憐々の理


 『普通の人々は浮き足立っている時期ですからね。すきも多い。成功率が高 
  い分、仕事の依頼は少なくないのですよ』               
 "良かったらクリスマスを一緒に過ごさないか"と紅葉へ誘いをかけた時の返
事がこれだった。    
 『もしも、時間が作れるようでしたらご連絡します』
 たぶん駄目なんだろうと派手に落胆したのが、顔に出たのだろう。
 最近俺に向けてちょくちょく見せてくれるようになった、華のある笑顔で俺を
魅了しながら紅葉はそう約束してくれた。               
    
 「お疲れ様でした!」              
 「ありがとうございました!」          
 夜も十時を回った頃。
 紫暮道場では門下生に開放していた道場の扉を閉める時刻に、俺は家路
につく門下生達の挨拶に返事をしながら道場の鍵を閉めた。
 「あれ、紫暮さん。今日……夜間稽古は、なしなんですか?」                   
 門下生の一人が頭を下げた後に話しかけてきた。  
 比較的熱心に通ってくるその顔ならば、あまり人の顔を覚えない俺でも見覚
えがある。          
 「ああ。今日はここまでだ」          
 「ははーん。今年こそは彼女さんと一緒に過ごすんですね?とうとうやりまし
  たね、紫暮さん!」
 腰のあたりにタックルを仕掛けてくる、すばしっこいけれども小さな体の首ね
っこを掴んだ。    
 「そんなに色気のある相手じゃない」
 最近の小学生は何ともませたものだ。
 苦笑しながら答えれば、しつこく食ってかかるのが困り者といえば困り者なの
か。    
 「でも、やっぱり約束があるんじゃないですか!」 
 「まあ、な」
                 
 "道場が閉まる頃でよろしければ時間が取れそうですが、それでいいですか"
という電話が昨日入った。
 せっかく数ヶ月前から人に頼んで用意していたプレゼントが無駄にならない
のも嬉しいが、久し振りに紅葉の顔を見られるのが何より喜ばしかった。  
 この時期、通常の数割増の仕事をこなさねばならない紅葉の体は休まるこ
とを知らない。
 家に電話をすればずっと留守番電話対応で、メッセージを残せば数日して
返答がある有様だ。
 携帯電話の方にかければもう少し繋がりもいいのだろうが、なんだかあん
まりにも束縛しているようで好きじゃないので、余程の急用がない場合は使
わないようにしているせいもあって、とにかく連絡がつきにくい。
 拳武館独自の理に適った仕事しか受けないというのならば、世の中にそれ
だけ死んだ方がましという人間が多いのだろうか……。
 紅葉は些か働き過ぎだ。
 館長の信頼も厚い証なのだろうが、それが本当に紅葉のためになってい
るのかどうかを考えると。    
 ……難しいところだ。             

 「さあ、寒いからな風邪をひかないように気をつけて帰れよ!」
 首から手を放してやると何だか不服そうに喉を鳴らしたが、それでも少年は
元気よく頭を下げて走っていった。

 「何だ、雪か?ホワイトクリスマスとはまた、風情があることだ…」             
 柄にもなく呟いて、ほうと吐いた息が部屋の中でも白い。
 しんしんと足先から冷えてゆく異常な寒さが不思議で窓にかかっているカー
テンに手をかけると、はらはらと雪が舞い降りていた。  
 部屋の暖房器具をきっちりつけている八畳間ですら、暖かさが伝わり切らず
底冷えする。
 紅葉はこんな中をやってくるのだ。
 風邪などひいたりしないだろうか?        
 「とりあえず…暖かい物を…。紅茶でも淹れておいてやるかな?」
 道場での稽古が長引いたりしてうまく時間がかみ合わなかった場合、紅葉
をこの部屋で待たせておく時に、退屈しないようにと色々な物を持ち込んでみ
た。
 そんな数々の品物の中で、紅葉が一番気に入ったのは紅茶のティーセット。               
 いつだったか門下生の母親が、中元だか歳暮だかに送ってよこしたものが、
 こんな風に使われるとは思ってもみなかった。
 あいにくと俺の家族には紅茶を嗜む習慣がなかったから、押し入れの中で
埃を被っていたそれをひっぱりだしてきたのは、紅葉の紅茶好きを聞いてか
らだ。   
 きちんとティーポットで淹れるタイプのセットを一式棚に置いてみたら、案の
定興味を示した紅葉は"使ってみてもいいですか"と俺に尋ねた上で、紅茶の
葉を何種類か持ち込んだ。
 何かの折に見るとしてもティーパックで淹れたものだけだったので、紅葉が
楽しそうに淹れてくれる一連の所作はおもしろく飽きもせず見守ったものだ。          
 「こんなもんか?葉の分量が、今一つよくわからんのだが…」               
 約束の時間は後少しで五分過ぎを回る。
 余程のことがない限り指定した時間には遅れない紅葉に、できれば丁度よ
い熱さの紅茶を飲ませてやりたい。
 見よう見真似でやってみたが紅葉が淹れるようにはいかなかった。
 何だか……苦そうな色をしている。
 「遅く…なりました」               
 低いがよく響く囁きが耳に届く。         
 ティーポットを手に振り向けば、闇の中からそのまま現われたような、真っ黒
ないでだちの長身が軽いノックと共に現われた。            
 「おう。お疲れ。寒かったろ?」         
 何だか紅葉がいつも淹れてくれる紅茶よりだいぶ渋めの色をした液体になっ
てしまった気がするのは、誰がどう見ても間違いないようだ。
 出そうか出すまいか迷っていた俺の目の前にあるカップを、これも黒い手袋
を外した紅葉の手がそっと掬った。
 「いただきます」               
 床に置かれたロングコートを皺にならないようにとハンガーにかけてやりな
がら、表情を伺う。    
 「渋く、ないか?」               
 「いえ、丁度いいですよ。熱さも、渋さも。僕好みです」                   
 淡い笑顔で言われて、試しにとカップを借りて一口含んでみるとかなりの渋
さが舌を刺した。     
 「そうか?……ん!…んっ苦いぞ…!」        
 「紫暮さんは薄めが好きですからね。…淹れ直しましょうか」                 
 「あ…その前に頭を拭いておけ。まだ雪が残っているぞ。風邪をひいたら大
  変だからな。きちんと拭いておいた方がいいだろう」        
 雪は大きめの牡丹雪。             
 吹く風はないので本来なら全て傘が受け止めてくれる雪を、だいぶ頭に被っ
ているのは、紅葉が俺の家に着くまでずっと走ってきたからだろう。            
 「すみません。お借りします」         
 バスタオルを頭に被せると、受け取った紅葉がゆるやかに頭を掻き回す。
 融けた雪が紅葉の額を伝って一滴、つっと頬を伝う。
 「飯は食ったんだろう?」
 ぼんやりと滴が滑る様を見届けてから、慌てて尋ねる。          
 「ええ、すませてきました」          
 「俺も食った。ま、ちょうど小腹も空いたところだしケーキにでもするか」          
 「では紫暮さんの紅茶も、紫暮さん好みの薄さに淹れ直しましょうね?」      
 「そうだな」                 
 慣れた手つきでティーポットを使うしぐさに、やはりちょっと目を奪われなが
らケーキを取り出した。
 小さいがきちんとワンホールだ。         
 ケーキの旨さに目覚めて以来、生クリームというものにどうしても惹かれて
しまう。
 今日買ってきたものも生クリームがたっぷりと乗ったイチゴのケーキだ。
 さすがのクリスマス仕様で砂糖細工のサンタクロースとトナカイまでもが、
ご丁寧に乗せられている。
 買う時はかなり恥ずかしかったが、いかにも誰かに頼まれたという態度で
やり過ごした。
 「さすがにワンホールは迫力がありますね」
 紅葉は食べる者の目付きというよりは、作るの者の目付きでじっとケーキ
を見つめている。
 自分では作らない物を見るとつい、作り方を分析してしまうのだと以前言っ
ていた。 
 「あまり見ないか?」             
 「一人だとなかなか…皆が来れば別ですけど。自分でで作る時は、手間が
  いらない分パウンドケーキ系が多いですし。あ、今日も少しですけど…作
  ってきました」

 紅葉が部屋に入ってくる時に抱えていた荷物の内、小脇に抱えられていた小
さな箱がテーブルの上に置かれた。                    
 「いつも…同じもので申し訳ないですけど」   
 「紅葉ムースって奴だな」           
 「はい……その呼び方もすっかり定着しましたね」
 「名付けの親は劉か蓬莱時ってトコか?」    
 開かれた箱から型に入ったヨーグルトムースが取り出される。                  
 「たぶん。そのどちらかだとは思いますが…えーと」
 「皿か?これっくらいの大きさなら、乗せられそうだな」                  
 差し出した皿の上に型をひっくり返すが、なかなか中身が落ちてこない。             
 「寒いですからね。少しお湯をかければ落ちてくると思いますけど……」              
 言われた通りにお湯を手渡すと、紅葉は裏返した型に薄く注いで、何度か型
を揺する。
 ムースがふるふるっと震えて皿の上に落ちてきた。
 「他の物も考えたんですけどね。ケーキが甘い分甘さ控え目のこれにしてみ
  ました。作り慣れてもいますから」              
 「一度、心ゆくまで食ってみたかったんだ。大人数だと一口ぐらいしか回って
  こないからな」 
 「たくさん作っては、行くんですけどね。欠食児童が多いですから」    
 二人分の紅茶も淹れ終り、ケーキとムース、そして取り皿が並べられたとこ
ろでやっと落ち着いた俺と真向かいの位置に座り直した紅葉に、提案を一つ
ばかしあげてみる。             
 「紅葉…頂きものなんだがな、実はシャンパンがあるんだ…」               

 『何だ兵庫!クリスマスにお前が人呼んで、しかも二人きりですごすなんて
  初めてじゃないか…プレゼントまで用意してよ?』       
 どこから聞きつけてきたのかそんな事を言ったのは、二番目の兄。               
 『可愛い弟のためにこれでもくれてやろう!せいぜい酔わせてコトにでも及
  んじまえや。あ…勿論後で色々聞かせろよ?』          
 と、一緒にすごす相手は時折道場で手合わせを願う紅葉、つまりは男なの
だと言う暇もなく。
 とんでもない言葉つきで渡されたものだったが、どうやら品物はいいようだ。
 念の為と酒に詳しい友人に聞いてみたら、口当たりもよく初心者向けだとい
う。  
 紅葉はあまり酒が得意ではなかったがこれくらいなら大丈夫だろうと思い…
聞いてみたのだが…。    
 「シャンパン…いいんですか、未成年が飲んでも。武道家ともあろう貴方が?」         
 言いながら目が笑っている。
 如月の家で、龍麻の家で、紅葉の家でも。
 だいたい皆が集まる場所で、お互い幾度となく飲んでいるのを知っていた。
 今更酒ぐらいではどうのこうの言わないことも、それは…良く。                    
 「今日ぐらいは、構わんだろう?キリストさんのめでたーい誕生日だそうだか
  ら」       
 せっかくだからと台所から拝借してきたワイングラスを細く、背を高くした底
の浅いシャンパングラスを二つテーブルの上に置く。          
 コルク抜きを使って栓を開けるとグラスに注ぎ淹れた。
 しゅわしゅわと気泡が弾ける小さな音が耳に届く。 
 「じゃ、乾杯といくか」         
  「何に、ですか」               
 「ま、ここは…無難に」            
 「メリークリスマス!」            
 絶妙のタイミングで二人の声が、重低音の綺麗な和音になってはもる。
 グラスをそっとあててガラスの触れ合った音を聞きながら、ぐっと一息に飲
み干したアルコール度は低く、親父の晩酌に付き合わされている俺にとって
は、お子様が飲むシャンメリー程度には軽い。     
 「大丈夫か、紅葉」              
 対して紅葉の方は俺に合わせて一気に呷ったものの、既に顔がほんのり
と赤くなってしまった。    
 「平気です…食事もしていますから」       
 「なら、もう一杯いっとけ」  

 自分のグラスに淹れたのよりはちょっとばっかし少なめにグラスを満たして
やった。        
 「えーと。酔わない内に渡しておきますね」   
 二杯目を口に含んだ後で、紅葉の背中の後側に置かれていた大きな紙袋
を渡して寄越す。      
「気に入ってもらえると嬉しいんですけど…」  
 「随分とでかい包みだが?」          
 たぶん包装も自分でしたのだろう。
 真っ白い紙袋の中には見た目にも変わった黒い紙で包まれた、金のリボ
ンがかかった箱が現われた。
 丁寧にリボンを解き包装紙を開くと中の箱の蓋を取る。
 中身を覗き込んで目を見張った。
 「…よく…時間があったな?普通何ヶ月もかかるものだろう、これは…」            
 箱の中には手編みのセーターが入っていた。
 しかも素人目の俺が見てもかなりの出来栄えだと思う逸品だ。                     
 それが市販のものでないのがわかったのは、紅葉が手芸部でかなりの腕前
を持っているのを知っていたのと。
 市販品についている、首の後ろのタグがなかったからだ。
 手で触れてみると毛の感触がなんとも心地良い。
 「サイズもたぶん…合うんじゃないかと思いますが、きちんと計りませんでし
  たからどうでしょう?」 
 「じゃ、早速だけど着てみてもいいか?」    
 「ええ」                   
 箱から取り出したセーターを頭から被る。
 タートルネックのセーターは今日紅葉が着ているものと同じ型だ。                 
 「ん、袖が少し余るくらいかな。後は誂えたようだ。
  あ……。ちくちくはしないんだな」   
 「一応カシミア百%で仕上げてみましたからね。肌触りは悪くないと思います
  よ」       
 「すっげー暖かいわ」             
 「それは良かったです。あまり時間がなかったので凝ったものは作れなかっ
  たんですが…」   
 「いや、かえってこれぐらいシンプルな方が俺には、良い」                 
 真っ黒のタートルネックは凝った刺繍も編みも施されてはいないのだが、そ
の分高級感が漂う感じがして俺にはもったいないくらいの仕上がりなのだ。      
 上半身がふわりと暖かく、肌に触れる毛糸の優しさに思わず膝をずりなが
ら紅葉の側へ回って、その手を取って抱き寄せた。             
 「紫暮さん?」                
 「いや、こうすると心地好さと暖かさが伝わるかなと思ったんだが……」              
 「シャンパンをもらったせいで、もうだいぶ暖かいですよ」                 
 抗わない体を膝の上に抱え上げて背中に体重をかける。
 この体勢なら紅葉の背中から、セーターがくれた俺の熱が伝わっているだ
ろう。            
 「まーまー。ほら、感触もいいだろう?」       
 指先で袖口を引っ張って後ろからそっと頬に触れてみた。                    
 「…想像通りの仕上がりですね。毛糸の専門店に足を伸ばして二〜三時
間見て回りまして、この光沢が気にいったんですよ。勿論滑らかな感触も…」    
 腰に回った俺の手を一行に気にすることなく、いつになく多弁な紅葉は先程
のシャンパンで些か酔っ払っているらしい。             
 今でも何となく酒には強そうなイメージがあるので、酔っている姿を見るにつ
け意外に思ったりもする。  
 「すごくつやつやしてるな、確かに」      
 頬に触れたままのセーターに伸ばされた指先を、そっと拾って。                 
 「俺のはこれだ、男に贈るもんでもないかと思ったん だが。紅葉にはその
  …似合いそうだったんで、な」
 自分が用意した縦長の六十センチ位の箱に触れさせた。
 緩慢な動作で箱の包みを解いてゆく紅葉の指先が驚いたのか、ひたりと止
まる。          
 「これは…!」                
 酒に酔わされてうっとりとした表情に、淡い喜色がさっと広がった。
 心の底から微笑む、その笑顔を見られただけで苦労したかいがあったもの
だ。        
 「月花美人…」                
 目の端が綺麗な弓を描いて、俺の腕の中で紅葉の力が甘い溜め息と共に
ゆるく抜けた。
 紅葉が花好きなのは、付き合いだしてしばらくしてから知った。                 
 "母親の見舞いに"と花屋へ寄るのに付き合った時に、静かに目を細めなが
らゆっくりと花を見て回る様がとても嬉しそうだったのを見てそうなのだと気が
ついた。 
 そんなわけでたぶん自分のためのクリスマスなんてものを考えもしないだろ
う紅葉に何かを贈ってやろうと思い、真っ先に浮かんだのは花だった。   
 ……とはいえ。
 花が浮かんだはいいものの、俺は花屋に縁がある人間ではない。                 
 どんな花がよかろうかと足を伸ばしたのは人伝に聞いた桜ヶ丘中央病院。              
 病人の心を癒すために花をたやすことがないこと。 
 治療のために普通花屋には並ばない変わった花が咲いていることなどを聞
き及んでいたのもあったが。  
 花屋に行くよりは恥ずかしくなかったというものあったかもしれない。                 
 実際自分の柄じゃないのは良く知っている。 
 噂に聞いていた温室は、想像以上に多種多様の花が咲き乱れていた。
 噎せ返るような芳香の中で、綺麗な花びらを広げていたとある花が、俺が抱
く紅葉のイメージにぴたりとあった。  
 『兵庫君は〜一体、誰にこの花をあげるんですか〜?舞子に〜教えて欲し
  いなー?』          
 花の名は月下美人。               
 にこにこと微笑みながら上目使いで俺を見た高見沢は、この時期には普通
咲かない花なのだということを教えてくれた。                
 『この温室は〜特別な〜環境を設定してあるんで〜。季節関係なく〜花が咲
  くんです〜。これがちょうどクリスマスの頃に〜咲くと思うの〜』    
 華やかに開いたその隣にあった蕾のままの鉢植えを、持ちやすいように袋に
入れて渡してくれた。   
 『ありがとう』                
 頭を下げた俺に。               
 『きっと〜壬生君も喜んでくれると思うよ〜』  
 やっぱりにこにこと微笑んだままで、何も彼も見透かしたようにこそこそっと、
耳元で囁かれた。  
                        
 「夜にしか咲かない花なんだ」         
 「知ってます。今日、咲くんですか?こんなにも時期外れなのに」              
 「高見沢はそう、言ってたが?」        
 「高見沢さん?ああ、桜ヶ丘の温室で育った花ならば、それもありです、ね…」          
 まるで子供のように俺の腕に自分の体を無防備に預けた紅葉が、こしこしと
目をこすった。     
 「眠いのか?」                
 「すみません。少し…この部屋は暖かくて…なんだか安心します」              
 酔いも手伝ってか紅葉の体は程無く、ゆるやかな寝息を立て始めた。               
 「花が咲くようなら、起こしてやるから」    
 「は、い…」                 
 夢現なのか舌ったらずの声。          
 「ゆっくり寝ろ」               
 「…ん……」                 
 かくりと落ちてしまった首を、肩に乗せて固定する。
 人形のように力の抜けた体を横抱きにすると、長い睫が見て取れた。
 目を閉じてしまうと冷ややかな美貌はなりを潜めて、驚くほど穏やかな、幾分
か年相応の幼さの色がその顔に残される。      
 「寝て、なかったんだな?」          
 俺が"良かったらクリスマスを一緒にすごさないか?"と言ったあの日から。           
 ただでさえ過酷なスケジュールを必死に調整したのだろう。
 ただ今日、クリスマスの夜を俺と過ごすためだけに。
 人殺しを、繰り返していたのだろう。 
 抱き締めた体は、以前手合わせした時よりも格段に細くなっている。                
 「ごめんな、紅葉」              
 何の気なしに抱き締めていた腕をきつくすると、鼻にかかった声が零れて、
ほふと息が吐かれた。   
 慌てて腕を緩めて何度か体を揺すってやると、またおとなしい呼吸を繰り返
し始める。       
 「良かれと思ってやっているんだが、なんだか空回っている気がするなぁ」 

少しでも休ませてやろうとして、何だか追い詰めてし
まうことが多い。
 そう言えば"そんなことはありませんよ"という返答が
返ってくるのは分かっているが……。 
 もう少し器用なやり方ができればいいとしみじみした
所で、なかなか思う通りにはいかない。       
 「あ…」                   
 小さな小さな、葉が掠れる音が耳に届いた。
 真っさらな花が、その憂い顔を見せ始める。    
 「紅葉…、紅葉…」               
 耳元で名を呼んで、瞼に唇を寄せた。
 瞼の下でぴくりと眼球が動いた感触に唇を離すと、瞳
がゆっくりと開かれた。              
 「……?紫暮、さん」             
 「花が、咲くぞ」               
 「は、い…」                 
 肩から上げられた顔が、数度の瞬きの後で焦点を合
わせて真っ直ぐ目の前の鉢植えに据え置かれた。  
 「ああ…本当に…綺麗、だ…ありがとうございます、
  紫暮さん」                 
  二人の目の前で月下美人がゆっくりと花開いてゆく。
 透明な白に淡やかな青が加わったその大輪が一つ、二
つと鮮やかに開いていった。             
朝までしか持たないという、その荘厳なまでの美しさ
は類を見ない。               
 無論それを見つめる紅葉の、茫洋とした表情に浮かぶ
感嘆と歓喜の色艶の、壮絶な美しさも。   
 「紅葉…」                 
 柄にもない独占欲が急速に頭を擡げる。
 度を越した美しさに堪らない郷愁を誘われた。
 自分でも何をしているのかわからないまま衝動的に、
まだ完全に眠りから覚めてはいない紅葉の唇に触れる。
 触れるというよりは…奪った。        
 そんな自分に驚いて慌てて顔を上げようとして、紅葉
の手に止められる。            
 「紫暮さん?」               
 俺の普通ではない様子に紅葉は、淡く淡く微笑んで、
驚きもせずに口付けを返してきた。     
 「貴方の手は大きくて、暖かくて。血塗れた自分の性
  を忘れさせてくれます」        
 腕に抱かれた紅葉は従順過ぎて、俺のすっかりおかし
くなった思考に危険な拍車をかける。    
 「月下美人………綺麗ですねぇ…」        
 駄目だ。
 俺は一体、何を。
 馬鹿な、ことを。  
 紅葉の喜ぶ顔が見たかった。         
 ゆっくりと心休まる時間を与えてやりたかった。 
 そのためにはこれでは、何かが違う。      
 絶対に違うというのに。            
 微かに上向いて開かれた唇にがむしゃらに口付けた。
 自分の中、この手の欲望が、こんなにも激しく憤って
いたことを驚きと共に知る。
 クラスメイトの下世話な会話がぐるぐると回り、止ま
らない男の欲望がどれほどのものか、下半身に溜まる血
のたぎりで自覚した。               
 「紅葉」                   
 雪明かりにぼんやりと照らされた月下美人と同じくら
いに白い、紅葉の喉元に唇を寄せる。
 花に含まれた蜜のような甘さに頭がくらくらした。 
 自分でも何をしているかは、わかっていたが。
 何をしようとしているかはわかりたくもないままに。
 紅葉のセーター頭から抜きとった。
 ぶるっと寒さに震える紅葉の体が、熱を求めて静かに
俺の体に絡んでくる。               
 「兵庫、さん…」               
 今まで積み上げてきた、愛しいものががらがらがらが
らと崩れて行く最中。            
 囁かれた紅葉の声は、最後にひどく…甘かった。 


END






*紫暮×紅葉。
 確か、これが初の18禁仕様紫暮×紅葉だったかと
 思います。
 紫暮視点の難しさに唸りながら書いたのも
 今となっては良い想い出です(?)
 紅葉視点にするとこのカプ。
 本当に乙女紅葉になっていまうんですよね。とほ。




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