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 「……久しぶりだな、紅蓮の」
 「全くですね。お元気にされていましたか?」
 鉄格子の向こう側。
 凛と立つロイさんに、枷の嵌った手を伸ばす。
 彼のイシュヴァールの地にあってさえ、私とロイさんの距離はこんな感じだった。
 あそこでは、共同戦線も張ったし、ロイさんの身体を抱えて眠った事もあった。
 けれど。
 ロイさんは、決して私に心など開いてはくれなかったから、ね。
 心の距離は、離れていたのですよ。
 今のように。
 「お前は、元気そうだな」
 「三食昼寝付ですし。あーでも、バスを使えないのは寂しいですねぇ」
 「……貴様にはバス専用要員がいると聞いているが?」
 確かにそれは、決まった国家錬金術師だった。
 万が一私が錬成を行っても相殺できる持つ男は、恐ろしく無表情に枷で満足に洗えない私
の身体を丁寧に洗う。
 感情を見せない男なのだが、よくもまぁ、文句一つ言わずそんな真似が出来ると思っている。
 「ええ、まぁ。よくご存知ですね」
 「ふん」
 鼻で笑われてしまった。
 「……しかし、ロイさん。どうしたんです? こんな所へ。よもや私に会いに来た訳でもない
  でしょうに」
 「……だとしたら、どうする?」
 「驚きます」
 「ちっとも、驚いているように見えないな……昔からそうだったか」
 はぁ、と溜息をつくロイさんを見て、気がついた。
 この人、初めて見るくらいに疲れ切っている。
 「昔話がしたいのでしたら、どうです? ゆっくりバスに浸かりながらなんて」
 「阿呆か!」
 「ええー。せっかくなんですから、しましょうよ。裸のお付き合い。もし、付き合ってくださるの
  なら。私が知っている、貴方が知りたい色々な機密、皆教えちゃいますよ?」
 本心とは、全く違う言葉を紡ぐ。
 これは、紅蓮の錬金術師と焔の錬金術師の会話を盗み聞きしようと必死な、外部用の言葉。
 「……許可が出たらな」
 「ああ。大丈夫ですよ。私。貴方ほどじゃないですけど、閣下には優遇されていますから」
 「知ってる」
 くるりと背中を向けたロイさんは、電話を借りたいのだがと、突然話しかけられて右往左往す
る見張りの兵士に話しかけている。
 程なく、大総統閣下への直通ラインを通じて、本来では有り得ない許可が、これまた尋常で
はないスピードで下りるだろう。
 待つ事、十数分。
 「出た」
 簡潔な言葉と共に、ロイさん自らが労の鍵を開けてくれた。
 「バスは、所長が自分専用の物を使わせてくれるそうだ」
 「ははは。まさか、囚人が使うバスを現役大佐の、何の罪もない貴方に使わせる訳にもいき
  ませんものねぇ」
 「……閣下の勅命だ」
 「……知ってましたけど、貴方。溺愛されていますね」
 「貴様もな、紅蓮」
 背後に痛いほどの看守や囚人の視線を感じながら、所長のプライベートスペースへ足を
進める。
 所長が、部屋の前で頭を垂れて待っていた。
 「申し訳ありませんが、私も執務がございますので……部屋を出るわけにはいかないのです」
 「構わない。バスルームを貸して頂くだけで十分だ」
 「本当に、こいつとバスに入るのですか!」
 「……何か、問題でも?」
 さらりと、何を馬鹿なこと考えていらっしゃるんでしょうねぇ、と見下した言い方をすれば、所長
も黙り込むしかない。
 「大丈夫ですよ。心配しなくても、私はこの人には、何も出来ませんからね。何しろ戦友ですか
  ら」
 「……その、誤解を招くような物言いはよせ」
 しかし、自分に向けられるより余程やらわかな物言いに、それなりの交友関係があると思った
のだろう所長は、しかし、それではごゆっくり……と嫌味を言うのを忘れずに、執務室へと篭って
しまった。

 「ああ、良かった。ちゃんとバスタブもありますよ、ロイさん」
 「そんなに長居をするつもりなのか?」
 「だって、貴方と二人きりなんて、早々あるシチュエーションじゃないですもん。ここなら、盗聴
 器も仕掛けられないし」
 「ふん、それも考えていたのか」
 「貴方が私を訪ねてくるくらいですもの。余程の事でしょう……はい、ロイさん。脱がせて脱が
  せて」
 「っつ! 貴様っつ! 自分で!」
 脱げ! の怒声を飲み込んだのは、完全に両手を拘束された状態では、どう考えてもそれが
無理なのだと気がついたからだろう。
 ち! と忌々しげに舌打ちをしたロイさんは、全身から立ち昇らせる怒気とは遠い丁寧さで、
私の衣服を脱がしてゆく。
 「お前。よく我慢してるな」
 「はい?」
 「綺麗好きだったろ」
 「おや! 覚えてくれていたんですね!」
 「散々巻き込まれたからな。忌々しい想い出ほど、覚えてる。そういうものだろう」
 「つれない……」
 「つれてどうする」
 大きく息を吐き出した後で、ロイさんは躊躇いながらも自分の服を脱いでゆく。
 濡らすよりはマシだと思ったのだろうが、裸の付き合いは久しぶりで嬉しい。
 彼のイシュヴァール時には、一緒に簡易バスを楽しんだ事もある……と言えば、貴様が
暴れたせいだろうが! と怒られるので、思い出すだけに止めておく。
 「さぁ! バスを溜めましょう。バス」
 「……お前、器用だな」
 私が後ろ手で、コックを捻れば、感心したような羨ましそうな声。
 「ああ。貴方、不器用ですもんね」
 「自覚はあるが、貴様に言われたくない!」
 「まぁ、それは置いておいてっと。髪の毛洗って下さい」
 「いい加減に、しろよ。紅蓮!」
 腰にタオルを巻いただけの姿。
 頬は怒りに紅潮していて、眼福の一言。
 「話、だけじゃないんでしょう?」
 「っつ!」
 「貴方のオネダリなら、何でも聞きましょう。しかし! 私も国家錬金術師。等価交換で
  お願いします」
 「……私の奉仕は高いぞ?」
 「存じてます。私、必ず貴方が納得する『お返し』をしますよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたロイさんは、シャンプーのボトルを手に取って、直に私の頭に振り
かけた。
 「ロイさん?」
 「馬鹿! すっごく汚れてるんだ。これぐらいしないと追付かないぞ!」
 「ですかねぇ?」
 ここを貸した所長が半泣きしそうな量のシャンプーをかけたロイさんは、懸命に私の髪の
毛を掻き混ぜ始めた。
 銃ダコもナイフダコもない、最前線を知らぬ事務官のように綺麗な指。
 数多の火傷は、ドクター・マルコーとノックス医師が治療にあたって跡がないのを知って
いる。
 不器用な動きで、しかし本気で髪の毛を洗い上げようとしているのだから、笑えた。
 一度目は、大量につけたにも関わらず泡も立たないのに閉口したロイさんは、すぐさま
シャンプーをシャワーで洗い流した。
 その最中にも、優しく動く指が心地良い。
 二度目のシャンプーの際、黙っているロイさんに話しかけた。
 「で、ロイさん。私に話って何でしょう?」
 「……お前。ここを抜けないか」
 「おやまぁ。脱獄を薦めるなど貴方らしくもない」
 「誰が、脱獄を薦めた! 閣下に頼めないのかと、聞いている」
 「頼めますけど……まだ時期じゃないから、出して貰えないと思いますよ」
 ブラッドレイは、ホムンクルスによる世界の統一に向けて着々と準備を進めている。
 最後になるだろう、決して彼には屈指ない、例えばロイさんのような気骨ある人々を殲滅
させる駒の一人として、私を飼っているのだ。
 だから、その時が来るまで。
 私がここから解放される事はない。
 「時期?」
 「すみません。これは貴方に言えない事です」
 「……私が閣下にねだって。お前を解放したら、お前……私の下につくか?」
 「ロイさん!」
 「つくか? つかないのか? 私の願いなら何でも聞いてくれるんじゃなかったのか!」
 どんな顔で、そんなにも嬉しい事を言ってくれるのかと、泡だらけの頭を上げる。
 ロイさんは、シャワーを私の顔にあて、表情を見せないようにしたが、無駄だ。
 「……ロイさん?」
 「お前も、やっぱり……嘘吐きなんだな?」
 苦笑を浮かべたロイさんが、諦めた風に瞳を上げる。
 この人だけは、決して浮かべる事がないと思っていた色が。
 真っ黒い瞳に浮んでいた。

 それは、絶望の色だった。




                         キン様の髪を洗うロイがかけて満足です!
                                           でも、話はまだ続きますよ。




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