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  香煙(こうえん)


 
 東京の帝国ホテル。
 鳴滝館長の付添で訪れた思いの外狭いロビーで、珍しい人を見かけた。
 や、彼がいるのはきっと何時も通りの話。
 僕がここに存在しているのが空谷足音。
 映画がそこそこブレイクしたおかげで、その特殊な着物も説明が簡単にな
った。
 陰陽師の正装。
 それも五芒星をあしらっているとあれば、安倍晴明を祖とする陰陽師に限
る。
 とても僕と同じ年とは思えない優雅さで、扇を使って口元を隠した御門さん
がやわらかく微笑んだ。
 彼をよく知らない人が見れば、笑顔だけで惑わされそうな穏やかな風情に、
僕は苦笑する。
 宿星の仲間内で、如月さんの毒舌に匹敵するのは御門さんぐらいなもの
だ。
 歯に衣着せない口調で、図星を指されてしまえば、かの蓬莱寺さんですらへ
こむ。
 館長の用はなかなか終わらずに、手持ち無沙汰な僕は、ぼんやりと御門さ
んの動作を見守った。
 歩く姿ですら、優美で典雅。
 平安時代に生きていても、きっと違和感は微塵もないだろう。
 影のように付き従う芙蓉さんを背に、人と話しながらのんびりと僕の側を通
り抜けようとする。
 こんな所で逢った日には、お互い無視が鉄則。
 ましてや僕は拳武館の制服を身に纏っている。
 どちらかといえば、陰陽師といわれる職種の方とは、敵対することが多い。
 僕らが攻撃を、陰陽師側が防御を受け持って、敵味方に別れるケースは頻
繁にあった。
 これでも僕は知る人ぞ知るではあるが、拳武館一の使い手として名が通っ
ている。
 例え御門さんといえど、おいそれと負けるわけにはいかないが。
 はたして御門さんに勝てるかどうかは、甚だ疑問だ。
 バッグの中から取り出した本を広げようとした。
 ちょうどその時。
 御門さんが、側を通り抜ける。
 ふわ、と。
 香った、それは。
 「……白、梅香?」
 昔、母が春になると焚いていた、香の匂いによく似ていた。
 独り言よりも小さな声だったはずなのに。
 「よく、わかりましたね?」
 御門さんの足が、ひた、と止まる。
 一言二言、芙蓉さんに耳打ちすると、低く『御意』と囁きながら頷いた芙蓉さ
んは、でっぷりと肥え太った男を誘って客室の方へ消えていった。
 「大丈夫なんですか?」
 幾ら御門さんに言い含められているとはいえ、芙蓉さんはどうにも世間知ら
ずなところがある。
 それは式神という、彼女の体質めいたもののせいかもしれないが、二人き
りにさせるには、男の欲情にぎらついた目が気にかかった。
 「ええ。いざとなれば紙に戻るようにと言い含めてありますし。心配しなくとも
  平気ですよ」
 クッションのやわらかなロビーのソファの上、袖にふわりと空気を孕ませなが
ら、御門さんが目の前に座る。
 「……御門さん」
 「すぐに、失礼致しますから」
 懐に手を差し入れて、取り出されたのは小さなサイズの匂い袋。
 「白梅香の匂い袋です。どうぞ」
 「でも、こちらは……」
 「貴方が、つい口にしてしまう香りだ。何らかの思い入れがあるのでしょう?」
 普通に考えれば続くはずの『誰との』『どんな』想い出なのかを、問おうともせ
ずに、テーブルの上に無造作に置いていた手首を取り、僕の掌、芳香の高い
匂い袋を乗せてくれる。
 「ご自分で使われても、どなたかに差し上げてもよろしいですから。私は。同
  じ物を幾つも持っていますから、受け取ってください」
 100円ショップで買った香りのサッシェとはわけが違う。
 繊細な織りも綺麗な袋といい、匂いも芳しいお香そのものといい、決して安い
値段ではないはずだ。
 ましてや、御門さんが仕事時に使うともなれば、値段の検討もつかない。
 「せっかくですけれど、こんな高価のものを受け取るわけにはいきません」
そのまま乗せ返そうとした掌を、やわらかく両手で包み込まれて。
 「それでは、お礼に麻雀を教えていただけませんか?」
 御門さんの口から出るには、あんまりに似合わない単語に、思わず目を剥
いて。
 「はい?」
 と、首を傾げれば。
 僕の表情のおかしさを笑ったのか、自分が放った言葉の違和感さに気が
ついたのか、白い頬をほんのりと染めて。
 「村雨が、あんまりにも楽しそうに、貴方との『徹マン』を語るものですから。
  教えていただけるなら、何時か卓を囲むこともあるかな、と思いまして」
 運の強さだけとは思えない勝敗を誇る村雨さんを。
 この人ならば『ぎゃふん』と言わせてくれるかもしれない。
 何より、そんな話を持ち出してまでも、遠慮を否定する優しさが嬉しくて。
 「ではお時間のよろしい時に、ぜひ……ありがとうございます」
 拳武館たるもの、特定の香りをまとうことは許されていなかったが。
 館長の用件がすめば、帰路へつくだけの身だ。
 豊かな香りも、間をおかずに消え失せるだろう。
 僕は笑顔で受け取って、制服の内ポケットに匂い袋をしまい込んだ。
 「連絡は……どうせ麻雀は二人ではできませんから、龍麻君あたりにしてお
  きましょうか?」
 「そうですね。龍麻ならいい感じにメンツを集めてくれると思いますし」
 卓を囲むメンツが増えて、握り拳を作って喜ぶ龍麻の顔が浮かぶ。
 「それでは、私はこれで」
 すっと背筋を真っ直ぐにして立ち上がった、御門さんを見上げて。
 「では、また」
 口の端を軽く上げて目を伏せる。
 人目を引くその姿で客室の方へ歩いていく様を見届けてから、携帯を取り出
して龍麻の番号を選択する。
 約束は、なるべく早く実行しないとね。
 『紅葉?どうしたのさ!』
 珍しい僕からの電話に、龍麻の声が踊っている。
 更に、その声を明るいものにさせようと。
 僕は御門さんとの約束の話をし始めた。




*御門&壬生
 お香の描写がしたいなー。御門さんが似合いそうだなー。どんなシチュエーシ
 ョンにすべかー。芙蓉ちゃんは出さんとねー。村雨もかー。締めはやっぱり龍
 麻かなー?ってな具合につらつらと書かれました。ちょうどぴったりな文の長
 さで、我ながらびっくり。




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