定にしてしまったのに気が付かず、慌てて後半を書くときに話を
 あわせたことは内緒にしておいてくださいまし…。
 次は外法帖か真昼シリーズの村雨か如月。10月は本も出す気でいるから9月
 中にアップしておきたい所…。
                                 

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